第9話
わたしはそのページを読み終えると、目線を上げた。
「これは……本物なの?」
「信じられない、こんなの」
わたしと彼方はぼそりと呟く。
本当に信じがたい。こんなことが、本当に現実なのか。
しかし、今わたしたちが起こっている現象が、一番現実感がないことも確かだった。
信じないことには、仕方がないのかもしれない。
――おかしい。
疑問が、再び頭を
「ねえ、菜月。どうして……これを、わたしたちに見せたの?」
「確かに、そうですよね。できるだけ一人で解決したほうがいいと書いてあります」
これが疑問だった。同じ現象に巻き込まれているとだけ告げ、この本の存在を教えない方が、遥かに元に戻れる可能性が高い。
しかし、菜月はこれのことを教えた。その理由がわからなかった。
「本当は深山だけには教えるつもりだったんだが――おそらく、二人でないと一緒には来なかっただろう?」
確かに、彼方をのけ者にはしなかったと思う。
「……そうだね。でも、どうして?」
「それは――もしも、俺一人だけが戻ってもどうしようもないからだ」
「どうしようもないって?」
「お前は察しが悪すぎるぞ……だからな、俺はおまえにも元に戻ってほしかったんだ。だから……」
それを聞くと、なんだか妙な気持ちになった。
それは、菜月がわたしのことを好きだから? 振られた相手を、未だに?
そう考え、わたしも同じようなものだと気がつく。未だに、昔のことを引きずっているわたしに、言えたことではない。
結局、似たようなものなのだ。
「でも、わたしか彼方が妖狐だったらどうするの?」
「俺の勘だけど、深山はたぶん、前と変わってないと思うんだよな。周囲のことに無頓着な感じとか。俺のことすら覚えてなかったけど。まあそう言ったことを含めて、好きになったわけだしな。その深山が信じているなら、信じてもいいかなって思っただけだ。そこまでが妖狐の演技だったのなら、俺の見る目がなかったってだけだ。諦めるさ」
菜月はそう言う。
ここまで、純粋な好意を向けられると、困る。
恥ずかしいような、面映ゆいような。そんな感じだ。
それでも、ここまで言ってもらえるのは素直に喜んでいいのだろうか。
「それに、もし仮にどちらかが妖狐だったとしてもだ。たぶんだけど、二人は元に戻りたくないとは思わないだろう?」
そう言われると、確かにそうだ。わたしは元に戻りたいのだから、問題はないのか。
仮に、彼方が妖狐だったとしても、何と言われようとわたしは元に戻りたいと思うだろう。
それに――元に戻った場合、妖狐が化けていた人物はどうなるのだろうか。
すべて元通りならば、化けていた人物は元の世界のまま、何も知らないまま過ごしていた記憶だけが残るということになるのだろうか。
それはわからない。それでも、多分、元に戻れるのではないかと思えた。
そこでふと、疑問が浮かぶ。
わたしは、告白される前に、菜月と話したことがあっただろうか――。
周囲のことに無頓着だとか、そんな感想はある程度近くにいないと出ないのではないか?
――もしかして、菜月が妖狐なのではないか?
いや、発想が突飛すぎる。まだ、判断できる段階じゃない。
そもそも菜月が妖狐ならば、このノートを見せる意味がない。あるいは、ノート自体が偽物なのかもしれないけれど……こんなことをする意味がわからない。
場を荒らすだけならば、こんなノートを使わなくてもいいはずだ。他に手がかりも何もない状況なのだから、このノートを参考にするしかない。
こんなノートの存在を突然知り、混乱しているようだ。
もしかしたら、菜月はわたしのことを誰かから聞いたことがあったのかも。菜月の弟が奏のことをわたしに訊ねるように。
そうだ、弟から聞いていたのではないだろうか。
奏を気にしていた中島は、必然的に一緒にいることの多いわたしのことも見ていたはずだ。そこから聞いた可能性が高い。
それより、問題は――。
「隠れた条件、他にもあると思う?」
「……あると考えた方がいいだろうな」
「だよね」
「だが、これについては考えても仕方ないだろう。いくらでも余地はある」
確かに、その通りだ。後付けで条件の追加なんてものができる場合、わたしたちではどうしようもないのかもしれない。
けれど、それは諦める理由にはならないのだから。
「それより、一つ聞きたいんだが――」
菜月が改まって、わたしに訊ねる。
「お前の好きな人って、誰だ?」
その問いに、わたしは硬直してしまった。
「確かに、僕も聞いたことがありません」
「この現象に関わる人物は六人のはずだ。今のところ五人。深山の好きな人が起点でないとも限らん。どうなんだ?」
「わたしの、好きな人は――」
名前を言うべきだろうか。いや、言う必要はない。彼は男のままだった。だったら、この現象には関係ないはずだ。
「教えないよ。でも、男のままだったから、関係ないと思う」
「そう、か……」
彼方と菜月は項垂れている。
「涼さんはてっきり、居ないって言うと思ってました。あまりそう言ったことに興味がないのだと……」
「俺もそう思っていたんだが……いると知ると、な」
好きな人が他に好意を寄せていると知ったとき、素直に諦められるのか。
そう問われれば、わたしはNOと答えなければならない。
二人も、そうなのだろう。
菜月は切り替えるように少しだけ声を大きくした。
「しかし、違うとなるともう一人は誰かと言う問題もあるな」
「それより、わたしたちは他の二人の話を聞きたいんだけど」
「それなら問題ない。さっきメールしたから、そのうち来るだろう」
「名前は?」
「現在で女の
「へえ、カップルか。それに名前まで変わる場合もあるんだ。まあ、性別が変わる時点で何でもありって感じだし驚くほどでもないか……あれ?」
おかしくないだろうか。この現象は、起点を中心にして、好きな人の性別が入れ替わるはずだ。カップルならば、互いのことが好きなはず。と言うことは、誰かがそのカップルのどちらかを好きだということに……?
けれどそうすると、わたしたちはその起点から外れてしまうのではないだろうか。
どういうことだろう。
「それは……なんと言ったらいいか。説明する前にお願いがあるんだが。二人にはこのノートの存在とか、元に戻る条件とかを言わないで欲しい」
「……どうして? どちらかが怪しいとか?」
その場合、もう一人が元に戻らないという選択をする可能性も、なくはない。
「いや……それはわからないんだが。どこから条件が繋がったのかって話がな……」
これは秘密で頼むよ、そう前置きをして、菜月は話し始めた。
「まず前提として、今までに出ている条件が正しいとして話す。……俺は、男の頃の話だけど、吉子――今は吉雄だけど、そいつに告白されたことがあったんだ。それで、ここからは推測だけど――」
そこまで言うと、菜月は少しだけ言葉を切った。
けれど、わたしはその先を聞きたくなかった。
「いいよ、大体わかった」
木下吉子が菜月に告白した。つまり、菜月のことが好きだった。けれど、恐らく菜月は彼女の告白を断った。わたしのことを好きだからだ。
そのあと、木下は藤原俊に告白されたのだろう。
それを了承した。カップルの成立だ。一見問題はないように見えるが――。
おそらく彼女は、菜月への未練を完全に断ち切れていないのではないだろうか。けれど、一度断られてしまえば、もうアプローチする勇気などでない。
だから、告白されて付き合い始めたのではないだろうか。
彼方もそれに気付いたのか、つらそうな顔をしている。
もし仮に、その条件を二人に知られた場合――二人の関係は崩れてしまうだろう。それは、きっとわたしたちがどうこうする問題じゃない。
二人が、木下吉子が納得していれば、いずれ納得すれば、問題はなくなるはずだ。それをわざわざ、問題にする必要はない。
重い空気が場を満たし、しばらくが経った。
ドアが開き、男女が現れる。
藤原と木下だろう。
「この二人もなのか? 会長」
開口一番に、女の方が言う。
「そうだよ。他にももっといるかもしれないね」
菜月はそう返した。六人だ、とは言わない。二人には本当に何も知らせていないようだ。
「俺は藤原……俊だ。俊って呼んでくれ」
「私は木下吉子。吉子って呼んでね」
二人はそう挨拶してきた。挨拶としては男女逆のような気分になって、少し妙な気がした。
二人は青春を謳歌してそうな、少しイケイケな感じのカップルだった。
「わたしは深山涼」
「僕は連城彼方です。よろしくお願いします」
わたしたちも挨拶をすると、二人は笑顔で「よろしく」と返す。
こうして、この場に五人がそろったことになる。
けれど、菜月は二人に何も教えていないようだった。五人が集まっても、逆に行動しづらいのではないだろうか。
「二人の周りでは、ほかに変な生徒はいなかった?」
菜月が二人に訊ねる。
「ああ、居ないと思うぜ?」
「そうか……」
菜月は、もう一人の存在を気にしているのだろう。
もう一人が誰なのか、誰のことを好きな人物なのかわからないと、妖狐を判断しようもない。
このあとは互いに雑談や現象で困ったことなど、情報交換をして別れた。
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