第8話


 生徒会室は、思いのほか普通だった。室内には誰もおらず、校庭からは運動部の掛け声が聞こえている。

 もちろん、この学校の生徒会はマンガのようにすごい権力を持っていたりしないし、生徒会長が超絶イケメンと言うわけでもない。

 部屋には二つの長机を並べ、その周りに椅子が四つずつ左右に置かれていた。


「適当に座ってくれ」


 そう言い菜月は一番奥の席に座った。


「菜月は、生徒会の役員なの?」


 そう訊ねつつ、菜月の正面に座る。彼方はわたしの隣だ。


「思い出したわけじゃないのか? ……なんだか自信なくすなあ」


 そう言い菜月は頭を掻いた。私は何のことかわからず首を傾げる。

 すると彼方に、「涼さん、中島菜月先輩って生徒会長ですよ!」と言われる。


 ――いや待って、おかしいでしょう。だって生徒会長は別段イケメンではないものの真面目そうな男子なはずで。そこまで考え、わたしは気づく。

 なんでそんなことに気がつかなかったのだろう。

 わたしに告白してきた中島某は中島菜月である――そこまでは推測できていたのに。

 中島某が生徒会長であるという普通のことを知らなかったなんて。


 いや、言い訳をさせてもらいたい。実際、普通の高校の生徒会長なんて誰がやっても同じだろう。知り合いじゃなければ特に覚える必要もないはずだ。

 それでも、名前の顔くらいは覚えるべきかもしれないけれど……。


 そんなことを考えていると、菜月は話し出した。


「一応、生徒会長をやってるんだけど……まさか、そこまで気にも留めてもらってなかったとは思わなかったよ」


 告白までしたのにな――その言葉に、今度は彼方が食いついた。


「涼さん、告白されたんですか? いつ!?」

「去年だよ、断ったけどね」

「そ、そうですか……」


 あからさまに安心したように彼方は息を吐いた。去年は彼方はまだ中学生だったため、告白されたことを知らなかったようだ。奏の家に遊ぶに行っても、わざわざ振った相手のことを話題にすることはなかった。

 その様子を見て、菜月は「なんだ、連城も深山のことが好きなのか」と言う。

 彼方は顔を真っ赤に、「ち、違います!!」と――昨日も見たような光景が広がる。


「そんなことより、菜月は何を知っているの?」


 そう訊ねると、菜月は「初めて名前で呼んでもらったな」と呟く。去年断ったときは、名前を知らなかったため、おそらく「ごめんね中島くん」とか言ったのだろうと思う。少しだけ、申し訳ないような気持ちになった。

 彼方は少しむくれたような顔をした。それを見て、わたしは思ってしまう。二人とも、もう少し好意を隠そうとは思わないのだろうか。もう知られていると開き直っているのかもしれないけれど。

 わたしは、――知られると思うと、怖いのに。


 そんなことを考えていると、菜月が応える。


「そうだった。まず、この現象のことだが――二人は、何か知っているか?」


 そう訊ねられるが、わたしたちは何も知らない。性別がいつの間にか変わって、周囲の記憶も変わっていた。それだけだ。


「そうか……じゃあまず、これを見て欲しい」


 そう言い菜月が取り出したのは、少し古ぼけて黄ばんだキャンパスノートだった。


「何が書いてあるの?」

「この現象の、歴史、かな」


 そう言われても、よくわからない。わたしはそのノートを受け取り、彼方と共に覗き込むのだった。


 ■


 まず、これから書くのは現実だ。頭がおかしい奴の妄言じゃない。それだけは始めに書き留めておく。

 これは、現実の話だ。創作でもなく、まぎれもない現実の、俺たちが体験した事実だけを書く。


 同じ状況に陥った後輩に向けて、これを残すことにした。


 俺の名前は加藤昭。男だった、はずだ。目が覚めると女になっていた。

 朝方異常に気付いた。何かの病気かと思って大騒ぎしていたら家族に頭がおかしくなったのかと心配された。

 家族は俺を生まれつき女だと言った。そんなはずはない。けれど周囲の人間のなかで俺はもともと女だということになっていた。

 でも全員じゃなかった。俺のことを男だと分かるやつもいた。そいつらは俺と同じような目に遭っていた。俺を含めて全員で六人だ。

 六人が集まった次の日に奇妙な夢を見た。

 夢の中にはその六人がいた。そこに声が聞こえてきた。その声は妙なことを言った。

 まとめるとこうだ。


・この現象(性別転換)はこの学校内部の人間に起きる。

・この現象は六人の身に起きる。

・現象が起こる人間は、一人の人物(起点と呼ばれていた)を中心に、起点の人物のことを好きな人、起点の人物を好きな人を好きな人、という風に選ばれる。

・六人の中の一人に「ヨウコ(妖狐?)」という妖怪?が化けている。

・妖狐を見つけたら、元に戻れる。

・ひと月以内に妖狐を見つけ出さないとこのままだと言うこと。


 その声はこの現象を遊びだと言っていた。

 ふざけるなと怒鳴り散らしていたらいつの間にか朝になっていた。翌日みんなに聞くと六人全員が同じ夢を見ていた。


 俺たちは一か月妖狐を探し続けた。

 探すと言っても見つけ方はわからなかったから、他の生徒に聞き込んだり、俺たち同士の会話のうちにおかしな点がないか探したりだ。

 けれど結局見つけることはできなかった。

 これを書いているのは夢を見てからひと月が経っている。


 少しずつ、記憶が変わっていくのがわかる。

 俺の、男の記憶が薄れ、女としての記憶が目覚めていく感覚がある。

 このままでは、いずれ忘れてしまうだろう。


 夢の通りならば俺たちはもう、戻れない。

 でも諦めない。

 今後のために記録を残すことにした。


 少しでも、今後の役に立つように。

 俺たちが、自分のことを忘れないように。


 ■


「これって……」


 わたしは言葉を失う。だってこれは。

 こんなものを、信じろと言うのだろうか――。


「俺たちと同じ、この妙な現象の被害者の記録だ」

「……どうして、こんなものが?」

「これを書いた加藤昭と言う人は、生徒会長だったみたいだ。何年前だかわからないが、これを生徒会室に置いた。そして、妙な現象に出会ったらこれを見ろ、って言いつけていたそうだ。俺も生徒会に入ってから聞いた話だが、よく今まで残っていたものだと思うよ」

「これは……本物、なんだよね」

「おそらくは、な」


 書いてある内容はどれも信じがたい。一か月以内に妖狐を見つける、と言うのも、記憶が塗り替わっていくということも。


「後ろのページを見れば、他にも過去の現象に巻き込まれてしまった生徒たちがいたようだ……だが、元に戻ったという記録はない」

「それって、もしかして、わたしたちは元には戻れない――?」

「いや、そうじゃないと思う。ここに書いてあるのは生徒会にこれがあると知っていた人間の記録だけだ。つまり他の人間にも夢を見せていて、他にも被害者はいるのかもしれない。そしてこの中にも、妖狐を見つけたと書かれている時期はあった。十年前に、一度だけだがな。――ここだ」


 そうして、菜月はページをめくっていく。

 妖狐を見つけたのに、一度も戻ったという記録はないというのは、どういうことだろうか。

 わたしと彼方は、菜月の指の先に目線を落とした。


 ■


 私の名前は――いや、これは関係ないか。今までに書かれている通り、私たちも同様の現象に出会った。六人。最初の記録と同様だ。

 結論だけ書く。私たちは妖狐を発見した。誰かを探り当てた。

 結果だけ書く。私たちは、元には戻らなかった。

 理由は簡単だ。妖狐を探し当てた人物。彼、いや、彼女か? とにかく、起点となった、あいつが、元に戻ることを拒否したからだ。●●の奴が!

 他の五人は元に戻りたいと言ったのに。でもそれは叶わなかった。


 忘れないうちに条件だけ書く。

 妖狐を見つけたら、他の五人の意思を確認しろ。

 ヤツは狡猾だ。決して玩具を手放したりしない。

 おそらく、これを最初に見つけるのは生徒会のメンバーだろう。もし妖狐と判断できる人間がいて、仮にそいつと仲がよさそうにしている人間がいたら、気をつけろ。


 私たちはあのとき、六人いる中で、全員で奴を言い当てた。奴は認め、元に戻りたいかをその場にいる全員に訊ねた。


 隠していた条件を、奴は嬉々として私たちに語って聞かせた。

 条件は、夢を見ていること。それと、言い当てた人間の意思が統一されていること。


 できるだけノートの存在を、隠れた条件を知らせない方がいい。妖狐が誰なのかわかっても、油断するな。

 六人を集めて、一人で判断しろ。


 妖狐と一対一で対峙して言い当てれば、元に戻れるだろう。それが自分だけなのか、全員なのかはわからない。これも推測の域を出ない。

 それでも、一人で解決すれば自分の意思だけで元に戻れる、はずだ。奴の言う通りならば。


 それでも、一人で奴を見つけるのは、難しいだろう。

 それは本人次第としか言えない。


 それでも、私たちの無念を晴らしてほしい。


 もしかしたら他にも隠された条件があるのかもしれない。

 気をつけろ。


 妖狐に、惑わされるな。


 ■


 

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