第7話
奏の家を出たあとは、真っ直ぐに帰宅した。
今日は誰も帰ってきてはいないようだ。
パソコンを立ち上げ、検索する。本当は昨日のうちにやっておくべきことだったんだけれど。
トイレや風呂なんかは、彼方に聞くことができたのでよかった。彼方は恥ずかしそうに顔を赤らめていたけれど。
あれは、反則だ、男だったら惚れてもおかしくない――今、わたしは男だけれど。精神的には女の子だから問題ないはずだ。
そんなことより、調べるのはこの現象のこと。ネット上に何か手掛かりになるようなことはないだろうか――そう思っていたのだが。
何も、見つからなかった。当然だ、こんな現象が確認されていたら大騒ぎになっている。
性転換手術などではなく、さらには周囲の記憶すら変わる、なんてことは現実的ではない。
――ならば、わたしがおかしいのだろうか。再び、そう考える。けれど、今度は否定できる。
彼方の存在のおかげだ。彼――今は彼女だが、わたしと同様の記憶を有している。まだ、二人だけがおかしい、という可能性もあるけれど、一人だけで悩むよりはよっぽど心強かった。
結局、何が起きているのかはまったくわかってはいないのだけれど。
何もわからないまま、二日目が終わろうとしている。
このまま、男性として生きていくことになるのだろうか。
◆
翌日。
やはり変わらず、股座にはアレが鎮座している感覚を感じながら目を覚ました。
起き抜けに妙な違和感があるのはやはり慣れない。
顔を洗っていると、父が話しかけてきた。
「お前、髪伸びたなあ。切った方がいいんじゃないか?」
確かに、男子にしては長いかもしれないけれど――どうすべきか。あーうん、と曖昧に返事をして誤魔化すことにした。
学校へと向かう途中、奏と彼方に出会った。今日は彼方も学校に来るみたいだ。
「おはよー」
「おはよう、涼さん」
「おはよう、二人とも。今日は彼方も学校に行くんだね」
そんな会話をしつつ、学校へと向かう。奏がいるのであれの話はできないけれど。
学校に着くなり、中島がわたしのところに迫ってきた。
「おい深山。あの可愛いのは誰だよ」
「可愛いのって?」
「誤魔化すなよ、今日一緒に登校してただろ、連城と一緒に! もう一人いただろ!」
「ああ、彼方のことね」
「もしかして、お前のこれか?」
そんなことを言いつつ、中島は小指を立てる。表現が古くないだろうか。
「違う、彼方は奏のおと――妹だよ。連城彼方」
「連城の妹ぉ!? 美人姉妹かよ、知らなかった」
オーバーなリアクションをする中島に、わたしは訊ねる。
「それより、君のお姉さんの菜月さんについて、聞きたいことがあるんだけど」
「なんだよ、あんな美人姉妹がいるのにお前は俺の姉貴に気があるのか?」
「真面目に聞いてるんだけど」
「……すまん。で、何が聞きたいんだ?」
「お姉さん、ここ数日で変なことはなかった?」
「姉貴?」
そう。気になったのはそのことだ。
昨日、彼方の事情を知って思ったことだけれど、他にも同じ状況の人物がいる可能性がある。それならば、違和感はすべて調べるべきだ。
例えば――告白された人物の性別が変わっている場合などは。
もしかしたら、彼女は、去年わたしに告白してきた男子なのではないだろうか。そう思えたのだ。
「そう言えば二日くらい前……あーいや、これはどうでもいいな」
「なに? 気になるな。教えてよ」
どんなに些細なことでも、ヒントになるかもしれないのだ。
「いや、本当に大したことはないんだけど。風呂から出てきたときに上半身裸だったんだよ……今までそんなことなかったから妙だなって思ってな。……別にあれだぞ? 姉貴だから変な感情はないぞ!?」
「わかってるよ、ありがとう」
奇妙な言い訳を重ねる中島を適当にあしらう。
これは――ヒントだろうか。仮に男子が菜月という女子になったのならば、あり得ない話ではない、か。今までなかったというのならば、その可能性は高いかもしれない。
あとで菜月に話を聞くべきだ。
問題は、どう話を切り出すか、だけれど。
◆
放課後、今度はわたしが菜月を呼び出した。
彼方にも一緒に来てもらっている。
「それで、話って何?」
「その、妙なことを聞くようだけれど――」
そこでわたしは言葉を切った。僅かな沈黙が流れる。
だって、あなたは男ではなかったですか、なんて聞けないだろう、普通。
今日の授業もどう訊ねるかを考えていて上の空だったように思う。けれど結局、いい案など浮かぶはずもない。
もし違ったら、意味不明な質問をした奴として覚えられるだけだ。
結局、直球で聞くしかないのだ。菜月は返事をする様子はなく、わたしの言葉を待っているようだった。
目線を菜月から外すと、横にいる彼方が目に入った。不思議と、安心できる。見た目は全然違うのに、一人ではないと言うだけで、昨日までとは違う自分になれたような気がした。
結局、わたしはわたしのまま、臆病なままなのに。でも、彼方に大丈夫と言ったのは自分だ。だから――。
わたしは覚悟を決める。
「もしかして、菜月さんは……菜月くん、だったりしないかな?」
少しだけ確信を避けた、けれど確実に奇妙な質問。これが精いっぱいだった。手に汗が滲むのがわかる。
何を言っているの、と一蹴されるのも仕方がない、けれど、もし。もし、そうなのだとしたら。
その質問に――彼女は頷いたのだった。
やはり、そうなのか。そう考え、興奮を隠しつつ、さらに疑問を重ねる。
「どうして――昨日言ってくれなかったの? わたしはあんまり容姿も変わっていないから、その。状況はわかってたんだよね。……なにか、知っているの?」
これも、考えていたことだ。もし仮に、菜月の性別が逆転していたとして――自分だけだと思っていたのに、同様の状況の人物を発見したのならば放置してはおかないと思う。わたしならば確実に。
そうしないのは、何か理由があったはずだ。わたしが入れ替わっていると確認だけした、理由が。
「そうだな。その前に一つ確認したいんだが。その隣の子もお仲間か?」
菜月は彼方を指さしてそう訊ねる。わたしが「そうだよ」と答えると、菜月は頷き「これで五人か」と零した。
「五人……っていうのは、他にもいるんだよね。何か、知っているんだよね」
「ああ。本当は早めに解決したかったんだが――仕方ないか」
そう言って、菜月は携帯を取り出し、どこかにメールをしたようだった。
「君、名前は?」菜月は訊ねる。
「彼方です、連城彼方」
「連城――ああ、なるほど。そう言うことか」
菜月は納得したように頷き、後ろを向いた。そして首だけをこちらに向け、私と彼方を呼ぶ。
「連城、深山、ついてきてくれ」
そう言い歩きだす菜月に、「どこに行くの?」と訊ねる。すると菜月は「生徒会室だ」と告げるのだった。
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