第6話


「君は――深山涼、だよね」


 菜月は、わたしにそう訊ねる。

 何故そんな質問をするのだろう。わたしに告白したのではないのか――そう考えつつ首肯した。


「そうか……ふむ、ありがとう」


 そう言い、彼女はその場を去った。一体、何だったのだろう。変な人だと、わたしは思った。


「というか、それだけ?」


 そんなわたしの呟きが、誰かの耳に届くことはなかった。

 菜月は何をしたかったのだろうか。まったくよくわからない。けれど、何もないのならそれでいいか、とすぐに忘れてしまった。

 そんなことより、考えるべきこともあったけれど、それも後回しにして。

 明日、中島に聞いてみようかな。本当に忘れなければ、だけれど。


 ◆


 そうして、菜月とのよくわからない会話を終え、わたしは再び奏の家に来ていた。

 彼方のお見舞い、という名の時間潰しだ。一人でいると余計なことを考えてしまいそうで、何かしていたかった。

 今日は奏は部活に出ているため、わたし一人だ。

 奏の家の鍵は、家の前のメーターの裏に隠されているため、知っている人は入れるのだ。もちろん、奏の許可はとってある。不用心だとも思うけれど、こんな田舎に泥棒などいないだろう。


「おじゃまします」


 一度チャイムを押したが返事はない。鍵を使用し入らせてもらった。

 そのまま彼方の部屋に向かう。

 

「彼方、涼だけど」


 ノックをし、そう声をかけると、中でドタバタと音がした。どうやら今日は起きてはいるようだ。

「開けていい?」と訊ね、数秒待つが、返事がない。今度は「開けるよ?」と言う。

 そして、ドアに手をかけ、部屋の中を覗くと、ベッドの上に、頭まで毛布をかぶっている彼方の姿があった。

 いや、姿は見えず、毛布だけがもっこりと盛り上がっていたのだけれど。


「どうしたの……大丈夫?」


 そう訊ねるけれど、やはり返事はない。

 さっき声をかけたとき、部屋の中から音がしたから起きてはいるはずだけれど。

 不安になりつつ、わたしはベッドの側まで行き、そして、毛布を剥がす。

 するとそこには。


 そこには――美少女がいた。


 わたしの頭はパニックになる。


 もしかして、この子は彼方の彼女だろうか。もしかして、わたしは最悪のタイミングでドアを開けてしまったのではないだろうか。そもそも彼方はわたしのことが好きだったのでは――それは私が女の世界の話だ。わたしが男の子の世界では、そもそも彼方はわたしに恋愛感情を抱くことはないだろう。そもそも、彼方はどこだろう。この子だけいて彼方がいないというのはどういうわけだろうか。というより、この子かわいい。わたし――女の頃のわたしより胸がある、羨ましい。

 等々。


 思考が爆発して、立ち尽くしていた。

 眼前の少女はと言えば、わたしを見つめ呆然としていた。


「涼さん? なんで、学ランなんてきて……もしかして、僕と同じ――」


 その言葉に、わたしは。

 わたしたちは。


 理解した。

 互いの、眼前の人物の、状況を。


 ◆


「それで、彼方くん、でいいんだよね」


 そう訊ねる。少女は「はい」と小声で答える。確かに、女の子の声色で。


「どうして」わたしは訊ねる。誰かに訊ねたかった、聞いて欲しかった事実を。「どうして、こんなことになったのか、わかる?」


 けれど、そんなことはわかるはずもなく、彼方は静かに首を横に振った。


 わたしと彼方の身に起きた現象。性別の変換――それに加えて、世界そのものの変化。周囲の人間の意識。

 そのことについて、わかることは何一つない。


「そっか」


 ただ、そう呟くことしかできなかった。

 しかし、そのあとだ。彼方が、泣きだしたのは。

 彼方は、堰を切ったように、言葉を零した。


「訳が、わからない。どうして、こんな――意味がわからない。こんな、どうして――本当に」


 彼――彼女の言葉に、意味はないのだろう。ただ、誰かに聞いて欲しいだけだ。彼を――連城彼方を知っている、誰かに。

 それは誰でもいいのかもしれなかったけれど、彼方にとってのわたしと言う存在が、さらに大きくなったのかもしれないと思う。


「ねえ、涼さん……僕は、僕たちは、これからどうなるのかな。ずっと、このままなのかなぁ……そんなの、嫌だよ。元に、戻りたいよぉ」


 そう言い、わたしに縋りつき、泣き続ける。きっと、彼方は朝から一人で絶望していたのだろう。きっと。この世界で、たった一人の異質として。

 それは、とてもつらいことだ。自分も同じ状況だったから、よくわかった。

 彼方は、ずっと泣いていた。元の世界――わたしが女で、彼方が男だったら、これはセクハラだとか、男らしくないとかいう場面かもしれないけれど。

 彼方のその姿を見て、わたしはただ、その背中を撫で続けた。


 しかし、その姿を見ながらも、思考だけは停止させていなかった。


 わたしだけではない――その事実は、大きな意味を持つ。

 つまり、もっと他にもいるかもしれないということだ。他にも、同じ状況の人物が――。

 例えば、原因について心当たりのある人物も、いるかもしれない。その人物を探せば、あるいは。元の世界に、戻ることも。

 そこまで考え、彼方に語り掛ける。


「大丈夫だよ。彼方くんも、わたしも、一人じゃなかった。きっと、他にもいる。誰か、何かを知っているはずだよ」


 何の根拠もない。けれど、そうではないという根拠もないのだから。

 ――大丈夫。まるで、自分にも語り掛けるように。


 やがて、彼方は泣き止んだ。

 目を赤く腫らす美少女の姿がそこにはあった。


「涼さん、ありがとう」

「ズルい」

「へっ?」

「なんでもない。頑張ろう」


 わたし――女のわたしより胸があって、かわいくて、ついつい口が滑ってしまった。


 眼前の少女と、わたしの記憶の彼方は、どう考えても別人だった。わたしはあまり容姿が変わっていないのだけれど。

 かつての彼方は坊主頭の野球少年だったため、奇妙な感覚に苛まれる。少女は、小柄で髪はセミロング。目も大きく肌は真っ白な絹のようだ。何故こんなにも差があるのだろうか。


 そんな思考を頭の隅にやり、話を続ける。今後の方針を。方針とは言っても、特にわかっていることはないため、他に性別の入れ替わった人物がいないか探すくらいしかできないのだけれど。とは言え、他にもいる可能性がある、と分っただけでも十分な進歩ではある。

 あとは、それぞれの、性別のこと。トイレだとか、お風呂だとか。あとはブラの着け方だとか、女の子特有のアレだとか。


 そんな話を続けていると、ノックの音が響き、「入るよー」と奏が言う。

 どうやら彼方が泣いている間に、奏が帰ってきていたようだ。

 わたしがお見舞いに行くと言っていたから、もしかしたら早く切り上げてきたのかもしれない。


 奏は、わたしと彼方の様子を見て一言。


「彼方、振られた?」


 そう言った。目を赤く腫らした彼方を見れば、そう思うのかもしれないけれど。彼方は顔全体を真っ赤にし、「ち、違うよ!」と大声をあげる。


「大泣きする声が聞こえたから、そうだと思ったんだけどなあ。もしかして、OK貰ったり?」

「だから、そう言うのじゃないんだって!」


 二人の会話を聞き、ついつい笑ってしまった。

 というより、大泣きする声が聞こえた、ということは、結構前から奏は家にいたのではないだろうか。気を使っていたのかな。


「笑ってないで、涼さんも何か言ってよ!」


 そう言われ、わたしも言い訳を考える。


「彼方は――」

「彼方? いままで彼方くん、って言ってたのに?」

「ああ、女の子なのに彼方くん、は変かなって思って」

「ふうん……なんか、今更な気がするけど。まあいいや」

「それでね、彼方が泣いてたのは――」


 ――お漏らししてたからだよ。


 そう冗談を言い、彼方に怒られた。「なんでそんな嘘言うんですか!」なんて。

 奏は笑って、彼方の背を叩く。


「まあ話したくないならいいんだけどさ」しばらくして、心配そうに彼方に訊ねる。「彼方、大丈夫なんだよね?」


 その言葉に、彼方は「うん、大丈夫」と。


「じゃあ、いいや」


 奏はそう言い、わたしの方を見た。


「彼方が迷惑かけたみたいだね」

「そんなことはないよ。わたしも、迷惑かけることになるかもしれないし」

「よくわからないけどさ。彼方のこと、これからもよろしくね」


 そう、姉に言われてしまえば、わたしとしては、力強く頷くしかないのだった。


「そういや彼方、生理――あ、いや体調は大丈夫?」


 そんな言葉を奏が言う。

 その言葉を聞いて、昼に奏と美香が言っていたのはこのことかと納得していた。

 彼方は、顔を真っ赤にしながら「違うから!」と再び泣きそうになっていたのだが。

 わたしは気持ちは女の子なのだから、恥ずかしがらなくてもいいのに――そう思ったけれど、彼方は気持ち的には男の子だから生々しい話は恥ずかしいのだろう、と納得した。

 

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