第2話


 登校の途中、見知った顔を目にする。連城奏れんじょうかなで佐倉美香さくらみか。わたしの友達――だったけれど、このわたしも同様の関係なのかは不明だ。

 二人とは、小学校からの幼馴染だったけれど。声をかけて、知らないと言われてしまうことを考えると、足が止まってしまった。

 わたしが声をかけあぐねていると、二人が私に気付いた。


「あ、涼じゃん。おはー」

「おはよー」


 どうやら、わたしのことは分かるようだ。深山涼みやまりょう、わたしの名前。

 これが涼子だとか涼太だったら、性別も分かりやすいというものなんだけれど。

 けれど変わらず接する友人に安堵し、思わず息を吐いた。わたしも「おはよう」と挨拶する。

 三人で、並んで歩く。


 そして、考える。二人の様子からすると、どうやらわたしのことは始めから男であると認識しているようだ。

 なんでなんだろう。


 考えても、やっぱりわからない。悩みを頭の片隅に置き、二人の様子を見た。

 奏と美香は、二人とも、制服の上にコートを着込んでいる。

 奏は口元はマフラーで隠しているが、白い息が漏れ出て一層寒さを体感させていた。美香はもふもふの手袋をさらにポケットの中に突っ込み暖をとっていた。

 ――こうやって見ると、女子の制服って防寒性がないということがはっきりと分かる。思わず二人の足元に目が行く。

 なんて言ったってスカートだ。いくら厚手のタイツを履いたって、あんなひらひらに防寒性なんてあるはずがない。

 それに比べてわたしが今着ている服は、足元までしっかりと包み込んでいる。これでもまだ寒いものの、昨日までとは段違いだ。冬の気候でスカートを着なければならないというのは、寒すぎる。

 思わず二人の格好を眺めてしまっていた。


「どうしたの、涼。そんなにじろじろと……なんかえろいことでも考えてんの」


 奏が腕で自身を抱きしめ、揶揄からかうようにわたしに言った。口元が笑っている。

 そう言われ、自分が男性であるということを再確認する。これでは世間的にはセクハラというやつかもしれない。気をつけなければ。


「……いや。寒そうだなって」

「男子はいいよねー、スカート寒すぎ。下にジャージはいて登校させてくれてもいいのにさー」


 規則だからって、これじゃ風邪ひくっての――そう続ける奏の言葉に思わず苦笑する。

 よかった、いつも通りに会話できてる。

 他愛のない会話をしながら、学校へ向かう。普段と変わらない、こんな会話が、とても落ち着いた。一時だけれど、わたしが男になってしまったことを忘れてしまうくらいに。


 学校に着いてからは、みんなは何事もないかのように普段通りだった。わたしだけそわそわと落ち着かない。

 授業は耳に入らず、頭をもたげるのは疑問ばかりだ。

 何故、このようなことになっているのか。みんなはなんで疑問に感じないのか。

 わからないことだらけだ。


 ――昨日のことを思い出してみよう。

 朝は、今日と同じくらいに起きて、学校に向かった。昨日は登校中、知り合いに会うことはなく一人で登校した。その後、特に問題なく授業をこなして、そして放課後、わたしは部活には入っていないから学校から帰った。

 学校から帰ってきたあとは何をするわけでもなくテレビを垂れ流しにしながら夕食の準備をした。母は帰りが遅いと言っていたためだ。

 簡単な野菜炒めを食べて、居間でごろごろとしていた時に母が帰ってきた。

 その後、お風呂に入っている間に父が帰ってきたようで、食事は片づけられていた。

 部屋に戻り、宿題をだらだらと済ませ、そのあと少しだけ本を読んだ。

 後は寝ただけ。何もおかしなところはない。


 この世界では、わたしこそが異質だ。

 わたしの意識が、この世界とはずれている。

 みんなはわたしを男として認識していて、それが普通であるかのように振る舞う。

 わたしが、間違っている。

 けれど。わたしは、わたしの意識は、わたしの精神は明らかにこの状況を異常だと認識している。

 わたしは、女だったはずだ。

 ――何故、こんなことになったのだろう。

 そう考えるけれど、答えは当然、出るわけがなかった。



 午前は、結局何もないまま、日常のように過ごした。

 違ったのはわたしの入るトイレだけだ。

 トイレは、なんだか恥ずかしかったので、あまり人気ひとけのない場所のトイレを使うことにした。誰も居ないタイミングで個室に入って素早く済ませることにしている。

 一度だけ、間違えて女子トイレに入りそうになってしまったけれど、周りに誰も居なくてよかった。

 ――これから、どうなるのだろう。

 今日の朝、突然男になったのなら、明日には女に戻っているのかも――そんな、楽観的な考えが浮かぶけれど、それを否定する。

 こんなのは、おかしい。

 何度も起きるようなものではない。普通は一度も起きないと思うけれど。

 理解の範疇を大きく超えていて、結局何もわからないまま、午前の授業はほとんど聞かないまま終了した。


 そして、昼食。いつも通り、美香と奏の二人とご飯を食べようと席を立ち、気づく。本当にいつも通りならば何も気にすることもないけれど、今はわたしは男で、二人は女だ。

 周囲を見回しても、男子は男子、女子は女子で固まって食べている。そう、それが普通だ。

 カップルなんかは、一緒に食べるかもしれないけれど、そうでない状況で一緒に食事をするというのはレアケースだと思う。

 わたしは――男のわたしは、今まで昼食を一人で食べていたのだろうか。それとも、美香と奏と一緒に?


 再び悩んでいると、二人がわたしの席に近づいてきた。


「食べよ!」


 そう、奏が言う。わたしは二人とご飯を食べていたようだ。

 私は腰を下ろし、お弁当を取り出した。

 周囲の男子の目が、少しだけ鋭い気がしたのはきっと気のせいだ。


 昼食を食べている途中、奏と美香の会話を聞いていた。わたしが喋るとなにかボロが出そうで、あまり口を開けなかっただけなのだけれど。


「そういえば、彼方が体調崩したみたいでさ」

「え、大丈夫なの?」


 彼方と言うのは、奏の弟、連城彼方れんじょうかなた。奏の家にはよく遊びに行くけれど、その時に一緒に遊んだりしている。この世界のわたしはどうなのかわからないけれど。

 大丈夫なのだろうか。そんなことを考えながら、二人の会話を聞き続ける。


「わかんない。朝、顔を真っ青にしてトイレに篭っちゃってさ。今日は学校休むって」

「そっか。心配だね。お見舞いにでも行こうかな?」

「美香、部活は?」

「部活の後――じゃ迷惑か。お大事に、って言っておいて」

「はいはい」


 そんな話を聞き、彼方の心配をしていると、奏が「涼はどうする?」と聞いてきた。


「わたしは――」


 そう返事をして、ハッとした。男子は「わたし」と言うだろうか。普段の生活の上では使わないと思う。

 けれど、二人はとくに気にした様子はない。わたしの考え過ぎだろうか。

 それとも、わたしは男でも「わたし」と言っていたのか。聞きたいけれど、でも聞いたら不自然だろうと思い、自制する。


「行こうかな……でも、奏は部活はどうするの?」


 そう、奏は吹奏楽部、美香は陸上部だ。わたしは帰宅部なんだけれど。


「今日は親から、彼方が心配だから早く帰って来いって言われてさ。部活は休むことになってんだ」

「そうなんだ。じゃあ、お見舞いに行こうかな」


 そんな話をしながら、昼休みは終わった。

 女子の家に男子が行くのはどうなのだろう、とはこの時には気がつかなかった。


 ◆


 お腹を満たし、少し眠くたくなる午後。

 授業は体育だ。

 体育と言えば、そう、着替えである。

 わたしが通う高校は、女子更衣室はあるけれど、男子更衣室はない。いや、あるのかもしれないけれど、男子は使っていないと思う。

 部活なんかでは部室で着替えているようだが、体育のときは教室でそのまま着替えているのだ。

 つまり、だ。わたしはこの教室で、男子に囲まれながら着替えなければならないということだ。

 憂鬱な気分になりつつ、どうにか逃れなれないだろうかと考えていると、一人の男子が話しかけてきた。


「深山はいいよなあ、あんな可愛い幼馴染が二人もいてさ」


 中島慎太なかじましんた、確か、サッカー部とかだっただろうか。わたしが女だったころは、碌に会話をしたこともないと思ったけれど――と言うより、わたしは男子とあまり関わらない方だったのだけれど。


「そう、かな」


 男子からしたら、そうなのかもしれない。けれど、わたしにはいまいちわからない。

 確かに、美香も奏も美人だということは認めるけれど。


「で、どっち狙いなんだ? いい加減教えろよー」


 などと、馴れ馴れしく肩を組んできた。思わずイラッとする。

 いい加減、と言うことは、この会話は何度目かのことなのだろうか。こっちのわたしは男子とも会話をしているらしい。男子なのだから、当然なのかもしれないけれど。


「別に、そういうのじゃない」

「相変わらずだなー。じゃあお前、二人に彼氏ができてもいいわけ?」


 そう言われ、考える。二人に彼氏――と言うより、美香は彼氏がいたんじゃなかったかな?

 そんなことを思い出し、関係ないと思った。二人に彼氏ができても、わたしたちが友達じゃなくなるわけじゃない。


「美香には彼氏いると思うよ」

「……マジかよ。なあ、連城は? 連城にはいるのかな!?」

「さあ、たぶんいないんじゃない」


 必死になってわたしの肩を揺らす中島に、思わず答えてしまった。なんでこんなに必死なんだろう。

 ――もしかして。


「中島って、奏のこと好きなの?」

「べべ、別にそんなことねえよ!?」


 誤魔化すのが下手なようだ。その様子を見て、周囲の男子は中島を揶揄いはじめる。

「マジかよ中島」「諦めろ、高根の花だ」「慎太、当たって砕けろ」

 等々。そんなみんなをみて、思わず笑ってしまった。


 男子とはあまり話したことはなかったけれど。なんだ、案外普通にできるなあ、なんて考えながら。

 着替えは、出来るだけ急いで、周囲を見ないようにしながらだけれど。


 そのあとの体育の授業は、きつかった。男女ともにマラソンだったけれど、男子は女子より距離が長い。

 わたしは、もともと運動が得意ではなかったにしても、女子の距離ならばなんとか走れたはずだ。けれど、男子の距離はすこしきつい。

 筋力は女子のときと変わってないんじゃないだろうか。なんでそこは変わらなかったのだろう。そんなことを、恨みがましく思いながら最後尾を走っていた。

 

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