32. ソーマ

 倒された浅沙の巨体は、夜が明けても元のサイズに戻ることはなかった。つまり、異形化した巨人の屍が領主邸の一部を破壊したそのままに残されている、ということになる。

 セフィル隊及び別働隊として派遣されてきた部隊の軍人たちは、その半数ほどが巨大な骸の処理に追われている。手早く始末をしなければ腐り、ただでさえ血や体液などの匂いが充満しているこの屋敷と敷地に甚大な被害をもたらすことになるからで。


「うーし、こっち切れたー。頼むぜー」

「お疲れ様です!」


 そういった理由で今、疾風は剣を振るい、屋根を破壊した片腕の先を手首から切断したところだ。ある程度のサイズにまで切り刻んだ後、別働隊が人海戦術を駆使して街の外に運び出し焼き払う手はずになっている。

 荷車に乗せられた手首が門を通り抜けるのを見送りながら疾風は、軽く肩を回した。まだまだ、切り刻まねばならない箇所は多く残っている。


「縮んでくれると、後が楽だったんだけどなあ」

「しかし、こんな魔族が実在したことの立証はこちらのほうがしやすいな」

「あー、確かに」


 降下してくる翼の音に、疾風は振り返ってから答える。声がエンシュリーズのものであることは聞けば分かるし、正直に言えば魔族が巨大化したなどという報告を証拠もなしに信じてもらえるとは思っていないからだ。

 ふとニックのことを思い出して、青年が尋ねた。


「サンプル、送っておきますか?」

「私が凍らせて持っていくよ。どうせ、報告のためにも一度家には戻らねばならんし」

「あー」


 エンシュの返答にはい、とも言えずに疾風は唸った。彼女の家、つまりリリンセスカヤの本家は王都にあり、彼女がそこに戻るということは要するにセフィル隊がぞろぞろと連れ立って王都に向かうということになる。

 ずっとヤマノ村で生きてきた疾風にはスイレンの街ですら人の多い都会に思えたのに、それ以上のところへ行くことになるわけだ。思わず顔を歪めてしまうのも、無理はないだろう。


「変な顔をするな」

「いやあ。田舎暮らしが長かったんで、都会はいまいち性に合わねえっていうか」

「王都はここよりも賑やかで、観光にはちょうどいいぞ。旅行ついでだと思っておけ」

「旅行の習慣がないんですって。売り物の仕入れとか魔獣退治とかならともかく」

「まあ、そうだろうな」


 疾風の言い訳を聞き流すように、エンシュリーズが苦笑する。あの村にいた十年間、言われてみれば自分もろくに旅行、などというものをしてはいないからだ。

 ヤマノ村のような辺境ではその日の生活をするのが手一杯で、旅行と言うか他の土地へ移動するというのは例えば、楮が店の品を仕入れたりするような場合でしかない。

 スイレンの街を訪れる者ももちろんそういった商人や仕事を探す者などが多いのだけれど、その中には金にあかせて単なる観光旅行でやってきた者もいた。そんな人々の存在を目の当たりにして疾風は、肩をすくめるしかない。


「金持ちってすごいっすねえ」

「領民から搾り取った金で生活しているだけだ。まあ、民を守る義務も負っているんだがな」


 小さな疾風のため息に頷いてからエンシュリーズは、「早く切れ」と促した。他の部隊の連中も必死に屍を解体しているけれど、死臭がうっすらと漂い始めているこの地はあまり気分がいいものではない。

 ましてや、領民から金どころか女や自由な思考まで奪っていた領主の館など。




 セフィル隊もう一人の剣士である誠哉は、蒼真とともに別部隊側の事情聴取を受けていた。と言っても二人がセフィル隊、つまりは囮として潜入していたことは向こうにも伝えられていたため、早く終わったのだけれど。


「ありがとうございました。隊長殿と副隊長殿に、よろしくお伝えください」

「こちらこそお世話になりました」

「では、失礼します」


 無事だった屋敷の一部を接収した別部隊の本部、玄関先まで送ってくれた兵士に礼を言って二人はその場を後にする。このあたりはほとんど戦いの影響もなく、ただ獣人たちがパニックを起こした跡がちらほら見えるくらいか。


「そういえば」


 歩きながらふと、誠哉が思い出したように口を開く。蒼真は並んで歩きながら、次の言葉を待った。


「隊長たちが言ってたあのお嬢様、大丈夫だったのかな」

「私と会った時はピンピンしてましたし、ラフェリナが外まで逃したって言ってたそうですから」

「そっか。それは良かった」


 あのお嬢様。アルリアーナの顔を脳裏に浮かべながら蒼真が答えると、銀髪の青年はほっと笑みを漏らした。自分は魔族に襲われかけていたのに、と呆れて蒼真は思わず、通り道に生えていた木に手を伸ばした。綺麗な色だっただろう葉が、何かの影響でも受けたらしく茶色く縮み上がっている。

 蒼真の手に掴み取られてめき、と木は簡単に折れた。断面もカスカスに干からびており、このまま生えていてももう新たな枝葉を伸ばすことはないだろう。


「え?」

「多分、魔族の影響だと思います」


 植木の悲惨な状況に目を丸くした誠哉に、蒼真は小さくため息をついてからその木をぽいと放り投げた。がしゃ、と枯れ木が倒れる音に重ねて彼女は、ぽつりと呟く。なぜかはわからない、けれど。


「西方人はね、あまり他の種族と結ばれないんです」

「……え」

「髪の色も目の色も肌の色も薄いせいか、他の種族との間に子供が生まれるとそちら側の特徴が強く出てしまうんです。私は黒熊獣人の母のもとに生まれたので、こんな髪とこんな腕力になりました」


 枯れ木とは言え、片手で木をへし折れる力。真っ黒な髪は、知らぬ者が見れば東方人としか取れない姿。

 その真実を蒼真は、ぽつぽつと言葉にしていく。多分、言葉にしておきたかったのだろう。銀の髪の青年に対して。


「長く続いている家はそれを嫌って、正式な夫人や跡取りには西方人同士から生まれた子供を選びます。別の種族と結ばれたい者は大概家を捨てて……そうでないと結ばれないから」

「……」

「ラズフェールの当主は、そこまで度胸はありませんでした。そもそも正夫人や側室にだって子供を産ませているのに、何のはずみか獣人の女に手を出したら当たってしまった、ということのようです」


 ラズフェール、という名に誠哉が目を丸くした。先に自分が話題に出した『お嬢様』の家の名を蒼真がいま口にした、その理由が理解できたから。


「当主は、自分の子を孕んだ私の母を使用人として雇い入れました。もちろん、生まれた子にラズフェールの名を名乗らせるつもりはなかったようで」

「……ええと」

「ま、要りませんけどね」


 どう反応していいかわからない誠哉に対し、蒼真は満面の笑顔で答える。東方人の名前で、姓を名乗らずに生きているのが今の彼女にとっては当たり前のことだから。


「アルリアーナは、当主と正夫人との間に生まれた娘です。腹違いの妹、ということになりますね」

「……そうだよね」

「ええ。もっとも私はラズフェールを名乗っていませんし、あちらも私を姉だなんて思ってはいませんけれど」


 実際、お互いに出会った時もそういう反応だったから蒼真は、そう言葉にしただけなのだけれど。


「それでも、無事で良かったよね」

「……はい。それはもちろん」


 それでも気の優しい青年の言葉には、何だかホッとしたように頷くことができた。

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