30. 行くべきところ

 スイレン領主邸の敷地内、街からは一番離れた場所に館が建っている。街を訪れる観光客の目にも触れることがないそこには、幼い子供たちが集団で生活していた、らしい。

 蒼真と別れた後何とかかんとか建物の陰に潜みつつ進んでいたアルリアーナがそれを見つけたのは、館の主が建物よりも大きくなったせいで獣人たちがパニックを起こしている最中だった。このあたりまでは獣人たちはやってきていないようで、故に彼女は館にするりと接近することができた。


「え、これ……」


 窓の中を伺うと、生気のない顔をした子供たちが外の喧騒にもかかわらずおとなしく椅子に座っている。その数は一部屋に数人ほどだが、それが十以上にもわたるとなるとさすがに彼女一人でどうにかできるものではない。

 だが、ちょうど良いところに救いの手がやってきた。領主の使用人ではないらしい、西方人の兵士たちである。


「失礼致します。もしや、ラズフェールの末姫様でしょうか」

「え、ええ」


 自分のことを確認されて、思わず頷く。それから慌てて、窓の向こうの子供たちを指差した。


「あ、あれ、多分ここで生まれた子供たちのようですの。保護をお願いしますわ」

「は、承知しました」


 自分のことよりも見知らぬ子供の事を頼まれて、兵士も思わず頷いた。

 単純に考えて、領主邸の奥深くに年端もいかぬ子供が十数人レベルで集まっている……というよりはどう見ても監禁されている、というのは何やら犯罪の匂いを感じる。いわゆる学校や寄宿舎の類であればともかく、普通の屋敷というには少々粗末な建物であるからして、余計に。

 ばらばらと屋敷の中に入っていく兵士たちの中にあって、一人がアルリアーナに申し出た。


「ここは危険なので、安全なところまでお送りいたします」

「大丈夫です。自分の足で歩けますし、アレに近づこうとは思いませんから」

「……分かりました。お気をつけくださいませ」


 正直にいえば、兵士の方も人数はそうそういるわけではない。領主邸を抑えるだけならともかく、スイレンの街自体を抑えなければならないからだ。街の住民たちは全て、領主の従順な配下であるらしいという情報がある。

 そうしてアルリアーナの言うアレ、とはここからでも上半身が見える、巨大化した浅沙のことだ。あのような存在が暴れているのであれば、兵士側としては住民の退避や子供たちの保護、そして情報収集と押収のためにもっと人数は欲しいのだから。

 もっともアルリアーナにも、そして兵士たちにもあの巨大な化け物がこの街の領主であることは分かっていないのだけれど。


「全く。ソーマの仲間たちは何をのんびりやっていらっしゃるのかしらっ!」


 敬礼した兵士を置いて、アルリアーナは早足でその場を立ち去ることにする。周囲にはそれなりに目を配りながら、来たときと同じように建物の陰を伝うようにして。

 それでも、門の近くまで来たところで獣人に見咎められたのは仕方のないことだろう。彼らは西方人である彼女より耳も鼻も利き、そうして一種の興奮状態だったのだから。


「メスぅ……」

「え」

「メスだぁ」


 アルリアーナに目を留めた二人の獣人たちは目を爛々と輝かせており、鼻息も荒い。そうして何よりも彼女より早い足で、勢い良く飛びかかった。


「きゃああ!」

「がうっ」


 上がった悲鳴とほぼ同時に、別の方向から更に飛びかかる者があった。しなるように両腕を振り回し、獣人たちをあっさりと吹き飛ばす。着地した彼女のふわふわの髪から、犬の耳がぴこんと飛び出している。


「獣人なら獣人らしく、ちゃんと発情期にサカれってノ」

「え?」


 髪と同じ、橙色のふわふわした尻尾をぱたんと振ってから彼女、ラフェリナは振り返った。アルリアーナを見つめ、「ん?」と首をかしげる。腰を抜かしている彼女に歩み寄り、軽くふんふんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。


「……あ。もしかして、ラズフェールのお嬢サマ?」

「え、ええ、そうだけど」


 匂いでどう確認したものか、彼女の素性を言い当てた犬娘にアルリアーナは頷いた。なぜかは分からないが恐らく、蒼真と似たものを感じたからかもしれない。

 そしてラフェリナは、満面の笑みを浮かべた。


「良かったあ。セフィル隊のラフェリナ、助けに来たヨ」

「セフィル隊? ……あ、ありがとう」

「わう」


 助けに来た、と言われて思わず礼の言葉を述べたアルリアーナに、ラフェリナは耳と尻尾を元気良く振ってみせる。そうして、自分が来た方向にある門を指し示した。エンシュリーズ一行が馬車でくぐり抜けた、正門である。


「もうダイジョーブ。そこの門から出たら、部隊が控えてるカラ」

「大丈夫って……」


 確かに、その門から出れば自分は大丈夫だろう。いや、それは確信できない。何しろ今、この屋敷の敷地内ではわけの分からない化け物が暴れているのだから。

 思わずその化け物を振り返ったアルリアーナに対し、あくまでもラフェリナは脳天気に笑う。


「ああ、デカイの? きっとダイジョーブだよ。隊長たちもいるし、誠哉たちもいてくれてるカラ」

「はあ……」

「ほら、隊長とエンシュ」


 犬娘が指差した方向には、白と黒の翼が見えた。二人の、色の違う翼人が少なくともあの化け物と戦っているのは分かる。もしかしたら、蒼真もあの中に加わるのかもしれない。人の形を取りながら人よりも大きく膨らんだ、あの何者かとの戦いに。

 ぼうっと見とれていたアルリアーナの手を、ラフェリナがぐいと引いた。


「早く早く。いつ、デカイのの攻撃がこっち向くか分かんないヨ」

「わ、分かりましたわっ」


 そう言われて慌てて、正門をくぐることにする。少なくとも自分には、化け物と戦う力がないことを知ってしまっているから。

 だからアルリアーナは、歯噛みしながらも逃げることを選んだ。




 巨大化した浅沙のもとにたどり着いた誠哉を見て、浅沙はにんまりと目を細めた。セラスラウドと彼を見比べて、笑い声を上げる。


「ぎはははは! 小姓が二人とて、わしに敵うはずもなかろうて!」

「え」

「ん?」

「言いたいことは、それだけかな」


 浅沙の言葉に、誠哉と疾風が軽く顔をしかめる。エンシュも眉間に皺を寄せる中、セラスラウドだけは冷たい言葉を返して、それから白い翼を大きく広げた。


「エンシュ」

「承知」


 即座にエンシュリーズが反応し、黒い翼を広げる。二色の翼がばしりと空気を打ち、二つの声が詠唱を奏でた。


『魔に与し者たちを、留める心の鎖よ。その力を以って、汝らが敵を逃すことなかれ』

「ぎっ!?」


 一人が紡いだ結界では抑えられない浅沙だったが、二人で異なる形を構築すればそれは可能だったようだ。驚愕に目を見張る浅沙の身体が光でできた鎖に封じ込まれ、ぎりぎりと締め上げられる。

 自分も顔をしかめながらセラスラウドは、二人の剣士に声をかけた。


「誠哉くん、疾風」

「はい」

「おう」

「僕とエンシュで彼を抑えてるから、頼まれてくれるかな」

「我らでは、抑えるだけで手一杯みたいでなあ」


 みしみしと、必死で身体を動かそうとしている浅沙を拘束できているのだが、確かにエンシュリーズの言うとおり彼らにはそれが精一杯だろう。

 そしてもちろん、誠哉と疾風にそれを断る理由などない。


「分かりました」

「てーか、もとよりそのつもりで来たからな」

「それは助かる」


 真剣な顔で頷く誠哉と、歯をむき出して笑う疾風。エンシュリーズは彼らの返答を受け取って、自らは光の鎖を保つことに集中することにした。

 一方浅沙は、拘束されているとは言え未だ余裕の表情を浮かべていた。セラスラウドとエンシュリーズ、二人だけでは自身の拘束が精一杯であり、しかも自力解放もできなくはないと見たからであろう。


「ぎはは……そうか、あくまでもわしに楯突くか」

「最初から従ってないしね」

「冗談じゃねえや」


 その彼の言葉に冷たく答え、誠哉が光の剣を構える。疾風は姿勢を低くして、いつでも駆け出せるように重心をずらした。


「ふっ!」

「おぉらあ!」


 光の剣が大きく振り下ろされるのと同時に、疾風が地面を蹴った。放たれた光の刃が浅沙の額に突き刺さり、次の瞬間実体の刃が足首にずぶりと食い込む。


「ぎゃあああああああああああ! 馬鹿な、馬鹿なあ!」


 あまり芸のない悲鳴は、魔族には共通のものらしい。自分も駆け出しながら誠哉は、ふとそんなことを思った。

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