28. 愚かな心と愚かな姿

「ん?」


 ふと、空気に僅かな変化が起きたように誠哉は感じた。とっさに視線だけを向けると蒼真の奥に見える崩れた家具の向こう、獣耳がちらりと動く。そうして蒼真に向けられた弓矢と、ほんの僅か笑みを浮かべた文女の顔も。


「蒼真!」

「は?」


 名を呼ばれて一瞬動きが止まった蒼真だったが、即座に身をかがめる。次の瞬間、今まで蒼真の胸があった場所を光の刃が通り抜けた。そのまま放たれる前の矢、そして構えていた獣人の青年の胸元にぶち当たる。


「が!」


 その一声だけで、青年は家具の向こうに崩れ落ちた。消える間際に吐き出した血の多さから、恐らくもう立ち上がることはできまい。

 それを、文女は呆然と見つめていた。倒れた跡と立ち上がって光の剣を振るった誠哉を、慌てて何度か見比べる。ぽつりと唇からこぼれた「何で?」という言葉が、彼女の今の思考を示していた。


「間に合ったあ……」

「すみません、助かりました」


 文女の視界の中で誠哉は、ひゅんと光の剣を軽く振ってほっと一息をついた。その彼に一言だけ礼を述べて、それから蒼真は文女に向き直る。

 蒼真、そして誠哉の視線に気づいて文女は、くわりと漆黒の目を見張った。細いけれど鋭い爪の伸びた指先で示したのは、銀髪の青年。


「何で、ニックのお小姓ごときがそんな技使えるのよっ!」

「その言い方はやめろって、誠哉さんがおっしゃったでしょうが! 物分かりの悪い、変態魔族!」

「使えるものは使えるからなあ、別に何でと言われても困るよ」


 主に誠哉の呼ばれ方に怒っている蒼真の答えになっていない罵倒と、自分の呼ばれ方はともかくやはり答えになっていない誠哉の返答に文女の顔はひきつった。

 今、自分の居室の回りには獣人たちが武器を構えて、自分を守るためにやってきているだろう。だがそれでもこの二人……片方は黒熊獣人の血を引いた怪力女、他方は光の刃を飛ばすことのできる色違いの青年、彼らに対抗できるかどうかは分からない。

 分からない。自身には想像し得ない展開が起きたことに対して、今の彼女にできる対応といえば同じ言葉で喚くことだけだったようだ。


「そんな馬鹿な。お小姓ごときがっ」

「しつこい」

「がはっ!」


 誠哉が口を開く前に、蒼真が床を蹴った。手の爪も武器も使うことなく、勢いのままに蹴りを細い腹に直撃させる。遠慮のない一撃は文女を向こう側の壁までふっ飛ばし、さすがの魔族もそのままずるずるとへたり込んだ。


「えーと」

「殺せれば良かったんですけど、ちょっと無理かも。それより」

「うん、気配が集まってきてる。さすがに、さっきの一撃で警戒されてるけど」


 気絶した文女を見送った誠哉と、態勢を立て直した蒼真はお互いに顔を見合わせた。

 文女の推測通り、この部屋の周囲には獣人たちがやってきているのが分かる。先ほど仲間を一人あっさりと落とされているから、さすがの彼らもそうそう出て来るわけではないようだ。ただ、部屋を出れば分からないが。

 それを理解しているのかいないのか、蒼真は軽く肩をすくめた。


「まあ、あのド変態はほっといても大丈夫でしょう。それよりここを出て、雑魚をどうにかしないと」

「数だけなら何とかできるけど。でも、彼女目が覚めたら逃げないかな」


 蒼真の方はあくまでも誠哉を気にかけているようだが、当の誠哉は一応目的の一端である文女のことを気にしているらしい。魔族である彼女に、ここから逃げられてはやはり困るからだ。

 いつかどこかで、自分のような被害者が出るとも限らないから。


「隊長たちがおいでならおっつけ、外に待機してる部隊も来ますよ。それで逃げられたらそっちの責任ですから」

「いやまあそうだけど……」


 その誠哉に比べて蒼真は、明るく笑っている。もしかしたら誠哉の気持ちを慮って、それでわざとなのかもしれないが。

 それはともかくとして、蒼真は誠哉の方に歩み寄ってきた。彼の足元を、ベッド越しにひょいと覗き込む。


「それより、そちらは大丈夫ですか?」

「あーうん、何とか」

「分かりました。じゃ、周囲片付けてから手分けして運び出しましょう」


 転がって眠っている色違いたちを確認して、蒼真が頷く。「手分けって」と思わず呟いた誠哉に彼女は、満面の笑みで応えてみせた。


「確実に、私の方が力がありますから」

「……うん」


 だよねえ、と口には出さずに納得する誠哉。考えてみれば、負傷した自分を担いだ上にその自分より重いというモールを持ったまま平気で歩いていける彼女なのだから。さすがに誠哉は、そこまで腕力があるわけではない。

 そんな、おかしな風にのんきだった室内の空気を一変させたのは地の底から響くような女の声、だった。蒼真に言わせてみればド変態、の。


「お待ちなさいなぁ……私のコレクションと、メス穴の分際でえ」

「あ、起きるの早かった」

「黙りなさいド変態」


 とは言えあくまでも、壁際から立ち上がった文女だけが怒りに燃え髪を逆立てているだけだ。誠哉と蒼真の方はさほど変わらず、ただ武器を構え直した程度で。

 そうして、更に別の声が入り込んできたことで空気はまた違う方向に変化する。


「ド変態がいるの?」

「誠哉兄い、無事かあ!」

「おーい、援軍に来たぞお」


 三色の髪をなびかせたシェオルが、半ば呆れ顔で蒼真が開けた穴から入ってくる。ばき、と何やら獣人らしい者を蹴り飛ばした疾風と、そして最後尾からは淡い光を全身に灯したカルマリオも。


「な、ななな」

「シェオル、疾風」

「あ、良かった無事だった。誠哉兄に何かあったら、俺弓姫に殺されるし」

「殺しはしないと思う。ご飯お預けくらいで」

「カルマさんも、ちょうどいいところへ。人手が欲しかったんです」

「んだ、色違いたち見つけたか。あ、オバサンはちょっと黙ってろ」


 唖然としている文女を他所に、再会した仲間たちは和やかに会話を交わす。一瞬だけ文女を睨みつけたカルマの全身の光がふわりと強くなったところを見ると、これがある種の結界なり術であるのだろう。

 ふと、誠哉が不思議そうに首を傾げた。


「というか、外に獣人たちいませんでした?」

「弱くてつまんなかった」

「数だけ揃えてもなあ。一般人相手にゃ強いだろうけどさ」


 彼の問いには軽く頬を膨らませたシェオルと、それからつまらなそうな顔の疾風が答える。要するに、全滅させてきたらしい。

 一人だけ、どうやら戦闘には参加していなかったらしいカルマリオが僅かに目を細めると、口を開いた。視線は再び、自分が睨んで動きを止めているらしい文女に向けられている。


「んで蒼真、あのオバサン何だ」

「この女が、誠哉さんに手を出そうとしたド変態魔族です」

「何がド変態よ、この泥棒猫!」

「おお、本命だったか」


 文女の叫びを無視して、蒼真の答えにカルマはなるほどと頷いた。疾風がげ、と顔を歪め、慌てて誠哉の前にかばうように入る。シェオルも爪を伸ばし、牙をむき出しにして威嚇を始めた。

 その彼らを止めるように、蒼真がきっぱりと宣言する。


「あの変態魔族女は私が全力でぶっ潰すので、その間に他の被害者の方を運び出してください」

「え、蒼真が全力?」


 彼女の宣言に、疾風はぽかんとした。それから、文女に相対したままゆっくり、ゆっくりと後退を始める。猫娘は大きく頷いて、それから蒼真に呼びかけた。


「マジか、任せる」

「了解。蒼真、ド変態で魔族となれば潰すべし」

「よし、そういうことなら急いで出よう。疾風と誠哉は1人ずつ抱えろ。シェオル、先導頼む」


 カルマは指示を飛ばしながら、自分はカルカレンと翼人を両脇に抱え上げる。彼も祈祷師なれど、それなりに腕力はあるようだ。




 その頃。

 浅沙を圧縮しつつある結界で拘束していたセラスラウドが、僅かに顔を歪めた。魔族たる領主を包み込む結界は光を帯び、だんだんと強まっているというのに。


「……これじゃ殺せないみたいだ」

「何だ、今回はつまらんと思っていたが」

「ごめん、やばい」


 エンシュリーズはその口調とは裏腹に全身を緊張させ、そうして漆黒の翼をばさりと広げる。セラスラウドの一言とともに、かなり縮んでいた結界の中で浅沙が顔を歪めた。狂気の笑み、とでもいう表情だろうか。


「ぎはははは……その通りですな、お嬢様、小姓!」


 ばきん。

 木が割れるような、ガラスが割れるような音が重なり、浅沙を包み込んでいた光の結界が弾けるように飛び散った。反動こそはないものの、セラスラウドもエンシュリーズも反射的に飛び退いて距離を取る。


「伊達に長く、魔族をやってはおりません! 文女と違いこの私めは、その程度で抑えられるような能無しではないのですよ!」


 その中から立ち上がった浅沙の姿が、むくむくと形を変えていく。

 あくまでも東方人たる姿は維持したままだが腕も足も筋肉が盛り上がり、丸かった耳が位置を移動させながら先端を尖らせた。

 そうしてサイズ自体を元の数倍にまで膨らませ、居室の壁や天井や照明を破壊しながら浅沙は、髪の中から一対の長く、途中で曲がった角を伸ばす。手の指からは鋭い爪が伸び、口の中に並んでいる歯の先がギザギザに尖っていったのも見えた。


「……変化しおった」

「うわあ。伝説で聞いた気はするけど、実在するんだねえ」


 崩れ落ちる瓦礫を避け、あるいは魔術で跳ね飛ばしながらエンシュリーズは、呆れ声を上げる。同じように普段通りの口調で応えながらもセラスラウドは、苦虫を噛み潰したような表情になっていた。

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