25. のし歩く災厄

 どん、と獣人が壁に叩きつけられた。東方人や西方人よりも丈夫な身体をしているはずの彼らが次々に弾き飛ばされ、ぐったりと動かなくなる。

 その中を、むっつりと不機嫌そうな顔で蒼真が進んでいく。自身の背後を恐る恐るついてくるアルリアーナには目もくれずに、ナタを振り上げてきた獣人に蹴りを入れて吹き飛ばした。


「ふん」

「……殺さないんだ」


 小さく息をついたところで、アルリアーナがぼそっと呟いた。その声に反応したのか、初めて蒼真が振り返る。そこにいた少女に対し、呆れて肩をすくめた。


「何でついてくるのよ」

「これが一番楽なルートだからよ」

「あっそ」


 前にいる蒼真が敵を倒してくれるから、自分は何もせずに通ることができる。確かに一番楽、ではあろうがそれはどうだろうと蒼真は考える。もっとも、敵を倒すのに邪魔をしなければいいかと思い直して軽く周囲を見渡した。

 自分たちが入れられていた牢とは別に、もう少し綺麗な牢がある。鉄格子自体は変わらないが、牢内には粗末ながらカーペットも敷かれているし寝具も散らばっている。ただし、その住人である女性たちの様子は先ほどまでいた牢の住人たちとほとんど変わらないけれど。

 その意味を蒼真は知らないが、おそらく背後の少女ならば知っているだろう。そう思って、肩越しに問うてみる。


「……あっちは?」

「あっちは街の住民用だったかな。女はほとんど、ここで子作りに使われてるらしいから」

「なるほど」


 アルリアーナの答えを聞いて、小さく頷いた。いくつか空の牢があるのが気になっていたが、つまりはそういうことだ。その牢に入っていた女性は街の住民の子を孕み、別の場所にいるのだろう。獣人の子を孕んだ女性も、同じように。

 獣人との混血の子はしつけ、他所の貴族などに使用人や私兵などとして売り込む。街の住民との間に生まれた子供は……おそらく、新しい住民となるのだろう。スイレンの街の異常を、知らぬままに。

 ああ、そういうことか。


「それで、作った子を一括で教育してるのね。この街のシステムに染めるために」

「そうなの?」


 自分の中で出た結論を口にすると、アルリアーナが首を傾げる。それなりに良い家で育ったこの娘には、そういう裏の黒い部分は分からないのだろうか、と蒼真は手早く説明をしてみせた。


「街に入った時に気付かなかったの? この街、女性も確かに少なかったけどそれ以上に子供をほとんど見なかったのよ。特に、親が手を離せない赤ちゃんや小さい子」

「……そういえば」


 誠哉にも指摘したことだが、アルリアーナは何となく分かっていたようだ。もっとも、理由まではこの状況を知らなければ理解できなかっただろうが。


「多分子供は領主の本宅でしょうね。しつけと教育は必要だから」

「領主の手元で教育して、この街がおかしいって思わなくさせるわけね……でも、よその街に行ったら分かるんじゃないの?」

「外に出すときには、また別にそれなりの教育をするんでしょ。この街のことは誰にも話すなとか、そういう感じで」


 蒼真の言葉にうんざりとした顔をするアルリアーナ。そんな彼女にちらりと視線を向けて、蒼真は何とかして彼女と別行動を取ることにした。それには、別の任務を任せるのが一番だ。


「もし本宅に子供たちがいなければ、別に施設があることになる。それは領主なり部下なりを締め上げれば分かるはずだから、任せるわ」

「いいの?」


 少々手間取る任務だろうが、セフィル隊の仲間たちがそろそろ突入してくるはずだ。それに便乗すれば、世間を余り知らぬ娘でもできなくはないだろう。そう考えて蒼真は、アルリアーナに話を勧めた。


「私は暴れるほうが性に合っているもの。あなたは手土産があったほうが帰りやすいでしょうし」

「……礼は言わないわよ」

「要らないわよ、そんな無駄なもの」


 同じ父を持つとはいえ、妹でも何でもない。そんな彼女からの礼など、返り血を拭く紙の足しにもなりはしないのだ。だから、そう答えて蒼真は足を速める。

 アルリアーナのことよりも、何よりも、心配なことがあるからだ。


「それよりも、誠哉さんに何かあったら大変だしっ!」


 ごっ、と重い音がして犬耳の青年が吹き飛ばされる。どかどかと足音を立てながら脇目も振らずに進んでいく蒼真を見送りながら、アルリアーナは何度も目を瞬かせた。


「……い、いってらっしゃい」


 思わず黒髪の彼女を送り出す言葉を口にしたのは、さて何故だろうか。




 蒼真にその身を案じられている銀髪の青年は、彼女の予想通りと言うべきか危機に陥っている。漆黒に染まった両の瞳で彼を見つめる領主夫人と、虚ろな目をした色違いたちに取り囲まれているからだ。

 誠哉自身は丸腰だが、その気になれば抵抗するのは容易い。そうしないのは、相手の狙いがいまいち分かっていないのとそれから、できれば色違いたちには危害を加えたくないからだ。彼らも、被害者なのだろうから。


「……あら?」


 身動きの取れない誠哉の首筋に顔を近づけ、匂いをかいでいた文女が何かに気づいたように目を見張った。そうして僅かに距離を取り、意外そうな顔をして尋ねてくる。


「あなた、ニックのお小姓だったの?」

「……ニックを、知ってるんですか」

「ええ。同族だもの」


 唐突に出されたその名前に、誠哉は一瞬肩をびくつかせた。

 忘れるわけがない。理由を語ることなく自分の時間を十年も止めた、魔族の少年を。

 その少年の名を出し、かつ自ら同族と言ってのけたこの女性は元はどうあれ、魔族と成り果てていることに間違いはなかった。


「あの子、どこに遊びに行ったんだかと思ってたけれど、そう。田舎で遊んでたのね」


 色違いたちが何の反応もせずに立ち尽くす中、文女は口元に手を当ててくすくすと笑う。目を細めて、じっと誠哉に視線を固定した。


「匂いがするのよ。ニックの血の匂いが」

「殺しましたから」

「殺した?」

「はい」


 彼の血の匂いがするというのなら、当然だ。誠哉は自身の手で、ニックを殺したのだから。故に彼はそう答え、そして理由も言葉にしてみせた。


「僕と、僕の仲間と、僕の故郷に手を出したので」

「……そうじゃなくて、殺したの? 殺せたの? ニックのお小姓のくせに、ご主人様を殺せたの?」


 だが、文女が顔を歪めた理由はそこではなかったようだ。まるで念を押すように、何度も同じ言葉を重ねて尋ねてくる文女に誠哉は「何の話ですか」と眉をひそめ、そうしてはっきりと言い返す。


「小姓だか何だか知りませんが、僕は僕の手で彼を殺しました」

「そんな馬鹿な」


 そんな誠哉に対し、文女は大げさに足をふらつかせ、怯えた顔をして後ずさる。


「魔族に魅入られた者はね、その魔族を主として逆らえなくなるのよ。その支配から逃れたとしても、たかが色違いが魔族を倒せるなんて、そんな」

「……はあ」


 これまた大げさな身振り手振りを交え、文女が言葉を紡いだ。けれどそれは、誠哉には大したこととは思えない。

 その現場を見ていない文女が何をどう思い言葉にしようとも、事実はひとつ。

 天祢誠哉は、魔族のニックを自らの手で殺した。それを誠哉自身はわかっているから、少し困ったように眉根を寄せた。

 ただ、その様子は文女にしてみれば、誠哉が余裕しゃくしゃくの態度でいるようにしか見えない。だから、強硬手段に出ることに決めた。


「カルカレン! その子を抑えなさい!」

「はい」

「っ」


 文女の命令に応じて動いたのは、真紅の髪の青年だった。見かけは誠哉と同じくらいの年齢で、身体つきもしっかりしている。

 その、カルカレンと呼ばれた青年に背後から羽交い締めにされて誠哉は、僅かに顔をしかめた。自分の動きを封じたと見て文女の顔が、くわりと邪悪な笑みを浮かべたことにも。


「何をする気ですか」

「あは、あはは。ニックを殺せたかどうか、そんなのもうどうでもいいわ。あなた、私の虜になって、永遠に仕えなさい」

「嫌ですよ。僕にだって、女性の趣味くらいはあるんですから」


 少しばかり息の荒くなってきた文女の言葉に、ぞっとして首を振る。実際には好みの女性というものがあるのかどうか自覚もない誠哉だが、少なくとも魔族として自身を虜にしようとする女性に従うつもりはない。


「ひとまず、あなたはタイプじゃないですし」

「すぐに、タイプにしてあげるから」


 それを柔らかい言葉にしたつもりだったが、当然と言うか文女には通じない。くわっと広げられた唇の中、鋭い牙がたらりと雫を垂らしている。




「人よ人よ、怒りを収めよ。そうして我が家へ、安らかなる眠りの淵に降りよ」


 金の髪と白い翼を揺らしながら、セラスラウドが歌うように詠唱する。

 早足で歩いて行く彼の全身からふわり、ふわりと光の粒が広がっていくと、通りすがる人々の動きが遅くなった。のろのろ、と彼らは何かに引かれたようにそれぞれの家であろう、建物の中に入っていく。


「あー……つまらん」

「一気に燃やせないから?」

「まあな」

「物騒なんでやめてくださいよ」


 人気のなくなった街中を、セラスラウドの後を追いかけるようにエンシュリーズと弓姫、そして疾風が歩く。上総の兄妹は走っていきたいところだろうが、あまり足を速めるとセラスラウドの術の効果が薄くなるらしい。

 詠唱の合間を縫って振り返り、翼人の青年は部下たちに笑ってみせた。


「さすがに街一つ焼き尽くしちゃったら、問題だもんねえ」

「誠哉お兄ちゃんさえ無事なら、私は良いんですけど」

「俺もいいけど、それじゃすまねえだろ色々と」

「そのうち、焼き尽くして問題ない任務を出してもらおう。まずは目の前の馬鹿どもからだ」


 義兄のことしか案じていないらしい弓姫と、一応それ以外のことも考えているらしい疾風。その二人を見比べてからエンシュリーズは、ちらりと背後に目を向けた。両の手に、魔力を収束させる。


「発動、大地……散開、擁壁!」


 一度拳を握りしめ、そうして開いた手のひらを石畳に叩きつける。途端、建物の入口前にどんどんと壁がせり上がった。これでは、例え屋内に起きている人がいたとしても外には出てこられないだろう。


「しばらく中でおとなしくしていろ。うじゃうじゃ出てこられたら、邪魔でしょうがない」

「大丈夫ですかね」

「あとで砕いておく。そうでなくとも、援軍が何とかするんじゃないか」

「自分でやる気ないだろ、エンシュ」


 疾風の疑問にもセラスラウドのツッコミにも、エンシュリーズの態度が変わることはない。そのまますたすたとセラスラウドを追い越して、屋敷への道を歩いて行くだけだ。


「ま、いっか。誠哉兄が心配だ」

「お兄ちゃん、無事ならいいんだけど」

「大丈夫だと思うけどねえ」


 その彼女についていく彼らは、どこか楽観的だ。もしかしたら、先行している仲間を信頼している故、かもしれない。




「仲間を返していただきに上がりました」


 片手の拳だけで壁をぶち破って誠哉のもとに現れた蒼真は、だからその信頼には十二分に応えているはずだ。

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