24. 互いに見つめ
蒼真を引き立てて獣人が進んでいったのは、やはりと言うか木造の建物の中だった。といっても建物には地下に続く階段があり、蒼真はそこに並んでいる暗い牢屋の一番奥まで連れて行かれたのだが。
その途中、廊下の両脇を壁代わりに占めている鉄格子の向こうを蒼真は、ちらちらと視線だけで伺っていた。
どの部屋にもそれぞれ一、二名ずつ、西方人や東方人の女性が閉じ込められていた。きちんと服を着ている者、ぼろぼろの布切れをまとっている者、既に一糸まとわぬ姿になっている者もいる。服ないし布をまとう女性の腕は蒼真と同じように拘束されているが、そうでない者は両腕も完全に自由になっていた。
そして衣服の程度が少なくなるにつれ、彼女たち自身の表情も変化しているのが分かる。服がそれなりに着用できている女性は必死に何かを耐えているようで、服がぼろぼろになるにつれその顔からは感情が消えていく。
何も身にまとっていない女性は、自身が入っている牢の前を歩いて行く獣人に向けて手を伸ばしていた。うっとりと、顔を紅潮させて。まるで唸るような彼女たちの声にも、奇妙な艶が混じっている。
「まだ時間じゃありません。待っていてください」
鉄格子の間から生えてくる腕を無造作に払いながら獣人は、一つの扉を開ける。そこに押し込まれた蒼真が目にしたのは、先客である金髪の少女だった。
首筋ほどまでしか伸びていない髪に、普通の旅行者然とした厚手のワンピースと革のブーツ。扉が開く音で一瞬びくりと身体を震わせた彼女は、蒼真の顔を見てぽかんと目を丸くしている。
「新人さんです。仲良くしてくださいね」
お互いに相手を見つめる蒼真と少女にはほとんど関心がないのか、獣人は檻に鍵をかけてそのまま去っていった。足音が聞こえなくなったのを確認して、蒼真は小さくため息をつく。
「……やっぱりここか。まあ、推測はついてたけど」
「ソーマ」
蒼真よりは小柄だけれど、髪型やその顔がどこか似ている少女は当然のように、後から来た黒髪の彼女の名を呼んだ。手首は拘束されている上に衣服は乱されていないから、まだ何もされてはいないのだろう。
「何でこんなところに」
「何でも何も、お仕事よ」
後ろ手に縛られた手首を軽く動かしながら、少女の問いに答える蒼真。縄がきしきしと少々耳障りな音を立てるのは、繊維が僅かに解けているからだ。
「で、どうしてここに女が集められているのかしらね。調べたんでしょう?」
「……獣人の子を産ませるため、らしいわよ。近くに集落があって、そこから呼ぶんだって」
「混血になるわよね。連れてこられるのは東方人か西方人、なんだから」
「それは知ってるのね」
「そのくらいしか分からなかったから、こうやって来たわけ」
蒼真の方から投げかけられた質問に、一瞬戸惑ったものの少女は素直に答えを紡ぐ。お互いに周囲、鉄格子を通して別の檻の中にいる女性たちを見やりながらの会話だから、あまり二人の視線は合わない。
「混血にした方が、純血の獣人よりしつけやすくて扱いやすいみたい。寿命も東方人や西方人並みに伸びるから、長く使えるんだって」
「なるほど。で、産ませた子はどうするの」
「付き合いのある貴族のところに売るらしいわ。扱いやすい上に強いから、使用人や軍隊の先鋒として使うんだってさ」
「……その見返りがあの賑やかな市場、か」
きしきし、という縄のきしむ音にぶち、ぶちというちぎれる音が混じり始めた。手首を動かすことをやめないまま蒼真は、小さくため息をついた。
付き合いのある貴族とやらのところに、こちらからは獣人の血の入った子を売る。対価として貴族側からは様々な農作物などがスイレンの街に運び込まれ、結果観光客や旅人の数が増えてスイレンは豊かになる。
この世界では獣人も人であり、そして人身売買は禁じられている。そもそも、許されているものであれば街ぐるみでこそこそ女をさらい、『商品』を『生産』する意味はない。
しかし、禁じられているからこそ、そして使い道があるからこそ隠されたルートで売られるそれは高価となる。
「あなた、色違いを連れてきたそうだけど」
獣人絡みの話はひとまず終わらせて、蒼真は話題を変えた。誠哉はこの建物には連れ込まれておらず、別の場所にいるのだろう。
さて、色違いを欲するのは誰か。
「カルカレンは、当主夫人が連れてったわよ。あのクソババア、理由は分かんないけど収集癖があるみたい」
「夫人の方か。宝石や貴金属と同じ扱いなら、良いんだけどね」
少女の答えを聞いて、翼人たちの推測が当たったわね、と頭の中だけで呟く。この少女が彼女の出自にはふさわしくない言葉を使って罵る相手を、まずは殴ることにしようかとも。
カルカレンとやらが、おそらく誠哉とは同じ所にいるのだろう。ならば、ついでに助けてもまあいいか。そう考えて蒼真は、手首の緩み具合を確認しながら少女の名を呼んだ。
「アルリアーナお嬢様」
「っ」
名を呼ばれ、彼女がはっと顔を上げる。その視線に付き合うことなく蒼真は、なおも周囲を確認しながら言葉を続けた。
「ラズフェールの末娘がいなくなったって、ご当主がうちの上に泣きついてきたそうよ。無事お屋敷に戻れたら、ご当主に伏して謝って差し上げたほうが良いと思うんだけど」
「……分かってるわよ。お父様には謝らないと」
アルリアーナ、と呼ばれた少女はむっとして、僅かに頬を膨らませた。少しだけそらした視線は再び、蒼真に向けられる。まるで、彼女を睨みつけるように。
「それにしても。何で、よりによってあんたがここに」
「それは簡単。私が一番、一人でも何とかできるもの」
「そりゃあ、熊だものね」
少女が吐き捨てるように呟いた言葉は、蒼真の耳にも届く。ふんと小さく鼻を鳴らして蒼真は、彼女に答えた。
「あなたの父親が、熊獣人の女に産ませた混血の子よ。ここの領主と理由は違うけど、やったことは同じ」
「ふん」
ぶちぶちぶち。縄の繊維はかなり切れ始めていて、蒼真の手首の拘束もゆるくなってきている。だが、彼女とアルリアーナがお互いを見る目は、とても厳しいものとなっていた。
特にアルリアーナの方は、蒼真が自分を見るたびに顔をしかめている。そうして、余り人には聞かせないであろう低い声で吐き捨てた。
「わたくしを救ったからと言って、戻れるなどという虫の良いことを考えているんじゃないでしょうね。黒熊娘」
「くだらない」
蒼真も、同じように低い声で答える。「これは任務だから、やるだけよ」と自分に言い聞かせるように呟いて、そうしてアルリアーナをまっすぐ見据えた。
「私には姓などいらない。あなたと違って、ラズフェールを名乗らずともどうにかやっていけているもの。ご覧の通り」
「っ!」
ぶちり、と縄が弾ける音がした。蒼真の手首を戒めていたそれは、彼女が両手を外側に引いたことであっさりとその役目を終えて床に落ちる。
「なっ」
「だからラズフェールのご当主を父なんぞと呼ぶ気はないし、あなたも自分を妹とは呼ばれたくないでしょう? アルリアーナ・ラズフェール」
縄の跡がついた自身の手首をさすりながら、蒼真は少女にそう問いかける。それでも自分を睨みつけている彼女に、更に言葉を投げかけた。
「いいから、ラズフェールの末娘としてやることをやりなさい。私は周りのことなど気にせず、暴れ倒すつもりだから」
「わ、わかった、わよっ」
蒼真の手の爪が伸びたことに気づき、アルリアーナは慌てて立ち上がった。どうやら、彼女が暴れたところを実際に見たことがあるらしい。
それよりも何よりも、今自分たちの入れられている牢屋の鉄格子を両手で歪め、通り道を作ってしまった蒼真の力を見ればアルリアーナの行動は、当然といっていいだろう。あの力から急いで逃れなければ、小娘の首など簡単に折れてしまうから。
「ただいま」
蒼真と誠哉を屋根の上から見ていたシェオルは、そのまま屋根を伝って宿の部屋まで戻ってきていた。開きっぱなしの窓からひょいと室内に飛び込み、そこに待機していた仲間たちに「誠哉と蒼真、領主の屋敷に連れてかれた」と端的に説明する。
「うわあ。分かりやすく引っかかってくれたな」
「本当ですわねえ」
「早かったネ」
カルマが肩をすくめ、アテルが呆れたように眼鏡の位置を直し、ラフェリナが耳をぴんと立てて軽く牙を剥く。そんな彼らを見渡したシェオルの目が止まったのは、茶髪の祈祷師の顔だった。
「それで、どうする?」
「行くに決まってんでしょ。どうせ貴族のお嬢様も、お付きが気づいてるはずだし」
「ああ、隊長その辺りは敏感ですものね」
彼の答えに、アテルナルも頷く。セラスラウドの感覚が鋭いことは、それなりに付き合いの長い彼らはよく知っていることだ。
そうしておそらく彼らも動き出すだろうから、当然自分たちも動かなければならない。その手はずは、この街に入る前にざっとまとめてあった。
「先生は外に連絡お願いします」
「はい」
戦闘要員ではないアテルナルは、街の外に脱出することになっている。カルマはそれなりに戦えるから、獣人の二人とともに屋敷に向かう。
「ラフェリナ、シェオル、案内頼む」
「わう、任せてー」
「どっちに案内すればいい?」
「蒼真の方、かな。多分、ラズフェールのお嬢様も一緒じゃないかと思うんだけど」
「了解」
カルマリオの言葉にシェオルは頷いた。彼の推測が当たっていることをまだカルマ自身も含めて知らないわけだが、たとえ外れていてもどうせそう離れたところにはいないだろう。
そもそもこの街で姿を消すのは東方人か西方人の女性、もしくは色違いの男女である。前者と後者が別のところにいてもおかしくないが、前者のみに絞ればまあ同じところに閉じ込められているだろう、という推測はあってもおかしくない。
では後者、つまり色違いが別の場所にいるとしたらさて。
「誠哉はいいのカ?」
「んー」
「大丈夫でしょう。多分、蒼真さんがそっちに突進されると思いますから」
「蒼真も鼻は良いから」
にこにこ笑いながらアテルナルが紡いだ言葉に、シェオルが小さく頷く。そうして猫娘は、再び窓の外に身を乗り出した。
「門で待ってる」
「頼む」
カルマの一言を待って、シェオルの姿は窓の向こうに消えた。その直後にはカルマ自身も、そしてラフェリナとアテルも立ち上がる。
「じゃ、行ってくるネ」
「行ってらっしゃい。お手柔らかに頑張ってね」
「俺らはそうするつもりですけど、多分蒼真がねえ」
「ラフェリナは、蒼真に負けないくらい頑張るから」
軽く手を振りながら部屋を出ていった二人をのんびりと見送り、アテルナルは既にまとめてある自分たちの荷物をまとめた。と言っても緊急時用に必要なものだけ、具体的にいえば財布と身の回りのものを袋に詰めた小さな荷物だけだけれど。
「さあ、急ぎましょうか」
その小さな袋を手にして、ふんと気合を入れる。
ラズフェールの末娘の危機を伝えたのが街の外にいた配下であるのと同じように、既にスイレンの街の外には別働隊の兵士たちが伏せている。彼らに情報を伝えるのが、戦には向かないアテルナルの役割だった。
『あれ、まだ正気が残ってるんだ。へえ』
暗闇の中で、ニックが笑っている。誠哉をまっすぐ見つめ、真っ黒な眼を細めて。
『お兄さんはね、もう進み始めてるんだよ。僕たちの仲間になる道を』
本当に楽しそうに笑いながら、ニックは自身の腹からぽたぽたと、赤い血を流す。
そうして、黒い眼からも赤い血の涙を流しながら。
『あはは。お兄さんが可愛い兄妹や仲間たちを食い散らかす様を、じっくり見守っててあげるからね!』
くわりと真っ赤な口を大きく広げて、そう叫んだ。
「っ!」
「あら」
はっと目を開いた誠哉の視界に入ったのは、見慣れぬ女性の顔だった。あちらも目を丸くしているから、驚いていると言うのは分かる。艶やかな黒髪が誠哉の頬に触れていて、僅かだが彼女の体重がかかってきていることも。
ただ、お互い見つめ合っていたのは一瞬だけだった。誠哉の方が、慌てて彼女を押し戻したのである。
「なななな何ですかあなたっ!」
「きゃ」
女性が離れた隙に起き上がる。そうして誠哉が見渡すと、どうやら彼女の寝室ではないかと思われる部屋だった。
自分が横たわっていたのは天蓋のある大きなサイズのベッドだし、その横にはサイドテーブルや高価と思われるソファ。タンスや棚も、誠哉はまるで見慣れないものだからかなり高いのであろう。
そうして、部屋のそこかしこには人がいた。青年、少女、幼い子供、翼人。それらに共通するのは、本来東方人や西方人にはありえない色の髪、だった。誠哉と同じような銀髪もいれば燃えるような真紅の髪もいるし、エンシュと同じ真っ白な髪も。
その光景に誠哉が呆然としていると、女性が呆れたように態勢を立て直してきた。
「何ですか、とは酷いわねえ。せっかくあなたを買い入れてあげたのに」
「かい……いれて?」
「そうよ」
彼女はうっすらと笑みを浮かべ、そうして室内にいる色違いたちを自慢するように両手を広げた。
「回りをごらんなさいな。みんな、あなたと同じように私が買ってあげたの」
「……」
どこで買った、などという質問をする気は誠哉にはない。色違いが消える、という街の調査に来たのだからつまりこの女性は、街の誰かから色違いの人物を金を払って集めた、ということだ。
その街の誰かは、誠哉と同じように色違いをさらってきて、そうして彼女に売った。自分と蒼真を捕らえた彼らだけではなく恐らくは街の、ほぼ全てが。
さて、そうなると誠哉が知りたいのは、彼女が色違いを買う理由だ。それを誠哉は、違う言葉で尋ねる。
「……それで、僕をどうする気ですか」
「どうもしないわ。ただ、ここにいてもらって時々血を飲ませてくれれば、ねエ」
目を細めて笑う彼女の表情は、たった今夢で見たニックの顔とよく似ている。そう、誠哉は感じた。
そして、彼女の目がニックのように白目を持たないことも。
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