23. じりじりと迫る
ぐたりとした誠哉を、彼の剣を持った者とは別の男が抱え上げる。その拍子にフードの中からちらりと見えた顔を、蒼真は覚えていた。
……果物を売っていたおじさん。金五くん、って子がいたわよね。
とは言えそのようなことを台詞にしても、致し方あるまい。そもそも自分たちは、こいつらのやらかしていることとその黒幕を調査に来たわけなのだから。
誠哉は色違いの送り込まれるところに連れて行かれるだろうし、蒼真自身は女性たちのところに向かうことになる。これは、こちらにしてみればまたとない好機だった。
「さて。あんたにも、一緒に来てもらうからな」
「……は、はい」
ひとまずか弱い女を演じながら、自分の肩を掴んでいる男の言葉に蒼真は頷いた。いくら丸腰の女でも抵抗されると敵わないと思ったのだろうか、彼女は両腕を背中側に回される。ロープでぎりと縛り上げられ、さすがに痛みで顔をしかめた。
「おっと、痛いか? 悪いなあ、しっかり縛っとかねえと魔術封じが効かねえんでな」
この声も、蒼真には聞き覚えがある。宿を取った時に、応対してくれた声だ。
どうやら本当にこのスイレンは、街ぐるみでやらかしているらしい。そうなればこの件の黒幕は、まず間違いなく領主である。スイレンの街は領主たる睡蓮家の城下町、と言って差し支えない存在なのだから。
蒼真の推測を補完するように、連中は屋敷の裏側に通じるであろう道をそのまま全員でぞろぞろと歩いていく。無論今の蒼真に逃げる気はないのだが、そうでなくとも普通の女性にはこの状況から逃げ出そうという気は怒らないだろう。手首の拘束には魔術封じがかかっているようだから、たとえ魔術師でも脱出は無理だ。
私には、あまり意味ないけれどね。
うつむいておとなしく歩きながら、蒼真の視線は周囲を確認していた。道の両側は高い塀で遮られていたが、片方は草木の匂いがするから恐らくは街の外だ。反対側は屋敷を取り囲む塀が続いていて、先の方に小さな門が見える。
その門までたどり着いたところで、宿屋の男が軽く三度ほど扉をノックした。そうして門の横にある小窓から、内側に向かって声をかける。
「毎度。お届けにあがりましたぜ」
「はい、いつもありがとうございます」
小窓の中から返事が聞こえ、ややあって門扉が開く。中から出てきたのは、青年というには小柄な男だった。髪の間から見える先の尖った耳とやや毛深い手足に、どうやら獣人の血が混じっているという推測をするのは容易い。
その男に先導され、門の中に入る。少し遠くに見える建物が、恐らくは領主の住まう屋敷だろう。しかし、蒼真たちが進んでいくのはそちらではなく、門から近いところにある粗末な木造の建物だった。
一瞬嫌な匂いがした気がして、蒼真はわずかに顔を歪めた。それには気づかないまま、先導した男は入口の扉を開けた。まるで宿の受付のようにカウンターが設えられていて、奥にはまた別の扉が見える。
「本日の納入品はどちらになりますでしょうか」
「どっちもだ。色違いオスが一、東方人メスが一」
「はい。少々お待ちください」
カウンターに入って、獣人の男が問うた。宿の男がそれに答えるように、満足げに頷く。彼らのやり取りに、さすがに蒼真も一瞬だけだが顔をしかめた。
オスと、メス。
つまり私たちは、家畜なりペットなりの扱いというわけね。
とはいえ、この場で暴れたところで見返りは少ないだろう。そう判断して蒼真は、おとなしく怯えているふりをした。どうせ暴れるのならば、問題の中枢に近いほうが楽しいのだから。
少しして、屋敷の方から男が二人ほどやってきた。いずれも髪の色がほとんどなく、いわゆる色違いであることが分かる。翼も牙もないから、東方か西方かの人種だろう。
「お待たせしました。色違いはお預かり致します」
「頼むぞー。ほい、よろしくな」
「ありがとうございます。奥方様も、お喜びになることでしょう」
その色違いたちと果物売りの男との会話で、納得がいった。少なくとも、色違いを拉致している黒幕は領主夫人ということだ。運ばれていく誠哉は相変わらず気絶したままで、さてこのあとどうなるかは分からない。
そこまで考えた蒼真の脳裏に浮かんだのは、疾風と弓姫の顔。どちらもかんかんに怒っていて、疾風は愛用の剣を構えているし弓姫も小型の弓に矢をつがえてこちらを狙っている。
いや、狙うのは私じゃないでしょう。義理のお兄さんラブなのはよーくわかっているけれど、ね。
さて困った、と小さくつかれたため息を、周囲の男たちはどう思っただろうか。そんなことを考えている蒼真を他所に、宿屋の男は獣人が持ってきた袋をニヤニヤ笑いながら受け取った。
「どうぞ、こちらが色違い、こちらが東方人の代金となります」
「毎度ありー」
じゃら、という音と見た感じ重そうな受け取り方に、中身はそれなりの量の金貨だと蒼真は検討をつけた。同じくらいの袋を二つ受け取っているのは、それぞれ別々のところから金が出ているということだろうか。
その金を受け取った男が、カウンターを使って一緒に来た仲間たちとそれぞれに山分けをしている。袋の中には小さい袋が入っていて、どうやら人数分に分かれているようだ。
その中で果物を売っていた男がふと顔を上げて、獣人に問う。
「そうそう。俺は今晩の割り当てなんだが、このまま残っても大丈夫かね」
「上に確認いたしますが、おそらく大丈夫かと」
「あなたのお店からは、大変量と質のいい情報を頂いております。領主様も奥方様も、殊の外お喜びでございますから」
獣人はそう言い置いて、いそいそと奥に入っていく。その腰に揺れるくるんと巻いた尾を見送りながら、そういえばと蒼真は思い出した。
自分たちが彼の店を離れてすぐ、果物屋の店主もまた店を離れたことを。つまり、その時既に自分たちの情報は領主側に伝わっていたことになる。だから、『代金』も既に準備されていたのだ。
まあ、それならそれで構わない。
少なくとも、拘束される直前にシェオルがこちらを見ていたことは確認している。彼女が蒼真や誠哉を見過ごすとは、蒼真自身は露程にも思っていない。
いつ、援軍が来るかは分からないがそれまでは、どうにか保たせよう。そう思った蒼真の目の前に、先ほどの獣人がいそいそと戻ってきた、尻尾がぱたぱた揺れているから、良い知らせなのだろう。少なくとも、彼らにとっては。
「確認が取れました。いつものお部屋で、選んでくださいとのことです」
「おう、良かった良かった。早いところ、金五にも弟なり妹なりを貰い受けてやりたいからなあ」
本当に『彼らにとっては良い知らせ』だったようで、男も満面の笑みを浮かべる。他の男たちが「ええー」「いいなあ、こんちくしょう」などと本気で羨ましがっている様子は何も知らなければ、さほど恐ろしいものではない。
「今宵もしっかりと、種付けをお願いします」
「任せとけ。それじゃあ、確かにお勘定頂いたぜ」
「はい。またよろしくお願いします」
種付け、という言葉を耳にして、蒼真は一度目を閉じた。この場合、この言葉はつまり、あの男が領主の屋敷で誰かは知らないが女の上にのしかかるということを意味しているのだろう。
そういえばこの街、女性の姿が何となく少なかった、気もする。市場で物を売っていたのは男ばかりだし、誠哉に指摘した赤子や幼子が少ないというのもそれにつながる。年端もいかない子供たちの側にはほぼ間違いなく、母親たる女性がいるはずだからだ。
それに、『弟なり妹なりを貰い受けてやりたい』という店主の台詞。
蒼真には、ぞっとするような推測しかできなかった。だから、どうすればいいかに頭を切り替えることにする。難しいことを考えるのは例えば隊長セラスラウド、あるいは副隊長エンシュリーズの役割だから。
最悪、私は全力で暴れればいいわね。早めに、動きましょう。
誠哉さんに何かあったら、疾風さんと弓姫に怒られるもの。
自身の状況を考えるといささか脳天気な思考ではあるが、これが蒼真にとっては至極当然の結論であった。
銀髪の青年よりも重いモールはエンシュリーズの幌馬車の中だが、そんなものがなくとも今の彼女には負ける気は毛頭ない。
ただ、恐らくは自分の行く先にいるであろう、ラズフェールの小娘が邪魔しなければいいなと思ったけれど。
蒼真の知っている彼女は、おとなしくしているはずもない存在だったから。
さて。
エンシュリーズたちは無事に領主夫妻との面会を終え、宿に戻っていた。誠哉たちやカルマたちの泊まっている宿とは異なり、金持ちや上流階級の者が泊まる豪華なホテルである。
ふかふかのベッドの上にダイブして、そのままエンシュは上掛けに顔を埋める。その口から漏れ出た言葉は、とても低い声で。
「つーかーれーたー」
「お芝居お疲れ様です、エンシュさん」
あはは、と顔を引きつらせながら弓姫がお茶の準備をする。いそいそと茶菓子を持って来た疾風が、肩をすくめて力なくベッドの上に広がっている黒い翼に目を向けた。
「ま、お屋敷で泊まるなんてことになったら副隊長、一日中お芝居ですもんね。そりゃ断りますよ」
「まったくだ。やってられるか、あんなもん」
顔を上げないままぶつぶつと疾風の言葉に答えていたエンシュだったが、不意に上体を起こした。
視線の先にいるのは、ソファの上で彼女よりもぐったりとしているセラスラウド。普段は時折きらり、と光の粒を放っている白い翼が、ほとんどソファカバーと化している。
「……で、セラス」
「気分が悪い……ごめん、エンシュより僕のほうがだめだった」
こちらは全く顔を上げず、呻くように答える。領主夫妻との面会、という大して体力を使うものでもない用件の直後にこの状態に陥るのはつまり、違う意味で体力を使うことがあったからだ。
「ふむ、当たりか」
「隊長、大丈夫……じゃないですよね」
「我ながら、ここまで敏感すぎるのも困りものだけどね」
そんなセラスラウドにひとつため息をつき、エンシュは不機嫌そうな顔で頷いた。隊長のもとにお茶を持っていった弓姫からカップをどうにか受け取って、翼人の青年は引きつった顔でそれでも笑ってみせた。
「セラスの苦手となると……魔族か、そうでなければ薬物系だ。いずれにしろ、睡蓮家は黒と見ていい」
「多分両方。ほんとに参ったね」
エンシュの言葉を確認するように、セラスラウドが言葉を続ける。どうやら彼は、その双方について敏感に受け取る能力があるらしい。
翼を持つ二人の会話を聞いていた弓姫が、全員分のお茶を配り終わってから詰め寄った。さすがにセラスラウドに無理はさせたくないのか、相手はエンシュリーズである。
「あの、お兄ちゃん本当に大丈夫なんでしょうねっ」
「分からん」
「いや、分からんじゃ困るんですが!」
副隊長のそっけない返事に、疾風まで参戦してきた。だがエンシュは、小さく肩を揺らしながらため息をつくと二人を真紅の眼で見据える。その迫力に、思わず兄と妹は一歩足を引いた。
「確かに私も困るんだが、相手の目的を推測してからでも遅くはあるまい?」
「遅かったらどうするんですかあ!」
「その時は多分、蒼真が黒幕の居場所を破壊しているだろうな」
それでも声を張り上げる弓姫に顔をしかめ、耳をふさぐ真似をしながらエンシュがかなり身も蓋もない答えを返す。蒼真本人もさほど変わりのない思考を心に置いているのだけれど、それを知っているはずはない。
ふくれっ面のままの弓姫をひとまず置いておき、エンシュは疾風に向かって問いを投げかけてみた。
「まず。女を拉致する理由と色違いを拉致する理由に、重なる部分はあるか?」
「……どっちも欲しいから?」
「まあ、そうなる」
兄のほうがまだ、落ち着いているといえば落ち着いているようだ。彼女の問いに、単純とは言え答えを返してきたのだから。エンシュは目を細め、満足げに頷いて言葉を続けた。
「だが、欲しい理由はおそらく違う。なあ、セラスラウド」
「うん。女の子は多分、そういう目的で使われるためだろうね。行為が目的か、結果が目的かは分からないけれど」
少女が話を振ったのは、弓姫のお茶を飲んで何とか回復してきた隊長だった。彼は困った顔で頷いてから、言葉を選んで答えてみせる。
とはいえ、その言葉の意味がわからないほど上総の兄妹は、子供ではない。さすがに弓姫も、自分も無関係ではないからか顔を引きつらせた。
「結果、て」
「えー、つまり」
「深く考えないほうがいい。何にせよ、敵がクソ悪党だということだ」
子供ではないがあまりそういった問題にぶち当たったことがない、田舎から出てきたばかりの兄妹にエンシュリーズはそう言って思考を止めさせた。
第一、もうひとつの理由のほうが彼らにとっては重要であるだろうから。
「色違いの方は……多分、収集目的なんじゃないかな。レアだし」
『はあ!?』
セラスラウドが告げたその理由に、疾風と弓姫はぴったり同時に声を上げた。その直後にばさ、と黒の翼を羽ばたかせ、エンシュリーズがソファに座り直す。
「色違いを集めて喜ぶ阿呆がな、ごくまれにいるのだ。私もこんな色なのでな、父からは気をつけろと過去の事例に関する資料を読まされたことがある」
「僕も、資料を見せてもらったことがあるんだけどね。ひどかったよ」
同じく、ソファの背もたれにぐたりとしたままではあるが回復の兆しを見せているセラスラウドが、少女の言葉に続く。
「例えば、ただ侍らせるのが好きな輩。例えば、同じような趣味の相手と金銭や交換などでコレクションを充実させる輩」
「他にも剥製にして飾って楽しむやつとか、色違いの血や肉を食らって喜ぶ魔族なんてのもいたね」
「まったく、ぞっとせんな」
「……え、ええと……」
「そりゃ、まるで宝石とか動物の剥製とか扱いじゃ……」
「コレクション、という時点でモノ扱いだろうが」
本当にこの兄妹は、まだまだ世界の裏側を知らない。そう考えながら2人の翼人は、自分たちの知っていることを言葉にして教えていく。この先、もっと酷いことが起きないとも限らないのだ。そう、今この街で。
「でね、エンシュ」
だからセラスラウドは、そこで話を切ることにした。この街で酷いことが起きるなら、それはこの二人が十年探して待った義兄に関するものだろうから。
「僕、嫌な予感がするんだ」
「奇遇だな。私もだ」
エンシュリーズもそれを感じ取ったのか、お茶を一気に飲み干す。そうして疾風と弓姫をまっすぐに見据え、凛とした声で命じた。
「疾風、弓姫。誠哉が惜しいなら、戦の準備をしておけ」
「りょ、りょうかーい」
「わ、分かりましたっ」
反射的に二人とも背筋を伸ばし、慌てて自分たちに当てられた部屋に戻っていく。戦の準備と言っても大したことをするわけではないが、しておくに越したことはない。
「で、セラス。お前は」
「気分が悪いのは、敵のせいだからね。吹っ飛ばしに行くのなら、もちろん大丈夫だよ」
「なら良い」
疾風と弓姫を見送った二人が、色の違う翼をそれぞれはためかせながらそんな会話をしていることはまず、兄妹たちには分からないだろう。
「文女、喜べ。男の色違いを仕入れたそうだ」
「まあ!」
夫である浅沙からの吉報に、睡蓮文女は顔をほころばせた。そうしてうっとりと、頬に手を当てる。
「男ですのね。ああよかった、また遊べるわ」
「東洋人の女とペアだったそうでな、まとめて仕入れてきたらしい」
「あらあら、かわいそうに。その女の子、すぐに彼氏のことも忘れちゃうんでしょうねえ」
「まあ、考えている暇もなくなるからな」
夫妻がのんびりと交わしている会話を、使用人である獣人たちは平然と聞き流す。室内を整え、エンシュリーズたちが来訪した痕跡は応接間には既に存在しない。
「好きにしなさい」
「ああ、もちろんですわ。楽しみ!」
細められた浅沙の両目も、そうして輝くように見開かれた文女の両眼も、いわゆる白目というものが見当たらなくなっている。そうして文女の濃い色の唇からは、鋭い牙がにいと覗いていた。
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