22. 聞きたかった話は
さすがは領主の屋敷だけあって、エンシュリーズたちが通された応接間は豪華、とまでは言わぬだろうがよく整えられていた。疾風だけは馬車番ということもあり、そちらで待機しているのだが。
落ち着いたインテリアは見る者が見ればそれなりに高価なものばかりであり、並べられた調度品はスイレンの街周辺ではまず手に入らないものだ。 これは即ち、睡蓮家の交流の広さを示すものとなっている。
「どうぞ」
「ありがとう」
セラスラウドたちを背後に揃え、座り心地のいいソファに腰を下ろしたエンシュ。その目の前に出されたお茶も、この近郊で手に入る種類のものではないようだ。それを手際よく並べてくれた使用人の少女に、エンシュは目を細めて礼の言葉を述べる。
慌てたように頭を下げた使用人の、ラフェリナとは違う垂れた感じの耳がふるりと揺れた。急ぎ足で去っていく後ろ姿を見送ると、ふさふさの尻尾も見ることができる。
そういえば、ここまで案内をしてくれた男性の使用人はぴんとした耳をしていたか。それを思い出してエンシュリーズは、お茶を一口飲んでからさり気なく尋ねてみた。
「お屋敷の中には、獣人族が多いのですね」
「先祖が切り開いた森の中に、獣人の村がございましてな。追い払うというのも何ですし彼らも収入の道が必要です故、我が屋敷で雇っております」
自身の向かいに座っている浅沙が、満足げに目を細めながら答えてくれた。その隣で文女が、うっとりとした表情でこちらを見つめているのには少々閉口する。
……だがまあ、彼女の注意を自身に引きつけられるのならばいいだろうとエンシュリーズは考えた。自分に意識が集中しているのならば、背後にいるセラスラウドや弓姫が周囲の気配を探るのに問題はない。
「なかなか聞き分けも良いし、種族によっては力が強くて助かります」
「なるほど」
ともかく笑顔を作り、穏やかな貴族の令嬢を装った彼女は再びお茶を口にした。特に薬物が含まれていたりすることもないようで、大変に美味なその茶には満足できる。
貴族が獣人を使用人などとして雇用する例は、多くはないがエンシュリーズの記憶にもあった。浅沙の言うとおり命令は素直に聞くし、例えば熊などの獣人は人よりも力が強いため護衛や屋敷の警護にも重宝される。ただ、地方によっては色違い共々、奴隷のような扱いをされるところもあるのだが。
そんなことを考えながらエンシュは、これもまた他所の街から取り寄せたのであろう、白いカップをソーサーに戻す。そのタイミングを見計らったのか、浅沙が「そういえば」と軽く身を乗り出してきた。
「エンシュリーズ様はお仕事を終えられたところだとお伺いしたのですが、どういったお仕事をされておられるのでしょうか」
「何故、そのようなことを」
「お気に触ったのであれば申し訳ない。単なる興味、というやつですよ」
あくまでもたおやかに、僅かに首を傾げて問い返す。睡蓮家の当主は苦笑を浮かべ、いかにもという理由を述べてきた。
「何しろ領主というやつは、なかなか他所に遊びに行くこともできませなんでなあ」
「大変ですわね」
答えを聞いてエンシュはそういうものか、と小さく頷く。領地を治める長なのだから、そうそう己の土地を離れるわけにはいかないだろう。
それで、領地の外から来た者の話を聞くというのはよくあることだ。この応接間にある外来の品物なども、それを理由とするならばおかしくはない。
おかしくはないが、エンシュは素直に返事をすることをためらう。といって取ってつけた嘘など、すぐにバレるだろう。
「リリンセスカヤの娘ではありますが、何しろこの色でしょう。あまり都にいても良い目では見られませんもので、友と配下を連れ辺境地を巡っては愚か者を退治する。そういったお掃除を仰せつかっておりますの」
「何と」
「此度は少々大掃除でしたので、時間がかかりましてね。都に戻り直接報告を、と父からはせっつかれておりますの。ですが私としましては、大仕事を終えたところですのでのんびり帰りたいと思っておりまして」
故に彼女は、嘘ではないが詳しいところをぼかす形で説明してみせた。
のんびり帰りたい、というのもエンシュリーズの正直な感想である。何しろ、リリンセスカヤ家の色違いは自身だけであるからだ。実家に戻ったとしても、あまり居心地のいい場所ではない。
ただ、その思惑は睡蓮の夫妻には伝わらない。だから、会話の方向性は違うところに向かっていく。
「では、我が街にしばらくはご滞在いただけるのですかな」
「そうですね。数日ほど観光させていただければ、と思っております」
「そ、それでは」
今度は文女のほうが身を乗り出してきた。すっかり頬は紅潮し、まるで酒にでも酔ったか見目麗しい相手にでも見惚れたか、といううっとりした表情で。
「ぜひ、我が屋敷を宿としてお使いくださいませ」
「え、……お申し出はありがたいのですが、既に宿を取っておりますわ」
こちらはさすがに顔の引きつりを隠すこともできず、エンシュは何とか困ったように眉をひそめた。背後でぷっ、と微かに吹き出す音が聞こえたところでどうにか、虚勢を張り直す。弓姫、後でしばくなどという貴族の娘にあるまじきはしたない台詞を胸の中で呟きながら。
「それに、領主邸に宿を取ってしまっては街に金を落とせませんもの。スイレンの街は、そういったお仕事で成り立っているのでしょう?」
「な、なるほど……」
「さすがですわ。エンシュリーズ様」
少なくとも今は、エンシュリーズ・リリンセスカヤは貴族の娘でありおおらかな心の持ち主である、ということにしておきたかった。そのために並べ立てた綺麗事を、領主夫妻は案外素直に受け取ってくれたようだ。
「承知いたしました。そういうことでありますれば、致し方ございませんな」
「残念ですわ。ぜひ夜通し、外のお話を伺いたかったのですけれど」
「ごめんなさいね。お招きはありがたいのですが」
浅沙はともかく、徹夜で文女と話し込むなど冗談ではない。手を取って頬ずりされるだけではすまないだろう。
そんなことを考えながらエンシュは、招待を断ることができてほっと胸をなでおろしていた。背後のセラスラウドが、おそらく苦笑しているだろうなという気配を感じつつ。
幌馬車が領主の屋敷の中に消えたあと、誠哉と蒼真は領主邸周辺の観光を続けている。あちこちから集めてきたのか、様々な色の葉を持つ木がずらりと並んでいるのが見ていて楽しい。
そのうちいつの間にか、周囲から人の姿が消えた。蒼真がちらりと視線を動かし、それから屋敷の裏につながるだろう道にそれを固定する。
「……誠哉さん」
「うん」
囁くように自分を呼んだ声に、小さく頷いて誠哉が足を止める。念のため腰の剣に手をかけて、彼も蒼真の視線の方向をまっすぐ見据えた。背後にも、気配は感じている。
「何の用かな。僕たちは通りがかりの旅行者、なんだけど」
「……」
誠哉の問いに、答えはない。ただ、誠哉よりも深くフードをかぶった男たちがぞろぞろと数人、道の奥と誠哉たちの背後から出てきただけだ。
「だから、何の用かな。話があるなら、聞くだけは聞く」
自分の背後に蒼真をかばうようにして、誠哉はもう一度尋ねた。相手に殺気が感じられないから、殺しに来たのではないだろう。そうなると、この人数でたった二人を取り囲んだ理由は、さて。
「きゃ」
「蒼真!」
背後で悲鳴が上がって、慌てたように誠哉が振り返る。その目の前で、大柄な男が蒼真の両肩をしっかりと捕まえて自分の胸元に引き込んでいた。
「済まんな、色違いのお客人。お前さんにも、来てもらおう」
「……『にも』、ってことは蒼真を放す気はない、みたいだね」
「もちろん」
男がゆったりと頷いたところで、誠哉は蒼真の顔を見る。怯えたように男の顔を見上げていた蒼真だったけれど、一瞬誠哉に合わせた視線は鋭いものだ。
「剣、渡してもらおうか」
「……分かったよ」
屋敷の裏から出てきた別の男が、そう言って手を差し出してきた。軽く歯噛みをしてみせて、それから誠哉は素直に自身の剣を腰から外して彼に渡した。念のため、強がってみせることは忘れない。
「彼女に酷いことをしたら、許さないからね」
「へいへい、分かってますよ」
ニヤニヤと、フードの下から湧き出してくるいやらしい笑いを口元に浮かべてその男は頷く。一瞬後ごつ、と首筋に一撃を入れられて誠哉の意識は、暗転した。
だから彼には、「誠哉さん!」と自分を呼ぶ蒼真の声も届かなかったし。
「動くの、早かったな」
近くの建物の上から自分たちを見つめていたシェオルにも、気づくことはなかった。
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