21. 領主と領主夫人
不意に、蒼真が誠哉の袖を引いた。
「誠哉さん」
「ん?」
フードを整えながら彼女の視線をたどると、恐らくは正門であろう豪奢な門の扉がゆっくりと開かれていくのが分かった。その回りには、軍服にも似たかっちりとした衣装の使用人たちが門とそこに通じる道路を守るように立ち始める。
髪の色や癖がてんでバラバラな使用人たちは、人のものではない耳や更に尻尾を持っている。どうやら皆、獣人らしい。動きがそれなりに揃っているから、恐らくはラフェリナと同じ犬獣人たちだろう。
そうして門の回りには、あちこちから湧き出したかのように観光客や街の住民たちが集まってきていた。これは、誠哉にも分かる。何か珍しいものが見られるときの光景は、どこの人でも変わらないものだから。
「行ってみる?」
「はい、もちろん」
蒼真に尋ねてみると即座に頷かれたので、誠哉は彼女の手を取ってどんどん湧き出す人の中に紛れることにする。無造作に手をつながれて蒼真が顔をほんのり赤くしているのだけれど、それには気づかない。
そのままで誠哉は、手近な老人に声をかけてみた。いかにも、この街にやってきた観光客という雰囲気で。
「賑やかですね。何かあるんですか?」
「ああ。リリンセスカヤのお嬢様が、領主様にご挨拶に来られたそうなんだよ」
「リリンセスカヤ? 本当ですか」
老人の口から出てきたエンシュリーズの姓でもある大貴族の家名を聞いて、驚いてみせる誠哉。その横で蒼真も、「まあ」と目を丸くしている。
その理由をどう取ったのかは知らないが、老人は満足気に目を細めてみせた。太い眉毛の奥に、目が隠れそうになるほどに。
「これできっと、スイレンの街も安泰じゃね。リリンセスカヤ家の後ろ盾を頂けたら、もう国に敵はおらぬよ」
「スイレンのご領主様、そんなにお力があるんですか」
「もちろんじゃ。ナテラのご領主もそうじゃが、他にもいくつかのお家と仲良うしておられるとか」
「それで、いろんな美味しいものが食べられるんですね」
老人の言葉を聞いて、蒼真が微妙に話題をずらした。あまり深く尋ねても、街の住民からはさほどの収穫は得られまい。それにもし、怪しいなどと思われては問題だ。
そういったこちらの思惑はともかく、ずれた話題に老人はやはりうんうんと頷く。
「そうなんじゃよ。海が遠い街でも海の魚が食えるし、南の方から暖かい土地で育つものも送っていただけるし。さすがは我らの領主様じゃて」
「いい街ですね」
「ああ、いい街じゃ……おや」
海の魚がある種のご馳走だった誠哉にしても、老人の言葉は頷けるものだった。その老人が視線を門の方に向けたのに気づき、蒼真と共にそちらに目を向ける。
ちょうど、幌馬車が静々と門の中へ入っていくところが見える。御者を務めているのが義弟であることを一瞬見えた姿で確認して、誠哉はほんの少しだけ目を細めた。
「へえ、こんなところまで馬車で来るんだ」
「あんなものですよ」
青年の、やはりどこかずれた感想に答えたのはすぐ耳元で聞こえた蒼真の声だった。周囲に人が多いため、思わずそこまで接近したようだ。
「お屋敷の敷地内に馬車の乗降場なんて、当然あるものですから」
「そうなの?」
「そうなんです。そういうもの、と覚えてくださいな」
「分かった」
どうしても、辺境育ちの誠哉は知らないことも多い。それをフォローするように蒼真は、手早く説明の言葉を耳打ちする。それを素直に受け入れてくれる誠哉だからこそ、世話の焼きがいもあるのだけれど。
それに考えてみれば、こういったことを知らない理由の一つは幌馬車の中にいる彼女なわけで。
「……まあ、彼女はいつもずかずか歩くか飛んでくるか、ですものねえ」
「だよね」
普段のエンシュリーズを思い出して、蒼真がくすりと肩を揺らした。誠哉は困ったような顔をして、それから軽く背伸びをした。人が多くて、幌馬車が見えにくくなったようである。それに、幌馬車が門内に入ったことで扉は閉まり始めているから。
誠哉や蒼真からは見えない場所、門を挟んで反対側に伸びる道に集まった見物客の中に、アテルとカルマがいる。クレープは既に食べ終わったらしく、人混みの中に紛れ込んでいても問題はないようだ。
「アテルせんせ」
「はい? あら」
カルマがちょい、と指先だけで示した方角をアテルが背伸びして確認する。フード姿とその隣に長身の黒髪女性を見つけて「まあまあまあ」と楽しそうに目を細めた。
「仲良さそうですわね」
「邪魔しちゃ悪いですね、ありゃ」
「弓姫ちゃんにはバレてませんわよね?」
「大丈夫だと思いますがねえ」
門の中に入っていった客人とは全く別の話題で言葉をかわし、そのまま二人は門を閉ざした領主邸から離れることにする。領主と貴族の娘の会談、ということであれば、幌馬車が再び門の外に出てくるのはもうしばらく後になるだろう。
「それにしても、獣人の使用人多かったですわね」
「そこ、気になってたんですが」
ふとアテルナルが口にした言葉に、カルマは僅かに頷いた。普段からシェオルによくなつかれているせいかラフェリナをよく見ているせいか、おかしなことを口にする。
「あれ、混じってますよ」
「まあ」
その言葉に、アテルは眼鏡の奥の目を鋭く歪めた。
そうして幌馬車を迎え入れた領主邸の玄関先では、馬車から降りてきたエンシュリーズを迎えるために中年の、小太りの男性が背筋を伸ばして待ち受けていた。背後に獣人の使用人たちを並べ、隣には自身より少し背の高い同年代の女性を従えて彼は、異色の少女に頭を下げる。
「ようこそ、お嬢様。遠いところをよくぞおいでくださいました。わしが睡蓮家当主、
「文女でございます。いらっしゃいませ」
「いいえ、ちょうど通りがかったものですから。リリンセスカヤ家のエンシュリーズでございます」
黒い髪の中に白髪がちらほら混じった短髪。純白の髪を持つエンシュは、当主ににっこりと微笑んでみせた。彼女の後ろにはセラスラウドと弓姫、そして馬車を所定の位置に止めてきた疾風が並ぶ。
顔ぶれを軽く見渡してから浅沙が、「この者たちは」とエンシュに尋ねた。少女はふわりと柔らかな笑みを作って見せてから、穏やかに答える。
「私の友と配下ですわ。リリンセスカヤに連なる者である以上、このくらいは連れていないと周囲に示しがつきませんの」
「なるほど。それは確かに」
貴族の娘が、一人で家の外をふらつくことなど本来はありえない。エンシュリーズの本性を知らぬ浅沙には、だからその答えは真実に聞こえたことだろう。
故に疑うこともなく彼は、ゆったりと頷いてみせる。と、その横から文女が一歩二歩、踏み出してきた。
「まあ……エンシュリーズ様……」
「え?」
エンシュが身を引こうか一瞬躊躇した隙に、既に文女は彼女の手を取っていた。うやうやしく手のひらの中に包み込み、さらにはひざまずいて少女の手に頬を寄せる。
「まあ、すべすべして美しいお肌ですのね。うらやましいですわ」
「え、え、え」
「うわ」
「兄さん、しっ」
「申し訳ありません、奥方様」
さすがに固まってしまったエンシュの背後で疾風が一瞬顔を引きつらせ、その腕を弓姫が軽く叩いた。
背後で顔を歪めている彼らや硬直しているエンシュリーズの代わりに、セラスラウドが口と手を挟む。具体的には文女の手をそっとエンシュリーズから引き剥がし、深く頭を下げたわけで。
「おっと、これはこれは申し訳ない。妻の悪い癖でして」
「ああ、つい……申し訳ございません、お嬢様。はしたない姿をお見せしてしまいましたわ」
「え、いえ……その、驚いてしまっただけですので」
軽く冷や汗をかく浅沙と、一瞬だけ目を見張った文女。エンシュは軽く頭を振って、はあとため息をついた。
これが普段であれば、蹴りなり炎の一撃なりで反撃しているところだっただろう。それを我慢することができたのは、ひとえに精神力のたまものである。さすがに、手に頬ずりされて固まってしまったのは仕方のないところだけれど。
それでも顔をこわばらせているエンシュリーズに、文女はうっとりと微笑みながら言い訳じみた言葉を口にした。
「済みません。やはり女としては、若さに憧れるものですから」
「年を取らないのも、これはこれで苦労するのですよ」
長く生きているから、エンシュリーズもそういった女を……いや、男も数多く見てきている。女のほうがどうしても数が多いのだが、それはあからさまに若さを求める者が女に多いから、だろう。
だが、ただでさえ寿命の長い翼人であり色が違う、ということが成長速度を遅らせる要因ともなっているエンシュリーズとしては、自分の方にも言いたいことがあるわけだ。好きでいつまでも小柄な少女、の外見をしているわけではない。
「数百年生きていようが、外から見れば『お嬢様』ですもの。『子供』の分際で、と甘く見られるのですわ」
「まあ、それはそれは」
「年かさでなければ威厳がない、と申す者もおりますからなあ。心中、お察しします」
頬に手を当てて感心したように目を見張る文女の横で、浅沙はうんうんと深く頷いた。そういう当人はきちんとした服装を普段着のように着こなしており、それなりに領主としての威厳があるようには見える。
少なくとも疾風と弓姫にしてみれば、辺境の猟師であるところのヤマノ村の村長よりはよほど。もちろん、そんなことは口には出さないけれど。
「ですから、翼人の供を連れております。彼であればそれなりに、甘くは見られませんから」
そうしてあくまでも『貴族のお嬢様』の殻を被り、エンシュリーズは優雅に礼をしてみせた。『翼人の供』であるセラスラウドも、同じように。
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