20. クレープとお屋敷
「お二人さん、街中観光のお供にクレープはいかがかな?」
「あら。カルマさん、チョコありますよチョコ」
「へえ……わ、こら引っ張らないでくださいよっ」
昼下がりの大通りで、カルマとアテルはクレープ屋台の親父に呼び止められた。王都などの大きな都市では珍しくもないものだが、辺境とまでは行かなくともそう大きいわけではない街にあるのはかなりレアだろう。
ただ、屋台ということでさほど多くはないラインナップの中にチョコクリームがあるのを見つけ、アテルナルが目を輝かせた。カルマリオの腕をやや強引に引っ掴み、そのまま屋台の前へ急ぎ足で歩み寄る。
「チョコクリームクレープくださいな。カルマさんは、何にします?」
「あ、じゃあジャプルサラダで」
「へい、まいどありー」
二人の注文を受けて、鉄板に生地が流し込まれる。程なく焼けた薄い生地を取り上げてひとつにはチョコレートクリームといくつかのフルーツを、もうひとつには角切りにされたジャプルの実が入ったサラダを巻き込んだ。
「できましたよー。お代は」
「はい、これで」
「まいど」
手早くアテルナルがコインを手渡すと、店主は喜んでエプロンのポケットにしまい込んだ。市場の店主などとは違い、少々細身の若い店主はクレープ屋台にはよく似合う。
その屋台の前から離れる時間も惜しかったのか、アテルはすぐにクレープにかぶりついた。そうして、ぱあっと顔を輝かせる。
「あら、このチョコすごく美味しいですね」
「ありがとうございます。何しろこいつ、原料がナテラ領からの直輸入なんですよ」
こちらも満面の笑みで礼を言ってきた店主の、続いた言葉にアテルは眼鏡の奥の目を丸くした。それは、自分のクレープにかぶりつこうと大口を開けていたカルマも同様である。
「ナテラ領?」
「暑い地域ですわね。ここからだと、一度海に出て船を使わないと」
「よくご存知で。ここから河口の港経由で、定期船が出てるんですよ。人間も荷物も乗っけてくれますぜ」
遠距離の旅をする場合には船を使うこともよくあるから、旅人と認識されている二人の言葉を店主が訝しむことはなかった。彼らの旅路に役に立てばいい、と思ったのか更に説明をつけてくれる。
「うちの領主様がナテラの領主様と仲が良いそうで、そちらから運ばれてくるんですわ」
「まあ、それでこのチョコも」
「こういう商売ですからね、助かってますよ。うちからもいろいろ輸出してるそうですから、持ちつ持たれつです」
もくもく、と更に食べ進めるアテルナルの上機嫌な表情に、店主は満足げに何度も頷いてくれた。なるほどなるほど、と納得した二人はそのまま、屋台を後にする。ここからは、睡蓮家の屋敷までは歩いてもほんの数分だ。
観光客然とした雰囲気をまとわせながら、カルマは改めて自分が頼んだクレープを一口かじる。しゃり、とジャプルの歯ごたえの音に、隣りにいるアテルが興味津々の顔で尋ねてきた。
「ジャプルサラダクレープ、ですか。美味しいですか?」
「ええ、味は問題ないです。さっぱりした甘さで、なかなか」
「なるほど。殿方にもお勧めですのね」
さすがに一口、とまではいかなかったようで、カルマとアテルはそれぞれ自分の手にあるクレープを食べながら足を進める。その途中で、カルマはポツリと呟いた。
「……持ちつ持たれつ、か」
「こんなところで食べられるとは思いませんでしたけれど、何というか……」
アテルも、手の中のクレープを見直しながら答えた。
チョコレートの原材料になる豆がこの辺りで栽培できるものではなく、暑いナテラ領の特産品であることを彼らは知っている。かなり距離の離れたところから、恐らくは直接輸入されていることになるのだが。
「経由地はあるにせよ、定期船ですか。まあ、ナテラも北の物を仕入れられる利点はありますが」
「領主同士が仲がいい、だけではねえ」
小さく首をひねりながらも、二人の足は止まらない。
ナテラの特産品を直接輸入できている以上、スイレンからもそれなりの特産品を輸出していると思われる。しかしスイレンの街に、そういった特産品はない。だからこそ、領主邸の周囲を観光スポットにしたりして旅人を招きその金を街に落とさせているのだが。
……そこまで言葉をかわしたところでカルマは、アテルが答えないことに気づいた。ちらりと伺ってみると、せっせとクレープを口に運んでいる。
「ところでチョコ、そんなに美味いんですか?」
「ええ。甘くてもう、最高です」
「なるほど」
にこにこと笑顔のままで答えるアテルナルに小さくため息をついて、カルマリオも自分のクレープを消しにかかることにする。背後にどういった事情があるにせよ、これが美味しいことに変わりはないのだから。
一方、領主邸のすぐそばで誠哉は、まじまじと目の前に立ちはだかる塀に目を丸くしていた。周囲には翼人や獣人も含めてさまざまな人々が、屋敷の見物にやってきている。
ヤマノ村に高い塀や柵は存在せず、民家とて平屋建てばかり。そういったものしか見ていない誠哉には、自身の背よりも高い塀は驚くものだったのだろう。
「うわあ、すごく高い塀」
「誠哉さん、田舎者丸出しです」
顔を引きつらせながら、同行している蒼真が軽く肘を引っ張る。ん、と振り返ってから誠哉は、肩をすくめて答えてみせた。
「うん、僕田舎者だからね」
「……ええと……そうじゃなくて」
「あれ、違った? ごめん」
どう答えていいか分からない蒼真の戸惑いの表情に、ともかく誠哉は塀を観察するのをやめて戻ってきた。回りからくすくすと笑い声が聞こえることで、さすがに自分の行動がおかしく見えると気づいたようだ。
蒼真と並んだところで振り返ると、塀の向こうに植えられている木々の葉がよく見える。緑の濃淡がほとんどだが、中には明るい黄色に近いものもあるようで。
「あの木の葉、綺麗な色してるんだね」
「そうですね。領主様が、街の住民の目を楽しませようとお考えになったようですよ」
「なるほどなあ」
まじまじと木々を見上げる誠哉の仕草がどうも子供っぽくて、蒼真は目を細める。実際には自分より十歳も年上のこの青年が、どうも可愛らしくてならないようだ。
その彼が「ね、蒼真」と自分を振り返ったのに気がついて彼女は、慌てて顔を元に戻した。ずっと年上の人を可愛いと思ってます、とは悟られたくないようだ。
「は、はい」
「街の様子、どう思ったかな?」
「誠哉さんは、どう思われました?」
誠哉の問いに、答えではなく問いを返す。自分はそれなりに人の多い街も知っているが、彼はそうではない。故に、誠哉が何か感じているのであればそれは、自分が気づけないものかもしれないからだ。
「何というか……その、ちょっと堅苦しいというか……何だろう」
「堅苦しい、ですか」
そうして帰ってきた答えの意味を、ほんの少しだけ考える。それから、後から来た観光客と入れ替わる形で領主の屋敷から離れ、人々の視界からも外れた。もちろん、誠哉の腕を引っ張って。
他人の意識を向けられないように人の少ないところまで来てから、蒼真はその答えを彼に教えた。
「……赤子や幼子の姿が、ほとんど見えませんでしたからね。旅人の子供はちらほらいますけれど、住民の子供が」
「そう、かな」
ん、と誠哉が首を傾げる。確かに子供はほとんど見なかった気がするが、それは彼にしてみれば普段通りの光景だったからだ。何しろ。
「いや、ほら、僕のいた村ってあんまり子供生まれたりしないからさ」
「ああ、人が少ないですからね。でも、数はともかく生まれているなら、村の中で見かけることはあったでしょう?」
「そうだね。疾風たちは僕より十ほど下だけど、あの時はちょうど何人か固まって生まれてさ。広場であやしたりお母さん同士が話をしたり……」
蒼真の口添えで誠哉は、ふむと昔のことを思い出す。どうしても辺境の地では人が少なく、故に生まれる子供も少ない。だが、疾風や弓姫の同世代はそれなりに数がいたはずだ。
そこまで考えて、誠哉はぽんと手を叩いた。
「……そうか。ヤマノ村より人の多いこの街で、ここまで見ないのはおかしいわけか」
「ええ」
街中、市場でも幼い子や、例えばそれを背負った母親などという姿は見ていない。子供が走り回りそれを親が追いかける、なんて光景もまるでなかった。
ただ、子供の姿は見ているのだけれど。
「でも、そこそこ大きくなった子はいるよね。さっきの金五くん? みたいな」
「そうですね。十歳くらい……かしら」
「親御さんのお手伝いしていい子たちだな、って思ってたんだけど」
「でも、妙に行儀良かったですよね」
あまり感情的でなく、店の手伝いをしていた少年。父親と髪の色が少し違ったけれど、それは母親の影響もあるだろうしそもそも誠哉は自分が異色であるから、そのことは全く気にかけてはいない。
ただ、自分の知っているあの年頃の子供とはとても態度が違ったことだけを気にしている。
「十歳くらいのときの疾風や楮って、もっと元気であんまり親御さんの言いつけ聞かなかったりしてたなあ……これも、田舎だったからかもしれないけれど」
「疾風さんの場合は、誠哉さんに懐いていたからじゃないでしょうか。村では大変だったんでしょう?」
「あー……そうなのかなあ」
とは言え、誠哉の中での基準はおそらく辺境の村でのものだ。
『親の言いつけを聞かない』といってもせいぜい、家の手伝いをしないとか小さな妹を泣かせないとかその程度のもの。一人で村の外に出たりする、などということは当人の生死に直結しかねない問題であり、さすがにそれを子供たちが破ったことはないはずだ。
時折そうでない子供が現れて、そうして獣や魔族の餌食になることもある。それを見た他の子供たちは恐れ、怯え、少なくとも自身の生命に関わる問題については守るようになる。
だが、このスイレンの街では獣、そして魔族の噂は立っていないようだ。そうでなければこうやって、のんきに領主の屋敷を見物に来る観光客などそうそういないだろう。
「……んー、何だろうな、これ」
「何でしょうね」
その街で二人が持った違和感。その正体を、彼らが掴むことはできないでいる。
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