19. 甘い香りは美味しいしるし

 平地にあるスイレンの街は、昼日中は山の陰に邪魔されることがない。少し離れたところには森林が広がっているのだが、その影も街までは届かない。

 今日も雲が少なく穏やかに晴れ渡る空の下、そろそろ昼食の準備も始まろうかという街を、誠哉と蒼真は連れ立って歩いている。調査を兼ねてしばらく滞在することにした二人は、周囲から見れば若い夫婦か恋人同士にも見えるだろう。

 もっとも、フードをかぶったままの誠哉がせわしなく周囲を見回しているのには蒼真も、さすがに少々呆れたようだ。


「ほら、誠哉さん。あまりきょろきょろしないでください」

「あ、ごめん。人多いから」

「……まあ、そうでしょうねえ」


 ヤマノ村では、住民が全員家から出ていても道で肩がぶつかりそうになるとか、向かいの家が人で見えにくくなるなどということはなかった。そんな村で育った誠哉にはこの人の多さは物珍しいだろう、と蒼真は苦笑する。


「ひとまず、お店回りましょうね。さっきから、いい香りがするんです」

「あ、うん」


 とは言え、放っておいても仕方がない。蒼真はさり気なく誠哉の腕を取り、少々強引に市場の方へと引きずっていった。


「済みません」

「はい、いらっしゃい」


 売り手と買い手の声がせわしなく行き来する市場。その中で彼らが立ち寄った店は、野菜や果物を棚に並べていた。

 昨日街まで乗せてくれた荷馬車の男とは違う店主だが、その雰囲気はいずれも農民といった感じの体格の良い、日に焼けた人物である。濃い茶色の髪の毛も、恐らくは日焼けだ。自身が収穫した農作物を直接売っているらしい。

 店番であろう赤っぽい黒髪の少年が、旅人らしい別の客と会話しているのを横目で見ながら、蒼真がピンク色の果実を指差した。手で持つと少し大きいと感じられるほどの、丸い柔らかそうな実だ。


「カルモの実を2つください。美味しそうなんで」

「ああ、ちょうどいい熟し具合だからねえ。はいはい」


 女性である蒼真がほんわかと微笑みながらそう頼んできたためか、年かさの店主も笑顔になる。どうやら、甘い香りがふわりと漂っているのが彼女のお気に召したらしい。


「兄ちゃんたち、見かけない顔だけど旅の途中かい?」

「はい。都に行く途中です」


 袋に実を丁寧に詰めながら、店主が問う。それに答えたのは、一歩離れて品物を見ていた誠哉だった。若い女性とそれについてきたフードをかぶった青年、という組み合わせを見ても特に、おかしなものとは感じられないようだ。

 それなりに宿を取る旅人たちも多いらしいこの街で、いろいろな背景を深くまで問うことはさほど意味がないだろう。ただ、店主と客の軽い話題としてほんの少し取り上げられるだけで。


「へえ。一旗揚げようって感じかね」

「そうなんですよ。田舎で腐ってても何ですし、あまり故郷にはいたくないので」

「そうなのかね。何でまた」

「……ああ。僕、これなんで」


 話の流れ、という感じで誠哉がかぶっていたフードを軽くずらして、自身の銀髪を見せる。途端、店主は目を見張った。それから、僅かに慌てたようにこくこくと頷く。


「あ、ああ、それでか。そっか、田舎じゃ風当たりきついもんなあ」

「そうなんですよ。それでつい、かぶったままで」

「そりゃ、しょうがねえな。大変だったろ、兄ちゃん」


 誠哉の話に納得したように、今度はうんうんとゆっくり頷く店主。そして、ちょうど先ほどの客を送り出した少年に、声をかける。


「金五、兄ちゃんたちにおまけだ。そうだな、ジャプルの実を二つ持っといで」

「はい、お父さん」


 金五、と呼ばれた少年ははっきりと返事をして、それからすぐに自分のすぐ側にある赤い果実を二つ手に取った。昨日カルマが買ってきてアテルナルたちに渡したものだが、それを誠哉たちは当然のことながら知らないでいる。


「おお、美味そうなの選んできたな。ジャプルのお代はいいから、二人でこれも食べな」

「ありがとうございます」


 誠哉が袋を受け取る横で、蒼真がいそいそと財布から硬貨を取り出して代金を支払う。それから二人、ほぼ同時に金五に目を向けた。


「息子さんですか」

「ああ。わしが畑に作物採りに行っとるときなんかは、店任せてるんだ」

「しっかりなさってるんですね」

「ははは、自慢の息子だよ」


 誠哉にも蒼真にも笑って答え、店主は胸を張る。思わず顔をほころばせた蒼真が、何となく金五にも話しかけてみた。


「お店のお手伝いをしているんですね」

「はい。家のお手伝いをするのは、スイレンの民として当然のことですから」

「そうか。偉いな」

「ありがとうございます」


 誠哉に褒められて、少年は深く頭を下げた。ただ、戻った顔は笑っているわけでもなく、外見年齢にしては妙に冷静で平然としたもの。

 だが父親である店主にしてみれば、それは普段通りの態度らしい。特に何を言うわけでもなく、改めて誠哉に向き直る。


「毎度あり。いつ発つんだい?」

「ちょっと遠くから来たので、疲れを取るためにも二、三日滞在しようかと思ってまして」

「そりゃいいことだ」


 さすがに調査のために、と言うわけにもいかないということで理由はこうしよう、と彼らは決めていた。その理由を口にすると店主は、目を細めて満足気に頷く。


「兄ちゃんたちも、いいとこ行けるといいな」

「はい。それじゃ」


 互いに軽く頭を下げて、誠哉と蒼真は連れ立って店を離れた。背後で店主がいそいそと店を離れて姿を消したことを、肩越しに蒼真は見ていたけれど。




「わふんっ!」

「わ!」


 唐突に、誠哉に何者かがぶつかった。そのまま、その何者かにのしかかられる形で誠哉は石畳の敷かれた地面に倒れ込んでしまう。

 果実の入った袋は軽く吹っ飛びかけたが、慌てて蒼真が伸ばした手の中にうまく収まったことで難を逃れたようだ。カルモの実を潰したくない、という一心だったのかもしれないけれど。

 倒れた拍子にフードが外れ、誠哉の銀の髪が露わになる。ただ、それで驚く人はほとんどいないようだ。どちらかと言えば、この街ではさほど見かけることのない犬獣人の少女が現れたことに驚く人のほうが多い。長めのシャツの下、裾を持ち上げるようにぱたぱたと振られるふわふわの尻尾の動きを、ぽかんと見つめている者もいる。


「わふー」

「こら、周りをちゃんと見てくれよ。危ないじゃないか」


 慌てて起き上がった誠哉に対し、犬娘はひょいと身をかわしながら自分も態勢を立て直した。とはいえもともと人懐こい犬獣人のこと、敵意のある姿勢ではなく表情も無邪気な笑顔だ。


「へへ、ごめんなのダ」

「もう。次からは気をつけてね」

「はーい」


 蒼真が苦笑しながらたしなめると、少女は手を振りながらそのまま駆け抜けていった。少し多くなってきた人々の間をするすると通り抜けていく彼女の姿が見えなくなったところで、蒼真は「大丈夫ですか」と誠哉に声をかけた。


「うん、大丈夫。ああ、果物ありがとう、蒼真」

「いえいえ。カルモが潰れてしまったら台無しですもん」

「あ、そっち?」


 やはり、ジャプルよりも柔らかいカルモの実が心配でならなかったらしい。困った顔になる誠哉に対し、蒼真はぺろりと舌を出して笑ってみせる。


「他にも何か買う?」

「そうですね。服とか、見てみましょうか」


 そんな蒼真の返答に微笑みながら、誠哉は懐に差し込まれたメモ用紙をさり気なく買い物袋の中にしまい込んだ。




「たっだいまー!」


 銀髪の青年に体当たりした犬娘は、そのまま街中をくるくると走り回った後に宿屋まで戻ってきた。途中でしっかり焼き菓子を手に入れてきたようで、いい香りと共にご帰還である。


「お帰り。……いい匂い」

「あれ、カルマとアテルはお出かけなのカ?」


 どうやら寝起きらしく三色の髪がぼさぼさなままのシェオルが、丸まっている布団の中から顔だけを出した。鼻をひくひくさせて犬娘、ラフェリナににじり寄っていく。


「領主の屋敷見物だって。美味しそう」

「あー、今ならお花綺麗だもんね。はい、あげる」

「ありがとー」


 ぬうと伸ばされた手に、ラフェリナは焼きたての温かい菓子を持たせてやる。程よい色に丸く焼かれた生地の中に甘いクリームが挟まれているそれに、寝惚けながらもシェオルはかじりついた。


「……しゃりしゃりする」

「中のクリームに、ジャプルの実刻んだのが入ってル」

「それでかあ」


 しゃりしゃりした感触の意味を理解してなおも食べ進めるあたり、猫娘はどうやらこの菓子を気に入ったらしい。犬娘も満足したようににんまりと笑って、それから自分もひとつぱくりと口にした。


「うん、おいしい」

「おいしいね」

「おいしーね。アテルもカルマも、早く帰ってくると美味しいのにネ」

「その前に食べ尽くしそう……あ、そうだ」


 お互いに二つめに手を伸ばし、それからふとシェオルが思い出したように目を見張った。


「ラフェリナ、手紙渡してきた?」

「うん、バッチリ。誠哉と蒼真、とっても仲良しだったよ」


 問われて大きく頷いたラフェリナの口の中に、二つめの焼き菓子が半分ほど消える。もぐもぐと噛みしめる犬娘の脳天気な表情を、シェオルは小さくため息をつきながら見つめた。


「よく見つけたね」

「誠哉の匂いも、蒼真の匂いもちゃんと覚えたモン。都でも多分、見つけられるヨ」

「そっか。私もできるかな」

「だいじょぶだいじょぶ。シェオルも鼻、とっても良いから」


 宿で直接渡せば、自分たちと彼らの関係がどこからか漏れるかもしれない。それを避けて宿の外、街の何処かにいるはずの仲間に手紙を渡すために、彼らはラフェリナの鼻を頼ったらしい。

 その当人は無邪気に笑いながら、さらに三つ目の焼き菓子に手を伸ばそうとしているのだが。


「……ほんとに無くなりそう。カルマ、アテル、ごめん」


 シェオルもそれを止める気はなく、自分ももうひとつ食べるために起き上がった。




「……それで、あちらからは何と」


 街外れの道をのんびりと歩きながら、誠哉は受け取ったメモ用紙に目を通す。恐る恐る尋ねてきた蒼真に、誠哉は少しだけ目を細めた。


「今日、お嬢様が領主様とご対面だってさ」

「あら」


 お嬢様。つまりはエンシュリーズのことだが、それを聞いて蒼真が軽く肩をすくめた。誠哉はというと、何故か額を手で押さえている。


「何で直接行くかなあ……」

「そういう性格ですからね」

「……ははは」


 対して蒼真は、もう呆れ顔をするしかなかった。

 セフィル隊の副隊長であるエンシュリーズが自ら、ついでにいうと隊長であるセラスラウドも引き連れて今回一番怪しい相手である睡蓮家に突入するわけなのだから。

 とは言え誠哉にしてみれば、その二人も重要だけれどそれよりもっと心配なことがある。


「……疾風も弓姫も、僕と一緒で村の外って初めてだよね……」

「一人じゃありませんから、そうそうまずいことには……」


 義弟と義妹を案じる青年に、蒼真もはっきり大丈夫とは言えない。相手が敵かどうかも分からない状況故に、その懐に突入する副隊長の気持ちも分からなくはない。

 ないのだが。


「ここからでしたら、領主邸は近いですよ。行ってみましょうか」

「いいのかな」

「もともと観光スポットですから、そうでなくとも人は多いはずですわ」


 十年ぶりに会えた義理の弟妹を心配する誠哉の気持ちを汲むことも、蒼真にとっては大切なのだった。多分、彼の手の中にあるカルモとジャプルが入った袋よりは、ずっと。

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