二 黒い髪は血の証

17. スイレンの街

 昼下がりの街道を、屋根のない荷台に野菜を載せている荷馬車がのんびりとやってきた。

 街までもう少しといったところに、道の幅を四倍ほどに広げたような広場が存在する。そこまでやってきて、その荷馬車はピタリと動きを止めた。


「到着しましたぜえ。降りてくださいよ」


 御者を務めている農民らしい男が、荷台の方を振り返って声をかけた。野菜に混じるように座っていた、フードをかぶった青年と黒髪のスレンダーな女性がその声に応じて顔を上げる。


「降りるんですか」

「ええ、すんません」


 答えたのは青年の方で、そのよく通る声に男はにやにや笑いながら軽く頭を下げた。街も目の前であることから、二人は荷台から足を下ろす。降り際に女性は、荷馬車の端にちょこんと乗せられている小さな守り像の頭をなでた。


「街の前で降りるんですか」

「というか、ここはそういう場所みたいだね」


 広場に立った二人はくるりと周りを見渡して、広場の周りを囲む草原の中に危ない獣がいないらしいことを確認する。

 大きめの袋を肩にかけた青年は腰に長剣を差しているが、女性の方は身の回りのものだけであろう小さな背負い袋だけが荷物だ。

 旅人ではありそうだが、青年の剣だけで魔獣も出てきかねない街道を歩くというのは少々物騒だ。その二人を見かねて男は、ここまで彼らを乗せてきてくれたらしい。

 荷馬車に載っている守り像は、簡易なものだが結界に使われているものと同じ魔除けが施してあるらしい。長い旅路には不向きだが、街から少し離れた場所にある畑などへの行き来にはこれで十分のようだ。

 この農民が二人を拾ったのも、どうやらその畑に行った帰りであろう。つまり彼らが一緒に荷台に乗っていた野菜は、彼の畑で採れたものらしい。


「辻馬車でも、お客人は門の前で降りるのがこの街のやり方でね。大丈夫、この辺からは結界の範囲内ですから。門のとこで通行証見せりゃ、入れてもらえますよ」

「なるほど。分かりました、ありがとうございます」


 男の説明を受けて、女性が礼の言葉を口にする。青年も「お世話になりました」と礼を言って軽く頭を下げたが、その拍子にフードがずれて彼の髪があらわになった。


「おや。兄ちゃん、色違いかい」

「あ、はい」


 女性の黒髪とは対照的な銀色のその髪に一瞬目を見開いて、それから男はにんまりと目を細めた。髪と共に隠れていた青年の顔が整っているせいか、どうかは分からない。

 ただ、青年が少し困っている様子なのを見て取ったようで男は、肩をすくめて話をそらした。


「まあ、色なんざどうでもいいけどよ。ここんとこ神隠しも起きてるみたいだから、兄ちゃんも姉ちゃんも気をつけなさいや」

「ああ、噂には聞いていますわ」

「気をつけます」


 黒髪の女性は、青年の髪色は分かっていたらしく平然と頷く。青年も小さく頭を下げたのを確認して、男はぱしんと鞭を鳴らした。


「それじゃ、お先に」


 馬がひん、と声を上げ、そのまま荷馬車が進み出していった。二人が見送る中、少し離れたところに見える門の前でその荷馬車がもう一度停止する。

 こちらをちらちらと伺いながら門番と会話をしている男性を視界の端で追いながら青年は、すぐ隣りにいる女性にだけ聞こえる声で彼女に問うた。


「……これでいいのかな? 蒼真」

「はい。これでいいと思いますよ、誠哉さん」


 天祢誠哉に恐る恐る尋ねられて、蒼真は朗らかな笑顔で頷いてみせた。それから、さり気なく彼の腕に自分のそれを回す。ちらりと門の方に向けられた視線は、とても鋭いものだけれど。


「このほうが、都合がよろしいですから」

「……うん」


 にこやかに微笑みながらそんなことを口にした蒼真に、誠哉は困り顔で小さく頷くしかなかった。そうして「じゃあ、行こうか」と自分に言い聞かせるように声を上げた。

 彼らの目的地であるスイレンの街へと、進んでいくために。




 スイレンの街。

 街、と名は付いているがその土地は本来、まるごとが領主たる睡蓮スイレン家の敷地である。

 その広さは誠哉たちが生まれ育った村よりも大きいのだが、もともとこの地に住み着いた領主の一族が森を切り開いて生み出した街ということらしい。現在の住民は領主家とその使用人、そして御用商人などで構成されている。

 もっとも、領主とその家族は人の腰ほどの高さがある塀で囲われている街の外れにもうひとつ、人が背伸びをしても中が見えないほどの高さの塀を作り、その中に屋敷を建てて暮らしている。まあ、塀と内側に建つ館の屋根は外からでも見えるから、庭に育つ木々と共にある種の観光地にもなっているようだ。

 住民は、ほぼ全てが睡蓮家の使用人や御用商人などで構成されている。ただし、外から見る分にはこじんまりとした普通の街といったところであり、旅の途中で宿を求める者たちも多い。


「待て」


 街の入口は、塀の途中に作られた門扉である。荷馬車が通れる程の幅を持ったその両脇に控えた門番たちが、夕方になってやってきた小型の幌馬車を止めた。

 門番たちもまた睡蓮家の私兵であり、主の領地に入ってこようとする者を調べるのは当然の任務である。その任務に従って門番は、幌の中を覗き込んだ。そうして、一瞬だけ顔をしかめる。


「む、また異色のようだな。通行証を見せてもらおう」

「はい、どうぞご覧くださいませ」


 幌の中には荷物と、その持ち主であるらしい数名の人物が座っている。その中で、最後部に近い場所に腰を下ろしていた純白の髪と黒い翼を持った可憐な少女が、荷台からふわりと降り立った。そうして、懐から手のひらほどの金属の板を取り出し、門番の手に渡す。

 普通は木製の板である通行証だが、彼女は寿命の長い翼人であるから金属製、なのだろうか。


「確認する……いっ!?」

「……何でしょう。おかしなところでもありましたかしら?」


 金属板に刻まれている文字に目を通して、門番が顔を引きつらせた。対して少女は、にこにこと微笑みながら僅かに首を傾げるだけ。

 「どうした?」と慌ててやってきたもう一人の門番は、通行証に目を走らせた瞬間相棒と同じように硬直してしまっている。そんな門番たちに対し異色の少女は穏やかに微笑み、幌馬車に乗り合わせている人々は肩をすくめて苦笑しているだけだ。


「ご覧の通り、私は色を違えております。ですがそれ故に、通行証の身分に間違いはありませんでしょう?」

「は、はい!」


 笑顔のままでそう言葉を紡いだ少女に、あわあわとうろたえながらも門番は通行証を両手に持ち替えた。そうして、うやうやしく黒翼の少女の手に戻す。

 『エンシュリーズ・リリンセスカヤ』と記されたその通行証には、はっきりと名前の主が白髪黒翼である由も明記されていた。だから、今目の前で金属板を受け取った彼女がその当人であることに間違いはないだろう。


「よもや、リリンセスカヤ家のお嬢様がおいでになるとは……」

「父から頼まれまして、少々お仕事をしておりましたの。それが終わりましたので帰還の途上なのですが、ぜひともこちらの御領主にご挨拶をと思いまして」


 にこにこ、と愛らしい笑みを浮かべながらエンシュリーズは、門番の言葉に答えていく。領主への挨拶、という言葉に門番たちはぴしり、と背筋を伸ばした。


「は、はっ! で、でしたら領主様のお館までご案内いたしますが!」

「いえ。時間も時間ですし、何でしたら先触れをお願いいたしますわ。明日にでも、供を連れてご挨拶に伺います」

「しょ、承知いたしました!」


 彼女が口にした供というのが一緒に幌馬車に乗っている一行なのだろう、ということを門番たちは疑いもしなかった。

 普通の色を持つ翼人の青年はきっと側近なのだろうし、幌馬車の御者を務めている東方人の青年や幌の中にいる東方人の少女などは使用人に違いあるまい。使われている分際で主について降りないのは、もしかしたら彼女に何かあろうものならそこからでも戦に移行できるから、か。

 そう勝手に思い込んだ門番たちは、慌てて門へと戻っていく。そして、街へと続く門扉を全開にした。


「どうぞ、良い時をお過ごしくださいませ!」

「ありがとうございます……そういえば」


 深々と頭を下げた門番たちに、馬の側まで歩み寄ってきた少女は満面の笑みで応える。それから、ふと気になったように口元に指先を当てた。


「先ほど『また異色』とおっしゃっておられたようですが」

「は。昼過ぎ頃、異色の青年が東方人の女性とともにやってまいりましたので」

「まあ、そうでしたのね」


 エンシュリーズの質問にも、門番がすらすらと答えた。その答えを聞いて彼女はあくまでも穏やかな、可愛らしい笑顔を崩さない。


「お仕事、ご苦労さまですわ。今後もよろしくお願い致しますね」




「……あー、かったるい」


 馬車に再び乗り込み、門を過ぎてしばらくしたところでエンシュは、貼り付けていた笑みを剥ぎ取ってうんざりとした表情になった。がっくりと肩を落とす彼女の背中で、黒い翼も気のせいかしなだれているようだ。


「エンシュさん、あんな可愛らしいこともできたんですね」

「外見がこれだからな、ああいったやり口は案外役に立つ。疲れるが」


 彼女の向かいに座る形になっていた東方人、つまり上総弓姫が肩をすくめた。彼女の言葉に、とても疲れたという顔でエンシュが答えを返す。


「というか、家の名前なんて初めて聞きましたよ」


 幌馬車の前、御者として馬を操っている上総疾風が肩越しに幌の中を振り返ってきた。弓姫も兄の言葉に頷いて、軽く目を見開いている。


「噂にしか聞いたことないですけど、リリンセスカヤって建国時代からの大貴族ですよね」

「そういえば、お前たちの前では初めて言ったか。私はそこの長女だ」


 弓姫に尋ねられてそういえば、とエンシュリーズは自身について説明をする。十年ほどいたあの村で貴族の名字と地位はさほど意味のあるものではなく、故に彼女はそれを名乗ることもしなかった。


「長女ってーと、跡取り娘とかじゃないんですか?」

「さすがに、色違いに家の名を使うことは許しても、跡を取ることまでは周囲の目が許さなかったな。男には恵まれなかったものでな、普通の色の妹が婿を取って家を継ぐことになっている」

「大変ですね……」


 疾風の疑問には、吐き捨てるような言葉で答えるエンシュ。同じ異色の存在である誠哉よりも長い、長い時間を生きてきた彼女にとってはそれこそ、様々な事があったのだろう。

 それは誠哉の義妹である弓姫も同じだったのか、ふと別行動を取っている義兄の名を口にした。


「誠哉お兄ちゃん、大丈夫かなあ」

「弓姫はほんと、誠哉くんのことばっかり気にしているねえ。蒼真と一緒に、無事に街についてるみたいじゃないか」

「そうなんですけどお」


 エンシュのことについては口を挟まなかった翼人、セラスラウドが弓姫の言葉については苦笑して口を開いてくる。ぷう、と大人気なく頬をふくらませる彼女に、彼は言葉を続けた。


「アテル先生のことも、少しは心配してやってもいいんじゃないかな。向こうのほうが目をつけられる可能性だってあるんだから」

「だって。アテル先生にはカルマさんと、それにシェオルとラフェリナがついてるじゃないですか」

「それ言ったら、誠哉兄にも蒼真がついてるじゃねえか」

「それが心配なの!」

「ああ、良い年した男と女だからな」


 何やら一人で興奮しているらしい弓姫にセラスラウド、疾風、そしてエンシュリーズが次々にツッコミを入れる。この中で一番のんびりしている性格のセラスラウドは、のんびりと微笑んだ。


「まあ、あの二人でそういう仲になったなら、それはそれで」

「いや、あれじゃ無理でしょう。誠哉兄、すっげえ鈍いから」

「えー……まあ、そうかもねえ」


 さすがに義兄の性格は理解しているらしい疾風が、ぱしんと鞭を鳴らしながら隊長にまでツッコミを飛ばしてくる。一瞬だけ目を見張り、それからわかったとばかりに頷いた彼に、弓姫は思わず半泣きの声を上げた。


「んもう、疾風兄さんもセラスさんも! ……否定はしないけど!」


 結局のところ弓姫は、義理の兄が自分のいないところで何やらあるのがお気に召さないようである。

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