16. ひとまずの終わり

 広場に積み上げられたアンデッドたちの骸に、エンシュリーズが手を差し伸べる。


「散開、発火」


 短い詠唱とともに、骸の山には火が放たれた。つい数時間ほど前まで動き回っていたとは思えないような腐臭を放つ山は、じわじわと炎に包まれていく。湿り気を持つためにそうそう燃えやすくはない骸たちだが、少女の術はその湿り気を吹き飛ばして燃やすほどの力があった。


「これで終わりか?」

「ええ。村の周りも片付け終わってますんで」


 自らが生み出した炎を見つめながら尋ねたエンシュに、並んで立っている疾風はそちらに視線を向けずに頷いた。

 足元に置かれた袋の中には、かつて人であった頃の名残とも言える形見の品々が詰め込まれている。身元が判明すれば、家族や知人のところに送られることになるだろう。

 その隣に積み上げられた薪を、疾風が燃える炎の中に放り込む。腐り始めたものもある骸を、綺麗に焼き尽くし清めるための燃料として。


「結局、魔族の狙いは分からずじまいだったな」


 こぼれた薪を拾って火種を追加しながら、エンシュがぽつんと呟く。そこで初めて、疾風は彼女に目を向けた。自分を見ないまままっすぐに炎を見つめている少女の顔は、どこかふてくされた表情を浮かべている。


「言われてみれば。誠哉兄を魔族にしたかったらしいってだけ、ですもんねえ」

「ああ」


 炎の赤が、少女の純白の髪にほんの少しだけ色をつけた。燃えるものが追加されたことで、火の勢いが強くなったからだろう。煙ももうもうと上がり、二人はその行く手を何とはなしに見上げる。

 近しい人を魔族、つまりは敵とされなくてひとまずは良かったと疾風は息をつく。その横顔を一瞬だけ視界に収め、エンシュがボソリと言葉を落とした。


「しかし、何だな。耐えきってもらえてよかったぞ、疾風」

「ああ、まあねえ」

「殺さなくてよかった、という意味ではない」


 疾風の気のない返答に、訂正の意味でかエンシュの追撃が入る。え、と目を見張って自身に視線を向けた部下の顔をちらりと伺って、彼女は言葉を続けた。


「あれが魔族になったらおそらく、私たちでは太刀打ち出来ん」

「マジすか」

「マジだ」


 砕けた言葉での確認には、同じ言葉で頷いた。顔を引きつらせたままの疾風にエンシュは、小さくため息をつく。

 今更ながら彼には、銀髪の青年の義弟には、しっかりと言い聞かせておかなければならない。


「だから、もしそうなったら堕ち切る前に見極めて殺さんといかんのだ。覚悟しておけ」

「……へいへい」


 そんな彼女に対して疾風の態度は、どこかはっきりしないものであった。副隊長が口にした事実を、未だ現実としては認めたくないのだろう。

 それは、エンシュリーズも同じことなのだけれど。故に彼女は、その後に言葉を続ける。


「嫌なら、そうならないことを祈れ」

「誰にですかねえ」

「……魔族に、でないことは確かだな」


 ほんの少し間が空いたのは、エンシュが顎に手を当てて考える仕草をしたからだろうか。疾風はその言葉を待っていたかのように、足元の袋を拾い上げる。いろいろなものが入っているせいでそれは、ずしりと重い。


「親父の墓にでも、頼んどきます。最期まで、誠哉兄のこと心配してたから」

「高雄には、後で私も頼んでおこう。誠哉を預けた縁もあるしな」


 黒髪の青年と黒翼の少女は、お互いに顔を見合わせて頷いた。が、すぐに疾風の目が見開かれる。その反応にエンシュが、「どうした?」と軽く首を傾げた。実年齢を除けば、彼女にこれ程似合う仕草もないだろう。

 その少女に、疾風は言葉を投げかけた。


「親父に誠哉兄預けたの、あんただったんですか?」

「言ってなかったか?」

「聞いてませんよ。あんたからも、親父からも」

「そうか」


 疾風が驚いた理由を本人の口から聞いて、たった今の彼と同じ表情を浮かべながらエンシュリーズは「昔のことだからなあ」と軽く髪を掻いた。

 外見とは逆に、エンシュリーズは疾風よりも長い時を生きている。彼女が銀髪の赤子をかの村に届けたのは、青年が生まれるより十年も前のことだ。

 そこから三十年。赤子を預けた男は妻とともに墓の下に移住し、その夫妻の実子として生まれた息子と娘は適齢期など何のそので再会した義兄の世話を焼いている。その時間は白髪の少女にしてみればあまり長くはないのだが、黒髪の青年にとってはとても長い時間だ。何しろ、自身が生まれる前に遡るのだから。

 そうして成長した息子は、少女に向けて笑顔を見せた。


「親父に誠哉兄を預けてくれて、感謝してます。そうでなきゃ、俺たちの兄貴じゃなかったから」

「正直、私も感謝しているんだ。良い男に育ててもらえたからな」

「それ、親父の生前に言っといてほしかったですね」

「さすがに、誠哉がどう育っているかまでは知らなかったぞ」


 肩をすくめてエンシュは、小さくなってきた炎に火種を追加した。その頬が僅かに赤く染まっているのは、炎の色が映っているためではないだろう。

 銀髪の青年がどんな人間に育つかなど、さすがにその子を預けた長命の翼人にも予測はできない。それは、親となった高雄の努力の結果だ。

 長く、そしておかしな展開になってはしまったが自身の決断が間違っていなかったことを知って、エンシュリーズは小さく息を吐いた。




「痛っ」

「このくらいは平気でしょう?」


 蒼真によって医務室に担ぎ込まれた誠哉は、おとなしくアテルナルの治療を受けている。といっても、ほとんど負傷していないわけだからせいぜい、消毒液や湿布の洗礼を受けているだけのことなのだが。

 なお蒼真だが、傷の治療ということで誠哉が服を脱ぎ始めた途端医務室を飛び出していった。一応、「後片付けを手伝ってきますっ!」と言い置いてはいたのだが妙に慌てふためいており、誠哉は不思議そうに首をひねっていた。

 そこに消毒液の一撃を食らったための、痛いという一言だった。


「とは言っても、戦をしてた割には綺麗な身体なんですよね。そんなに大きな古傷も見当たらないし」

「まあ、うまいこと避けてましたから」


 まじまじと誠哉の身体を見つめながら、アテルは小さくため息をつく。

 高雄が片腕を失ってからはほぼ一人で村の安全を守っていた誠哉だったが、彼女の言うとおり確かにその肉体に傷は少なかった。僅かに切り裂かれたような痕はいくつか見受けられるが、それもさほど気になるものではない。


「それだけ強い、ってことなのね。さすがは疾風くんのお兄さんてところかしら」

「あ、はあ、まあ」


 だが、その身体を無造作にぺたぺたと触るアテルナルの手に誠哉は、少しだけ頬を赤く染めた。色恋沙汰には疎い青年であっても、医師とは言え女性に身体を触られるのは恥ずかしいのかもしれない。

 が。


「今更顔を赤くしない。私が初めて見たあなた、何も着てなかったんですからね」


 平然とそう言ってのけるアテルに、今度こそ誠哉は耳まで赤くなった。慌てて片手で顔を隠す程度の羞恥心は、彼なりに持ち合わせていたらしい。


「うわ、本当ですか」

「ええ。いいもの見せていただきました」

「いや、いいものって……」

「こういう村だと若いお兄さん、少ないですからねえ」


 耳どころか首筋まで染めながらあたふたする誠哉に対し、アテルナルは笑みを浮かべたままで湿布を手に取る。今更、男の裸を見たところでパニックに陥るようなか弱い神経は持ち合わせていないのが、彼女だ。


「おまけに皆さんお元気ですから、なかなか見られるものでもなくて」

「わっ、あの、痛いですっ」


 にこにこと無邪気な笑顔を見せながら医師は、打ち身でできたあざの上に湿布をぺたりと貼り付けた。頭を抱え込もうとして誠哉は、その冷たさに身体をビクリと震わせてしまう。更に湿布の上から軽く叩かれて、目に涙を浮かべた。


「……何やってんですか、先生。犬猫見てほしいんですけど」

「カルマ、下ろして……」

「あ、誠哉ダー」


 そんな二人の様子を、シェオルとラフェリナを両脇に抱えてやってきたカルマが呆れ顔で見ているのに本人たちが気づくのは、ほんの少し後の話である。




 そうして、軽い傷故に皆が早く癒えた頃。

 誠哉は上総の兄妹とともに、隊長室に呼び出された。相変わらずのほほんと笑っているセラスラウドの横で、これも相変わらずエンシュリーズが呆れたような顔をして待っていた。

 「揃ったぞ」「うん」という短いやり取りの後でセラスラウドは、ぱたりと背中の翼をはためかせる。


「ニックの件について、報告書は本部の方に出しておいたよ。多分、これでここでの僕たちの任務は終わりだ」

「はい」


 そういえば、と思いながら疾風と弓姫は頷いた。誠哉も同じように、首を縦に振る。セラスラウドたちがこの辺境にやってきた理由が誠哉とニックにあることは、さすがに理解できているから。


「で、この後なんだけどね」


 そこで言葉を切り、セラスラウドはくるりと三人を見渡した。彼らの視線が自分に向いているのを確認してか、言葉を続ける。


「今後、僕たちには新しい任務があてがわれるはずなんだけど。それで多分、ここから出て行かなくちゃならないと思うんだ」

「え」

「我々の部隊はな、そういう面倒事を押し付けられる部隊なんだよ。ここに十年ばかりとどまっていたのは、あのニックとかいう腐れ魔族がろくに尻尾を出さなかったせいだが」


 目を見張ったのは誠哉だけで、疾風と弓姫は無言のまま小さく頷いた。のんびりとした言葉を切った隊長の代わりに、エンシュが説明をしてみせる。

 酷く気の長い話ではあるが、頂点に立つ二人が翼人であることを考えればそれは特に問題ではないのだろう。魔族という存在は、それだけ人々にとっては危険な存在なのだから。


「それで、君たち三人を呼んだのはそのことで、でね」


 咳払いをひとつして、隊長が再び口を開く。一度三人の顔を見渡してから、目を細めた。


「誠哉くん、疾風、弓姫。君たちは、そこの村の出身者だ。僕の部下ではあるけれど、村を離れることになった場合一緒に来るかどうかは、君たちの意志に任せたい」


 つまり、彼らがここに呼ばれた理由。

 セラスラウドの部下として、村を離れるか。

 生まれ育った村に、そのまま残るか。

 それを、隊長は彼らの意志に任せることにしたのだ。

 そうして、隊長の言葉に最初に反応したのは誠哉だった。しかし、それは意思表示ではなく。


「……僕、いいんですか?」

「何が?」

「いや、だって」

「誠哉」


 少し困ったようにうつむきかけた誠哉に、はあと大きくため息をついたエンシュリーズが口添えをしてやる。


「セラスラウドの性格は、既に把握しているはずだな。はっきり言わんと分からんぞ、こいつは」

「……はい」


 エンシュに促されるように頷いて、誠哉は言葉を紡ぐ。それは自身のことではなく、村のことについてだった。


「守備隊が村を離れた後、村の守りはどうなりますか」

「そこは心配しなくていいよ。この辺も魔族が潜んでたわけで、カワノ村のこともあるし物騒だからね。新しい部隊が派遣されて来るはずだ。ま、僕らの後始末とも言うけど」

「そうですか」


 苦笑交じりのセラスラウドの説明を聞いて、誠哉は少しだけ考えるような表情になる。ただ、すぐに心は決まったらしく彼は、すっと顔を上げた。


「僕は、連れて行ってもらっていいですか」

「誠哉兄?」

「お兄ちゃん……」


 義弟は一瞬だけ目を見張り、義妹は気遣うような目になる。そうして、そっと誠哉に尋ねた。


「……やっぱり、村には居づらい?」

「うん……まあ、さすがにね」

「楮があんなこと抜かすからだ」


 苦笑を浮かべながら頷いた誠哉の寂しそうな横顔に、疾風が眉をひそめながら吐き捨てる。

 自分や婚約者をすくってもらったにもかかわらず化け物、と叫んで逃げ出した幼馴染の青年の顔を思い出しかけて疾風は、ぶるりと頭を振るった。尊敬する義兄を化け物と呼んだ男の顔なぞ、思い出したくもないらしい。


「たかが色が違う程度で文句をつける方もつける方、なのだがな」


 その疾風に同調するようにふん、と鼻息も荒くエンシュリーズが胸を張った。

 腰に手を当てた少女の外見を持つ彼女も、『たかが色が違う程度』で苦労してきたのではないだろうか。少なくとも、守備隊の外に広がるこの世界は彼女や誠哉に優しい世界ではない。

 それでも、守備隊の仲間たちは色の違う天祢誠哉やエンシュリーズを仲間として受け入れている。ならば、それに応えるべきではないだろうか……というのが恐らくは、誠哉の決意につながるのだろう。


「疾風と弓姫は」

「誠哉兄が行くなら、俺も一緒に行きますよ。監視役、終わったわけじゃないんでしょう?」

「お兄ちゃんと兄さんの面倒は、私が見ないとだし」


 セラスラウドの問いを途中で遮るようにまず疾風が、続いて弓姫が苦々しい笑みを浮かべながら答えた。

 彼ら兄妹も守備隊に入ってからはこちらの宿舎に住んでおり、村の住民たちとはあまり付き合いがなくなっている。それは行方不明になった誠哉を探すためであり、目的を達成した今は義理の兄と一緒にいたいのだろう。


「よし、それなら決まりだね」


 そういった義理の兄弟たちの思惑を、セラスラウドは朗らかな笑顔でまとめて包み込んだ。

 理由や事情はどうあれ、自らの部下が減らないのは彼としても助かるだろう。それに『色が違う』だけで阻害される村に置いていくよりは自らの手元にいたほうが、気分も悪くない。


「じゃあ、これからもよろしく頼んだよ」


 故に、彼が掛けるべき言葉はこれしかなかった。

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