15. 後始末は気が重い
がくがくと震えながら、それでもニックは必死に口を動かした。最後の最後までこの少年は、何かを言わなければ気がすまないらしい。
「……お、まえ、きっと、こうかい」
「お前に言われる筋合いはないよ。後悔するもしないも、それは僕自身だからね」
感情の映らない顔でそう誠哉に吐き捨てられ、こわばった顔で魔族の少年は身体をぐらりと傾けた。そのまま、誠哉にもたれるようにずるずると倒れ込む。
そうして最終的には、僅かに後ずさった誠哉の足元にぐちゃり、と力なくうつ伏せに崩れ落ちた。黒っぽい血が、土にじわじわとしみ込みながら広がっていく。
「……」
もう自力では動かないことを確認したかのように、誠哉はほうと息を吐いた。ふと見下ろした手のひらに光の剣はなく、空いてしまった手に落とした剣を拾い上げる。
そうして、ふっと背後を振り返った。そこには、ニックが死んだ影響なのかぐったりと失神している更科を抱えた楮がいて。
「楮」
「っ!」
自分の名を呼ばれて、楮はびくりと身体を震わせた。誠哉に合わせられた目が一瞬見開かれ、そうしてあっという間に怯えの色に染まる。腕の中の更科を抱きしめながら、引きつった声で叫んだ。
「よ、寄るな!」
「……あ」
その声に、誠哉の動きがふと止まった。ふと自分の姿を見下ろすと、魔族の血がべったりと顔や腕、そして服についているのが分かる。黒ずんだ血にまみれた姿は、確かに恐ろしいものだろう。もっとも、十年前以前に魔獣と戦う機会も多かった誠哉にとっては、わりと当たり前の姿なのだけれど。
それでも、怖いものは怖いだろう。疾風や弓姫は幼い頃からずっと平気だったから、忘れかけていたのかもしれないが。
だが。
「ばばばバケモノおっ!」
泣きそうな顔になりながら、必死に更科を抱きしめて後ずさりながら楮が叫んだ言葉は、誠哉の耳に痛かった。幼い頃から時折耳にした言葉ではあるけれど慣れてはいたし、その頃は義父や幼い義弟が反撃してくれたから。
そして今も、誠哉自身が何かを言う前に声を上げたのは、すぐそばにいて素早く義兄と楮の間に立った疾風だった。
「楮、てめえ! 助けられてその言い草はねえだろうがっ!」
「うるせえ! どう見たって、バケモノじゃねえかあ!」
「抜かせこの野郎っ」
だが、疾風に対しても楮は怒鳴り声を上げた。そうしてそのまま、森の木をかき分けるように必死に逃げ去っていく。更科を忘れなかったことだけは、評価してもいいだろうか。
その楮を追いかけようと動いた疾風の足を、誠哉が呼ぶ声が止めた。
「疾風!」
「何、誠哉兄っ」
本当ならば、勢いに任せて義兄を怒鳴りつけていたかもしれない。だが疾風は、誠哉がとても困ったように微笑んでいるのを見て、その勢いをそがれてしまったようだ。
そうして誠哉が、その表情のままの口調で言葉を紡いだせいで、余計に。
「いいよ。慣れてるから」
「慣れてる、って」
「昔から、よく言われてたし。疾風は知ってるだろ」
「……」
知っているし、反論しないからこそ自分や弓姫が反撃しているのに。そう言い返そうとして、恐らく無駄だろうと思い直して疾風は口を閉じる。
正直、義兄がなぜそんなことを言われて怒らないのか疾風には分からない。だが、本人がもういいというのであれば……疾風がこれ以上怒っても、事態がややこしくなるということだけは分かる。それに、怒る相手はさっさと逃げ出してしまってこの場にはいない。
それに、もう少し面倒くさくなりそうな原因が自分を睨みつけていた。
「疾風兄さん、もう良いでしょ。誠哉お兄ちゃんがいいって言ってるんだし」
「……わあったよ」
楮の勢いに飲まれてかそこまでは無言だったものの、誠哉のそばに歩み寄ってきていた弓姫が口を挟む。
疾風にとっては正直、むすっと不機嫌そうな顔のまま義兄にしがみつくように抱きついた実の妹の視線が少々怖い。女性の多いこの部隊では、妹以外にもいろいろ睨まれた経験があるようで、だから疾風は諦めた。
「……あのさ、弓姫?」
一方。
家族と一部の知人以外から睨まれたり蔑まれたりしていたものの、その家族……特に義弟と義妹にはよく甘えられていた誠哉。彼は、自分にしがみついてきた義妹にも困った顔のまま答える。大きくなったとはいえ、まだ彼の中では十年前の幼い弓姫のイメージがダブるのだろうか。
それに、弓姫の言葉遣いもそれなりに、十年前とよく似ていたからか。
「……お兄ちゃん、ごめんね。楮さん、ちゃんと止めればよかった」
「いいよ。それより弓姫、汚れるから」
「汚れたら、後で洗えばいいもの。ちゃんと、自分で洗うから」
「……うん」
誠哉がいなくなる直前、幼い弓姫とかわした会話。それとよく似た、けれど十年経った少し違う言葉のやり取りで、誠哉はほっと笑みを浮かべた。寂しそうなものではなく、穏やかな。
疾風も、弓姫のその言葉に乗ることにした。具体的には肩をすくめて、呆れ顔のまま腰に手を当てたのだ。
「やれやれ。弓姫、言ったからには自分で洗うんだぞ」
「む。分かってますー」
実兄の呆れがちの視線に、弓姫は誠哉から少しだけ離れるとあかんべえと舌を出してみせた。そこでやっと、呆れ顔で義兄妹たちを見ていたシェオルとエンシュリーズが口を開く。
「弓姫はいいけど、エンシュ。楮の言動、村長に文句言っておいたほうがいいと思う」
「同感だ、早速隊長経由でがっつり抗議しておこう。人の仲間を何だと思ってるんだ、ったく」
ムスッとした顔のまま告げたシェオルに頷いて、エンシュは低い声で呟いた。それから、誠哉に視線を固定して少し声量を上げる。
「誠哉。お前も、嫌なら嫌と言えばいい」
「疾風にも言いましたけど、慣れてるので」
義弟に言うのと変わらない口調でそう答えた誠哉に、エンシュの眉間に深いシワが刻まれる。純白の長い髪を無造作にがりがりと掻き回してから、ため息混じりに言葉を返した。ばさ、と漆黒の翼をいらつくようにはためかせながら。
「あんな言われように慣れるな。自分で気づいてはいないだろうが、そのうち爆発するぞ」
「……はあ」
「エンシュさん。お兄ちゃん、そう簡単に爆発しないと思います」
「気を付けておいたほうが良い、ということだ。ところで、いつまで張り付いているつもりだ?」
「え、わあ」
黒翼の少女から指摘を受けるまで、弓姫は相変わらず誠哉の胴に腕を回している事を失念していたらしい。慌てて一歩跳び下がる様子に、エンシュと疾風はほぼ同時に肩をすくめて呆れ顔をした。
なお、シェオルはというと既に彼らに対する興味を失ったようで、そこらに転がっている遺体を引きずって集め始めている。この辺りは猫獣人の性分なので、特に咎める者はいない。
「あれ?」
アンデッドたちを引き裂き、噛み砕き続けていたラフェリナが、軽く目を見開いた。
それまで自分に向けてのろのろと動いてきていたアンデッドが、操り人形の糸が切れたかのように膝から崩れ落ち、そのままバタバタと倒れていく。
これはつまり、骸に術をかけアンデッドにした張本人の力が消えたということだ。ほぼ間違いなく、誠哉を狙ってきたであろう魔族。
「わあ。倒しちゃったんだ、魔族」
感心したように言葉を吐きながら、目の前の一体をひとまず蹴り飛ばす。ぱたんと尾をひとつ振ってからラフェリナは、改めてその一体を拾い上げた。そのままずるずると、街道の横の空き地に引きずっていく。
まだ十数体、目の前に転がっている。犬娘によって結界に叩きつけた数も多かったが、それ以上に牙と爪はアンデッドを壊していたようだ。
「急いで片付けしないとネ。におい厳しいし」
別の身体を両手で担ぎ上げながら、ラフェリナはうんと頷く。一瞬だけ顔をしかめたのは、恐らく腐臭が漂い始めているからだろう。シェオルもそうなのだが、ただでさえ敏感な少女の鼻にこれだけのアンデッドが発する臭いはそうでなくとも厳しい。
それと、その前に。
「あおおーーーーん!」
空に向けて放たれた遠吠えが、戦の終わりを仲間たちに教えていた。それと、家の中でびくびく怯えていた村人たちにも。
「あら、やっぱり」
その合図が村周辺に響いてから少しして、木々をかき分けるようにして蒼真が誠哉たちの元へやってきた。きょろきょろと周囲を見渡す彼女の姿は普段通りで、モールを持たぬまま爪を閃かせていたとはとても思えないだろう。
既にモールは彼女の手にぶら下がっているし、それも含めて全身からアンデッドの残滓は綺麗に拭い去られている。そうでなくとも、彼女の戦い方は重いモールを振り回して敵を叩き潰すものだ。少なくとも、実際を見ていない彼らにとっては。
そんな蒼真が目を留めたのは、誠哉の足元。そこに倒れている、魔族の少年だった。
「倒しちゃったんですねえ、魔族」
「何とか。……アンデッド、相手だったんですか」
「ええ、まあ。あ、村の方はカルマとラフェリナが村人に手伝ってもらって、片付けに入ってます。自分の分は道端にまとめときました」
「そうか。カルマがいるなら大丈夫だろう、よくやった」
「はい」
苦笑を浮かべつつ誠哉と会話を交わし、ついでとばかりにエンシュリーズに報告を済ませる。彼女自身も戦場をひとまず片付けた後で、さっさとこちらにやってきたらしい。
それから彼の足元に転がっている魔族の骸をもう一度だけ確認してから蒼真は、目を細めた。
「……生きてる間に殴りたかったのに」
「え」
「こちらの話です」
首を傾げた誠哉の視線に、慌てて蒼真は顔をあさっての方向へ逸らした。だがすぐに、その視線は元に戻される。今度の視線は、どうやら誠哉の腹に向けられているようだ。つまりは、ニックにつけられた傷に。
「それより、その傷大丈夫ですか?」
「え? ああ、ちょっと食らっちゃってね」
「ちょっとじゃありません」
苦笑する誠哉の反応に、蒼真は口調こそさほど強くはならなかったものの少し慌てたようだ。誠哉の身体にはニックの血もかかっていて、何か病でも伝染ったりしたら大変だなどと思っているのかもしれない。
「今すぐアテル先生に診ていただかないと。お連れします」
「いや、いいよ自分で歩けるから」
「駄目です。失礼します」
ぱたぱた両手を振って遠慮の態度を見せる誠哉には構わず、蒼真は彼の胴に腕を回す。そのままひょい、と肩の上に担ぎ上げた。
「わあ!」
「ちょ、蒼真さんっ」
「私が運んだほうが早いので。と言いますか、私のモールより軽いですし」
「僕、それより軽いの!?」
「蒼真のモールの話は置いておくが。誠哉の方は確かに、放っておくと後回しになりそうだ」
女性の肩の上で半泣きの顔を見せる誠哉を横目に、エンシュリーズは蒼真の言葉に頷いてみせた。それから、その横で自分を睨みつける弓姫に小さくため息をつく。
「こちらの後始末は任せておけ。蒼真、弓姫、誠哉を頼んだぞ」
「了解です!」
「わ、分かりましたあ!」
「えええええ」
「おとなしくしてください。落ちたらどうするんですか」
慌ててもがきかけた誠哉だったが、蒼真の一言にぴたりと動きが止まる。その隙にとばかりに「ではお先に失礼します」とだけ言い残し、蒼真はすたすたと歩み去っていった。
「ま、待ってえ!」と急いで追いかける弓姫の姿を見送って、疾風は小さくため息をついた。
「俺はこっちかよ……」
「蒼真をあちらにやったからな。力仕事担当が必要だ。ブラコンは後で発揮しろ」
「へえへえ、了解ですー……って、俺ブラコンですか」
「妹と揃ってな。自覚はしておいたほうがいいぞ?」
さり気なくエンシュの台詞に含まれていた言葉に、疾風がキョトンと目を見張る。恐らく、他人に言われるまで自覚はなかったのだろう。
「……マジか」
思わずぽつり、と一言だけ漏らした後、軽く頭を振って目の前の作業に取り掛かろうとする。そこで転がっている魔族の屍をまじまじと見やり、それからエンシュに視線を戻した。
「これ、どうすんですか」
「髪の毛と血、辺りをサンプルとして取っておけ。都に送れば、父上のところで解析するだろうさ」
「了解。残りは」
「私が焼く。魔族の骸など、残しておいてアンデッドにでもされたらコトだ」
「ですよねえ。任せます」
エンシュの言葉に頷いて、疾風は無造作にニックの髪を引きちぎる。適当な布に血を吸わせながらふと、ボソリと呟いた。
「てめえ、結局何で誠哉兄狙いやがった。クソッタレが」
「聞こえているぞ。まあ、私やセラスラウドもその辺は気になるが」
「でしょ」
お互い、顔も見ないままに言葉をかわす。倒れた骸をまとめているシェオルに視線を向けてから疾風は、ニックの襟首を掴み上げた。そのまま、ずるずるとそちらに引きずっていく。乱暴に見えるのは、この屍に対して彼が良い感情など一つも持っていないからだろう。
「何にせよ、ひとまず決着はついた。それだけは、確かだな」
一度燃えかけた火種を握りしめて消し、黒翼の少女はそう吐き捨てた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます