13. 守りの牙と守りの光
村に続く入り口へと、何も話さない静かな一団が向かっている。ひと目には人と見える十数名の全てが、良く見れば既に生命を失っている骸の群れだ。ただ、外見が未だ生きている時の姿を保っているために、遠目からはアンデッドであることが分からないだろう。
入り口に待ち構えているラフェリナのように嗅覚が鋭いならば、その限りではないのだが。
「アンデッド、やだなあ。美味しくないし匂いひどいシ!」
彼女は既に大地に手を着き、尾の毛を逆立てて戦闘態勢を取っている。のそのそと歩み寄ってくるアンデッドたちとの距離を、見計らっているのだろう。
「でも、お仕事だもん……ねッ!」
自分の言葉を合図にして地面を蹴り、ラフェリナはアンデッドの只中に飛び込んでいった。爪で一体の首を引き裂き、噛み付いて別の一体の首を折る。更に足を伸ばして蹴り飛ばし、数体のアンデッドを巻き込むように転倒させた。
着地した次の瞬間、彼女はぺっと口の中のものを吐き出した。先ほど自分で美味しくない、と言っていたアンデッドの肉片である。噛み付いた時にちぎれてしまい、口内に残ったらしい。
「ホント、マズイ。お前たちはここで、ラフェリナが止めるネ」
ぱたん、とふくらんだままの尻尾を一度振り、進む方角を村から自分に変更したアンデッドを睨みつけながらラフェリナは、白い牙をむき出しにした。
別の入口の前で、蒼真がやはりアンデッドの集団を相手にしていた。彼女が細腕で振り回すモールが、次々に屍の頭部を叩き潰していく。
その重量と速度、そして勢いが、ラフェリナよりも早いテンポでアンデッドを動かぬ屍と化していった。ただし、こちらのほうがそもそもアンデッドの数自体が多いようなのだが。
「まあ、こんなことだろうとは思ってたけれど」
ぶん、と風を切る音に重なるように蒼真は呟く。アンデッドの頭を無造作にぐしゃぐしゃと潰しながら、彼女は薄い笑みを浮かべた。
「村には入れませんよ。全て潰して差し上げますから、お覚悟を」
その声を聞くこともなく、もうひとつ頭がぐしゃりと潰された。器用にふわりと避けた蒼真のすぐそばを、腐った肉片が落ちていく。もっとも、さすがにいま目の前にいるアンデッドを全て避けることは不可能だろうけれど。
屍の軍団が村を目指してやってくる、その同じ頃。
「アンデッド来てますよ。家に入っておとなしくしててください」
「は、はい!」
「こら、早く帰るよ!」
村の中を大股で、カルマが歩いている。村人たちに警戒の声をかけ、反応が遅い者の頭を軽くロッドで小突きながら。
あるいは大慌てで、あるいは我が子を促しながら自宅に戻る村人を確認しながらカルマは、なおも声を上げ続ける。その中、早足で自分の方に歩み寄ってくる村長の姿を認めて軽く挨拶をするように片手を上げた。
「アンデッド来てますよー……やあ、村長殿。ちょうど良かった」
「カルマ殿? アンデッドというのは」
「ええ、本当です」
半信半疑の表情を顔に浮かべている村長に対し、カルマは平然と頷いてみせる。それから、周囲……逃げ惑う住民たちではなくその外側、村の外周に目を向けるようにして言葉を続けた。
「村囲まれてますね。入り口にはうちの連中が張ってますんで、大丈夫だと思いますが」
「ひっ」
カルマリオの態度は、村の入口でアンデッドを屠り続けているラフェリナや蒼真を信頼しきっているからなのだろう。だが、それを知らない村長には『村の外にアンデッドが迫っている』という事実が恐怖を与えている。
とはいえ、今の彼らには怪物たちを守備隊に任せて隠れる、という方法しか取れない。それを認識させるためにカルマは、村民の消息を確認する。
「家族引っ張って家に閉じこもっててください。外に出てる者はいますか」
「狩りや仕入れは終わってる、と思うが……た、確か楮が、守備隊の方に」
楮という名を聞いて、一瞬だけカルマは考えるような表情になった。聞いた話では確か、誠哉を連れて宿舎の側の森にいるはずだったか。
とはいえ、『守備隊の方に』いることが分かっているなら、安心だ。そう思い込ませるために祈祷師は言葉を続けた。
「守備隊の方に行ってるなら大丈夫でしょう。他にはいませんね」
「あ、ああ」
こくこくと何度も頷いた村長を、「早くお戻りください。あとは我々に任せて」というカルマの言葉がその場から逃げ出させた。
慌てて走り去っていく村長の背中を見送りながらカルマは、手に持ったロッドをくるりと回転させる。まだ帰り損ねている連中もいるが、もたもたしてはいられない。
「さて一応、俺はこれが本職だからな」
適当な地面に、肩幅に足を開いて立つ。ゆっくりと目を閉じ、ロッドを構えて念じる。そのうち、祈りの言葉が彼の口をついて出た。
「天に祈りを、生きとし生ける者に守りの盾を。我が祈り聞き届け給え、生者を守りし神よ」
どん、と腹の底に響くような低音が鳴った瞬間、村を包む空気が変化した。外から見れば、村全体をドーム状に包む半透明の光を目にすることができただろう。
そうしてラフェリナや蒼真が戦っている場所では、ほんの数体ばかりその光に触れたアンデッドがじゅう、じゅうと蒸発していくさまも。
カルマリオが展開したのは、一時的にではあるが村を魔物から隔離するための強力な結界だった。
「え?」
誠哉をいたぶり続けている楮の姿をのんびりと見物していたニックは、ふっと顔を上げた。カルマが展開した結界による空気の変化は、この森の中にまで僅かに届いていたようである。
その変化の意味を、魔族の少年は一瞬で理解した。だが、感情を顔に出すことはない。
何しろ、今自分は優勢にあるのだ。うろたえなどでもすれば、今傷めつけられている銀髪の青年に逆転を許すことになるかもしれない。
よってニックは、僅かに顔をしかめるだけにとどめた。
「ああ、もー。そういえば祈祷師いたんだっけ、ちぇっ」
「ふしゃあああああっ!」
「わっ!」
ただ、その一瞬の隙をついて長いものを抱えたままのシェオルが接近していた事に気づいた時には、ほんの少しうろたえたようだが。
すんでのところで猫の爪をかわし、後ずさりしたニックに代わってその腕から離れた更科が前に出る。とろんとした表情のままで彼女は、無造作にシェオルに掴みかかった。だがその動きは、そよ風に吹かれた枝のようにゆっくりとしたものでしかない。
「やあだあ……ご主人様の邪魔しちゃ駄目よう、猫ちゃん」
「うるさい寝てろ」
「がっ」
言葉を最後まで聞いていたのが不思議なくらい、露骨に不満気な顔をしてシェオルは、膝蹴りを更科の腹に入れる。吐く息に紛れるような小さな声を上げて、そのまま更科は昏倒した。猫娘の肩に、もたれるように。
「え?」
「誠哉兄! こら離れろ楮!」
「は、疾風!?」
くたりと倒れた彼女の姿に楮は、誠哉から一瞬だけ視線を外した。そこを逃さず、森の木々の間に身を隠していた疾風が飛び出して、楮を無理やり引き剥がす。そうして、肩で息をしている義兄を背中にかばった。
「悪い、さすがに手が出せなかった」
「分かってる。ありがとう、疾風」
肩越しに自分を見返してくる疾風の謝罪に、誠哉は小さく首を振って答えた。それを確認して疾風は、短剣を構えたままでニックを睨みつける。ふん、と小さく鼻を鳴らして。
一方、誠哉から引き剥がされて放り出された楮は慌てて起き上がった。更科には目もくれず、疾風に向かって大声を上げる
「疾風! てめえ何しやがる!」
「そりゃこっちの台詞だ、楮! 誠哉兄が手え出さないのいいことに、何してんだてめえはっ!」
「だ、だって更科がっ」
「あんたの嫁はここ。重いから持って」
反論をぶつけてきた疾風に向けて、楮が言い訳をしようとする。その彼に、シェオルは気絶したままの更科を押し付けた。慌てて婚約者を抱え込む楮にはもう目もくれず、猫娘は抱えていたものをぽいと誠哉に投げ渡す。
「武器、持ってきた」
「あ、ありがとう」
「いつも持ち歩かないのが悪い」
当然のようにそれ、剣を受け取った誠哉に対し、シェオルは小さく頬をふくらませる。単純に、その程度の危険管理は自分でしておけという意味合いだろうか。
誠哉は剣を抜き、油断なく構える。義弟にかばわれている格好ではあるが、ここでおとなしくしているわけにはいかない。何しろ目の前でつまらなそうな顔をしている魔族は、自分を十年眠らせていた張本人なのだから。
「つまんないのー。猫のおかげでお姉さん持ってかれちゃったし」
「更科、更科あ……」
その張本人、ニックはもう、駒として使っていた楮や更科には興味が無いようだった。誠哉と疾風、それにシェオルをまっすぐに見つめている。
と、その真っ黒な目が薄く細められた。
「ま、いっか。誠哉お兄さんだけでも持って帰ろうか」
「んだと?」
「頑張って素材かき集めたからね。ほーら、遊び相手だよ」
疾風の苦々しい声を聞き流し、少年が手を振った。途端、森のあちこちからもそもそとアンデッドが姿を見せる。少し距離をおいて配置されていたのか、疾風にもその存在は気づかれていなかったようだ。
「アンデッド? おいシェオル」
「私でも、分からないこともあるよ」
「うん、ちょっと頑張って分かりにくいのを作ってみたんだ。頑張って遊んでよね」
短剣を構えながら吠える疾風に対し、シェオルは相変わらず淡白な反応を返しながら身を低くかがめた。が、ふと目を見開いて、動きを止める。
ばさばさと、翼が羽ばたく音がした。一瞬だけ間を置いて、凛とした声が響く。
「散開、防壁っ!」
「はあっ!」
詠唱と同時に、誠哉たちとそして楮たちの周りに光の壁が出現する。のろのろと歩み寄っていたアンデッドたちがそこに触れ、ぼろぼろと崩れていった。カルマが展開した結界と、よく似たものであるらしい。
そうしてその壁の前に、弓姫が飛び蹴りのポーズのままで何とか着地した。アンデッドを壁の前から追い払うためか、蹴りを入れたらしい。事実、一体が首を折られてその場に崩れ落ちている。
「誠哉、無事か」
「お兄ちゃんっ!」
黒い翼の少女が、弓姫を追いかけるようにふわりと舞い降りた。両手にはまだ、魔力の光が宿ったままである。弓姫の方はいつも携えている小型の弓を取り出し、ニックに向けて構えた。
「エンシュさん、弓姫も。ええ、まだ大丈夫、です」
「楮と更科も、何とかなったぜ」
少女二人に呼びかけられて、ほんの少し笑いながら誠哉が頷く。その横で疾風が、軽く顎を動かしてその二人の視線を誘導した。それでエンシュリーズは、二人の一般人がいる意味と状況を理解する。
「やあ、早かったね。『まくろのこ』」
「黙れ、腐れ魔族が。やることまでど外道のようだな、貴様は」
相変わらず蔑称で呼びかけてくるニックに対し、無表情を装い冷たい口調で返すエンシュ。彼女の反応にニックは無邪気、としか見えない笑顔を見せて、身を翻しかけた。
「じゃ、僕はこの辺で失礼するよ……っ」
とんと軽くはねた少年の身体が、見えない壁にぶつかって跳ね返ってきた。慌ててバランスを立て直したことで転ぶのは避けられたようだが、さすがに焦りを隠せない表情でエンシュたちの方を振り返る。
「何を……っ!」
「逃げられると思ったのか? ここは村の結界の中だ。村を囲んでいるアンデッドは中には入れないし、お前は出られない」
黒い翼が羽ばたいて、一度風を作った。真紅の両目で魔族を見据えながら、エンシュはにいと笑みを浮かべる。どちらが邪悪かわからないような、そんな笑みを。
「誠哉。ここで十年前の決着をつけるぞ」
「はい、もちろん」
魔族に対する表情から一転、朗らかに笑う少女に頷いて、銀髪の剣士は地面を蹴った。
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