12. 無邪気にして邪悪な笑顔

 村長たちの襲来をどうにかかわしてふう、とため息をついたセラスラウドだったが、いきなり転がり込んできた弓姫の姿に目を丸くした。続いてシェオルまで飛び込んできたのだから、余計に。


「隊長! 済みませんっ」

「にゃっ!」

「弓姫? シェオルも」

「誠哉お兄ちゃん、窓から出てっちゃいました!」

「は?」


 窓から出て行った。その台詞に、セラスとアテルは一瞬だけ顔を見合わせた。だが、その行動の意味はすぐに理解しただろう。

 誠哉は、誰にも知られたくないからそうしたのだ。そしてそこには、恐らくは別の人物が介在している。

 その推測を、シェオルは自分が見たことを証言することで彼らに確定させた。


「楮と一緒に行った。疾風が後追ってる」

「……楮って、雑貨屋さんの若旦那だよね」

「カワノ村の娘さんが婚約者として来てますよ」

「カワノ村、か」


 セラスラウドの確認に、アテルナルは頷いてから補足を加える。その村の名を聞いて、金の髪の青年は形の良い顎に手を当てた。僅かな時間考え込んだ後、猫娘に視線を向ける。


「シェオル。匂い、追えるかい?」

「大丈夫」

「分かった」


 シェオルが頷いたのを確認して、セラスはアテルに視線を戻した。その表情は既に、厳格な司令官のものとなっている。二人を見比べながら、それぞれに命令を下した。


「アテル先生、エンシュに伝えてください。弓姫も連れて行って」

「分かりました。後はお任せね」

「ええ。シェオルはカルマを呼んで、それから誠哉くんの後を追ってくれ。遠慮はいらないよ」

「遠慮、いらないの?」

「魔族の狙いは誠哉くんみたいだからね。奴らは、どうやって彼を堕とすと思う?」


 シェオルの疑問に応える形での、セラスの言葉の少ない問い。だがそれで、部下たちは魔族の狙いに気がつく。と言うよりは、こんな辺境で行われる陰謀などたかが知れているのだが。


「村、狙われてる?」

「多分ね。最悪、滅ぼされるかも知れないけどそっちは僕が何とかするよ」

「分かった。急ぐ」


 隊長の返答に頷いて、シェオルはとんと床を蹴った。あっという間に3色の、特徴のある髪が視界から消え失せる。

 それを見送ってからアテルも、「行ってきますわね」とその場を離れた。ついでに、弓姫の手を引いていくことも忘れずに。


「ほら、弓姫ちゃんも行きますわよ」

「え? わ、は、はいっ自分で歩けます!」


 いきなり引っ張られて慌てながら立ち上がり、弓姫もその場から消えた。

 その場に残ったただ一人、セラスラウドは、背中の翼をかるくはためかせながらあらぬ方向を睨みつける。壁のあるその向こう、そこにいる何かに視線を合わせて呟いた。


「気配消してるつもりかな。見え見えだよ、魔族」


 感情のない冷たい瞳が、うっすらと細められる。そうして、誰にも聞こえない言葉は空気に溶けて消えた。


「僕にそんな力がないとしてもね、お前にあの子は渡さない」




 楮と共に誠哉が足を止めたのは、村からも守備隊宿舎からもかなり離れた森の中だった。とはいえ、ここには清らかな泉が湧いており、それもあって結界の範囲内にあるのだが。


「参ったな。楮、僕に何の用事?」


 かり、と銀の髪を掻きながら誠哉は、不思議そうな顔をして問う。ここまで彼を先導してきた楮は一度も振り返ることがなく、そこも疑問だったのかもしれない。


「疾風や弓姫に知られないようにしたかったんだから、秘密の用件なんだろ?」

「……まあな」


 そう答えたところで初めて、楮が振り向いた。その顔は感情という感情がないようにも、怒っているようにも、そして悲しんでいるようにも見える。

 その表情のままつかつかと歩み寄ってきた楮は、誠哉に向けて無造作に拳を繰り出した。


「何……っ」


 反射的に手のひらで拳を受け止めた誠哉だったが、楮はすかさず反対側の手を握って繰り出す。今度はその手首を掴んで、誠哉は楮の動きを封じ込めた。蹴り出された足も、誠哉が上げたすねで受け止められる。


「何するんだよ!」

「うるせえ、黙って殴られろ」

「楮!」

「馴れ馴れしく名前呼ぶんじゃねえよ、魔族の手先が」


 さすがに、お互い片足同士ではバランスが取れない。足は下ろしたもののぎりぎりと両腕に力を込めながら、二人の青年はお互いに睨み合う。だが、楮の口から漏れ出た地を這うような声に、誠哉の動きがピタリと止まった。

 手の力が一瞬緩んだ瞬間、楮は両腕を振り払った。そうして森の中に視線を巡らせ、声を張り上げる。


「誠哉兄さんはちゃんと連れてきた! これでいいんだろ。更科を離せ!」

「ちょっと待ってよね、こっちにも都合があるんだから。お姉さんはちゃんと返してあげるってば」


 楮の叫びに、場にはとてもそぐわない脳天気な明るい声が返ってくる。その直後に姿を見せたのは、黒髪の少年だった。頬を紅潮させた更科が、その側にぴったりとくっついている。……というよりは、少年が更科の腰を抱いて引き寄せている格好になる。


「誠哉お兄さん、お久しぶり」

「ひさしぶり……っ」


 満面の笑みを浮かべた少年に名を呼ばれた次の瞬間、ずきん、とうずくような痛みが誠哉の意識を捕らえた。思わず胸元を押さえ、うずくまりかけたところで我慢する。ここで膝をついてしまえば立ち上がれない、そんな直感がよぎったからだ。

 己がそんな反応をしてしまう理由に、誠哉はすぐに思い当たった。


「僕を捕まえた魔族、か」

「うん」


 確認の意味での問いに、少年は当たり前のように頷いた。苦しげな誠哉の表情とは全く対照的に、笑顔を崩さないままで。


「っと、名前は教えてなかったっけ。ニックっていうんだ、覚えておいてよ」


 一見無邪気な子供にしか見えない顔で、少年は名乗りを上げる。それを聞きながら楮は、自身がその手に落ちた時のことを思い出していた。




 とろんとした顔の更科を足元に侍らせてにこにこと笑う少年に、楮は思わず後ずさった。その笑顔はどこから見ても子供のものなのに、何故か空恐ろしく感じたからだ。


「はじめまして。僕はニック」


 その空恐ろしさが白目のない目からくるものだと気がついた楮は、腰を抜かして床にへたり込む。がちがちと歯の根が合わなくて、どうにか一つの単語を喉から絞り出すのがやっと。


「ま、魔族……っ!」

「あまり、大きい声を上げないほうがいいよ。ねえ、お姉さん」

「はい……」


 婚約者である楮の前でだらしない姿を晒しながら、更科はニックと名乗った少年の言葉にゆったりと頷いた。


「更科!」

「これは、どういうことだ!」

「うん。彼女気に入っちゃったから、僕の奴隷にしてみたんだ」


 柔らかな髪をかき乱し、掴んでぐいと引き上げその唇を奪う。少女を愛撫しながら、ニックの笑みは変わることがない。その視線も、楮から離れることはなく。


「見ての通りちゃんと生きてるしキレイなカラダだから、そこは安心していいよ? 大事な恋人なんでしょ?」

「な、な……」


 そのまま更科を抱き寄せ、胸を鷲掴みにしながら更にニックは言葉を続ける。ちらりと楮を伺った漆黒の両目は、魔力を使うことなく青年の動きを完全に止める効果を持っていた。


「大丈夫。僕の言うこと幾つか聞いてくれれば、彼女は返してあげるから。魔族を信じられないって言うならいいけど、その場合このお姉さん生かしとく理由ないんだよねえ」

「んはあ……っ」


 無邪気、と見える笑顔のまま、ニックは無造作に手に力を入れる。途端、更科が気持ちよさそうに声を上げた。

 完全に魔族の支配下に置かれていることがその表情と、拘束されてもいないのに少年の側を離れようとしないことで分かる。


「アンデッドにしたほうがさ、僕は扱いやすいんだよね。でも、それだと日持ちしないし取り返しつかないでしょ。だから一人しか使えないけど、こうさせてもらいましたー」


 気軽に紡がれるセリフの中にある、アンデッドという単語。その言葉が、楮の思考を停止させた。

 殺されて魔族の操り人形と化した人間を、知り合いに持つ者はそう多いわけではない。だが、この辺境でアンデッドの存在は都よりもずっと身近であり、魔獣もまた同様である。それらから自分の身を守るために、楮は出かける際、傭兵を雇ったのだ。

 だが、脅威は村の外ではなく中に存在していた。それも、自分の家の中に。


「あ、守備隊が悪いわけじゃないからそこは注意しておくね。僕のほうが、上を行くだけだから」


 あくまでも普通の子供が、普通の話をしているような顔と口調。しかし、その全身から吹き出す存在感は、楮を常態に戻すことを許さない。

 彼にできるのは、おとなしくその手に落ちることだけだった。


「……お、俺は何をすればいいんだ……?」

「うん、物分かりがよくてうれしいなあ。あのね」


 空いている手の指を一本だけ立ててくるりと回し、ニックはにこにこと『お願い』を口にした。今の楮にとってそれは、抗うことのできない命令に等しい。

 そうして楮は、誠哉をこの場に引き出したのだった。




「はっ、は、はあん」


 不意に、更科ががくがくと身体を震わせた。空に向けられている視線はふらふらと揺れていて、ニックに抱きすくめられていなければ既に大地に横たわっているだろう。


「ふふ。楮お兄さん、更科お姉さんがこんなになってるのはねえ……誠哉お兄さんのせいなんだよ」

「……」

「誠哉お兄さん、見ての通り魔族でしょう。それなのに人間ヅラしちゃってさ、おかしいと思わない? だから僕は、誠哉お兄さんにちゃんと現実を見せてあげてるんだよ」


 自分も魔族であるのにまるで人事のように、ニックは誠哉のことをあげつらう。その声がわずかに低く楮の耳に滑り込んだことに、誠哉は気づかない。

 だから、楮の眼の色がふと薄暗く変化したことにも、気づくことができなかった。


「そう、だよな」

「楮?」

「誠哉兄さんがそんな色の髪してなきゃ、更科があんなことになってねえんだよな」

「楮……っ」


 二度目の名を呼ばれるより早く、楮は鋭い蹴りを繰り出した。とっさに腕でガードしたものの、誠哉は反撃を躊躇する。腰に剣はなく、この状態では楮に手を出すこともニックを狙うこともできない。

 更科の存在は、楮だけではなく誠哉に対しても人質として機能していた。無論それは、魔族の狙いでもある。


「まあそういうわけなんで。殴られてくれる? あはは、抵抗しちゃ駄目だよお」

「ニック……っ」

「ああ、そっちのお兄さんも駄目ー。ちょっとでも動いたら、更科お姉さんの胸引きちぎっちゃうよ」

「ひゃうん!」


 ちらり、とあらぬ方に視線を向けてニックは、力任せに更科の胸を絞り上げる。それでも彼女は痛みすら訴えることなく、とろんとしただらしない顔のままだ。

 ニックの視線を同じ視線だけでたどって誠哉は、慣れた気配に気がついた。どうやら、茂みの向こうに疾風がいるらしい。やはり誠哉と同じく、更科を人質に取られていることで動けないのだろう。


「さあて、どっちが堕ちるかなあ? どうせならさ、どっちも堕ちてくれると僕は楽しいんだよねえ。ね、更科お姉さん?」

「あ、はい……ごしゅじんさまのお、おっしゃるとおりれすう……」

「そうだよねえ。そしたら、ここらへんぜーんぶ楽しいお祭だもんね。ま、こんなちっぽけな村のひとつやふたつ、血まみれになって消えたところで都が気にするわけでもないけどさ!」


 あはははは。明るく無邪気な笑い声が、森の中にこだまする。もっともその声が、殴られ続けている誠哉と殴り続けている楮に届いているかどうかは、定かではない。




「ち、魔族め。どこまでせこい真似をすれば気が済むんだ、あいつらは」

「せこいだけで済めばいいんですけどねえ」


 弓姫を伴ったアテルの報告を聞いて、エンシュリーズは顔をしかめた。本気なのかどうなのか分からないアテルの言葉には小さな溜息だけで済ませたのだが、実際に起きている問題を考えるとうかうかしてはいられない。更科の現状を知らない彼女たちではあるのだが、彼女の存在を省いても放っておける状況ではとてもない。


「エンシュさん、あの」

「義妹に心配をかけて、悪い義兄だな」


 エンシュは、おずおずと口を挟んできた弓姫に視線を向けた。彼女の思いは分かっているから、無造作にたおやかな、それでいて力強い右手を差し伸べる。

 どうせ放っておいても、義兄を追ってやってくるのだ。それならば、一緒に行ったほうが話は早い。


「弓姫、一緒に来い。飛ぶぞ」

「はい」

「アテル、後は頼んだ。恐らくセラスは、他の連中を村に向かわせる」

「お任せを」


 決然とした表情で頷いて、弓姫はその手を取った。そのまま、ぐいと上空へ引っ張られる感覚が、彼女を包み込む。

 見送るアテルナルを残し、二人の少女はそのまま森を目指して空を舞った。

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