10. 思わぬ再会
数時間もしないうちに、どこから持ってきたのかわからない荷車には麻袋が山積みになっていた。どうしても血や肉の臭いが漂ってくるのは、麻袋の中身を考えるとどうしようもないだろう。中にはじんわりと色のついた液体が滲んだ袋もあるため、なおさらのことだ。
「はい、おつかれさん」
その荷車の前で、カルマが白い歯をむき出しにして笑っていた。彼にしてみれば日が暮れる前にひと仕事終えて満足、なのだろう。汚れた手を拭いたらしいボロ布が、無造作に麻袋の間に挟み込まれている。
「……やっぱり、臭いますね」
「臭いはそのうち薄まるから気にするな。ま、ラフェリナやシェオルが気にしそうだけどな」
「そんなに臭いますか? あの子たちは鼻が利くからともかくとして」
すん、と小さく鼻を鳴らした誠哉の言葉に、カルマは笑顔のままそう答える。自分の手のひらをくんくんと嗅いで少しだけ首をひねった蒼真に、疾風は「鼻が慣れちまったんだろ」と突っ込んだ。
「遺体の方は俺が運ぶから、お前さんたちは村に荷物届けてやってくれ。蒼真もいるし、荷馬呼んでくるよりその方が早いだろ」
「あ、はい」
「俺らで? いいけどよ」
そんな蒼真たちのことを全く気にかけず、ひょい、と馬車を親指で示してカルマは、提案のような口調で指示をする。複数形で呼んでいるということは、今彼の目の前にいる誠哉、疾風、蒼真の三人で行けということらしい。遺体や死肉の処理は自分が請け負う、ということも言外に含んでいる
ほとんど反射的に頷いた誠哉と、特に思うところはないのだろう答え方をした疾風。その二人の横で蒼真だけは、軽く頬をふくらませた。自分の力を隠してはいないようなのだが、やはり男性ばかりの中でそれを当然のように口にされるのは気にかかったのだろう。
「……否定はしませんけど、もっと言い方ないんですか」
「何だお前さん、今までは平気な顔してたくせに。力仕事は得意なんだろうが」
「そうですけど、でもっ」
カルマの言葉に、蒼真はほんの少し頬を赤らめる。ぷいと視線を逸らした拍子に誠哉と目が合ってしまい、慌てて逆方向に顔を向けた。自分を見て呆れ顔の疾風には、気づかなかったようである。
蒼真の視線を受けたのがきっかけなのか、誠哉が「あ」と気がついたように声を上げた。
「そういえば僕、村に行っても大丈夫なのかな?」
「何でだ?」
「どうしてですか?」
「……あー」
カルマと蒼真が首を傾げる中、疾風だけが誠哉の気にかけていることに気づいた。さすがは義理の弟、といったところか。
荷物を届けるということはつまり村に行く、村の中に入るということだ。十年前まで彼が住んでいて、当時の顔なじみが住民のほとんどを占めるその場所へ。十年前の事件を起こしたのが銀髪の青年ではないか、と疑う村人が住んでいるその場所へ。
誠哉自身の姿形はまるで変わっていないから、村人たちは一目見れば彼が誰だかすぐに分かるのだ。そうでなくとも、銀色の髪ということで眉をひそめられるのは確実である。
一方カルマの方はそこまで思いが及ばなかったようで、不思議そうに誠哉と疾風を見比べる。蒼真もまじまじと誠哉を見つめ、それから小さく首をひねった。事件がきっかけで派遣され駐留することになった守備隊ではあるが、その事実と目の前にいる青年の結びつきが現実的ではないのかもしれない。
それに、銀の髪の青年が東方人の村を訪れる場合、その髪の色から警戒されるかも知れないということを疾風を除く二人は頭の中からすっぽりと落としていた。異色であるエンシュリーズを見慣れているせいもあり、どこかに置き忘れてきたのだろうか。
守備隊の自分たちが忌避されるのは外からやってきたよそ者だから、という認識もあったのかもしれないが。
「その、僕十年前の容疑者ですよね」
「だから誠哉兄、俺らの監視下にあるんじゃねえか」
「……あー、そういうことか。疑われてる奴が村に顔出していいか、ってことだな」
「そ、そうでした……どうしましょう?」
誠哉と疾風の会話で、カルマと蒼真はやっと十年前の事件を思い出したようだ。僅かにうろたえる蒼真の横で祈祷師ががり、と無造作に髪を掻きながら少しだけ考えて、それから言葉を口にする。困ったような表情は、銀髪の青年を気遣ってのことだろう。
「なら、行かないほうがいいか? つっても、お前さんの知ってる頃から十年経ってるしよ。一度見といた方がいいんじゃねえかって、俺は思うんだがな」
「それは……正直僕も思います」
カルマの意見に、誠哉はこくりと頷いた。
自分の知らない間に世界は十年の月日を過ごし、少しとはいえその姿を変えているだろう。特に疾風と弓姫が自分に追いつき追い越したように、村人たちもまた。
正直に言えば、今の村を見てみたい。それが天祢誠哉の、素直な思いだった。
少し困ったような青年の表情にその思いを見て取ったカルマは、「よし、そっか」と大きく頷いて答えを紡いだ。
「じゃあ、一応顔隠して行って来い。もしバレたら現場検証、とでも言っとけ。どうせいつかはバレるだろうし」
「それでいいんですか?」
「容疑者なのは確かだが、今疾風が言ったとおりそれだからあんたは守備隊の監視下にあるんだぜ。もし何かやらかしたら、俺らのうちの誰かが」
口調は明るいものだが、カルマは最後の言葉を意図的に声に出しては言わなかった。その代わり視線を巡らせて、疾風と蒼真の表情を伺う。無言のままの二人が顔を引き締めたのを確認して、言葉の続きは紡がれた。
「大体さ。兄さん、当時自分がどうなったかよく覚えてないんだろ? 思い出すために、ってのも嘘じゃねえだろうよ。実際、村見たら何か思い出すかも知れねえしな」
「……はい」
「……そりゃ、そっか」
「……」
気楽な物言いをするカルマに、誠哉たちはほんの少しだけ顎を動かした。
確かに、誠哉の存在をいつまでも隠し通せるわけではあるまい。彼は既に守備隊の一員であり、何か問題があった時には出向いて剣を振らなくてはならないのだ。
そうして彼を監視、万が一の折には処分するという名目でそばにいる隊員たちにも、それは同じことで。
誠哉と会ったばかりで一番思い入れの薄いカルマは、平然と黒髪の女性に視線を移した。多分、彼女の感情には気づいているだろう。
「蒼真、後はお前と疾風でどうにか言いくるめろ。俺の言ったとおりで構わねえぞ」
「え、私ですか」
「本人が言うよりそのほうが、まだ信憑性は高いだろうが」
自分を指さして目を丸くした蒼真に、カルマはしれっと答えてみせる。
疑われている誠哉本人が言うよりは確かに、守備隊としての実績を重ねてきた疾風や蒼真が答えたほうがまだ、村人たちへの説得力は高い。カルマはそう、言ったわけだ。
「でも、あとで守備隊に抗議が来たらどうしましょう……」
「そっちは安心しろ。隊長が『丁重に』対応してくれるはずだ」
どこか不安げな蒼真の疑問点にも、祈祷師の青年はまったくもって平然とした表情のまま答えを提示した。隊長たる金髪の青年がそうしてくれるのだと、当然のように。
それからしばらくして、村の雑貨屋の前には馬が引いていない荷馬車が到着していた。何だかんだ言いつつも、蒼真がほぼ一人で引ききったようなものである。
疾風も誠哉も一応手伝ってはみたのだが、自分たちが押すよりも蒼真が引いていくほうが早かったのだ。お陰で青年二人は馬車を押すよりも、横についてバランスを取る方に集中してしまっていた。
「ごめんください。守備隊の者ですが、お荷物の検査が済みましたのでお届けに上がりました」
その蒼真はけろっとした顔で、雑貨屋の中に声をかけた。「おー」と無造作な返事があって、出てきたのは楮ではなくもっと年かさの男性だった。既に蒼真も知った顔である、大旦那の三叉。
「おお、蒼真嬢ちゃん。今回はうちの楮が、手間掛けたな」
「え、いえ。私はその場にいなかったんですが、仲間が間に合って良かったです」
無作法だが気のいい挨拶をする三叉に対し、蒼真は丁寧に頭を下げる。ちらりと視線を向けた背後、荷馬車の側には疾風と、それからフードを深くかぶり髪を見せないようにしている誠哉の姿があった。
ほんのり頬を染めてそちらに小さく挨拶した蒼真をまじまじと見つめ、三叉はにんまりと顔をゆるめた。いいもの見せてもらった、とでもいう表情である。
「……ん? 嬢ちゃん、可愛くなったな」
「は?」
「何だ、惚れた相手でもできたか?」
「いえいえいえいえそんなんじゃありませ……っ」
にやにや楽しそうな三叉にツッコミがてら手を振り上げかけた蒼真だったが、その手がピタリと止まる。自分の手のひらに視線を向けた後、慌てて腕ごと背中側に回すと小さく頭を下げた。
「す、済みません。もう少しで一撃入れるところでした」
「か、勘弁してくれよな? ははは、わ、悪かった……」
謝罪された三叉の方も、冷や汗をかきつつ慌てて手を振った。
荷馬車を一人で引いて平然としているこの彼女、腕力も実のところかなりのものである。その手で普通の村人にパンチの一撃も入れればどうなるか、三叉は自身の身体で知りたくはない。
蒼真自身悪い娘ではない、ということは分かっている。だが何しろ彼女は、副隊長に『まくろのこ』と呼ばれる異色の翼人が平然と就いている守備隊の一員である。十年前からの駐留でいろいろ助かっているとはいえ、裏に何があったか分かったものではない。
「蒼真、馬車見といてくれ。そのうち楮も来るだろうし」
「あ、はい。すみません、では」
妙な空気が流れたところに、黒髪の青年が少し距離をおいて声をかけてきた。それをいいことに蒼真は、慌てて三叉に一礼するとくるりと振り返って駆け出していく。
彼女と入れ代わりに、木箱を抱えて近づいてきたのは疾風。中身はよく分からないが、かなりしっかりとした箱である。
「おう、疾風」
「おっさん久しぶりー。ちゃんと検品済ませてあるから、安心して売ってくれよ?」
「そりゃ助かる。楮のやつ、目利きどうだ」
「あー、だいぶ上達してんじゃねえ? 結構いいもん積んであったぜ、箱の上のこれ目録な」
「おう。確認するから、ちょい待ってろ」
疾風が抱えている箱の上に、チェックリストがおとなしく鎮座している。疾風自身は両手がふさがっているから、三叉に取り上げて欲しいらしい。
その望みを叶えるためにチェックリストを取って店の奥に戻りかけた三叉だったが、ふとその視線が一点に止まる。その先にいるのは馬車の側から動かない、もう一人の青年だ。
馬車に付き添ってきた、おそらくは自分たちとさほど変わらないだろう年齢の人物。どうやら男性らしい彼の顔は、深くかぶったフードでよく見えない。腰にはかれた剣は、最近使い始められたもののようにも思える。
守備隊に剣士は、疾風くらいしかいなかったはずだ。そう思って三叉は、店先に箱を降ろした疾風に問うてみた。
「おい疾風、あっちの兄ちゃんは?」
「あ、守備隊の新入り。ちょっと人見知りすんだけど、いっぺん村の様子見てもらおうと思ってさ」
「へえ。あ、それで顔」
「そうそう。一応馬車の警備頼んでるから、動かないの勘弁してくれな」
すらすらと流れ出る疾風の言葉を、三叉はそのまま受け取った。その裏に存在する意味を汲み取る気は、最初から無いのだが。また怪しい連中が一人増えた、くらいの感覚だろう。
「人見知りって、それで大丈夫なのか?」
「戦闘には問題ねえよ、あれで俺より強いし。ってか楮のピンチに気がついたの、あいつだよ」
「マジか。……あー、後で礼言っといてくれ。うちのドラ息子が世話になったってな」
「あいよ」
彼の正体を知らぬ三叉は、何よりも疾風の言及するその強さに驚いた。
十年前に銀髪の青年が姿を消した後めきめきと腕を上げ、今ではこの村を守る剣である疾風。彼よりも強いあの剣士は、一体何者なのだろう。
息子と会うな。誠哉にそう告げた時よりは性格が丸くなっている三叉だが、彼が天祢誠哉自身であることにはまだ、気がついていない。
一方。
蒼真は馬車の側に戻ると、青年に声をかけた。きょろきょろ、と周囲を見回していた青年の意識は、近づいてきた足音に引かれて蒼真に向けられている。
「……大丈夫ですか?」
「うん、ありがとう。あんまり、変わってないみたいだ」
フードの下から銀の髪と、薄い色の瞳が覗く。
村の中に入る時、誠哉はフードを深く、深くかぶり直した。自身が十年前の事件の犯人として疑われていること、それ以前から髪の色故に距離を置かれていることを知っているから。
現在の村を見てみたいという希望を叶えてくれたカルマや仲間たちには感謝しているけれど、それで自身の正体が割れてしまった時のことを考えると誠哉は、そこから動くことはできなかった。
「やっぱりさ、僕が顔を出したらややこしくなるだろ? 村の人たちってだいたい僕の顔知ってるし、特に三叉さんは僕のこと好きじゃないから」
「そうかもしれませんけれど……でも、久しぶりの故郷ですし」
「僕、ここの村の生まれじゃないんだって。もっとも、物心ついた時にはもうここにいたけどさ」
「そうなんですか?」
「らしいよ。詳しいことは聞いてないけど」
事情はうすうす知っている蒼真だが、それでもやたらと気を使う誠哉のことは気になるらしい。その彼の口から出た言葉に、一瞬だが目を見開いた。
事情を知っている異色の少女は、この場にはいない。彼女が事情を知っていることすら、この二人は知らないでいる。もう一人知っているだろう誠哉の義父は、既にこの世にはいない。
そんな二人を馬車の側で待たせ、疾風はちょうど店先に顔を出した楮と鉢合わせした。リストは既になく、それを手にした三叉は裏に引っ込んだらしい。裏にいる店の者に、事務処理を任せるためだろう。
「疾風、リストサンキューな」
「おう。全部運ぶか?」
「いや、店のもんにやらすよ。そこまで面倒かけるわけにも行かねえだろ、お前らの本職じゃねえし」
「悪いなー。それなら馬車、そのまま置いとくな」
「助かる」
雑貨屋の若旦那と、守備隊の主力剣士。その背景を外してみればこの二人は、いわゆる幼なじみの関係である。それ故か、周囲にあまりひと目のないこの場では普通の友人としてのように、言葉を交わしていた。
「あれ」
不意に、楮が視線を遠くに飛ばした。疾風がそれに気づくより早く、彼はすたすたと自分が見た方向に歩いて行く。その先にいるのは、フードを深くかぶった誠哉だ。蒼真は、馬車の反対側に回って中の確認をしているらしい。
「疾風たちと一緒に来た新入りさんだよね、あんた」
「え? ああ、はい」
「楮さん?」
楮、という名前を声にしかけて、慌てて誠哉は口を閉じる。その誠哉の顔を、楮はひょいと覗き込んできた。
気配で顔を見せた蒼真が止める間もなく、楮の口から彼の名が流れ出た。
「……やっぱり、誠哉兄さんだ。助けてくれたの、兄さんだよね。ありがとう」
「楮?」
何となくホッとしたような声で自分の名を呼ばれ礼の言葉を述べられて、誠哉は今度こそ彼の名を口にする。
顔を覚えられていることは分かっていたが、さすがに見てすぐ自分の名を呼ばれるとは思っていなかったらしい誠哉は、わずかにかすれた声で問うしかできなかった。
「……覚えて」
「うん」
問いの言葉が終わるより早く、楮は頷いてみせる。その表情は、誠哉が知っている少年の幼い笑顔とそっくりだ。
彼らにとっては十年前、誠哉にとってはほんの少し前。
疾風と共に剣術ごっこをしていた少年のことを、誠哉は覚えている。
疾風と共に駆けまわる自分を見守ってくれていた異色の青年のことを、楮は覚えている。
当時と同じ姿であることには、彼は何も言わない。きっと、何か思ってはいるのだろうけれど。
「あ、その……すみません。説明しなくちゃいけなかったのかも知れませんけど」
「いや。誠哉兄さんなんなら、納得だよ。面倒くさい連中いるもんな、うちの村」
「悪いな、楮」
その過去を知らない蒼真は、おろおろしながら何とか二人の間をとりなそうとする。楮の後を追いかけてきた疾風と彼女に、楮は苦笑しながら頷いてみせた。彼らにも誠哉にも、その目がわずかに暗いことは分からない。
「楮、どうした」
「親父」
店先に戻ってきた三叉が、息子の名を呼んだ。振り返った楮の笑顔が少し引きつっていることに、果たして父親は気づいただろうか。
「ほら、見てくれよ。誠哉兄さんだよ、疾風んとこの」
「っ!」
楮が無造作に誠哉の背後に回り、フードを剥ぎ取る。そうして押し出された青年は、避ける間もなく三叉と視線を合わせることになってしまった。一瞬逸らしてしまった顔は、つかつか歩み寄ってきた男の視線に否応なく合わせ直される。
「あんた、生きてたのか」
「……はい」
小さく頷いた後、誠哉は耐え切れなくなったのか目をそらした。唇を噛むのを、蒼真は無言のまま見つめている。ただ、少しだけ足を踏み出して彼よりも三叉の近くに位置をとった。
疾風にちらりと横目で顔を伺われた楮が、肩をすくめながら父親の側に寄る。さすがにこの場で、割の悪い方につく気はないらしい。そうでなければ、小さな村で生きるのは大変だから。
「僕に掛けられた疑いは、聞いています」
「は、自分は無関係だとでも言う気か」
「関係ない、とは言えないですが……でも、あまり覚えていなくて」
「言い訳か」
「だから、今は俺たちの監視下にあるんだよ。うちの守備隊が普段から人員不足でぴーぴー言ってるのは、おっさんも知ってるだろ?」
小声でぼそぼそと話す誠哉に詰め寄りかけた三叉の前に、疾風が無造作に入り込んだ。
蒼真は誠哉の斜め後ろに入り、ちらりと自分の背後に視線を向ける。そこにはいつの間にやら、村人たちが三々五々集まり始めていた。中には先走ったのか、鍬なり箒なりを手にした者もいる。そんなものを持ってしても、守備隊の隊員たちに敵うとは思っていないだろうが。
「だからって、鎖も何もなしに野放しはないだろう。魔族になったらどうする気だ」
「やばいことになったら俺が斬る」
「エンシュさんも、焼いてくれるそうです。何でしたら、私が頭を砕いても構いません」
三叉の言葉に即座に疾風が、続いて蒼真が答えた。誠哉は小さく頷いただけで、何も言うことはない。
もともとそれでいい、と本人が納得しているのだから。もっとも、魔族に成り果ててしまった自分がその攻撃を素直に受けるとは思えないのだけれど。
その誠哉をかばうようにして疾風がぐるりと周囲を見渡し、それから三叉を睨みつけて言い放った。
「けどそれは、誠哉兄が十年前の犯人だってはっきりしてからだ。おっさんだって、無実の相手に罪なすりつけるなんてくっだんねえことしねえよな?」
その言葉に、誠哉がはっと顔を上げる。今彼が村人たちに囲まれているのは、銀の髪だけが理由ではない。
十年前の事件、その犯人ではないかと疑われているからだ。
だが今誠哉に当時の記憶はほとんどなく、故に事実を確認することはできない。
それを理解できたのか、三叉はちっと舌を打った。そうして疾風たちに向き直り、ふんと鼻息荒く答える。それは、この状況を無理やり打ち切るための言葉だった。
「後で守備隊に抗議を入れる。この場はさっさと帰ってくれ」
「分かりました。荷物の引き渡しも終わりましたし帰りましょう。それでよろしければ、皆さんもお下がりください」
「……っ、わ、分かった」
深々と頭を下げながら蒼真は、彼女には珍しく感情のない声で答えた。顔を上げた時には三叉に可愛くなった、と言われた表情は影を潜め、どこか冷たい視線が村人たちを一閃する。
それだけで、丸腰の女性から男たちは数歩退いた。その足が動くままに、この場はなし崩しに解散となる。
村人たちが引けるのを見送ったところで、蒼真の表情は崩れた。正確に言うと少し頬をふくらませ、困ったように眉尻を下げたのである。
「……んもう」
「ったく、ふざけんなっつーの。そういうの、こっちが一番分かってるっつーのによ」
「ごめん、蒼真。疾風も、ありがとう」
「いえ。ああいう話は慣れていますから」
「ほんとほんと。変なところは変わってないのな、おっさん」
彼女と、黒髪を無造作にかき回す疾風に誠哉は、小さく頭を下げた。
誠哉の表情があまり変わっていないのは、昔からそういう扱われ方には慣れているからだろう。蒼真も疾風も、自分があまり好かれる存在でないことにはやはり慣れていて。
だから、二人が普段とは違う態度に出たのは恐らく、誠哉がその対象だったからだ。十年ぶりに住んでいた村に戻ってくることができた、銀髪の青年が。
「あの、誠哉兄さん。済まねえ」
人が引けたのを見越したのか、周囲を見回しつつこそこそと楮がやってきた。足を踏み出しかけた蒼真を片手で制して、誠哉が数歩だけ歩み寄る。
「いいよ。大丈夫、慣れてるから」
「そのー、さすがにあんな大事になるとは思ってなくてよ。ほんと済まねえ」
「だから、僕は慣れてるから大丈夫。僕が村に来たいって言ったのが原因だし、気にしないでいいから」
「けどさあ、やっぱり俺が悪かったし」
楮と誠哉のやりとりが互いへの謝罪合戦だと気づき、疾風は「ったく」と小さくため息をつきつつ口を挟むことにした。放っておいたらいつまでも、この合戦は終わらないだろう。特に、義兄は。
「二人ともそこまでー」
「疾風? ああごめん、時間食っちゃったね」
「いや、そうじゃなくて……まあいいか」
疾風が心の何処かで思ったとおり、誠哉はのんびりとそんなことを言ってきた。この空気の読めなさ……否、読まないようにしているだろう義兄の性格を、何だかんだ言っても疾風は嫌いではない。
空気が読めていれば十年前、それ以前にこの兄は村からいなくなっていたとしてもおかしくないから。たかが髪の色、それが違うだけという理由で。
「楮。こっちはいいから、親父さんには後で上手く言っとけよ。俺らはしょうがねえけど、お前さんの立場が悪くなったら嫁さんも大変だろ」
「分かってるって。心配すんな」
「あ、ええと。こちらも失礼いたしました」
「蒼真さんもおつかれさん。誠哉兄さんが相手じゃ大変だろ」
「え、あ、はあ」
気がついてみれば、蒼真も疾風も誠哉を守るようにその両脇に立っている。楮は少しだけ目を見張り、それから苦笑を浮かべた。銀髪の青年が昔から少し鈍い性格であることを、疾風もそうだが彼も知っているから。
そうして、その義兄を気にかける疾風と弓姫の気持ちも。その疾風と同じように、誠哉を守ろうとしている蒼真の気持ちも、ここで分かってしまったようだ。
蒼真は一瞬だけ肩をすくめ、ぺこりと頭を下げた。結局のところ、彼女たちが村を訪れた理由である荷物の引き渡しはとうに済んでいるのだから。
「そ、それじゃ失礼しますね」
「そうだね。楮、僕たちのことは心配しなくていいから」
「俺は誠哉兄の方が心配だよ。じゃな、楮」
「おう。兄さんも気をつけてな」
苦笑しながら誠哉の背を叩き、楮は軽く手を振った。
背中越しに振り返しながら疾風は、足取りも軽く駆け出していく。同じように振り返った銀髪の青年が一瞬首を傾げたのに、楮はその理由を自分の背後に感じ取った。
「あんた、出てきてもいいのかよ」
「大丈夫さ。彼はともかく、他の人には僕は普通の子供にしか見えてないよ。彼だって、何か変だなって思っただけみたいだし?」
「っ!」
去っていく守備隊を見送りつつ振り返らないまま問うた言葉に、背後の気配はくすくすという笑いを含んだ声で答える。一瞬かっと熱を帯びた顔になり、楮はがばりと振り返った。
「お兄さん、よくやってくれたから少し猶予あげる。お姉さんのところ、行ってあげてよ。正気の時は僕のこと覚えてないから、そこだけ気をつけてねっ」
その視線の先で、魔族の少年は楮の怒りなど意に介さず無邪気な笑みを浮かべていた。粗末な服を身にまとっている少年の表情は、苦々しく唇の端を歪めている楮とはあからさまに対照的である。
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