9. 後片付けと下準備

 辺境守備隊の任務は、魔獣や魔族の撃退だけではない。襲撃された後の始末も、そこには含まれている。

 街道の真ん中に馬車や獣の死体が転がったままでは通行や輸送に支障をきたすし、被害者の遺体は倒したアンデッドたち同様に弔わねばならない。

 それに、血や腐肉の臭いは正直たまったものではないし、魔獣ならずとも肉食の獣を呼び寄せるからだ。


「じゃあいつもの通り、蒼真とエンシュは荷物の方頼む」

「分かりました。疾風と誠哉さんはあちらの方、お願いします。カルマ……はいつものことですね」

「女だからと遠慮せんでいいんだぞ? 疾風」

「遠慮はしてないですけど、臭いついたら落とすの大変でしょう。おっさんは死体専門ですし」


 後からやってきた二人の仲間に作業を頼み、疾風は苦笑を浮かべた。蒼真は平然と作業を請け負い、エンシュリーズは少しつまらなそうに頷いてみせる。

 大別して二種類存在するこの任務について彼は、いずれも本来男性が率先してやるべき仕事だと思っている。何しろ、重量のある物体を運ぶ作業がどうしても多いのだから。

 その上で疾風が選んだのは、臭いがきつい方の作業だった。魔獣に襲われた馬や護衛たちの死体を片付け、人間については持ち帰りその身柄を照合する作業である。アンデッドの方はカルマにより死体ごと消え失せていたが、鳥魔獣の死体からは既にあまり良くない臭いが漂い始めている。


「どうせ戦になれば臭いもつくんですけどね。でも、お心遣いありがとうございます」

「蒼真……お前、この間アンデッドの臭いを嫌がっていただろうが。まあいい、素直に受け持ってやろう」


 一方、エンシュたちが引き受けたのは荷物の確認作業だ。荷主である楮と共に馬車の内容を確認し、馬車が動かせるのであればそのまま荷物は荷主の元へ運搬することになる。力仕事ではあるが、荷車の手配さえできれば死体の運搬よりは気分的にも楽な作業である。

 疾風に頷いてみせてエンシュは楮の元へ、蒼真は横倒しになったままの馬車に歩み寄っていく。

 一方疾風は、楮に顔を見せないようにとフードをかぶったままの誠哉のところへ、小走りに戻っていった。自分たちが受け持つことになった作業については、誠哉も既に了承している。


「ごめん、待たせた。臭い酷くて悪いけど、俺らあっちな」

「うん。あ、でも馬車起こすの、手伝わないと」

「平気平気。誠哉兄も知っといた方がいいだろし」


 慌てたように馬車へ駆け寄ろうとする誠哉を手で制し、疾風はにんまりと笑みを浮かべた。その目の前で、蒼真は馬車の側まで辿り着く。屋根の側から近寄り、横倒しになっているその端に両手を掛けた。


「よいしょ」

「へ?」


 さほど力を入れたとは思えない、どこか気の抜けた掛け声。それと共に、倒れていた馬車はごく当たり前のように起こされた。ずん、と音がして、宙に浮いていた車輪が地面に降り立つ。

 その光景に驚いたのは誠哉一人だけで、守備隊の隊員たちはともかく楮も「ありがとうございます」と一礼しただけで済ませる。つまり、彼らにとってはこれが普通の光景なのだ。


「え、えーと、疾風?」

「あのな。あの細腕でモールぶん回すんだぞ、あいつ」

「……そっか。もともと、筋力あるんだ」

「そゆこと」


 ぽかんとしていた誠哉だったが、疾風に彼女の武器のことを指摘されて納得する。細身の外見からは想像できないが、蒼真は意外に力持ちであるらしい。

 もしかしたら異種族の血が混じっているのかもしれないが、誠哉は尋ねる気にはならなかった。自身が、そうらしい外見で苦労していたから。

 もっともそのあたりは疾風にも、そして麻袋を手にしたカルマリオにも関係はない。


「おーい二人とも、突っ立ってないでお仕事お仕事」

「あ、はい」

「おー、おっさん悪い悪い」


 半ば呆れ顔で二人を急かすカルマの声に、誠哉と疾風は慌てて駆け出した。

 祈祷師は何の迷いもなく、護衛の遺体を片付け始めていた。血に汚れる手を拭う様子も見せずに、遺体をエンシュたちが持ってきた麻袋の中に入れている。ただ、人一人なので少々苦労しているようだが。


「手伝いましょうか」

「いや、こっちは俺の専門なんでな。お前さんたちは魔獣と馬頼むわ、適当に解体してな」

「あ、すみません」

「手早くやれよ。血の匂い、慣れてない連中には結構きついから」

「はい、分かりました」


 苦笑を浮かべるカルマから、誠哉の手に麻袋が渡された。普段穀物などが入っている運搬用のものよりは大きく厚手で、入れるものが違うのだということがよく分かる。

 具体的には狩猟で捕らえた獲物や、そして遺体。死んだ肉体と言う点で、それらは一致している。

 ひらひらと手を振り、中身の入った麻袋を引きずるようにして離れるカルマの後ろ姿を誠哉は、ほんの一瞬だけ見送った。それから、疾風と共に剣を抜く。

 戦うためではなく、鳥魔獣の死体を切り分けて麻袋に詰め込むためである。それと、血の匂いを嗅ぎつけた獣が近づいてきた場合には、それを追い払うため。


「……そういえば」


 荷物確認のためにリストをチェックしている楮を遠目に見つつ、魔獣の遺体を大雑把に切り分ける。そうして回収を進めていた誠哉はふと、自分の隣で同じ作業をしている疾風に尋ねてみる。手には血が少しついているが、これは後で洗えばいいので気にはならない。

 それよりも、楮という名の青年。顔をはっきり見たわけではないが、彼の名前には思い当たる節があった。十年前までは、自分も同じ村で暮らしていたのだから。


「疾風、楮ってもしかして雑貨屋さんの?」

「あ、誠哉兄覚えてた? そうそう、うち出てちょっと歩いて右に曲がったとこの」

「やっぱり、三叉みつまたさんとこの子か。疾風、よく喧嘩してたよね」


 手を止めてひょいひょい、と指で見えない地図を指し示すように説明する疾風。自身の記憶が間違っていないことに安心したのか、誠哉はうんと頷いて袋の口を閉じた。少し、臭いが気になったのかもしれない。

 そんな義兄の横顔を見て、疾風は困ったような表情になった。

 十年前とはいえ、誠哉にとってはほんの数日前の感覚でしかない。その当時の記憶を探って彼は、義弟の友人だった少年を思い出したのだろう。友人、というよりは誠哉の覚えている時期では喧嘩相手と言うべきか。

 だから疾風は自分をも十年前に戻し、当時の記憶を無理やり掘り返して義兄に答えることにする。


「だって、弓姫泣かせんだもんよう。それで親父にまとめて怒られるの、納得行かなかったぜ」

「疾風が相手を泣かせたからだろ?」

「だから、楮が弓姫泣かせたからお返ししただけだっつーの」


 たしなめるような誠哉の口調も、それに答えつつふてくされた顔をする疾風の表情も、誠哉の記憶にある時期に戻るようなものだ。現実はあくまでも、それよりも十年以上未来なのだけれど。

 実感のないその齟齬をどうにかして埋めようと、誠哉はさらに問うた。手は、ほとんど動いていない。一人で作業をしているカルマのちらちらとこちらを伺う視線がわずかに気になったけれど、それだけだ。


「それで、今お店やってるの彼なんだ」

「おう。カワノ村に羊毛の仕入先あんだけどさ、そこの娘さんと婚約して今一緒にやってるよ」

「へえ……そっか、疾風と同い年だもんね。お嫁さん、来てもおかしくないか」

「まあなー。あ、でも三叉のおっさんも大旦那っつって頑張ってるけどな」

「やっぱりか。おじさん、素直に引退するわけないもんね」


 疾風の答えに、誠哉はほっと息を吐いた。

 義弟と喧嘩をしていた少年が成長し、親の跡を継いで雑貨店を営んでいる。きっと可愛いであろう、婚約者と一緒に。誠哉の覚えていた店主、彼の父はきっと、隠居などせずにうるさがられながら働いているのだろう。



 疾風の言葉で時の流れを淡く実感した誠哉の脳裏に、ふと言葉が響いた。


『うちの子にはあんまり近づかないでくれんか』


 楮の父親、誠哉が村にいた当時に店の主を務めていた三叉の言葉だ。その時誠哉は、確か十五歳くらいだっただろうか。

 自分の髪が他の人と違うこと、父親だと思っている高雄と姓が違うこと。その理由を誠哉は、あまり詳しくは知らない。高雄が言うには、古い友人が亡くなったのでその息子を預かったらしい。

 誠哉という子を連れたまま妻を娶り、やがて疾風と弓姫という二人の実子をもうけてもなお高雄は、誠哉を自身の子として慈しんでくれた。その妻もまた、銀の髪を持つ彼を息子として受け入れ当然のように育ててくれた。

 だが、一歩家の外に出るとその愛情よりも、周囲から向けられる好奇と忌避の視線のほうが強くなる。その頃にはもう、誠哉はその視線には慣れていた。というよりは、慣れざるを得なかったと言ったほうが正しいか。


『じゃ、誠哉兄ちゃん。行って来まーす』

『誠哉にーちゃん、行ってくるー』

『うん、行ってらっしゃい。疾風も楮も、村の外には出るなよー』


 友人である疾風を誘うために、楮はよく上総の家に遊びに来ていた。十歳上ということもあり、誠哉は楮やその友人たちと会話を交わしたり面倒を見たりすることが多かったのだが、三叉にはそれが気に入らないようだった。

 正確に言えばそれは、村のほとんどの大人がそうであった。ただ高雄に免じて、表面上は普通に付き合ってやっているだけで。


『誠哉。見てもらっててこういうことを言うのもあれなんだが、うちの子にはあんまり近づかないでくれんか』


 ある日義父のお使いを頼まれて店を訪れた誠哉に、三叉は売った品物を渡しながらそう告げた。はっと顔を上げた誠哉は、憮然とした顔の三叉に何も答えることができない。

 その表情を変えないまま三叉は、ボソリと続けた。誠哉の手に渡された釣りの硬貨は、じんわりと湿り気を帯びている。


『本当は疾風とも近づけたくないんだが、あの子はまだマシだからな』


 マシだから。

 おそらくは、髪の色のことを言っているのだろう。誠哉の髪は村の中では唯一、目立つ銀色だから。

 無論、普通の東方人でも年老いることで髪の色が抜け、灰色や白になることはある。だが、天祢誠哉の髪は艶やかな銀の色で、一目でそれと知れる異色だ。

 はっきりとした黒髪の疾風は、どこからどう見てもまぎれもなく東方人だ。それに対し誠哉は、先祖の何処かに魔族が紛れ込んでいると言われれば否定のしようがない。事実を知るであろう高雄はその点には口を閉ざしており、誠哉自身知るすべはないのだが。

 そして、特に辺境に住まう者は異色という、特殊な存在を厭う。自分たちとは異なる部分を持つ存在は、それだけで差別の対象となり得るのだ。そういった対象を持つことで、閉じた世界に住む者たちは一体となる。


『はい、分かりました。ごめんなさい』


 それを身をもって知っている誠哉は、だからおとなしく彼らのいうことに耳を傾け、頭を下げるしかできない。それが、誠哉がこの村で覚えた唯一の対処法だった。

 少なくとも義父である高雄、そして彼の妻は誠哉を我が子として守ってくれている。その彼らに余計な迷惑をかけないためにも、誠哉自身はその差別を甘んじて受け入れた。


『……髪の色、僕のせいじゃないのに』


 それでもやはり、怒りの感情が沸き起こってしまうのはしかたのないことだ。ともかくお使いを済ませて上総の家に戻ろうとする誠哉の脚は、そのせいか普段よりもゆっくりとしていた。

 そうして。


『あーあ、大変だねえ。たかだか髪の色が違うくらいでさあ』


 楽しそうに笑う少年の声に、ふと誠哉は顔を上げた。見慣れない、けれど平然と村に溶け込んでいる黒い髪の少年は、白目のない瞳で微笑みながら誠哉を見つめている。


 その後、誠哉の記憶は途切れた。



「チェック、終わりました」

「え?」


 不意に聞こえた女性の声に、誠哉ははっと顔を上げた。その一瞬で、黒髪の少年の顔は誠哉の脳裏から消え去る。

 目の前にはいつの間にやら蒼真がいて、誠哉にチェックリストを突き出している。いや、誠哉にではなくその隣にいる疾風に、だ。


「おう、蒼真サンキュー。あ、馬車、兄貴がびっくりしてた」

「……えー。説明してくれてなかったんですか」

「いや、実際見たほうが早いし。だからごめんって」


 疾風に礼を言われた後の言葉に、蒼真はあからさまに眉尻を下げた。さすがに、自分の腕力を説明もなしにいきなり見られて困ったのだろうな、と誠哉は思う。

 頬をふくらませた蒼真をよそに疾風は手を拭い、リストを受け取ると真面目くさった顔をして内容を確認した。ちらりと蒼真に視線だけを向け、問いかける。


「いいんじゃね? ちゃんと楮に見てもらっとけよ」

「もう見てもらってますよ。OKが出たので、エンシュさんと一緒に村に戻ってもらいました」

「おう、ならいいんだ」


 対する蒼真の返答に、疾風は小さく頷いた。言われてみれば、いつのまにやら楮の姿はどこにもない。

 リストを彼女の手に戻した疾風は、ぽかんと立ちすくんだままの誠哉に向き直る。彼の手元はまるで動いておらず、作業は止まったままである。


「誠哉兄?」

「……誠哉さん? 先程から気もそぞろなようですが、大丈夫なんですか?」

「え? ……あ、うん、ごめん。大丈夫」


 二人から名を呼ばれて、慌てて意識を現実に引き戻す。視線を感じて誠哉は、困ったように銀の髪をくしゃくしゃとかき回した。自分がぼんやりしていたのは事実だから、言い訳をする気にはならないようだ。

 そんな義兄の様子をしばらく伺っていた疾風だったが、ふと気がついたように「ああ」と声を上げた。


「もしかして、楮のこと気になんのか?」

「あ、お知り合いだったんですか。同じ村、ですものね」

「小さい頃しか知らないけどね」


 疾風の言葉で蒼真も気づいて、目を見張る。二人の視線を受けながら誠哉は、ほんの少し苦笑を浮かべるしかなかった。何しろ、気にはかかっていてもどうすればいいのか、本人にも分かっていないから。




 隊長室には、珍しくエンシュの姿はなかった。無論部屋の主であるセラスラウドはいつものように席についているし、特に問題はないのだが。


「結局生存者はゼロ。死者十一名、行方不明六十八名か。見事に全滅だねえ」

「……酷かった」


 書類を眺めてため息をついているセラスラウドの前に立ち、分かりにくいがしょげた顔をしているのはシェオル。彼女は、派遣されていた村での出来事を報告するためにこの場にいる。本来ならばカルマの役割であるのだが、彼は今誠哉たちと一緒に後片付けの真っ最中だ。


「行方不明も多分、今頃アンデッドだってカルマが言ってた」

「しょうがないね。どうしてもカワノ村からの情報は遅くなっちゃうもの」

「守備隊の巡回も受け付けなかったから。行商人が教えてくれなかったら、もしかしたら腐ってたかもしれない」

「そうなんだよねえ……」


 さすがにこれは分かりやすく、眉間にしわを寄せて顔をしかめたシェオルの表情はとても苦々しいものだ。同じ表情を、セラスラウドも浮かべている。


「守備隊の兵士がいるから魔族が狙ってくる、って言ってたんだよね。だから、あの近くには別部隊を駐留させることもできなくてさ。よく羊たちが無事だねって思ってたんだけど」

「守備隊が来る前は、どうだったんだろうか」

「その前は混血児なぞ作るから狙ってくる、だったよ。確か」


 眉間のしわが取れないままの彼女の疑問に、セラスラウドはさらりと答えた。その言葉に、シェオルはしばらく首を傾げてから思い出したように目を見張る。


「……エンシュが言ってた、昔の話?」

「そう、それ。シェオル、誠哉くんには会ったんだよね?」

「うん。彼なんだ」

「そう。あの子が、エンシュが助けてきた子。何の因果なんだか」


 今から三十年ほど前に、エンシュリーズは一度カワノという名の村を訪れた事がある。自分と同じ、異色の赤子を救い出すために。できればその両親も救いたかったのだが、それは叶わなかった。

 そのこともあって、誠哉が行方をくらました十年前に彼女が副官を務めるセラスラウドの部隊がこの地方を訪れ、今の守備隊が生まれたのだ。誠哉の養父、つまり上総兄妹の実父である高雄とエンシュに面識があったのが大きいらしい。

 そして、それから十年後。赤子が成長した青年は無事保護することができたけれど、彼の生まれた村はいつの間にやら滅びる結果となっていて。


「当の魔族はその村長込み六十八人と共に行方知れず、ね」


 はあ、と本日何度目かのため息をつくセラスラウドであった。

 如何に排他的な思想を持つ村とはいえ、魔族の襲撃を受けてまるごと全滅してしまったとあっては気分のいいものではない。ましてや、当人は知らないだろうけれど仲間の故郷である。


「……セラス」


 密やかな言葉と同時に、長い尾がゆらりと揺れる。その動きを気に介することなくセラスラウドは、シェオルの顔をまじまじと見やった。室内はさほど明るいわけではないから、外では細くなる猫の瞳も今は丸々として司令官を見つめている。


「二カ月前に、あの村に立ち寄った商人が見つかった。話聞いたんだけど、村全体変だったって」

「変?」

「書面、カルマが書いてる」


 少女が指差した先は、提出された書類。シェオルが説明が苦手だということをよく分かっているカルマが、書類に認めておいたらしい。もっとも彼は彼で、堅苦しい文章を書くことはないのだが。

 パラパラとめくった中に該当する文章を見つけ、セラスラウドは目を走らせた。曰く。


『どことは言えない、つってましたけどね。なんか人の目を互いに気にしてたというか、ものすごく居心地が悪かったそうで早々に逃げ出したそうです』

「ふうん」


 思った通り、会話文をそのまま文字にしたような文章をさらりと飲み込んで、小さく息をつく。それから、再びシェオルに視線を移した。


「どう思う? 君の個人的な意見で構わないよ」

「多分、相互監視。人質か、そうでなければ口外すればアンデッド、とか」

「僕も同じ意見だね」


 猫娘の言葉に、司令官はほんの僅か顎を動かして同意を示した。ちらりと周囲に視線を巡らせてから、低い声でとつとつと推測を紡ぐ。


「魔族は村人の口を封じて、カワノ村に潜伏していた。で、移動する用事ができたか、村自体が用済みになった」

「全部片付けて、使えそうなのはアンデッドにして持っていった」

「最初から、アンデッドを作るのが目的だったかもね。村一つ分だと、かなりの勢力になるし」

「確かに、そうだ」


 魔族は、アンデッドであれば大量に使役することができる。操る相手に既に意志がなく、使いやすいからだ。

 外部との往来をあまり歓迎しない閉鎖された村であれば、内側に入り込んでまるごと死体としてしまえばその発覚は遅くなるだろう。例えば、カルマとシェオルが調査してきたカワノ村のように。

 彼らが到着した時、その村には必要がなかったらしい数名の骸だけが残されていた。つまりは幼すぎる子供、そして力のない老人のものが。

 報告書によれば、若者や壮年の姿はまるでなかった。男も、女も。

 魔族がそれら全てを骸とし、手駒として連れ去ったのだろう。


「移動したってことはつまり」

「アンデッドを使う時期が来たから」

「攻勢に出るつもり、かな」


 その理由を二人は会話にならない会話で推測する。その会話が途切れたところで隊長は、部下たる猫娘に少しだけイタズラっぽい視線を向けた。頬杖をついて、わずかにその顔を覗き込む。


「ところでシェオル、君が書面出しに来るのって珍しいね」

「誠哉、のこと、気になった。まだ大丈夫だけど、魔族っぽいから」

「ああ、それで」


 シェオルの答えに、セラスラウドは小さく肩をすくめた。

 自分とカルマにはそれなりに懐いている猫娘だが、それ以外の人間には例え守備隊の仲間であっても必要以上に近づくことはしない。猫獣人としての、それは特性だ。

 更に獣人は魔族の匂いには敏感で、故にシェオルは誠哉のことを多少警戒しているらしい。獣人ならば、守備隊にはもう一人いるのだが。


「ラフェリナは懐いているんだけどね」

「ラフェリナ、敵意がなければ懐く。私と違うから」

「はは」


 猫獣人よりも人懐こいのは、犬獣人の種族としての傾向だ。その中でもラフェリナは特に、守備隊の仲間たちにはすっかり懐いてしまっている。誠哉にもあっさりと懐いてしまった彼女は、彼を魔族の類だとは受け取っていないらしい。

 一方猫獣人であるシェオルは、誠哉を『魔族っぽい』と受け止めている。この差は、さて。


「魔族っぽいのに敵意がない、ねえ。まだ堕ちてないから、って言ってしまえばそれだけなんだけど」

「カルマが言ってた。大昔、ひとと一緒に暮らした魔族がいるって」


 シェオルの口から出た言葉に、セラスラウドの背にある翼がぴくりと反応した。本人がほんの少し目を見張ったのは、そのすぐ後である。


「ああ、『優しい魔族』。実在したのかね」

「分からない。でも多分、カルマは詳しい」

「だよねえ。できたら調べて欲しい、って頼んでくれるかな」

「分かった」


 シェオルの言葉に甘えることにして、頭を軽く振るセラスラウド。誠哉の救出を機に様々な問題が積み重なりつつある現状に、また一つ降り積もった問題がその脳裏にある。

 ひとがその精神を堕落させて成る、魔族。だがその中には、希少ながらひととの同居を良しとする者が存在するという。

 それが、伝承の中にその名を残す『優しい魔族』。魔族という存在の成り立ちを考えると自然ではないが不自然でもない、奇妙な存在だ。

 ただ、誠哉が東方人でありながら銀色の髪を持つというだけで色眼鏡で見られるというような世界の中にあって、魔族がひとの中に溶け込んで平和に生きることができただろうか。伝承の中にしか残らない存在であるということは、それが架空だったとしても実在だったとしても証明するすべはない。

 しかし。

 青年が持つ髪の色の理由がもしそこにあるのならば。


「誠哉の先祖が、『優しい魔族』?」

「まあ、なくはないね。だからこそ、誠哉くんまで血がつながってるんだろうし」


 敵対心のない、魔族。その血が混じった一族が魔族に堕ちることなく、細々と世代を重ねてきたとすれば。

 銀髪の青年がその末裔だとすれば。


「……となると、魔族の狙いはその血ってことか」

「魔族は魔族、だから?」

「うん。誠哉くんの場合、多分外見だけでなく能力も先祖返りしてると思うんだ。魔族として覚醒してないのに、光の剣使えるってのもそう考えると、説明がつく。ご先祖様が『優しい魔族』でも、誠哉くん自身もそうなるとは限らないしね」


 はあ、とセラスラウドはため息をついた。組んだ手に額をこすりつけ、軽く思考にふける。

 未だ人間の身でありながら魔族の力を使うことができる、かの青年。

 ならばもし、彼が魔族に成り果てたとしたらその力は、どれほどになるのだろうか。

 彼の先祖にいたのかもしれない、ひとと共存した魔族の力。その力を、誠哉を捕らえていた魔族は欲していたのかもしれない。

 何故、十年もの間眠らせていたのかは分からないけれど。


「君が気をつけてるから大丈夫だと思うけど、カルマにも一応ちゃんと見てやってくれって伝えてくれるかな」

「分かってる。疾風と弓姫が十年待った、お兄さんだから」


 隊長のどこか苦み走った笑みに、シェオルは小さく頷いて答えた。ただ、その目に宿る光は獣特有のとてつもなく力強いもの、である。



 荷物の確認を終えた楮は、一足早く帰宅した。『まくろのこ』であるエンシュには、丁重に言葉を選んで村の入口までで帰ってもらっている。

 この地を預かっている守備隊は、隊長及び副官の教育が行き届いているせいか物資を横領することはあり得ない。十年の付き合いでそれを知っている村人たちは、だから安全が確保されているうちに自宅に戻る。

 もっとも異色の存在や、東方人でない者が多く所属している守備隊とあまり一緒にいたくない、というのが排他的な考えを持つ村人たちの本音ではあるのだが。


「若旦那、お帰りなさい。大変でしたね」

「ああ、まあな。やーもう、ここ最近魔獣がまた増えてきて大変だよ」


 店番として雇っている青年、旧友のかなめに声をかけられて頷く。軽く肩を揺するのは、どうやら自分が緊張していたことに気がついたからだろう。魔獣に襲われ、守備隊に救われて後始末やら何やらで大変だったのだから。

 要は苦笑しながら、作業を続ける。店頭に品物を並べつつ、楮を振り返った。敬語を使っているのは、曲がりなりにも相手が雇い主だからだろう。


「次の仕入れは、もっと大勢で行ってくださいね? 向こうの大旦那、気にしてるでしょうし」

「わーってるって。俺も死にたかねえし……ってか、十日前に会ったばかりだよ。カワノの村は相変わらずでさ、結構仕入れできたし」

「守備隊とか苦手ですもんねえ、あっこの村。うちとよく取引してくれてるもんだ」

「そら親父のおかげだよ」


 楮も苦笑して、リストを要に手渡した。蒼真が作ったものと同じリストであり、つまりは被害にあった馬車に積まれていた荷物を羅列したものになる。日常に使う道具は大概、婚約者の出身であるカワノ村からの仕入れとなっているようだ。

 リストを受け取ってざっと目を通してしまってから、要は慌てて楮に問いかける。今帰ってきたのは身一つの楮だけであり、このリストに載っている荷物はどこにもないのだから。


「はいどうも、って荷物の現物はどうなりました? 仕入れが滞ると、後が大変なんですよ」

「それは問題ねーよ。守備隊が回収して、持ってきてくれるとさ」

「おー、そりゃ助かります。って、先に帰ってきちゃったんですかあ?」

「だってお前、守備隊の新入り知ってっか? 銀髪だぜ銀髪、また異色だってえの」

「あ、そういや新入り入ったって話は聞きましたけど。また異色っすか、強いんでしょうけどあの隊長、ほんと物好きですねえ」


 荷物に関してはともかく、『銀髪』にうわあ、と顔をあからさまにしかめる要。この表情が、村人たちの素直な感想である。

 顔を知らないこともあり、楮は『守備隊の新入り』が十年ほど前まで自分も世話になったことのある青年だとは気づいていない。もっとも気づいていたらいたで、それはまた顔をしかめる要因ともなるのだろうが。

 そんなことよりも彼には、少し気になることがある。生きているかどうかを知らない青年のことよりも、もっと身近なことだから。


更科さらしなはどした。店出てる時間だろ」


 更科。楮の元にやってきた、艶やかな黒髪を長く伸ばした少女。

 楮と一緒になることを前提としてやってきた、彼の婚約者である。扱いとしては既に、楮の妻も同じことであった。だから要は、名前ではなく『奥さん』と彼女を呼ぶ。


「あー、奥さん? さっき若旦那にお客さんが来たんで、奥で応対してます。店番は俺でもできるんで」

「俺に? 分かった、すぐ行く」


 その答えに頷いて、楮はいそいそと店の奥へ入っていく。彼女の父親に半ば押し付けられたような形で婚約した二人ではあるが、今のところはうまく行っているようだった。

 楮の背中を見送りながら、要はぼそりと呟いた。こちらは、未だに独身である。


「疾風も弓姫ちゃんも、いつまで待ってるんだかねえ……いい加減、あんな魔族なんて諦めりゃいいのにな」


 要が口にした言葉は、楮には聞こえていない。誰にも聞こえないように、ほとんど口の中だけで声は消えている。魔族という言葉すら、この村では禁忌であるかのようだ。

 疾風と弓姫は楮にとってはご近所さんの幼なじみで、今は守る者と守られる者に別れてはいるけれど友人、だと思っている。それは楮も、同じ村で育った要も一緒だ。年を取った者ほど守備隊には拒否感を示すため、あまり表には出せないけれど。

 疾風も弓姫もそれなりにモテていて、要の両親なぞは弓姫が守備隊に行くくらいなら息子に嫁げばいいのにと公言していた。その影響だろうか、今でも要には嫁がいない。

 その友人兄妹の義兄であった天祢誠哉は、守備隊が常駐するきっかけとなった事件の後行方不明になったままだ。兄妹が成長した後守備隊に入ったのは、その義兄を何とかして探し出すためで。

 十年経っても見つからないのだから、恐らく彼はもう生きてはいないか魔族に堕ちているかのどちらかだろう。それが、村人たちの一致した推測だった。


「つか弓姫ちゃん、マジで俺んとこに嫁に来りゃいいのによ。魔族よりはよっぽど良くしてやれるぜ」


 そんな推測と子供の頃からの思い込みを元にした要のつまらない呟きをよそに、楮は店の奥につながっている住居へと足を進めた。店の客、ではない意味合いの客人が訪れた時には、そちらの居間を兼ねた応接間で対応することにしている。

 自宅ということもあり、閉じられた扉をごく当たり前のように開いた楮の視界に入ったのは、主が座るべきひとり用のソファに悠々と腰を下ろしている少年の姿だった。

 足を組み、頬杖をついたその少年は、真正面から楮を見据えると唇の端を歪めた。朗らかに、とても楽しそうな笑みを浮かべて。


「おかえりなさーい。楮って名前だったんだね、あんた」

「なっ……」


 にんまりと細められたせいで、その目に白い部分が無いことを楮は気づかない。それに何よりも、彼の視線は少年よりもその足元に向けられている。

 うっとりと蕩けた表情で少年の足元にだらしなくへたり込んでいる、服をはだけた婚約者の姿に。

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