8. 引き裂く爪は猫の爪

「木刀から、光ねえ」

「はい。私も、自分で見ていなければ何の冗談かと思いますが」


 蒼真の報告を受けて、セラスラウドはふーむと顎に手を当て考えこむ表情になった。隊長室でいつものように席に付いている彼を横目でチラリと伺って、共に彼女の報告を聞いていたエンシュは難しい顔になる。


「記憶にあるか?」

「うーん、実際に見たことはないねえ。魔族のお偉いさんが使う技にあるって話は、前に聞いたことあるんだけどさ」

「私は、五十年以上前に一度見たきりだな。なかなかの強敵だった」


 思い出しながら呟いたセラスラウドは、自身に問いかけたエンシュのその言葉にふと目を見開いた。少女の姿をした副官に、蒼真とともに目を向ける。

 手合わせの最中、誠哉が木刀から光の斬撃を放ったという報告。

 二人の翼人は最初その言葉を聞いた時、互いに顔を見合わせた。もっとも、報告を持ってきたのがもともと生真面目な性格である蒼真だったということもあって、素直にそれを受け入れたのだが。

 セラスラウドは、以前見た報告書でその類の攻撃方法が存在することを知っていた。とはいえその攻撃を使うことのできる存在自体が希少らしく、人間よりも長寿である翼人の彼も実際に目にしたことはなかった。

 だが、エンシュは見たことがあるらしい。と言うよりは、その言葉からすると。


「ということは、君その相手とやり合ったことあるんだ」

「まあ、最後の悪あがきにぶっ放されただけだがな。お返しに、全力で吹き飛ばしておいた」

「……大丈夫だったのですか、エンシュ」

「無論だ。だからこそ、今ここにいる」


 セラスラウドと蒼真の、言葉を選んだ質問にエンシュはさらりと答えてみせる。見かけこそは幼い少女の姿であるが、幾多の修羅場を乗り越えてきたであろう彼女の答えは短いものの強い自信を含んでいた。

 修羅場の中にはきっと、彼女の外見に関わるものもあったであろうに。

 一瞬だけセラスラウドはエンシュに意識を移したが、意図的にそれを切り捨てると蒼真に向き直った。いつも通りの、実際の感情からは切り離された笑顔を彼女に見せる。


「ともかく、報告ありがとう。本人も分かってるんだろうけど念のため、あんまり使わないようにって誠哉くんに伝えてくれるかな。後で僕たちからも言っておくけど」

「はい、承知しました。それではこれで」


 顔を緊張させて頭を下げ、蒼真は部屋を後にする。ばたん、と扉が閉じた後少しだけ間を置いて、エンシュは腰に手を当てながらセラスラウドに向き直った。


「……で。どう思う」

「誠哉くん、多分先祖返りだろ。その関係で使えるんだとは思うけど」


 銀の髪の意味を口にしつつ、セラスラウドはほんの少しだけ考えるような表情になった。それから、ちらちらと視線の端でエンシュの顔を伺う。


「ってことは、ご先祖様って魔族のお偉いさんなのかな」

「恐らくな。とはいえ、私は知らんぞ」


 司令官の提示した仮説に、副官は頷く。少女がふと思い出すのは、腕の中に抱えたことのある小さな幼子。その髪は、やわらかな銀色に染まっていた。

 その面影を振りきってエンシュは、意図的に眉をひそめる。誠哉の先祖に対して、というよりは別のものに対してだ。


「だが、これで魔族が彼を保存していた理由は分かったようなものだな」

「だね。そういう血なら、連中も自分の側に引き込みたいだろうし……負けないけどさ」


 半眼になった美貌の司令官は、そう呟きながら不敵な笑みを浮かべた。そうして窓越しに、森を睨みつける。おそらくはこの近くのどこかにいるであろう、魔族に向けて。

 ふん、とひとつ息をついて目を閉じる。再びまぶたが開いた時には既に、セラスラウドは普段通りののんびりとした表情に戻っていた。そうして、ふと気づいたようにエンシュに視線を戻す。


「ああ、そうそう。そろそろ、シェオルとカルマが帰ってくるって」

「おや」


 挙げられた二つの名前に、エンシュがわずかに顔色を変えた。身体ごと自分に向き直った少女に、青年はふわりと笑いながら頷いてみせる。


「うん。南の村も落ち着いたみたいだし、追加人員も派遣されてきたらしい。早文はやぶみがさっき来てね」

「ふむ。祈祷師が戻ってくれば、こちらとしても力強いな。アンデッドの相手は何かと面倒だ」


 顎に手を当ててエンシュは、少しホッとしたように頷いた。

 武器ではなく、祈りによってアンデッドを動かぬ骸に戻すことのできる祈祷師は、守備隊には必ず配属されている存在だ。だが、この部隊に配属されている祈祷師は誠哉が救出される前に別の村へと派遣されており、故に疾風たちは苦戦を強いられることとなった。モールを扱う蒼真、魔術を得意とするエンシュがいたのが幸いである。

 そちらの問題が解決したため、祈祷師は本来の任地であるこちらへと帰還することになったようだ。だが、その話を聞いてもエンシュが完全に安心したわけではないらしい。その証拠に、形の良い眉は軽くひそめられている。


「しかし、カルマはともかくシェオルはいいのか? あれは隊長殿か、カルマがいなければ面倒だぞ。誠哉に懐くとは思えんし」

「でも強いからねえ。いいコンビだしさ、カルマが何とかしてくれるでしょ」

「お前は誰かに押し付けるのが得意だな。全く、頼りにならぬ隊長殿だ」


 まるでセラスラウドの姉であるかのように、エンシュはやや大げさにため息をついてみせた。セラスラウド自身もそのことは分かっているようで、ふるりと小さく頭を振るってから姉に口答えするように軽く反論する。


「でもさ。誠哉くんも、カルマみたいに頼れる人がいるほうがいいじゃない? 僕や君じゃ、いまいち頼りにならないでしょう。ビジュアル的に」

「……否定はしない」


 頷いてしまってから、む、と互いにつまらなそうな表情になる2人。優男の司令官と美少女の副官では、見目は良いが頼りになるかと言われれば、確かに。


「こういう時は、翼人は面倒だな」

「肉体派の翼人なんて、ほとんどいないもんねえ。んで、当の誠哉くんは何してるんだい?」


 エンシュの愚痴を受け取ってしまってから、セラスラウドは話題を無理やり切り替えた。エンシュもあまりおもしろくない話題だったらしく、それに乗る。


「アテルのところで血液を取ってたが……訓練は結果が出るまで取りやめと怒られてな。明日は暇潰しがてら、上総の二人と一緒に高雄の墓参りらしい」

「ああ、いない間に亡くなられてるもんね」


 誠哉の養父の名を口にしたエンシュにさらりと答えて、それから翼人の青年はふと眉をひそめた。墓地のある場所を、思い出したからだろう。


「お墓って、確か村のすぐ側だよね。誠哉くんのことバレたらまずいかなあ」

「容姿のこともあるし、フードはかぶっておけと言っておいた。……なんだ、まだ村人には言ってないのか」


 銀の髪は、東方人の集落ではどうしても目立つ存在だ。さらに、それが10年前に行方不明になった時のままの容姿を持つ青年であることは、一瞬でも村民の目に触れた瞬間知れ渡るだろう。

 その時の村人の心情を鑑みると、隠しておくよりは先に伝えたほうが良かったのではないか、というのがエンシュの言葉の意味だった。それにセラスラウドは、ふるりと小さく頭を振って答える。


「一応村長さんには伝えておいたんだけどね、多分他の人たちは知らないよ。そうでなきゃ、抗議が来るだろ?」

「十年前の容疑者だからな、村長もあまりおおっぴらにしたくないんだろうよ。今の村長は事なかれ主義だ」

「僕は先に言ったからね。文句が来たら、そう言ってあげることにしてる」


 ふん、と鼻息荒く吐き捨てたエンシュの不満気な顔に、セラスラウドは仕方がないというように肩をすくめた。

 閉鎖的な村を治めるには問題を起こすような長でないほうが適任だ、というのは分かるから。




「うわあ。やだやだ、怖いねえ翼人ってやつは」


 ぶるぶると芝居がかった仕草で肩を震わせて、少年はひとりごちた。

 守備隊宿舎からはかなり距離のある、森の中。いつものように木の枝に座っていた少年の白目のない眼には、自身を睨みつけたセラスラウドの姿が見えていたようだ。お互いに、見えないはずなのだけれど。

 もっとも、当人にとってそんなことは大した問題ではなかったようだ。うっすらと目を細め、「ま、いいか」と切り捨てる程度のことだったのだから


「さてと……ただ待ってるだけ、ってのも面白くないよね。十年寝かせてたくせにアレだけどさ」


 ぶらぶらと両足を揺らしながら少年は、しばし考え込む表情になる。

 ほんの少しの空白があってから、彼はふっと顔を上げた。少年の素性を知らぬ者が見ればそれは、子供がよく見せるいたずらを思いついた時の小憎たらしい笑顔にしか見えないだろう。


「ちょっとだけ、ちょっかい出してみちゃおっかな。片付けたいお仕事もあるし、陽動ってことで」


 周辺に人がいないこの場で、少年の笑みと言葉の意味を知る者は誰もいない。もしそんな者がいたとしても、恐らくそれを誰かに伝えることはできないだろうが。




 守備隊の宿舎と村とは、魔除けの結界が張られた畑の中を通る一本道を通じてつながっている。守備隊への出動要請をする村人や、品物の買い出しをする隊員たちがのんびりと通ることのできる道だ。

 その道から少し離れた、魔除けの結界がぎりぎりでかかっているエリアにひっそりと墓地は存在する。穢れを退ける、という理由で周囲を取り囲んでいる森の中に開けた平地。その中で無造作に並ぶ大きな石に刻まれた名前が、その場に葬られた人物を振り返る唯一の手がかりだ。

 そのひとつに上総の両親の名を見つけ、誠哉はその前に跪いた。付き添いとしてやってきた疾風と弓姫は少し後ろに立ち、義兄をじっと見守っている。


「義父さん、義母さん、ただいま。帰るのが遅くなって、ごめんなさい」


 口の中だけで呟かれる言葉は、誠哉以外の誰にも聞こえない。義弟も義妹も、銀の髪の兄が死んだ両親に何を伝えているのか聞き取ることはできなかった。と言っても、内容を推定することは簡単なのだけど。

 ややあって、誠哉は立ち上がった。銀の髪を隠すフードの下で彼は、色の薄い瞳を細める。


「……ごめんね、付き添ってもらって」

「いや、さすがに一人にするわけにはいかねえもんな。一応誠哉兄、俺の監視下だし」

「お兄ちゃんほっといて朝練に行っちゃうくせに、何言ってるんだか」


 振り向いた義兄の前でがりと髪を掻く疾風と、その脇腹を肘で小突く弓姫。兄妹のやりとりを眺めてから、誠哉はくるりと周囲を見渡した。眠りについた人々を悼む姿は、彼らの他にはいない。

 青年2人の腰には剣が、弓姫の背中には小型の弓と矢筒が装備されている。もし何らかの事態が起きた場合いつでも対応できるよう、携帯できる武器を所持しておくのが守備隊の中では外出時の不文律となっていた。無論、エンシュのように魔法で対応できる場合はその限りではないのだが。

 だが、彼らの力を求めるその声を耳で聞き取ることができたのは誠哉だけだった。


「っ」

「お兄ちゃん?」

「声、聞こえた。こっち」

「声? って誠哉兄!」


 不意に顔を上げた義兄を見上げ、弓姫が不思議そうに首を傾げる。その彼女に誠哉は、答えになるかどうかわからない単語を呟いた。

 そのまま、二人の言葉も聞かずに走り出した誠哉の後を弓姫、ついで疾風が慌てて追いかけた。並走しながら疾風は、小声で弓姫に問う。


「弓姫、聞こえたか?」

「ううん、全然」


 小さく、けれどはっきりと首を横に振って弓姫は、自分の耳穴に軽く小指を突っ込んだ。かしかしとひっかくような仕草をしてみせてから、速度を落とさないまま顔をしかめる。

 視線の先にあるのは、こちらを振り返りもせずまっすぐに駆けていく義兄の背中。このまま行くと、村外れの大きな街道との合流点に出るはずだ。だが道から少し離れるとすぐ木々が生い茂っているこのエリアでは、墓地にまで聞こえる声となるとかなりの大声になる。少なくとも上総兄妹は二人とも、そんな声を耳にしてはいない。


「……お兄ちゃん、何かあるのかも」

「だな」


 不安げに表情を曇らせながらも誠哉を追って走る彼らの前に、やがて街道から枝分かれした道の途中の光景が見えてきた。

 横倒しになった荷馬車を踏みつけるようにして、人間の倍ほどもある身体を持つ大型の魔獣がぐちゃぐちゃと肉を食んでいた。馬は二頭いたらしいが、既に引き裂かれた血まみれの身体が転がっている。もう一頭は、魔獣の口の中だ。

 そして、魔獣が振り上げた爪の下には、腰を抜かして怯えている東方人の男性。

 上総兄妹はよく知っている村人の一人、数少なくなった同年代の青年だった。食料品や日用品を売る店の若主人で、つまりあの荷馬車にはその売り物が満載なのだろう。

 付いているはずの護衛は……血にまみれた身体が二つ、無造作に転がっている。上と下に分かれているものと、頭の部分がすっかり潰れているものと。


「だあ、こうぞかよ! 腰抜かしてんな、てめえは!」

「ひえ、あ? え、疾風か!」

「はぁあっ!」


 互いの顔を確認し合った疾風と楮というらしいその青年を置き去りに、誠哉は走ってきたそのままの勢いで地面を蹴る。その瞬間フードが外れ、銀の髪が陽の光を受けてきらめいた。

 ざく、と肉を斬る音がして、誠哉の抜き放った刃は魔獣の首筋に突き立った。だがそこからは血が流れず、魔獣も痛みを感じていないかのようにブルリと首を振るった。その勢いで抜けた剣ごと吹き飛ばされながら、誠哉は二人に叫ぶ。


「疾風、弓姫! これ、アンデッドだ!」

「了解! 二人とも、私バックアップに入る!」

「分かった!」


 魔族の手にかかれば、巨大な魔獣すらも屍として操られる。そういう事例はめったにあるものではないが、少なくとも知識として疾風と弓姫は頭の中にそれを叩き込んでいた。

 人間のアンデッドと同じく、弓姫はこの相手に対してはさほど戦力にならない。故に剣を持つ兄二人に相手を任せようと、自身は楮の元へと駆け寄った。その目の前で楮は、やっとのことで立ち上がりながら疾風に問う。


「……あいつは?」

「うちの新入り」


 怯えつつも眩しそうに銀の髪を視線で追う楮の疑問に、剣を振って魔獣の爪をはねのけながら疾風はそう答えた。間違ってはいない、ただ全てを言っていないだけだ。


「楮さん、急いで逃げて。守備隊に連絡、お願いします」

「わ、わかった。頼むぞ!」


 走り寄ってきた弓姫にそう促され、青年は脇目もふらずに逃げ出す。大金をはたいて雇った護衛があっさり殺されている以上、この場は守備隊に任せて自分は少女の指示に従う、それが一番安全なのだと分かっているから。

 それに顔も知らない新入りが、異色の髪を持っている。ただでさえ『まくろのこ』であるエンシュリーズが副官を務めている守備隊には、守られてはいるもののあまりお近づきにはなりたくない。故に楮は、新入りの身分を確かめることもせずさっさと逃げていった。

 楮の姿が見えなくなる前に、誠哉は数度剣を振るった。がきん、がきんと金属同士がぶつかるような音がして、魔獣がわずかに押し戻される。無理やり踏み下ろしてきた反対側の足を誠哉は、地面を蹴って横に逃れた。

 ちょうどそこへ疾風が入れ替わるように滑り込み、地面を叩いた足に斬りつける。どす、と鈍い音がして、濁った体液が流れ出た。そして漂う、腐敗臭。


「うわクセッ。おいこれ、いつ死んだやつだよ……」

「そう、数がいる魔獣じゃないしね」


 うっと顔をしかめながら距離を取り、疾風と誠哉は剣を構え直した。腐汁がついた剣の刃先からも同じ臭いは漂ってきており、二人の戦意をかなり損ねている。

 とは言え、目の前で戦闘態勢をとっている魔獣を放っておくわけにはいかない。二人は改めて、気合を入れ直す。


「てーか、魔獣のアンデッドお? この辺にいる魔族、何考えてやがんだ」

「こっちの方が倒しにくいからじゃないか?」

「いやまあ確かにそうだけど!」


 叫んだ瞬間、疾風は再び地面を蹴った。魔獣の身体を足場にして飛び上がり、首筋に一撃を叩き込む。

 ぶしゅっと弾けた腐汁をかわし飛び降りた疾風を追いかけて爪を振り上げた魔獣は、ばきんという音と共に変な方向に首を捻らせて動きを止めた。再び動き出した時には既に疾風は爪の届く距離にはおらず、魔獣の動きも遅くなっている。

 ほぼ同時に誠哉は低く走り込んでもう片方の魔獣の前脚、その関節部分に刃をねじ込んだ。めきり、と骨が折れる音がして、死せる魔獣は前脚の一本を失った。それだけでバランスが崩れ、動きが鈍くなる。

 屍には痛覚がないから、痛みで戦闘能力を低下させることはできない。物理的に動かなくするしかないのだ。


「誠哉兄、あれ使っちゃ駄目だかんな」

「はいはい。隊長にも言われてるし」

「言われなくても駄目でしょ、あれ遠くまで飛んで危ないんだから」


 一旦引いた途端義弟と義妹に挟まれて、誠哉は苦笑を浮かべる。

 あれ、つまり剣に光を宿しての攻撃。疾風や村の友人たちはできなかったことだから、自分に僅か流れている魔族の血に由来する力なのだろう、ということくらい誠哉は理解している。昔は村を守るために、こっそりではあったが使っていたけれど。

 今の誠哉は、魔族に由来する力を使うことでそちらに引きずられかねない、ということらしい。故にセラスラウドもエンシュリーズも、誠哉にその力を使うことを強く止めたのだった。

 そうして今そばにいる、弟と妹も。だから誠哉は、ほんの少し微笑みを浮かべて頷いてみせた。


「使わなくても、大丈夫だよ。疾風と弓姫がいるから」

「……誠哉兄、そういう台詞ほいほい口にするもんじゃねーぞ」


 もともと端正な容貌をしている誠哉が笑うと、ことと場合によっては女性だけでなく男性の目を引くこともある。その自覚がない誠哉に対し、疾風は頭を抱えたくなってしまった。そうしなかったのはひとえに、今が戦闘中で剣を放り出すわけにはいかなかったからだ。

 もっとも、誠哉に自覚がないのはしかたのないところもある。村では誠哉は銀の髪故にほとんどの村人からは距離を置かれており、男性が意識を引かれてもそれは魔族の血がなせる業と思われていたからだ。誠哉自身の魅力は、魔族の血が混じった孤児の『魔力』と思い込まれていた。


「え、なんで?」

「何でも!」


 だから、義兄のずれた反応を疾風は責めることができない。できないままに、理由を告げることなく誠哉の少々軽はずみな言動を止めることだけはやめないのだけれど。

 一方、事実上の戦力外通告を受けている弓姫は戦場からは少し距離を置いていた。太い樹の幹に背中を付け、背後からの不意打ちに備えている。

 その状態で二人の兄が戦っているさまを見つめていた妹は、ふと空に気配を感じて視線を移した。次の瞬間、声を振り絞って叫ぶ。


「二人とも、空!」

「っ!」


 弓姫の声に反応し、誠哉と疾風は空を振り仰いだ。瞬間、太陽を遮るように広げられた大きな翼が二人の視界に入る。

 これだけ大きな翼は、普通の鳥ではまず見受けられない。それに、一瞬しか彼らには見えなかったが鋭い爪と、そして大きく広げられたくちばしの中に、ずらりと並んだ歯。

 あれもまた、魔獣と呼ばれる存在であることに間違いはない。


「鳥魔獣!」

「この辺じゃ見かけねえはずだぞ、おい」

「だよねえ。普通は山奥で、熊とか死んでない魔獣とか食べてるはずだし」


 アンデッドの動きも意識しつつ、疾風は冷や汗をかいた。

 誠哉が言ったとおり、大型の鳥を模した魔獣はあまり開けた場所には姿を見せない。餌となる動物は確かに多いのだが、家畜でもあるそれらを守るためにも人里のそばに守備隊は配置されている。魔獣の方もそれをある程度理解しているから、本来こんなところまでやってくるはずはないのだ。

 その鳥魔獣が人里に姿を見せたということは、恐らくそうするよう指示した存在がいるはずだ。

 つまりは、屍をも操っているであろう、魔族。


「……てこたぁ、まさかあれ誠哉兄狙いか」

「だとしたら、また巻き込んだことになるか。ごめん」

「兄貴は悪くねえから謝るな。悪いのは、魔族だろっ!」


 つい謝罪の言葉を口にする誠哉に言い返した瞬間、二人は走り出した。どうしても鳥魔獣に意識を引かれていたところへ、アンデッド魔獣が足を折られているとは思えない速度で突っ込んできたのだ。よく見ると、無事な後ろ足を使って地面を跳ねるように蹴って移動しているのが分かる。


「やっぱり、動き抑えるだけじゃ駄目か!」


 とんと地面を蹴り、誠哉は首筋に下から剣を叩き込んだ。すぐに離れ、弾けた腐汁をかわしながら再び同じ場所に切っ先を突き通す。ただ、これでもアンデッドにはさほどのダメージにはならない。首を完全に落としてしまわないと、屍である魔獣の動きを完全に止めることはできないのだ。


「とりあえず、もう一本折っとけえ!」


 ひとまずの手段として、誠哉が先ほど取った戦法を今度は疾風が取る。

 地面に叩きつけられた爪をほんの僅かのサイドステップでかわし、後ろ足の膝関節に無理やり刃をねじ込んだ。ばきという音は、腐りかけた筋肉の向こうで屍の骨が折れた音だ。

 がくりと傾いた魔獣の動きが、更に鈍る。剣士たちはちらりと視線を交わすと、ふと空に意識を向けた。鳥魔獣は、こちらの動きを伺っているようである。



「空かあ。いけるかな」


 二人の兄がアンデッド側に駆け出したのを見て取った弓姫は、空に向けて矢をつがえた弓を構えた。携帯用の小型弓ではさほどの威力を期待することもできないが、それでもいくばくかの力になるかもしれない。せめて、足止めには。


「こんのお!」

「ギャア!」


 気合を込めて放った矢は間違いなく、鳥魔獣の胴体に突き刺さったように見えた。だが、ほんの数瞬を置いてぽろりと抜け落ちる。魔獣自身も吠えはしたものの気にした様子はないから、恐らくろくにダメージを与えられてもいないだろう。

 どうやら、今の状態では弓姫は完全に力にはなれない、ようだ。


「あーもう、小型弓じゃ威力が足りないしい!」

「無理すんなよ、弓姫。突っ込んでくるとこ、俺と誠哉兄でどうにかするしかねえよ」

「うん、ごめん」


 鳥魔獣にちらりと視線を投げた実兄の言葉に頷いて、弓姫はそれでも念のため矢をつがえ直す。ぎり、と歯噛みした音は、恐らく少女自身にしか聞こえていないだろう。

 疾風と誠哉が反対側に飛び離れ、アンデッド魔獣と距離を取る。下界の様子を見てとった鳥魔獣は一度空に舞い上がると、再びギャアと鳴き声を上げた。

 さほどの力もないと見たのだろうか、翼をひとつ打つと巨鳥は急降下してきた。まっすぐに、誠哉を狙って。


「くぉら! とっとと空の向こうに帰りやがれ、このクソ鳥があ!」


 それに反応したのは、疾風の方だった。誠哉に向かって伸ばされた鋭い爪を持つ足を、ぎりぎりのところでがきんという金属音と共に跳ね返す。一瞬体勢を崩した魔獣に、続いて誠哉が切っ先を突き込んできた。


「……ちっ、滑る」


 小さく誠哉が舌を打つ。鳥魔獣の羽に脂分でも多いのか、上手くダメージを与えることができなかったようだ。

 魔獣はぎゃあ、と一つ吠え、そうして翼を激しく羽ばたかせて上空へと逃げる。舞い上がった強風に、弓姫も含めて全員が一瞬視界を奪われた。

 だが、アンデッドにはその強風もさほど影響はしないらしい。


「疾風っ!」


 いち早く視界が回復した誠哉が上げた声と共に、疾風が突き飛ばされた。

 誠哉の前にいたのは、関節を破壊された足を無理やり動かして接近してきたアンデッド魔獣。そいつが獲物を睨みつけ、首元と口から腐汁を垂れ流しながら牙を剥いている。


「……って、馬鹿兄貴!」

「お兄ちゃん!」


 慌てて立ち上がろうとする疾風と、こちらに向かって駆け出してくる弓姫。その目の前で魔獣は、折れた前脚を武器として振り上げた。誠哉はといえば、疾風を突き飛ばした時に剣を手放してしまっており丸腰の状態だ。それでも手を構え、反撃の態勢を崩すことはないのだが。

 だから、不意に届いた男の声はかなり唐突なものだった、といえよう。


「おお、見つけた。確かにその色は目に止まるな」


 どこか間の抜けたその声とともに、がん、といささか鈍い衝撃音がする。音の発生源は、いつの間にか誠哉の前に立っていた大柄な男性がその両手で構えた長いロッドだった。

 ぽかん、と気を取られた誠哉に、その男性は肩越しににんまりと目を細めてみせる。淡い水色を基調とした裾の長い服は、あまり戦にはそぐわないものだ。


「いやあ、いい男は狙われるというが本当だなあ。大丈夫か、あんた」

「……あ、はい」

「OK。ちょい待て、こいつは俺の得意だ」


 ロッドでいとも軽々と魔獣の爪を受け止めながら、その男性はがははと豪快に笑った。その目は青く、赤っぽい金茶の髪の中で誠哉は意識を引かれる。

 力任せに爪を弾き返し、男性はロッドの石突を地面に叩きつけた。瞬間ごうと風が巻き起こり、彼と誠哉の髪や服を激しく揺らす。男性は目を閉じ、口を開いた。


「天に祈りを、さまよえる屍にやすらぎの眠りを。我が祈り聞き届け給え、死者を守りし神よ」


 エンシュのものとは違う、歌うように言葉を紡ぐ詠唱。それが完了した瞬間大地の一部が光を放ち、男性を中央に多重円を描いた。どんどんと震動を伴いながら描かれた何重もの円は、アンデッドと化した魔獣の周囲にも同様に張り巡らされる。


「破邪!」


 男性の一喝。それがトリガーとなり、光の円が弾けた。男性を取り巻いていた光は周辺の全てを通り抜けるように拡散し、対してアンデッドの周囲を巡っていた円はまっすぐ上に放たれて光の柱となる。


「がおおおおおおおおおおっ…………!」


 激しい光の奔流の中で、死せる魔獣は再びの断末魔を迎える。腐った肉体は癒しの光の中に溶けていき、そうして柱が消えたその後には腐汁の臭い、その一欠片すらも残ってはいなかった。

 誠哉は、その力を実際に見るのは初めてだった。だが、かつて亡き義父から噂だけは聞いたことがある。だから、今見せた男性の力の源を言葉として口にすることができた。


「……祈祷師?」

「おお、存じておったか。なら話は早い」


 誠哉の言葉に反応して、男性が振り返った。に、と青い目を細めると、へたり込んだままの誠哉に手を差し出す。素直にその手を取った青年は、軽々と引き起こされた。その見てくれと同じく力強い、しっかりした手だと剣を拾い直しながら誠哉は思う。


「お前さん、上総兄妹の兄上だよな? 隊長殿から早文で話は聞いておるぞ」

「え、ああ……まあ、そうなります」


 隊長殿、という男性の言葉に一瞬考える表情になって、誠哉は頷いた。上総の兄妹を知る隊長、つまりセラスラウドから知らされているということはつまり、今目の前にいるこの男性もまた辺境守備隊の一員、であろう。

 その推測が正しいということは、誠哉の身を案じてか慌てて駆け寄ってきた疾風の一言が証明してくれた。


「カルマのおっさん! 帰ってきてたのかよ!」

「おっさんと言うな、と何度言ったら分かるんだ。俺は、お前さんたちの兄上殿とさほど変わらん年だぞ」

「誠哉兄は止まってたからいいんだよ」


 カルマ、と疾風が名を呼んだ男性は、その疾風の言葉に呆れたように肩をすくめる。誠哉とあまり変わらない歳、ということは三十代前後ということになるが、男性はかなり落ち着いた容貌なのでもうちょっと上に見える。少なくとも、誠哉はそう思っていた。


「カルマ、さん?」

「本名はカルマリオ・ティーだがな。カルマでいい」


 問うた誠哉に対して自らの名を口にし、大柄の男性……カルマはにいと歯をむき出しにして笑ってみせる。それからふと空を見上げ、鳥魔獣を睨みつけると小さく舌を打った。

 アンデッドが消え去ったというのに、鳥魔獣は退散する様子も見せない。どうやら、こちらの様子をうかがっているようだ。

 もともと別口だったのか、それとも逃げることなど考えていないだけなのか。魔獣の思考など、こちらには分からない。


「あっちはナマモンか。俺じゃどうしようもねえな。お前さんは?」

「あの高さだと、ちょっと無理ですね。僕飛べませんし」


 カルマの横で誠哉も見上げた空。普通の鳥の数倍はあろうかという翼を広げている魔獣は、人のジャンプ力では到底届かない高さでその翼をはためかせている。翼人がいればどうとでもなるだろうが、あいにくセラスラウドもエンシュもここにはいない。


「だよなあ。しゃーない、シェオル」

「あーい。ったく、めんどくさ」

「えっ」


 カルマの声に返答したのは、おそらくは弓姫よりも小柄な少女だった。その存在に気づかなかったらしい誠哉の反応をまるで気にも止めず、木々の間からのっそりと言葉通り面倒くさそうに姿を見せる。気配は薄いし、あまり口数の多いタイプでもないようだ。

 長く伸びたストレートの髪は白が多めだが、茶と黒の房が混じっている。その髪の間からぴょこんと出ている獣耳も同じ色。そうしてレギンスの上に履いたミニスカートとの間から、やはり三色の毛が生えた長い尻尾が伸びていた。三毛猫の、猫獣人らしい。

 シェオルと呼ばれたその少女がとんと地面を蹴ると、カルマの肩口くらいまで身体が浮き上がる。その足元にカルマは、自身の手のひらをすいと差し込んだ。結果、猫娘は祈祷師の手の上に乗る形になる。


「せーの」


 あくまでも脳天気な掛け声とともに、カルマはシェオルを乗せた手をまるで重さなど感じないかのように肩の上にまで持ち上げた。そうしてそのまま、物を投げるように……いや、本当にシェオルを思い切り投げ飛ばす。


「フシャアアアアアッ!」


 くるんと空中で回転して自ら方向を修正しつつ、猫娘は右手を振り上げた。指先から尖った爪がじゃきん、と伸びる。

 慌てて逃げようと方向転換をし始めた鳥魔獣をわずかに超える高さまで達した瞬間、シェオルは身体をひねりながら爪を無造作に振り下ろす。獲物を切り裂くための爪は主の命に応じ、その顔面を片方の眼球もろとも切り裂いていた。


「ぎゃおおおおん!」

「やかましいっ!」


 更に引き裂いた顔を蹴り飛ばし、シェオルは魔獣との距離を離して自由落下に入る。蹴られた鳥魔獣の方も視界を失ったせいかバランスを崩し、よろよろと高度を下げてきた。


「よっと。弓姫、どうだ」

「うん。多分、これならいけそう」


 身体を小さく丸めた猫娘を、カルマが上手く両手でキャッチした。その2人と入れ替わるように進み出た弓姫が矢をつがえ、次々に放つ。

 相手の速度が遅く、さらに近づいてきている分攻撃は当てやすく通りやすい。故に、先ほどはほとんど意味のなかった数本の矢は、シェオルの傷の上からどすどすと顔面に突き立った。びゃあ、というもう悲鳴にしか聞こえない鳴き声が、空気の中へと悲しげに消えていく。

 だがそれでも鳥魔獣は、最後のあがきとばかりに必死に体勢を立て直し、そうして今攻撃を仕掛けてきた弓姫に爪を立てようとした。

 無論、そのくらいは人間たちもお見通しである。少女はすぐに身を引き、そして二人の兄を呼ばわった。


「兄さん、お兄ちゃん!」

「おう!」

「任せて!」


 妹を守るように、実兄と義兄が各々剣を構える。身をかがめ、ほぼ同時に大地を蹴った。たかが人間のジャンプで届く位置にまで、翼のある魔獣は高度を下げてきたのだから。


「おらぁ!」

「ふっ! ……はああっ!」


 右からと左から、二本の剣は同時に二枚の翼を切り裂いた。その上で誠哉は一度振り抜いた剣を翻し、その勢いで鳥魔獣の上に位置を取る。そうして自身の落下を剣の勢いに加える形で、鳥の首を半ばまで切り裂いた。


「ピャアアアアアア……っ」


 まるで餌を待つひな鳥のような声は、魔獣の断末魔。どさ、と大地にたたきつけられた鳥魔獣は、数度身体を震わせた後くたりと脱力して動かなくなった。その直後に自分たちも降り立った二人の剣士はしばらく魔獣の様子をうかがっていたが、もう動かないことが分かるとふうと息をつきながら立ち上がる。


「うへ、誠哉兄やっぱすげえわ。あそこから返し入れるかよ」

「疾風も、慣れればできるようになるよ。お前の方が力が強いから、効果は高いだろうし」


 剣を振って血を飛ばし、鞘に収めながら疾風が肩をすくめる。同じように剣を収めながら誠哉は、何でもない事のように苦笑を浮かべた。ちぇー、と口をとがらせながら魔獣を確認に行く疾風を、何となく見送る。

 それから、ふと視線を移す。その先にはカルマが楽しそうな笑顔で、その横でシェオルがつまらなそうな顔をして立っていた。酷く対照的な2人を見比べながら歩み寄り、誠哉は素直に頭を下げる。


「あ、ありがとう。二人のおかげで助かりました」

「いやいや。守備隊のお仲間さんだろ、助けあうのは当然ってね」

「……ふん」


 軽い口調で答えるカルマとはやはり対照的に、シェオルはぷいと視線を逸らした。どこか拗ねているようなその表情を、カルマは「ああ、悪いな。こいつはいつもこんな感じだ」と困ったように伝える。


「こいつは猫獣人のシェオル。見ての通り少々気難しいがまあ、仲良くしてやってくれ」

「は、はあ……」


 ぽんと三色の頭を軽く押さえながら伝えるカルマの表情に、誠哉もなんとなく少女の性格を把握する。それでも一応、とばかりにそろっとその目の前に進み出た。


「シェオル、って言うんだね。僕は天祢誠哉、よろしく」

「……ふーん」


 自分の名を伝えた誠哉に、ちらりと目を向けたシェオルはその一言だけしか口にしなかった。同時に彼が差し出した手の匂いをふんふんと嗅いだのだが、そこで興味を失ったようにふいと視線を反らすとそのまま離れていく。彼女にしてみれば初めて会った青年よりも、今倒した鳥魔獣の方が興味深い存在であるらしい。

 置いて行かれる形になった誠哉は、ぽかんとした顔でシェオルの背中を見送った。長い尾をゆらゆら揺らす彼女に駆け寄る弓姫を確認した後で、カルマに向き直る。


「……嫌われたみたいです」

「いや、そうでもないぞ? 最初は誰にでもあんなもんだ」

「そうなんですか」

「俺なんか、最初顔引っかかれたからな。あれと同じように」

「はあ?」


 鳥魔獣を示したその指で、ほらこれがその時の傷だ、と頬にちょっぴり残る薄い線を差して笑うカルマに、誠哉は困ったように顔をひきつらせるしかなかった。

 いくら何でも、魔獣の顔を引き裂いた同じ爪で引っかかれた痕とはとても思えなかったから。いや、実際のところを見たわけではないから断言はできないのだが。


 逃げ出した楮がどうにかこうにかエンシュと蒼真を連れて戻ってきたのは、誠哉たちが魔獣を倒してからほんの少し後のことだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る