7. 光の剣
誠哉は、夢を見ていた。暗い、暗い空間で繰り広げられている光景を。
本来ならば見ることもかなわない光景が己の前に映し出されているのだから、これはきっと夢なのだろう。そう、彼は認識している。
なぜなら彼が見ているのは寝台に重い身体を横たえ、眠りに落ちることを拒否し続けている自分の姿だからだ。
客観的に光景を見ていると同時に誠哉は、横たわっている己の感覚を味わっている。これもまた、夢故。
「……っ、……」
呻き声を上げるだけで動くことができず、誠哉は迫り来る強制的な眠りと戦っていた。
その周囲にはほんの少し前まで一緒に魔族と戦っていた、顔見知りの若者たちが並んでいる。
彼らの顔からは生気が消え失せ、まるで人形のようだ。誠哉を見下ろす瞳はどろっと濁っていて、力がない。
操られた死体なのだから、それも当然だろうか。
誠哉と、そして村まで帰ることのできた一人以外の若者たちは、誠哉の目の前で無残に生命を断たれていた。あっという間に翻った闇の切っ先が、彼らの心臓をさくさくと貫いたのだ。
そもそも山の中で彼らを待っていた何者かの目的は彼、銀の髪の天祢誠哉だったのだろう。
『それじゃ、始めよっか』
並んだ若者たちの奥に、誰かがいる。顔も姿も分からないけれど、聞こえる声は少年のものだ。
おそらくは誠哉を狙い、待っていた何者か。
その何者かが楽しそうに声を上げると同時に、誠哉の意識ががくりと重く沈み始めた。
眠っちゃだめだ。
ここで眠ってしまったら、恐らく僕は何もできないまま、みんなみたいに、──。
ぎりと噛みしめた唇から、僅かに血が垂れた。少し薄い鉄の味は、妙に喉の奥に染みる。
『やーだなあ、無駄だってば』
声だけの存在が、囁きかけてくる。と同時にずどんと、抵抗を続けていた深い部分に衝撃が走った。
重い、重い衝撃は急速に青年の意識を削り取り、からからと笑う少年の声と共に眠りへと落とし込む。
『もうね、君は僕のものなの。忘れていいけど、いつでも思い出せるように心の奥底に残しておいてあげるね』
誠哉の意識が闇に堕ちる寸前、全身に熱いものがかかった。
否、熱いという感覚は神経の勘違いだったのかも知れない。
最後に青年が見たのは自分を覗き込む、自分の首から血を吹き出している感情のない若者たちの顔だった。
ふっと目を開けると、少女が上から誠哉の顔を覗き込んでいる。
大きな瞳と黒い髪の彼女をどこで見たのか、すぐには思い出せなかった。
「おはよう、お兄ちゃん!」
「……ええと、あ」
にっこりと笑った彼女の顔を、青年は数度瞬きをしながら見つめる。そうして不意に、はっと目を見開いた。
少女の名を、思い出したから。
「え?」
「弓姫か。ごめん、おはよう」
思い出してしまえば当たり前の呼び慣れた名前を呼びながら、誠哉はゆっくりと上体を起こした。慌てて上からどいた少女、弓姫はそれでもベッドサイドで、誠哉の顔を不思議そうにじっと見ている。
彼女は彼の義理の妹で、本来ならば十歳年下のはずだった少女だ。誠哉が十年分の時間を止められていたために、今では同い年になってしまっているのだが。
無論誠哉も、救出された後意識を取り戻した時に説明は受けているし実際に会話もしている。しかし、理性では分かっていてもやはり違和感は拭えない。彼にしてみればほんの数日前まで、彼女とは十歳の年齢差があったのだから。
現実を口に出して再確認することで彼は、少しでもその妙な感触を拭い去ろうと思ったようだ。
「十年経ってたんだよな、そういえば」
「あ、そっか」
誠哉の台詞に、弓姫もやっと彼の反応の意味に気がついたようで一瞬顔をしかめる。
彼女の起こし方自体は十年前と全く同じだったから、余計にそういう反応が出てしまったのだということも。
弓姫にとっての十年前は、誠哉にとってはほんの数日前でしかないのだ。
それを意識して戸惑ったように眉尻を下げる弓姫に、銀髪の義兄はふと表情を崩した。
どうしても埋めることの出来ない隙間が、自分と周囲のヒトたちの間に立ちはだかっている。それは仕方のないことだ、と胸の内で言い聞かせながら誠哉は笑ってみせる。
同い年になったとはいえ、誠哉自身の認識としては義理の兄と妹のままだ。可愛い義妹には心配をかけたくない。
「まあ、それはともかく。おはよう、弓姫」
「……うん、誠哉お兄ちゃん、おはよう」
小さく微笑んだ弓姫の手が、そっと伸ばされた。銀色の髪を、ゆっくりと撫でる。
あまり癖のない誠哉の髪は、触れていて気持ちが良いものだと彼の義理の両親は言っていた。既に二人とも鬼籍であり、その声を今聞くことは不可能なのだけれど。その代わりを義妹が務めていることに、彼は気づいているのかいないのか。
大人しく義妹に撫でられていた青年だったが、ふと隣のベッドに視線を向けた。
そこで寝ているはずの青年の義弟、即ち少女の実兄にあたる黒髪の青年の姿は、どこにもない。ぐしゃぐしゃの上掛けと、その上に畳まれもせず放置された夜着に苦笑する。
十年前とさほど変わらない、自分よりも年上になった義弟の癖だ。
「あれ、疾風は?」
「中庭で、朝の訓練してたよ。お兄ちゃんに追いつけ追い越せが目標だから、疾風兄さん」
誠哉が小さく首を傾げて尋ねるのに弓姫は、頬に指を当てて思い出すようにしながら伝えた。それから実兄が寝ていたベッドに視線を向けて、あちゃあと額に手を当てる。
「服も布団もちゃんと片付けてよって、いつも言ってるんだけどなあ」
「疾風の場合、片付けてくれる誰かを探したほうが早いかもね。一生弓姫の世話になるわけにもいかないし」
「そんな世話好き、ここにはいませーん」
誠哉の何気ない言葉に、弓姫はすねたように返す。それでも放ってはおけなかったのか、くしゃくしゃの夜着に手を伸ばした。
「疾風兄さん、お兄ちゃんと同じ部屋になった理由分かってんのかなあ」
「そうだよね。僕、うっかり動けないじゃないか」
「監視役が別行動しちゃ駄目だよねえ、ほんと」
苦笑しつつ義弟のちょっとした成長を喜ぶ誠哉に対し、弓姫はやや大げさにため息をつきつつ肩をすくめた。手早くたたんだ夜着を枕の上に置いて、上掛けを一度ばさっと払う。
現在、名目上とはいえ誠哉は疾風の監視を受けている身だ。
魔族のアジトで眠っていた、十年前から時を止められていた銀の髪の青年。彼は、十年前に若者たちが殺戮された事件の、容疑者なのだから。
セラスラウドをはじめとした守備隊の面々、特に義理の弟妹である疾風と弓姫は彼に対しさほど疑いを持っているわけではない。だが、その身に何らかの処置が施されていてもおかしくはない。
そういった状況下、誠哉が監視役の同行なしに動き回るのは、たとえ彼自身に悪意がなくともあまり好ましいことではないだろう。
弓姫が誠哉を起こしに来たのは、ある意味幸いとも言えた。兄の代わりに妹が監視を請け負ったということにすれば、少なくとも言い訳としては通じるからだ。
「疾風は元々、微妙にずれてるところがあるからなあ。弓姫、手間かけるね」
「気にしないで。監視名目でお兄ちゃんと一緒にいられるんだもん、役得役得」
しれっと答えてのけた弓姫は、まじまじと自分を見つめている誠哉の視線に今頃になって気づいたらしい。大きな目を丸くして、首を傾げながら問うた。
「何?」
「いやだって、さっきの起こされ方って弓姫が小さい頃のままだもんな。これで目の前にいる弓姫が大きくなってなかったら、本当に十年前の普通の朝だよ」
「あ……」
誠哉は笑いながら弓姫に答えたのだが、繰り返された言葉の意味を聡い義妹はすぐに理解したらしい。
義兄がその十年という時間に取り残されて、本人は気づいていないかもしれないが実は寂しいのだと。
「ほんとごめんね、お兄ちゃん。わたし、懐かしくてつい」
「僕の方こそごめんな、弓姫。僕も懐かしくて、嬉しかっただけだから」
慌てて互いに頭を下げる、義理の兄妹。上げた視線がほんの少し結びつき、すぐにどちらからともなく吹き出したのがきっかけとなって笑い声が上がる。
こんなひとときくらいは、寂しさを忘れてもいいだろう。
誠哉が救出されてから、三日が経過している。
その間、最初の一度を除くと魔族や魔獣の襲撃はなく、誠哉は守備隊の仲間たちと少しずつ仲を深めていった。
というよりは、もともと義理の弟妹である疾風と弓姫がくっついているところに他の仲間たちが面白がってちょっかいを出す、という形になっている。
がん、と木刀がぶつかる音が重く響く。振り切ったのは誠哉の方で、受けていた疾風は耐え切れずにバックステップで距離をとった。
「疾風! お前の力なら、今の一撃は受けきれるはずだよ」
「よく言うよ誠哉兄! 力逃げないように打ち込んできたくせに!」
「それを逃がすのが上手いやつのやり方だろ。ほら、皆来てるし、ちょっと休憩」
ひゅ、と手に持った木刀で軽く空気を切ってみせると、誠哉は疾風を促して、二人を見物していた弓姫とその隣りにいつの間にか現れている蒼真、そしてラフェリナの元へと向かった。途端、ラフェリナが駆け出して誠哉の周りをくるくる走り回る。挙句、木刀を持ったままの腕にしがみついてすりすりと頬をすり寄せた。
「わうん。誠哉、疾風に勝てるってすごーい」
「まあ、一応俺の師匠みたいなもんだったしな。てか、くっついてやるなよラフェリナ」
「え、なんで?」
呆れたように肩をすくめる疾風に、犬少女はきょとんと目を丸くした。頬ずりされた誠哉の方は、困ったように眉尻を下げるだけ。
鼻の効くラフェリナは誠哉の匂いが好みのようで、すっかり懐いてしまい尾をぱたぱたと振っている。耳もぴんと立っていて、かなり機嫌がいいらしい。
「だーかーらあ、何でそうラフェリナはお兄ちゃんにひっつくかなあ!」
「わうー。だって誠哉、いい匂いだもん」
十年ぶりに会えた義兄にくっついている犬娘が気に入らないのか、弓姫は頬を軽くふくらませている。空気の読めないところがあるラフェリナはそんな弓姫の態度もどこ吹く風で、嬉しそうに誠哉の服に顔を埋めた。彼の匂いを嗅いで、満足しているようだ。
「僕? 今汗臭いよ?」
「いや、そうじゃないでしょお兄ちゃん……」
「……せめてそこは変わっててほしかったな、誠哉兄……」
がっくりと頭を落とす弓姫と疾風を見ながら、誠哉は「何で?」と不思議そうに首を傾げる。
これは、十年前から全く変わっていない。
もともと村人からは変わった目で見られていたせいか、誠哉は他人の自分に対する感情をうまく捉えることができていないようだ。仲間たちからはそのおかげで、『天然ボケのお兄さん』といういまいちありがたくない評価を得ている。
だが、要するに誠哉は自分に恋心やそれに近い好意を抱く女性の視線をその意味で受け取ることはないのだ。あくまでも友情に近いものとしてしか、受け取れないらしい。特にラフェリナは動物が懐く様子とさほど変わらないため、余計にそうなのだろう。
そして、自分の感情を上手く表に出せない人間はここにもう一人存在する。
普段着も黒でまとめている蒼真は、その手の中に白いタオルを握りしめていた。それを、恐る恐る誠哉の前に差し出す。
「た、タオルどうぞ。軽く水でも浴びてこられては?」
「いや、そうそう水かぶるわけにもいかないよ。でもありがとう、蒼真」
手渡されたタオルを受け取って汗を拭く誠哉を、蒼真はぽやんと見つめている。周囲の仲間たちは彼女の心境を理解しているのだが、当の誠哉だけには通じていないらしい。
仲間たちの中でも一番空気の読めないことで知られるラフェリナは、蒼真の気持ちも誠哉の鈍感さも全く気にせずに素直な疑問を口にした。
「ねえねえ蒼真、蒼真は誠哉のどこがお気に入りなのダ?」
「えええっ!?」
極端な反応を見せた蒼真に、彼女自身以外の全員がぽかんとした。疾風などは吹き出したくてたまらないのか、顔を歪めて必死に口を抑えている。
誠哉はきょとんとした顔で仲間たちの顔を軽く見渡した後、ラフェリナの頭をわしわしとなでた。
「違うよ、ラフェリナ。きっと僕がまだ慣れてないから、気にかけてくれてるんだよ」
「そうなのカ?」
「たぶんね。僕、人の気持ちってあんまりうまく読めないから、分からないけどさ」
「だめだこりゃ」
「誠哉お兄ちゃん、ここまで変わりないと、さすがにっていうか何て言うか……」
不思議そうに首を傾げるラフェリナと彼女を撫で続ける誠哉、そして顔を真っ赤にして硬直したままの蒼真を視界から外し、上総の兄と妹は文字通り頭を抱え込んだ。10年前と変化がないのは時を止められていたから当然といえば当然なのだが、それにしても。
と言っても、弓姫が呆れたのは鈍感な義兄に対してだが、疾風の意識は別のところにあったらしい。
「っていうか、何で誠哉兄だけこうモテるんだよ! 俺だっていい男だろー?」
思わず声を張り上げた疾風に、全員の視線が集中する。しばらく無言の間が空いて、最初に声を出したのは意外というか蒼真であった。顔は赤いままだが眉尻が下がっているから、ちょっと困っているのだろう。
「ええ、確かに。ですが、疾風は何かとガサツですし……その、水浴びの後上半身裸のままうろつかれては、ちょっと」
「えー、だってあれは暑かった日だろ」
不満気な声を上げる疾風に、ラフェリナが眉間にしわを寄せながら返す。
「わふー。ご飯の食べ方、いまいち汚いゾ」
「こぼしたりはしてねえだろ?」
「その点誠哉お兄ちゃんは全部きちんとしてるもん。疾風兄さん、十年前と同じ事言うね。誠哉お兄ちゃん見習って」
「ぐっ」
実の妹に呆れ声でとどめを刺されて、疾風は口の端をひくひくと引きつらせた。子供の頃と同じことを言っている、と言われたわけだから、つい口ごもってしまうのも仕方のないところだろう。
「誠哉兄も、何か言ってくれよ!」
「とりあえず、起きたらベッドとパジャマをきちんとしたほうがいいんじゃないかな? 後、僕の監視もちゃんとしてくれないと駄目だろ、疾風」
肩をすくめながら誠哉が放った台詞が、見事な追い打ちとして決まった。
うずくまってしまった疾風をよそに、誠哉は腕にしがみついたままのラフェリナを覗き込むようにして声をかけた。
「さてと。ラフェリナ、そろそろ修行の続きをしたいんだけどいいかな」
「わん」
彼の言葉に、ラフェリナは意外におとなしく彼のそばを離れる。それから、とんとんと疾風の肩をつついた。「んあ?」と顔を上げた疾風と、それから誠哉の顔を視界の中に置いて彼女は、無邪気に笑う。
「ラフェリナ、誠哉の剣も疾風の剣も好きだよ。迷いがなくて綺麗だから」
「え、そう? ありがとう」
「お、そんなこと言われたの初めてかもな。ありがとよ、ラフェリナ」
一瞬目を見開いた後、青年二人は同時に犬娘へと手を伸ばした。誠哉はふわふわの髪をなで、疾風は耳のあたりを軽く掻いてやる。
「あ、わ、わたしも、好きですっ。その、誠哉さんには、助けていただきましたから」
「気にしなくていいよ。そのうち僕が、あなたに助けてもらうことになるかもしれないし。それと、ありがとう」
にこっと笑う誠哉の言葉に、蒼真の顔は表情を変えないまま色だけが真っ赤に染まった。それに気づかずに誠哉は、義弟に視線を向ける。
「さ、疾風。続き行こうか」
「……お、おう。弓姫、ラフェリナ。蒼真頼んだ」
「はーい。ほら、隅っこ行って見てよ」
「わふ。蒼真、だいじょぶ?」
「えっと、あの、え、あ、は、はいっ」
少女たちに両手を取られて引きずられるように建物側へと下がっていく蒼真。その姿を見送って誠哉は、不思議そうに首を傾げた。
「疾風。彼女いつもあんな感じなんだ?」
「……んーまあ、少なくともあんまり人懐こくはない、かな。よく知らねえけど、昔何かあったらしくて」
気を取り直したようにひょいと立ち上がった疾風が、木刀を拾い直す。誠哉は手に持ったままのそれを軽く振って、それから二人並んで広場の中央へと歩き出した。
「そっか。知らないなら、気をつけようがないね」
「こっちはそれどころじゃないしな。兄貴回りもあるし」
「僕に気をつけるなら、ちゃんと見張っててくれよ? 疾風」
「すみませんでしたあ!」
笑顔のままだったが、誠哉の言葉にはほんの少し咎めるような空気があった。今朝のことだと即座に気づいた疾風は慌てて頭を下げて、それから困ったように笑う。
だが次の瞬間、疾風は素早く木刀を構え直した。誠哉の打ち込みを、少し横に流すようにして受け止める。
かんかんかんと軽い音が続き、二人の打ち込みはまだまだ本気でないことが分かる。だがそのうち、誠哉の表情がわずかに引きつった。
「誠哉兄、どした?」
「ん、ちょっと」
疾風の上段からの打ち込みを手を添えた木刀で受けながら、誠哉はちらと周囲に視線を巡らせた。そうして、疾風を木刀を力任せに押し出すことで弾き飛ばす。
「おわっ!」
「兄さん!」
「疾風っ……え?」
地面を滑るように何とか着地した疾風を追おうとした蒼真の目が、はっと見開かれる。
誠哉の手の指が、木刀の上を滑る。その動きにつれて、ただの木で出来ているはずの刀がじんわりと光を帯び始めたのだ。同時にふわりと風が巻き起こり、誠哉を中心に吹き荒れ始める。
「……あれ、何ですか」
「わふ?」
「ちょっと、誠哉お兄ちゃん! えーと皆、姿勢低くしてっ」
事情を飲み込めていない蒼真とラフェリナの頭をぐいと押し込みながら、弓姫は自分も身を低くかがめる。その彼女たちを煽るように風は更に強くなり、誠哉と相対している疾風はわずかに上半身を下げることで耐えているようだ。
その目の前で誠哉は、完全に光の刃と化した木刀を振り上げる。大上段から全力で、疾風を切り下ろすようにぶんと、大きく振られた。
「わ、バカ、やめろって誠哉兄っ!」
「……っ!」
木刀を盾代わりに構えながらの疾風の叫びに、完全に振り下ろされる寸前で誠哉の手が止まる。だが光の刃は、その勢いにつられてか木刀から飛び出し、そのまま弓で打ち出されたように疾風の背後にある森の枝葉を切り裂きながら消えていった。
誠哉を中心に巻き起こっていた風が消えてもしばらくの間、彼らは一言も発することができなかった。その中で最初に常態復帰したのは、跳ねるように立ち上がった疾風。
「こんの馬鹿兄貴っ! それやるんなら先に言えよな!」
「ご、ごめん! つい、熱入っちゃって!」
目を見開いて詰め寄ってくる義弟に、はっと正気に戻った誠哉も慌てて頭を下げる。二人の言動が普段通りに近いこともあり、脇で見ていた少女たちもやれやれとホコリを払いながら立ち上がる。
「……きゅう。弓姫、今のあれナニ?」
「あ、うん。誠哉お兄ちゃんの必殺技」
「必殺技、ですか?」
ラフェリナに問われて答えた弓姫の言葉に、蒼真が首を傾げた。要するに威力の高い大技であるということだが、ラフェリナも蒼真もあのような技を目にしたことはなかった。エンシュが使う術に近いものはあるのだろうが、誠哉は魔術など使えない。
「うん。昔、一度だけ見せてもらったことあるんだ。あの威力だから、あんまり人前じゃやんないんだけどね」
「そりゃ、あれじゃ危ないですよね」
「でしょ。魔獣相手には、威力抜群なんだけど」
はあ、と大きくため息をつきながら弓姫は、ふと光が消えていった森に目を向ける。枝葉を刻まれた木々は、少しだけ痛々しく見えた。
「おー危ない。もう少しで首が落っこちるところだったじゃないか、怖いねえ」
弓姫の視線が届かない、もう少し森の奥にある木の枝の上。
そこに座ったまま、少年は己の髪の一房をつまんだ。その先は斜め一直線に切断されており、服の襟口にある切れ目とつながっていることが分かる。あとほんの僅か切れ目が長ければ、少年の首に傷がついていただろうことは想像に難くない。
その傷を止めたのは、どうやら少年が指で摘んでいた木の枝だったらしい。誠哉が木刀に宿したのと同じような光が薄れて消えた後、その枝はぽろんともげて落ちていった。
「案外、バレないもんなんだねえ。ま、あの翼人どもは気づいてるんだろうけど」
ふわあ、と退屈そうにあくびをしてから少年は肩をすくめた。白と黒の色が反転していても目としての機能は変わらないらしく、ほんの少し浮かんだ涙を指先でくいと拭き取る。
「もうしばらく預けとくね。こっちも準備があるんだし」
座っていた木の枝の上にひょいと立ち上がると、少年はそのまま葉の中に紛れて消えた。がさり、というほんの僅か葉がこすれた音だけを残して。
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