4. あなたに手を伸ばそう

 エンシュに連れられて誠哉がやって来たのは、何の変哲もない扉の前だった。

 ただ、その扉には『隊長執務室』とそっけなく書かれたプレートが、ぺたりと貼り付けられている。


「私だ。天祢誠哉を連れてきた」


 こん、という大きめの音の後にエンシュが、その音に負けないよう声を張り上げた。名乗る必要はないらしく、扉の向こう側からは当然のように「はーい。開いてるよ、どうぞ」という返答が聞こえる。


「失礼する」

「失礼します」


 無造作に扉を開くエンシュに続き、誠哉も軽く一礼をして室内に入った。わずかに緊張しているのが、そのこわばった表情から分かる。だがそのこわばりは、ほんの数瞬で解かれることとなった。

 辺境守備隊の隊長が執務を行う部屋にしては、扉と同じく室内もシンプルで質素なものだった。窓を背に執務机が置かれており、その向こう側に金の髪と白い翼を持つ青年……セラスラウドがにこにこ笑いながら立っている。翼の生え際をゆったりと隠している薄い色のショールが、もう一対の翼にも見えた。


「エンシュ、案内ご苦労。それといらっしゃい」

「あ、はあ……」

「初対面の時くらい、少しは偉そうにしたらどうだ。ほら」


 ふんわりとした笑顔で話しかけられて、誠哉は少し膝砕けの格好になった。どうもこれが普段の彼らしく、エンシュは溜息をつきながら手に持った書類をセラスラウドの手に叩きつけるように渡す。


「うん、ありがとう」


 平然と書類を受け取り、軽く目を通してからセラスラウドは、誠哉に向き直った。さほど低い身長ではない誠哉だが、翼人の青年は彼よりも頭半分ほど高い。ただ、そののんびりした表情が威圧感をそれほど感じさせないのだが。


「僕はセラスラウド。この守備隊の隊長を任されているよ。さっきエンシュからあんな風に言われちゃったけど、どうも偉そうな態度っていうのは性に合わなくてね」

「いえ……天祢誠哉です。今回は、助けてくださってありがとうございました」


 胸に手を当てて名乗ったセラスラウドに対し、軽く頭を下げながら誠哉も答える。半ば呆れ顔で二人を見比べるエンシュに肩をすくめ、金の髪を揺らしてセラスラウドは言葉を続けた。


「いやいや、気にしないで。あ、事情は聞いてるかい?」

「はい。僕が村を出てからもう十年経っていることと、その間に僕に掛けられた嫌疑については」


 淡々と答えた誠哉に「うん」とひとつ頷いて、隊長はするりとこれも質素な木製の椅子に腰を下ろした。両肘を突き、顎の前で手を組んで銀髪の青年を見つめる。青い瞳に、負の色は浮かんでいない。


「正直に言うね。僕は十年前の問題に関しては誠哉くん、君のことは疑っていないんだ。個人的な意見として、だけど」

「え?」


 見開かれた目は、東方人にありがちな濃い色ではなく少し薄い琥珀色。銀の髪が目立ってしまって意外と気付かれないことだが、誠哉の瞳の色もやはり薄いことにセラスラウドは気がついた。

 だが、色が違うというだけで疑いをかけられるには根拠が薄すぎる。それをセラスラウドは、意図的に言葉にした。


「髪や目だけで君を魔族のスパイと断言するには、いくら何でも証拠が少なすぎるよね。それに言っちゃ何だけど、魔族の勢力範囲から外れたこんな辺境で何をスパイするんだってことさ。あ、これはエンシュの意見なんだけど」

「バラすな」


 ぷい、と視線を逸らしたエンシュの頬が、わずかに赤い。それに誠哉は気づいたが、不思議そうに首を傾げるだけだった。そして、こほんというセラスラウドの咳払いに慌てて視線を彼に移す。


「でもまあ、誠哉くんには悪いけど、世間的には十年経った今でも君が疑われているのは事実なんだよね。それに、君自身が十年も魔族のもとにいて、影響を受けている可能性だってある。その髪の色からして誠哉くんには、どうやら魔族の血が混じってるかもしれないしね」


 翼人の隊長が、少し固い口調でとつとつと紡いだ言葉。

 それは、誠哉が上総の養子として育っていく中で何度も聞かされた言葉だった。

 先祖のどこかに魔族が紛れ込んでいたか、もしくは無体を働いたか。そうでなければ魔族に堕ちたわけでもない幼子がその色を身に宿すはずがないと言われ、偏見の強い者からは冷たい扱いを受けたことも多い。


「仕方ないです。僕は自分の親のことは知りませんし、ましてや先祖なんて」

「そうか。うん」


 誠哉が己の親を知らないという事実を、セラスラウドはさらりと聞き流した。今ここで追求する問題ではないし、そもそも当人が知らないのなら調べるすべはほとんどない。

 村でそれを知っているとすれば、誠哉を引き取った上総の養父であろう。だが、恐らく誠哉はまだ知らないだろうが彼は、既に故人だ。


「まあそういうことだから、しばらく君はこの守備隊にいてもらうね。僕たちの監視下にある、と思ってくれて構わない」


 故にセラスラウドは、こう言って会話を切り上げることにする。

 彼の過去に何があったのか、詮索するつもりはない。そしてセラスラウドという男は、自分の人を見る目を何よりも信じている。

 そうでなければ、エンシュリーズという異色の少女を部下に持つことなどできなかっただろうから。


「それと君、疾風の剣の師匠だったんだってね。何かあったら当てにするから、そのつもりで」


 続けて隊長の口から流れ出た言葉に、誠哉が目を見開く。一瞬、どういう意味か理解できなかったのかもしれない。何しろ唐突な話だったから、仕方のないことなのだが。


「当て、ですか」

「戦力は多いに越したことはないからな。疾風の師匠なら、相応の腕を期待できる」


 セラスラウドを補足するようにしれっと言ってのけたエンシュの言葉に、誠哉は自身が辺境守備隊の一角として組み入れられたのだと悟った。

 それでも薄い色の目を見開いたまま、誠哉は笑みを絶やさないセラスラウドに問いの言葉をぶつける。


「僕が内側から食いつぶすとは思わないんですか?」

「今のところは、全然」


 隊長の笑顔は崩れない。手に持ったままだった書類を軽く掲げて示し、言葉を続けた。


「これ、アテル先生が書いてくれたカルテなんだけどね。魔族かどうか確認する確実な方法、エンシュは知ってるよね」

「血液検査、だな。私も詳しいことはいちいち覚えちゃいないが、魔族の血液にはどういうわけか、ある種の成分が異様に増加しているらしいから」

「ご名答」


 エンシュの回答に、セラスラウドは満足気に頷いた。そして書類をめくるとあるページを開き、ぽんと机の上に無造作に置く。ちらりと見えた文字は、血液検査結果と綴られていた。


「誠哉くんの血を調べてもらったんだけど、今のところは普通の東方人の数値だよ。念のため、定期的に血液検査させてもらうけど、いいよね?」

「……はい。済みません」


 頷く誠哉。定期検査で自身の状態が分かるのであれば、それに越したことはない。

 いつか自分が魔族に堕ちてしまうかもしれない、その恐怖は誠哉の中に常にあったと言っても過言ではないだろう。

 一緒に暮らしていた義理の家族を、優しくしてくれた隣人たちを、そして育った村をいつか、自身が焼き払ってしまうかもしれない。

 村を離れるまで、時折そんな夢を見て汗に濡れた身体を起こすこともあった。


「うん」


 その誠哉を、セラスラウドは受け入れると言う。そして、恐怖の根源についてもきちんと調べてくれる。それだけで誠哉は、安心できた。

 自分が暴走する前に、きっと止めてくれるから。

 どこかほっとしたように胸元を抑えた誠哉を見上げ、金の髪を揺らして隊長は「これからよろしくね」と微笑んだ。それから黒白の少女に視線を流しつつ、書類を元の姿に戻す。


「じゃあさ、せっかくだから宿舎内回ってきなさい。これから生活することになる場所なんだからね。エンシュ」

「分かっている。私が案内すればいいのだろう」

「そ。今宿舎にいる子は食堂に集まってると思うから、そこまで頼むね」


 最初から決定されていたように会話を交わす、セラスラウドとエンシュ。「それじゃ、行ってらっしゃい」と明るい声で送り出され、誠哉はエンシュと共に隊長執務室を後にした。

 ぱたりと閉められた扉の向こうで、セラスラウドがふと顔を伏せたことには気づかずに。




「面通しは許可される、と言っただろう?」


 肩越しに誠哉を振り返りながらエンシュが口にしたその言葉は、とても自慢気な口調で紡がれていた。もっとも、エンシュ自身がその口調に気づいているかどうかは定かではない。


「本当ですね」

「あいつはそういう奴なんだ。分かりやすいから、覚えておけ」

「ええ、そうします」


 答えを返した誠哉の視界の中で、漆黒の翼がぱさりと軽く羽ばたく。前を向いてしまったエンシュの表情を誠哉が見ることはできなかったが、何となく満足そうに笑っているような、そんな気がした。

 だから、同じ口調でエンシュが続けた言葉の内容を誠哉は、一瞬見失いかけた。


「基本的に、私がお前の監視役だと思ってくれ。私なら、剣が届く前に術で屠ってやれるからな」

「……っ」


 思わず息を呑む。

 たとえ受け入れられたとはいえ、誠哉が魔族に堕ちる可能性がなくなったわけではない。黒い翼の少女は、その時のために誠哉の喉元に突きつけられた剣ということか。

 だがその剣は、己の任務にはどこか否定的な言葉を紡いだ。


「できれば耐え切ってくれると助かる。私とて、知己を屠るのは気が進まん」

「お手数かけます」


 前を向いてしまったエンシュがどんな表情を浮かべているのか誠哉には分からないが、案外その表情を見せたくないだけなのかもしれない。少なくとも、口調は不満気だ。

 その不満気な口調のまま、翼人の少女はさらに言葉をつなぐ。だがそれは先程の言葉とは違い、誠哉に対する気遣いがちらりと見えるものだった。


「それと血液検査だが、あれは我々も定期健診の一環としてやっている。お前だけを特別扱いするわけではないから、気にするな」

「……そうなんですか?」

「辺境守備隊が魔族に汚染されては事だろう? 排除するはずの敵に成り果てるなど、目も当てられん」

「ああ、それは確かに」


 説明されれば、誠哉にも納得のできる話だった。

 辺境守備隊は、人間や翼人、獣人たちの住まう街を様々な脅威から守るためのものだ。その筆頭が、闇に堕ちてしまったひとびと……魔族である。

 脅威の筆頭が、本来守るべきだったはずのものが変化した存在。つまりこれは、脅威から守るための守備隊ですらいつ一線を越えてしまうか分からないということだ。

 その危険を未然に防ぐため、辺境守備隊では定期的に血液検査を行う。万が一魔族に堕ちた者がいればそれは、恐らく即座に排除されるのだろう。それは誠哉に限らず、たとえエンシュやセラスラウドであっても、だ。


「セラスラウドは、自分の身内にはものすごく甘くてな。この場合の身内には、部下である私や弓姫なども含まれるが」


 不意に、エンシュの口調が変わった。というよりは、元々の口調に戻ったといった方が正しいだろう。

 それと同時に再び彼女は振り返り、外見相応のどこか幼い表情で誠哉に視線を送る。いつの間にか、二人の足はその場で止まっていた。


「お前は疾風と弓姫の義兄だ。即ち、セラスラウドにとっては身内も同然なんだ」

「……」


 そうだろうか、と誠哉は胸の中だけで呟く。だが少なくともセラスラウドについては、自分よりもエンシュのほうがよく知っている。だから、うかつに否定する気にもなれなかった。


「特に弓姫は、お前が悪ではないとずっと主張し続けている。セラスラウドもそうだが私も、お前に会ってみてそれが納得できた」

「弓姫、結構強情ですから。直ってないんですね」

「それが長所でもあり、短所でもある。悪いとは言わんが」


 はは、と乾いた笑いが廊下に響く。くるりと身体ごと振り返って翼人の少女は、まっすぐに誠哉を見つめていた。大きな瞳は決意の色を秘め、揺るがない。


「だから、堕ちない限りは案ずるな。セラスラウドが先頭に立って、お前を守る。私もそのつもりだ」


 ばさり。


 黒い翼を少しだけ広げた少女の手に、ぽうと火種が灯る。魔術を行使する際に必須である、魔力のコア。

 いつでも彼女は、ためらいもなく魔術を放つことができる。これはその、意思表示だった。


「そして最悪のときは、私が跡形もなく吹き飛ばしてやる。心配するな、被害を膨らます気はないからな」


 とは言え、そっけない口調で言いながらエンシュの表情は、まるでそのような未来が来なければいいと言っているようだったのだが。




「大変、たいへーん!」


 キーの高い声と共に、軽い足音がとととっと接近してくる。

 誠哉が視線を向けた先にいたのは、ふわふわした明るい茶色の髪の少女だった。ただ、その頭にはひょこん、と獣の耳が突き出ている。露出度の高いシャツとパンツから、ほっそりと手足が伸びていた。そうしてお尻の向こうに、髪と同じふわふわした尻尾がひょこん。


「獣人?」


 この世界に住まう種族の一つ、獣人である。誠哉の住んでいた村ではその数は少なく、誠哉自身もほとんど見たことはなかったが、世界的には少なくない数が生きているという。

 やってきた少女はどうやら、ボスには忠実な気質である犬系の獣人らしい。ぱたぱたと激しく尻尾を振り、くんくんと少し距離を置いたところから誠哉の匂いを嗅いでいるようだ。


「ラフェリナ、どうした?」


 誠哉が目を見張る前で、エンシュがどうやら少女のものらしい名前を呼んだ。その途端、少女の耳がぴんと立つ。慌てたようにばたばたと両手を振って、きゃんきゃんと喚いた。


「あ、そうだそうだ。エンシュ、森の外れにアンデッドが湧いたあ! こっちに向かってるう!」

「アンデッド? 面倒だな」


 少女の報告に、エンシュの眉根が寄せられる。

 死した者に魔力を注ぎ込んだ操り人形である、アンデッド。その出現は、近郊に魔族が存在することを示しているからだ。誠哉を救ったアジト強襲の際にぶっ飛ばしたはずだが、まだ残っていたのかとエンシュは舌を打つ。

 一方ラフェリナと呼ばれた少女の方は、報告を済ませたところで再び誠哉に興味が移っていた。今度はかなり接近して、くんくんと鼻を鳴らす。軽く首を傾げ、視線をエンシュに向けた。


「アテルと疾風と似た匂いがするー。ねえエンシュ、この人誰?」

「そいつは疾風と弓姫の兄上だ。お前でも話くらい、聞いたことはあるだろう?」

「あ、えっと、天祢誠哉、です」


 エンシュの端的な説明と誠哉の名乗りに、ラフェリナは一瞬だけ目を丸くした。そして、すんとひとつ鼻を鳴らす。


「誠哉? 疾風と弓姫のお兄ちゃん?」


 エンシュよりは高いが誠哉よりは低い身長の少女は、下から覗き込むようにして誠哉の顔を伺う。やがて、どこか緊張していたその表情がほころんだ。


「うん、よろしくね。ラフェリナはラフェリナだよー」

「よろしく、ラフェリナ」


 獣人への挨拶をどうしていいか分からなかったので、誠哉は何となくラフェリナの頭をなでてみた。ふわふわした髪は柔らかく、なかなか触り心地がいい。

 少女の方も気持ちがいいのか、くうんと喉を鳴らしながら目を細めた。


「ラフェリナ、他の連中は?」


 小さく溜息をついた後、エンシュが問う。ラフェリナはぱっと目を見開いて、「食堂!」と楽しそうに答えた。思わず頭から手を放した誠哉には、既に意識が向いていない。


「行こうと思ったらエンシュが見えたから、こっち来たのー」

「分かった。さっさと食堂に集まっている連中に伝えてこい。行け」

「わんっ!」


 エンシュの指示に頷き、ラフェリナはくるりと身を翻すとそのまま走って去っていく。

 上位者の指示に忠実なところは犬だなあと思いながら、その背中とふわふわした尻尾を見送っていた誠哉の意識を、エンシュはそのしっかりした胸板を軽く小突くことで自分に向けさせた。


「誠哉、お前に武器を用意させる。ありものの剣で行けるか?」

「できれば、丈夫なものをお願いします。少し力押し戦法なもので」

「力押しなところまで、弟子は受け継いでいるのだな」


 拳を軽く握りながらの誠哉の答えに、エンシュはくすりと口元にだけ笑みを浮かべた。

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