15



『……父上の…本当の願いとは…?』


 トリティアの小さな問に、応えたのはエリオナスだった。

 エリオナスのその瞳は、どこか遠くを見つめている。

 もうずっとその心は。ここにはなかったのかもしれない。

 

『…マナは…ぼくを見つけてくれた。彼女がぼくを愛してくれなくても良い。…同じ世界で、生きたかった。マナの居る世界に行きたい――』


 それは、ここではない場所。

 おそらく誰もが最後、いきつく場所。

 

『――叶えよう。それが父の為にぼく達ができる、唯一のことだというのなら』


 その手に淡い光が灯る。

 トリティアの手の中で輝く貴石は他のものと同じでも、僅かに大きさが異なる気がした。

 おそらくトリティアが。

 いちばん初め、トリティアに生み出された子どもなのだ。

 ずっと父の姿を追い、傍で見守り心を寄り添わせた、一番さいしょの子どもなのだ。


『――マオ。本当にもとに戻せるのかい。分かたれたものを』

「できる。その為にあたしは、ここに居る」


 淡い光を放ちながら、12の貴石の欠片が頭上に集まる。

 それらを自分の手のものと合わせ、そしてこの手に閉じ込める。


 あたしならできる。

 お母さんの貴石を戻した時のように。

 あたしにしかできないこと。

 だからあたしはここまできた。


 すべての貴石が融けて、やがてひとつに混じり合う。

 そして再び形を成す。

 七色の光りを放ちながら。


 それは暗い海の底を明るく照らした。

 ずっとずっと、遠くまで。


 一度手を離れていたものは、きっとすべて元通りにはならないだろう。

 それでも。

 失くした何かを埋めるもの。

 それが、絆だ。


『……綺麗だ』


 差し出した貴石を見つめ、エリオナスがぽつりと零す。

 その透明な瞳に明かりが灯る。

 ずっと暗かった、海の底にも。


 エリオナスの手をとって、その手に貴石を握らせる。

 そしてその両手を自分の手でもぎゅっと包んだ。


 温もりは、感じない。

 だけど手の平の存在は確かなもの。

 光が彼に溶けていく。

 受け容れようとしている。

 彼自身の本当の望みを。


『…ぼくも。同じ場所に、いけるだろうか…待っていてくれるだろうか』

「…待っていると思う。だってお母さんは…あなたは神さまなんかじゃないってことを、知っているはずだから。お母さんはあなたを…愛していたと思う。あなたとは違うかたちでだけど」


 お母さんが甦ったとき、その口から。

 確かにエリオナスの名前も出てきたのだ。

 彼の存在を厭う様子もなく、ただ困った友人の話をするように。

 

 何よりお母さんが、彼という存在を拒否しなかった。

 あたしという存在を繋ぎとめることを、エリオナスの魂の一部を自分の胎内にいれることを、お母さんならきっと拒否することもできたはずだ。

 だけどそれをしなかった。

 

 彼の想いを受け容れたのだ。

 その瞬間に、あたしの命と彼の心は一度、救われた。


『……愛とは。厄介なものだね。たったひとつであれば、何も迷わず間違えることもなかったかもしれないのに』

「迷うことも間違えることも、悪いことばかりじゃない。だから、あたしは…」


 お母さんは、最後。

 なんて言っていたっけ。


『――あなたは決して、失わないで』


 ああ、そうだ。

 お母さんがかつて差し出したもの。

 自分の本心。愛するということ


「失いたくない。やがてすべてが報われる日まで」


 あたしの答えにエリオナスは、ようやく心からの笑顔を見せ、そして最後にあたしの頭を優しく撫でた。

 それからぐるりとあたりを見回し、そこに居た自らの子どもたちに視線を向ける。今度こそ慈愛に満ちた心からの笑みと共に。


『あとはきみ達の好きにすると良い。ぼくの時代はここで終わる。後は、頼んだよ』


 一番近くに居たトリティアが、その言葉にそっと頭を下げる。

 別れと敬意を示して。

 エリオナスはそれを受けて優しく笑い、そうしてくるりと背を向けた。


 永く共に居た存在。

 1000年の永い旅が、いま。



『ぼくは先に、つぎの世界へ行く』



 遥か頭上、遠かった光を目指して。

 エリオナスは光に消えていった。


 それを静かにいつまでも見送るトリティアの隣りで、その横顔をそっと見上げる。

 やがて光が消え、海の底はまた静かな暗闇に包み込まれた。

 未だ視線を外さないトリティアに、声をかける。


「…エリオナスの代わりは、あなたが務めるの…?」

『…代わりなど、必要ないだろう。父がつくった世界といえど、繋げるのも治めるのもぼくらが主にやってきた。ぼくらはただ、従っていただけ。父上の意向に。だけどもうそれが必要ないというのなら…あとはそれぞれの自由だ。関わるものも、遠ざかるものも。だけどもうあの世界の人間たちに…ぼく達は必要ないのだろう。少なくともぼくは、もう。関わりたいとは思わない』

「イリヤも…同じことを言ってた。神々の時代は、終わったって。シェルスフィアも、新しい時代を迎える。あたし達もこれから何か新しいことを始めれば良いんだよ、もう少し平和な方向で」

『…新しく…』

「時間はたくさん、あるんでしょ? この世界はもう少し、明るくした方が良いと思う。海の底みたいで嫌いじゃないけど、明るいほうがもっときっと、住みやすく―」

『ぼくらはこれくらいで調度良い。ぼくらは皆この海の底で、生まれたから。きみと違って。…ここは、きみの…住む場所ではないようだ』


 トリティアの、声音が。突然かたいものになり、あたしは思わず口を噤む。

 急に、何故。

 あたしもこれから、この場所で過ごすというのに。

 ――家族のはずなのに。


『父の欠片を、返上したいま。ぼく達にはなんの繋がりもない。きみとは生まれた世界が違う』

「…トリティア…?」

『その、魂はきみのもの。ここはきみの在るべき場所ではない』


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