13



 まだ受け容れられないような、憔悴しきった顔でシアがあたしを見つめる。

 顔色が悪い。きっと体も限界のはずだ。


 シアのその手をあたしからとって、船の先まで先を歩いた。シアは黙ってひかれるままに、あたしの後に続く。

 光の粒はいつの間にか、船から溢れ出すほどに膨らんでいた。

 この世界があたしという存在を、受け入れようとしている。

 ここにきっと。

 新しい神の、柱がたつ。


「…何故、誰も…誰も、引き留めないんだ」

「…あたしの、人望かな」

「……笑えない」

「笑って。これがきっと最後だよ」

「……マオ…!」


 歩みを止めて、ぐっと。震える手に力がこもる。

 奥歯を噛みしめて絞り出す声が、あたしの名前だなんて。

 その痛みと苦しみを与えているのが、あたしだなんて。

 なんて哀しくて、嬉しくて……いとおしいんだろう。


「シア。死なないで。この世界は必ずあたしが守るから…だから、シア。あなたはそこで生きていて」

「…勝手だな、マオ。おれを置いていこうとしているくせに」

「そうだよ、みんな勝手だよ。誰もがみんな身勝手で…みんなそれぞれ、望みがあるよ。だけど今ここで、望みを叶えられるのは、あたしだけ」

「おれの望みを叶えられるのもおまえだけだ……!」


 きつく繋いだ手の温もりは、震える手に消えていく。

 あとどれくらい時間が残っているのか。ちゃんと彼に伝えられるのか。

 たとえ世界が亡んでも、あなたと共に居たかったこと。

 だけどあたしは、別の世界を選ぶ。あなたを残して。


 共に生きることは敵わなかった。

 世界は越えられなかった。

 でも。

 自分で選ぶことはできた。

 最後だけは。


「大丈夫、生きていればいつかまた会える。これで、お別れだけど…あたしは死ににいくんじゃないよ。この世界の為に犠牲になるわけじゃない。生きる世界を、選びにいくの」


 ずっと、あたしは。

 居場所を探して、求めて…だけど自分から選び取ることをしてこなかった。

 周りのせいばかりにして、いろんなことなげやりに。

 変われない自分を正当化して、逃げ道ばかり探してた。


 変えてくれたのは、この世界だ。

 ただしてくれたのは、この世界に生きる人たちだ。

 生きるということにまっすぐに向き合い、何かを失い奪われながらも、信じることを諦めなかった。


 生きる意味も、勇気をくれたのも。

 そして大事なものを守る力をくれたのも。

 ぜんぶ、あなたが守りたいこの世界だったの。


 だからあたしは今。

 悔いなくさよならを言える。


 あたしの手に残っていた、シアから預かっていた短剣の鞘をシアの手に握らせる。

 半分はお母さんに渡してしまった。

 だけど残りはこうしてちゃんと、返せて良かった。


 もうお守りは必要ない。

 シアの心はもう、要らないの。

 もうちゃんと自分で、持っているから。

 

「あたしを呼んでくれて――ありがとう、シア。この世界で、あなたに出逢えて良かった」


 きっとあのまま。

 あの世界でただ生きていただけのあたしに、愛を云うことはできなかっただろう。

 自分を愛してると言ってくれる、誰かの言葉を素直に受け止めることも。

 そして今もまだ、それは言えない。

 言っても哀しませるだけだから。


「心はあなたの傍に居る。それを、忘れないで」

「……マオ…!」


 すべてにきっと意味がある。

 あたしがこれからすることにも。


「さよなら、シア」


 その青い瞳が涙に溢れて、そして最後に手を伸ばす。

 その手をとることはかなわない。もう抱き締めることもできない。


 その姿が消えていく。遥か遠い、海の彼方に。

 あたしはきっと、笑っていた。

 最後はそう決めていた。



 あたしを呼ぶ声がした。

 エリオナスではない。この声は――


 導かれるように肉体が、眩む光へ溶けていく。

 15年間。碓氷真魚うすい まおとして生きた身体がなくなっていく。


 そうして残った魂が、呼ばれる方へと向かうだけ。

 そこから先は知らない世界。

 だけどもう、こわくない。

 

 光の柱が海にたつ。

 あたしの愛した青の王国に、あたしの証が刻まれるのだから。



『――それがきみの、答えなんだね。マオ』


 胸の内に響いてくる、どこか懐かしい声。

 哀しそうに言ったのは、想像していた相手の声ではなかった。

 これは…この声は――


「……トリティア…?」

『そうまでして。すべてを捨ててまで、守りたいだなんて。ぼくらには理解できない。おそらくきっと、父上にも』


 その声は、かつてずっとあたしのなかに居て、そして失った海で別れて以来の相手。

 あたしをシェルスフィアへ導いた発端でもある、トリティアの声だった。


 こうして話すのは久しぶりで、なんだか少し変なかんじだ。

 はじめてシェルスフィアに喚ばれてから、ずっと傍に居た。あたしの中に居て、時には力を貸してくれてた。だから居なくなった時は寂しくも思えたりした。彼の力に振り回されたのも事実なのに。


 でも、自分の海に帰ったはずの、トリティアの声がするということは…姿は見えないけれど、おそらくここが。

 神さまたちの住む世界。

 あたしがすべての世界と引き換えに、選んだ海。


「…だって、仕方ないよ。あたしは半分、人間だったんだから」

『人とはみんな、そうなのかい…? ぼくはむかし、永く“瑠璃の一族”と共にいたけれど…彼らも所詮、自分が一番だった。助け合うことを諦めたあの一族は、ぼくの遺した首飾りの効力を維持できず…やがてあれは呪いとなった』

「…イリヤの、首飾りのこと…?」

『ただしく使う、意志があれば。共に生きることは可能だったのに。必ず、失うんだ。ぼくらにとってはほんの一瞬。だけど人にはながすぎる』

「…生きる時間が、違うから。それもきっと、仕のないことなのかもしれない。終わりがあるからあたし達は…ほんの一瞬でも、幸福しあわせを求めてしまう」

『……幸福』


 見えないはずのトリティアが、首を傾げている様が目に浮かんだ。

 理解し難い感情なのか、神々の知らぬものなのか。


 そうか、幸福とは。

 人だけに与えられた、特権だったのかもしれない。

 望みを、願いを持つことそれ自体が…人だけに許された希望。


 お母さんを求め、それを真似たエリオナスは、永い時間を過ごすうちに歪んだ希望となってしまった。

 執着という名の楔に。


『それで、きみは。終わりを捨てて、永遠を選んだのかい。あの世界の為に』

「…捨てたつもりはない。あたしだからできること、あたししかできないことをする為に、ここに来たんだよ」


 かつて、ひとりぼっちだったエリオナスに。

 お母さんとの出会いが与えたものは、愛と孤独だった。

 愛を知らなければきっと、孤独だと気付かずに済んだはずだ。

 孤独をおそれる心が、失うことを厭う心が。

 永い時をかけて彼の心を歪めてしまった。


「始まりに価値があるのは、終わりに意味があるから。だからあたしが終わらせにきた」

『……どういう意味だい…?』

「あの世界を壊して欲しくない。それもある。だけどそれと同時に、エリオナスはもうきっと、この世界に居ないほうが良いんだと思う」

『…それは、つまり』

「エリオナスを解き放つ。すべての世界から」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る