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『――誓いのことば…?』


「そうだよ、この世界にはないの? 神さまに誓う、夫婦になるふたりの誓いのことば」

『少なくともアタシ達、神を冠する存在には誓う相手なんて居ないけどね』

「なるほど、じゃああたしが見届け人になる」

『――マナが?』

「そう。あたしの世界ではね、こう誓うの。病める時も、健やかなる時も…死がふたりを分かつまで。愛し、慈しみ、貞節を守ることを、ここに誓います」

『死がふたりを分かつ、って…アタシ達は死なないよ。そうそうね』

「でも、永遠なんてない。それはきっと同じはずでしょ? だから誓うんだよ、自分と相手の心に刻むの。解けない約束を…さいごにひとりぼっちは、寂しいから」

『…約束、ねぇ…』


 異なる世界からきた少女。

 アタシがんだ。アタシの望みを叶える為に。

 それなのにマナは笑ってアタシの“トモダチ”になって、そしてアタシ達を繋いでくれた。

 ずっと傍についてきてくれた。

 こんな世界に、こんなところまで。


 そして帰っていくのだろう。きっとそれが最後となる。

 アタシにとって唯一の友人。唯一無二の存在、親愛の友。

 例え世界が、ふたりを分かつとも。

 それがマナとの世界を少しでも繋いでくれるというのなら。


『仕方ないね。誓ってやろうじゃないの』


 言って、くるりと相手に向き直る。

 仕方なさそうに笑うマナの顔。それでも嬉しそうに。

 アタシと目の前の男の手をとって、それをそっと目の前で重ねた。


 生まれた海を捨て、父や兄弟たちを裏切り、自由を失ってでも、犠牲を経てでも、選んだ檻。

 アタシがこれから生きていく場所。

 今ここには3人しかいない。

 ここが世界の始まりだ。


 すべてはアタシが愛を知ってしまったが故。

 くだらないと吐き捨てた、人間しかもたないと思っていたそれを、アタシに与えたのは皮肉にも人間の男だった。だからアタシは選ばなければいけなかった。捨てるものを。

 今となってはもう、悔い等ない。アタシには失うものなど何もないのだ。

 マナと、目の前のこの男以外に。


『これからこの先、どれほどの時が経とうとも。その血に流れる血統に、アタシのすべてを捧げる。死がふたりを分かつまで』

「――私も、誓おう。我らの友人の名の元に――死がふたりを分かつまで。決して約束を違えたりしない。私――シェルスフィア・シ・ロワ・ベリアルは、きみの力を正しく導き、そしてこの国と海を護ることをここに誓う。そして未来永劫、この血はきみを愛することを」



 ――それが。

 呪いのはじまりの言葉だった。


 若き国王と未熟な神のなれの果て。

 幸せの楽園は、永くは続かない。

 永遠なんてどこにもない。



 誰もしらない物語。



―――――――…



 朝目が覚めると、自分の家の天井が一番に視界に映った。

 自分の部屋ではない。リビングの天井だ。

 ぼんやりと昨夜のことを思い出す。五人で並んで川の字で寝たことを。

 改めてその状況に、苦笑いが込み上げた。滲む涙の理由は分からなかった。


 お父さんとお義母さんはもう既に起きていて、台所から水音がした。それから味噌汁の良い匂い。

 のそりと体を起こして、懐かしいと無意識に思った。そう思ってふと気づく。

 うちのレシピだ。すぐに分かる。きっとお父さんが教えたのだろう。お母さんの味を。もうずっと作っていなかった、その味を。

 そんな無理に合せてもらう必要はないのに。だって湊や海里にだって、家庭の味というものがあるはずだ。慣れ親しんだ、母の味というものがきっと。

 あたしひとりの為に、それを捨てる必要なんて、ないのに。

 たぶん、こうして目には見えない小さな何かを犠牲にして。かたどっていかなければいけないものなのかもしれない。罪悪を日常にそっと溶かしながら。


「…真魚! 起きたか。体調は? 朝ごはん食べたら病院行くぞ」


 シャワーを浴びていたらしいお父さんがリビングに入ってきて、あたしに気付いて顔を覗き込んできた。

 行きたくないのが本音だけれど、それじゃお父さんは納得しないだろう。


「…わかった…」


 渋々返事をするあたしにお父さんはほっと安堵の息を漏らし、微笑んであたしの頭をくしゃりと撫でてからダイニングのテーブルにつく。それを見計らってお義母さんが、淹れたてのコーヒーをお父さんの前に置いた。お父さんはお礼を言って手を伸ばす。それはとても自然な流れだった。いつもの朝の光景なのだと、無意識に理解した。

 だけど覚悟していたよりずっと、想像していたよりもぜんぜん。胸は痛まなかった。

 自分でもびっくりするくらいに自然とそれを受け容れることができた。

 それからシャワーを浴びる為にいったん部屋に戻ると言ってリビングを後にする。湊と海里はまだ寝ていた。


 いつもの朝の光景に、きっと受け容れられたのはあたしの方。

 勝手に家を出て、あたしが目を逸らして逃げていただけで、きっとそれぞれがそれぞれなりに、努力して作り上げたこの今という空間に。

 あたしの居場所を当たり前のように用意してくれていた。

 ここまで来てようやく気付けた。


 何も変わらないように見えて、きちんと手入れされていたあたしの部屋も

 ダイニングテーブルの椅子の数はきちんと変わらずあたしの分もあることも

 カバンひとつ持たないあたしが突然帰ってきても、すぐにお風呂に入れることも眠れることもごはんを食べれることも。

 ぜんぶぜんぶ。

 あたし以外のひとが、用意してくれたものだ。


 じゃあ、あたしは。

 何ができるのだろう。この場所で。


 熱いお湯を全身に浴びながら、ふと自分の脇腹に手をやる。傷はまだここにある。だけど痛みは驚くほど和らいでいた。どうしてだろう。相変わらず見た目は良くないけれど、肌の色は随分見やすくなった気がする。


 それから自分の胸元に光る石。久しぶりに見る、お母さんのお守り。

 思えばあの世界でこの石に手を伸ばすことは殆どなくなっていた。

 目まぐるしく変わる状況に、すっかり自分の中から抜け落ちていたその存在。

 あの世界でこのお守りは、いつの間にか必要なくなっていたのだ。


 だとしたら、もう。

 このお守りはあたしにとってもう。


 

 お風呂から出て髪を乾かし、服を着替えてリビング扉のガラス窓からこっそり中を覗く。

 お父さんはテーブルで新聞を広げていて、ようやく起きたのか湊と海里はソファに寝そべって朝ごはんを待っていた。

 朝ごはんというより、お風呂から出るあたしを、だろう。

 時間はまだはやい時間。ふたりともまだどこか眠そうだった。

 気まずさも相まって、扉の取っ手にかけていた手が動かずに戸惑っていた、その時。

 背後でお風呂場からちょうど出てきたお義母さんと目が合って、あたしより先に笑ってくれた。


「制服、家出る前には乾くと思うから待っててね」

「…ありがとう、ございます」


 随分と汚れていた制服を、お義母さんが洗って乾燥機にかけてくれているらしい。

 今日も学校はある。1学期最後の日、終業式。

 朝一で病院に行って、間に合うようならそのまま学校に行くということになっていた。


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