3
「それから、これ…」
ちらりと、お義母さんが扉越しにリビングのお父さんの方を見やり、その手に持っていたものをあたしに差し出す。
それを見て、確認して。ぎゅうっと、心臓が締め付けられる。
見事な装飾の光る短剣。ちがう世界で改めて見ても、例えばオモチャとかレプリカなんかではなく、本物だと分かる。控えめでいても所々にはめ込まれた宝石の散りばめられた光が、本物の異彩を放っていた。
シアの短剣。
お守り。あの世界でずっと、あたしを守ってくれていた。
「服の中にあったんだけど…真魚ちゃんので良いのよね…?」
「……はい」
「…とても、綺麗な剣ね」
深く追及することなくそれだけを言って、動けずにいたあたしの手をとってその上にそっと置く。
「大事なものなら、ちゃんと持っていなくちゃね」
ぎゅ、っと。両の手でそれを握りしめて。
確かめるその存在にあたしの体温がじわじわと乗り移る。冷たくなったそれを温めるように。
彼がくれた、その心。今はこんなにも冷たくて遠い。
どうしたってもう。届かない。返せない。
「…朝ごはんにしましょ。みんな待っているわ」
流れた涙を見逃して、お義母さんは笑ってあたしの背中を押す。
短剣をパーカーのポケットにしまって、押されるままにリビングの扉を開けた。
いっせいに向けられる三人の視線。それぞれ複雑そうな顔。お父さんは相変わらず何も分かっていないような顔で笑っているけれど。
テーブルのすべての席が埋まって、温かな食事を囲う。
懐かしい匂いのお味噌汁は、味こそ殆ど一緒だけれど、具材は少し違った。
お母さんのお味噌汁は、わかめと豆腐と玉ねぎが主。だけどお義母さんのお味噌汁には玉ねぎの代わりにじゃがいもが入っていた。
味は多少異なるけれど、それに何の違和感もない。
だって別に、間違いじゃない。
ふと、何かが胸にすとんと落ちる。
そうか。これで良かったんだと。
すべてじゃなくて良い。少しずつで良い。足りない部分や異なる部分は、何かで代用して補い合って。大切なものだけをこんな風に、少しずつ同じお椀にいれて。そうして新しいカタチになっていくんだ。
どっちも美味しい。それがたぶん答えで、それがおそらく正解。
それがきっと歩み寄るということ。
差し出されたものを、受け取るということ。それだけで。
それだけで良かったんだ。あたしはあたしで、良かったんだ。お父さんとお母さんの子供のままで。
誰かを、何かを、自分を。否定なんてしなくても良かったんだ。
たったそれだけのことなのに。こんなにも簡単なことだったのに。
今までのあたしには、とてもとても、難しいことだった。
まるで並べた罪があたしを罰してくるかのような、苦痛がそこにあったから。
並べていたのはあたしだった。
「……
手の止まったあたしを、心配そうに覗き込むお父さんの声。
お義母さんも、海里も、湊も。あたしの様子を食い入るように見つめている。あたしの心を探るように。
舌に残る塩辛い味。
それはあたしの目から溢れたもの。
みんなの心を、優しさを、台無しにする。あたしの弱さが。
お父さんから、お母さんを奪ったのはあたしだ。例え事実はどうであれ、あたしがそう信じている限りその事実は覆らない。そうして長くお父さんを縛り付けていた。
なのにようやく前を向くお父さんの背中を、心からは押せなかった。
まだ、一緒に。罪を背負って欲しかった。自分で自分を責めるあたしを、ずっと傍で慰めていてほしかった。そうやって進めずにいたのはあたしだけだったのに。
そして、新しい家族ができて。
受け容れることを一番はじめに拒んだのはあたしだ。だから、次第に距離ができて。そしたらもう埋められない溝になっていた。
だけどそんな現状に心のどこかで安堵する自分も居た。
寂しいと泣きながら、これで思う存分傷つけると、そんなことを思っていた。
なんて身勝手だったんだろう。
許されるのがもうずっと、あたしはこわかった。もっと誰かにあたしのこと。罰して欲しかったのだ。
幸せなんてそんなもの、あたしに一番不必要なものだったから。
だけどあたしの周りのひと達は、それを決して許さないひと達ばかりで。
あたしをどうしたって、守ろうとする。倖せにしようとする。当のあたしの意思なんてまるでお構いなしに。
あたしが大切だと心から。
言っていたのに。
誰一人としてあたしのこと、見捨てたりしなかったのに。
この世界でも、
そしてもうひとつのあの青の世界でも。
ちゃんと生きて、と。
それだけがすべての人の願いだった。
誰もがみんな最後はひとりだ。
でも、だからこそ。
ひとりでは生きられない。求めずにはいられない。
生きている限り誰もが皆、その為に永い旅に出る。
そして選ぶ。生きる場所を。
きっと誰かを愛する為。
そんな誰かに出逢う為。
どんなに傷ついても、迷っても、失ってもそれでもまた。
遥か遠い世界を越える。
そしてアイを、伝える為に。
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