2
砂浜を踏みしめるように歩いていたクオンが、足場を確認し足を止める。海外からは少し離れ煉瓦が組み敷かれた場所で、砂浜というより砂利道に近い。それからクオンが振り返り腰から剣を抜く。音もなく。
「ジェイド様からは、細身の長剣を使うと聞きましたが…魔法か何かで出すのですか? 持っている素振りは見受けられませんでしたが」
「…使えるわけじゃない。魔法かどうかも分からないし…」
「実物を見せて頂けますか」
言われて少し躊躇しながら、スカートのポケットからシアから再び預かった短剣を取り出す。一瞬クオンが怪訝そうな表情を受けべたけれど、説明するのが面倒くさかった。
あの時は咄嗟だったし無我夢中だった。また同じことができるのだろうか。あたしに。
緊張した面持ちで鞘から刀身を引き抜くあたしをクオンが見据える。露出する薄い刃が暮れてきた日に反射した。
そしてゆっくりと引き抜いたそこには、あの時と同じ細身の剣が現れていた。抜いた鞘の数倍もある刀身。氷のように薄く光る細い刃。間違いなくあの時と同じものだ。
すぐ傍でクオンが僅かに目を細める。
「見事ですね。武器を生成するのは精霊にはできません。まさに神の力なのでしょう」
「やっぱり魔法なの?」
「少し違うような気もします。そもそも魔力を餌とする精霊と海に住まう神々とは根本的に違うというのが我々魔導師の認識です。ただ神々に関する情報や知識は契約してきた王族から開示されるものしか我々は知り得ませんから。謎が多いのも実情です。現存する王族であるジェイド様は正式な継承もされていませんし、現状この国でこの力に詳しい者は殆ど居ないと言っても過言では無いでしょう」
「…クオンの言うことはイマイチ難しい。もう少し砕いて言ってほしいけど、とにかくよく分からないってことだよね」
「そうなります」
「精霊が魔力を餌とするなら、神さまは何を餌にしてるのかな…」
ふと疑問が口をついた。クオンも僅かに思案した様子を見せたけれど、答えを知らないことは承知済みだ。きっといっそ、本人に聞いた方がはやいのだろう。
「…以前、とある方が同じことを口にされていました」
「神さまの動力?」
「その方も神々の歴史と力にはとても興味がおありで、独自に調べたり憶測をたてたりしていたのですが」
「そんなことしていいの? 王族以外の人間に契約はできないっていう嘘をついてたぐらいなら、そういうのも禁止されてるものじゃない?」
「仰る通りです。国は神々に関わる一切の詮索と接触を禁じてきました。ですがそれを許された人です」
クオンのその口ぶりに、段々とその相手が分かってきた。クオンがその瞳をあたしに向ける。
「ジョナス元殿下です。彼はご自分の立場上、それが自分の手にくることは無いと分かっていたのでしょう。だから余計に興味を惹かれた。以前こう仰っていました。神々が欲するのは、“信仰”だと…それこそが力の源であると」
「……信仰…?」
それがどういうものなのかは、なんとなく知っている。だけどそれとこの世界の“神さま”とは、あまり結びつかなかった。
「ジョナス元殿下にそれがどういうものなのかを聞きましたが、正直あまりぴんときませんでした。信じ敬う絶対的な存在というのは、我々にとって王族の方々がそうだからです」
確かにこの国での…この世界での“神”や“信仰”というのと、あたしの世界とでは違う気がする。
あたしの世界での“神さま”は、目には見えない。だけどこの世界では嫌でもその存在を痛感する。明確な意思を持ち自分達に牙を剥くその存在を、畏れ敬う人も居るだろうけど多くは恐怖でしかないだろう。
「…あたしの世界の“神さま”は、決して目に見えないよ」
「そうなんですか。少し興味深いですね」
「だからだろうね。目に見えると裏切られた時のダメージが大きいけど、目に見えない無干渉の存在であれば、何があったって、何もしてくれなくたって。そういうものだと受け入れられる。都合の良い時だけすがって、理不尽に恨むのだって自由だもん。それでも結局神さまが何もしてくれないってことを、イヤでも分かっているから」
でもそれは、信仰とは言わない。信じ敬われる“神さま”は、自分にとって都合の良い神さまだけなのだから。
「神さまも、寂しかったのかもね」
どっちの、というわけではない。ただ。
きっと嫌われるよりは好きになって欲しいし、疑われるよりは信じてほしいし、愛されるよりは愛したいのかもしれない。
自分よりもちっぽけなその存在を、神さまは一番はじめ、愛していたはずだから。
「…そういうものでしょうか」
「さぁ。実際は分からないけど。今度話せた時に聞いてみるよ」
トリティアがこっちからの呼びかけに応えてくれたことは無い。いつもあっちからの一方的なものだ。
でもそういえば。
トリティアはいつも、あたしの意思を確認してきた。あたしに、選べと。
トリティアが本当に選ばせたい未来は、どっちなのだろう。
「神の意思という概念は、我々には無かったものですね。神は一方的に奪うだけの存在でしたから」
「でも神さまの力に助けられてきたのも確かでしょう?」
「それはそれを従える王族の方たちの意思によるものです」
「…そっか、なるほど」
神さまの力がどんなにすごくても、民はそれを従える王族というフィルター越しに見ているだけなんだ。
少なくともこの国では、王族崇拝主義らしい。
奪われる世界に居たら絶対的な力というのは、崇拝に値するのかもしれない。
「確かにこの力が王族以外の手に渡ったら、厄介だね」
それと同時に、この国が…シアが失ったものの大きさも知る。
国民に意思を問うたシアの気持ちも。
「なんにせよ“契約”という概念にそう差は無いと私は考えます。魔力なくしてその力を制御することもまずできないでしょう。魔力の使い方を貴女は学ぶべきです。私から見ても貴女の魔力の制御はひどく不安定ですから」
言ったクオンが懐から何かを取り出す。その手の平を広げて見せたそこには、紫色の石があった。宝石だろうか。もしくはパワーストーン的な。
「我々魔導師にとって貴石は、魔法を使う上でとても重要なものです。海でとれる貴石にはもとより魔力が宿っていて、往々にして我々はこれを利用します」
貴石…確かシェルスフィアは貴石の国だとも言っていたっけ。それを狙った他国からの略奪も多いって。
ふと思い出したように、シアに返してもらってから再び首に下げていたお守りを思い出す。一度失くしてからなんとなく、ふとした時に確認するようになってしまった。
セーラーの胸元に手をあて、感触を確認しほっとする。それからチェーンをひっぱり確認しようとしたその時だった。
「……えっ」
慌てて取り出し手の平に乗せる。その光景に思わず目を瞠りながら。
「な、なにこれ…!」
「…これは…」
お守りが、光っていた。
青い石の中央に閉じ込められたような光がゆらゆらと揺れている。石の中でその光は、何かに呼応するように形を変える。
それは今なお耳に聞こえているものと同じリズムを刻んでいるように見える。
ちがう、たぶんきっと、そうなんだ。
「この歌に、反応してる…?」
それはあたしにしか聞こえないという不思議な歌声に、応えているように見えた。
あたしの手の中を覗き込んだクオンが目を瞠る。屈んだ背の影があたしをすっぽり包み込んで、その中で石はまだ尚光り揺れていた。
「…これは、この国の貴石ですか…?」
「う、ううん、ちがう、はずだけど…」
お母さんがずっと大事にしていた、お守り。それがこの世界の貴石であるはずない。
だけど、でも、じゃあ。どうして今、反応してるの?
ずっとずっと、ただの石だと思っていた。何の石なのかすらも分からない。お母さんは教えてくれなかったから。
だから勝手にお母さんの誕生石かなくらいにしか、思ってなくて。それ以外の何かだなんて、考えたことなかった。
「貴石を使った魔力制御と魔力の質やタイプを見てみたかったのですが…先送りしましょう。私も貴女にしか聞こえないという現象については気になっていましたし、可能性を探ってみましょうか」
「…え?」
「まぁ航海中も時間はあるでしょうし、目先の問題から片づけていくのが得策かもしれません」
「クオン?」
「この場所を選んだのは貴女の力を見るのに海の近くが良いと思ったのと、もうひとつこちらに気になることがあったからです」
「…それって…」
クオンは持っていた紫の貴石をまた懐にしまい、そして剣を鞘に静かに収める。それからふと向けた視線の先には、カラフルな旗と人だかり。
ずっと歌が、聞こえている方向。
「おそらくあのギルドの目玉商品とやらが、そうなのでしょう。貴女か、もしくは貴女の中の存在を…呼んでいるのかもしれません」
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