第8章 深層の歌姫
1
北の海、深層の祠への出発は2日後。
それまでに全船の船員配備が大幅に変更されることになった。分船のアクアローゼ号とアクアリリィ号の船員が合流し、今後の方針を話し合う際に決定したことらしい。
国王からの命令もあり魔導師を2名確保できない船は待機船になる。待機船の船員は戦争参加要員になる可能性が高い。
レイズは船を一隻、捨てることを選んだ。
アクアリリィ号を廃船にし、アクアマリー号とアクアローゼ号に全船員を再配置することにしたのだ。これにより新たな魔導師の確保も船乗り達の待機も回避できる。
アクアマリー号に乗る船員は各船長達と主要幹部だけで十分に吟味された。
北の海はとても危険な場所だ。本来なら魔導師を増やしたいが、それにはお金が必要で現状それは厳しい。そこはクオンの力を当てにするしかない。
だけどもうひとつ、船員達の戦闘力補強が必要だった。北の海はアズールフェル国境海域間近で、侵略船や略奪船が多い場所らしい。
北の海は船乗り達の間では“死の海”と呼ばれていると聞いたのはその時だった。
―――――――…
「もともとぼく達は拾われの身が多いんです。だから戦闘員たちで腕がたつのは実際ごく一部なんです」
港町へと再び買い出しに来ていたのは、ジャスパーとあたしとクオンだ。
船出の為の買い出しで、今回は流石に量が多い。クオンは文句を言わず荷物持ちをしてくれている。
「そうなの? 海賊ってみんな、腕っぷしが強いのかと思ってた」
「そのイメージが欲しかったので、そう名乗ってます。実際“略奪行為”もしているので、その認識に嘘は無いですし。でも分かる人には分かりますよ。根っからのケンカ好きとかも居ますけれど、多くは船や仲間を失ったただの船乗りか、もしくは商船や客船に乗っていた一般人ばかりです。漂流船で遭難していた所を助けられたり、他国の略奪船の中で救われたり。海で多くを失った身寄りの無い者達を、レイ達が拾ってくれたんです。ぼくも奴隷として売られるところを助けてもらいました」
少しだけ先を歩くジャスパーの顔は見えない。だけど繋いだ手に僅かに力が篭るのを感じる。今度こそはぐれないようにと繋がれた手。もしかしたらそれはあたしの方だったのかもしれない。
「ぼくにはもう家族も居ませんし帰る家もありませんが、レイ達がぼくに居場所と名前と尊厳を与えてくれました。だからぼくはそれに精一杯報いる必要があります。できることはまだごく僅かですが…」
…奪われた、尊厳。
人が人を侵し、人間としての尊厳を奪い、売買する。まるで本当にフィクションの世界みたいだ。 だけどここではそれが現実だ。
そしてトリティアも同じようなことを言っていたことを思い出す。トリティア達から尊厳を奪ったのは――
「だからマオ、もう絶対に黙って居なくなったりしないでくださいね。ぼくの今の一番の役割は、マオを守ることなんですから」
くるりと振り返ったジャスパーが、少し怒った顔であたしの顔を覗き込む。あたしはそれに慌てて首を縦に振る。繋いだ手にぎゅっと力を込めて。
「うん、約束する。もう勝手に居なくなったりしない。本当にごめんなさい」
あたしの言葉にジャスパーは満足そうに微笑んだ。それにつられるように微笑み返す。
クオンがシアからの命令であたしの護衛につき、片時も傍を離れようとしないことには気づいていた。だけどこっちこそまるで監視のようで息が詰まる。
ジャスパーのその言葉の方が、今のあたしにとってはとても頼りになるものだった。
買い出しから戻る頃には乗船員や配置が決まっているはずだ。今回の配備は戦力重視になる。ジャスパーはアクアマリー号の料理長だけど、戦闘員としては戦力外だと以前言っていたのを思い出す。
他の船に乗っていた同じ役職者と比べたらどうなんだろう。遠巻きに見た限りではアクアローゼ号にもアクアリリィ号にも、ジャスパーより年下の船員は居ないように見えた。
今回の航海ではジャスパーと離れてしまうのだろうか。右手にもらったお守りが小さく鳴る。
船の船員配備についてあたしに口出す権利はひとつも無い。だけどジャスパーが居なくなったら寂しい。船の上であたしの心を支えてくれたのは紛れもなくジャスパーだ。
でも、だからこそ。
今回の危険な航路に、ジャスパーを連れていくことに気が進まないのも事実だった。
それはきっとレイズも、他の船員達も同じ気持ちだろうと思う。ジャスパーはあの船の上で、誰よりも愛されているから。
あたしもあの船の一員だ。レイズの判断に従うしかないし、それが一番だとは分かっている。
考えるほどに沈む気分を押し上げ、人混みの中をくぐり抜ける。今度こそちゃんと、その手を離さないように。
その時だった。
ふと何かが耳に届き、思わず足を止める。つられるように繋いだ手の先に居たジャスパーも、後ろからついてきていたクオンも立ち止まる。
「…マオ?」
「…なんだろう…何か、聞こえない?」
喧噪に紛れて耳に届く何か。自分の意識が否応なく惹きつけられる。
「…音…ううん、歌…?」
あたしの様子にジャスパーも暫し耳を澄ませる。だけど困ったように笑うだけだった。
「もしかしたらぼくには聞こえない歌なんでしょうか。ぼくは魔力を持ってないし…」
「私にも聞こえませんが」
後ろからクオンが怪訝そうに口を挟む。
ふたりには、聞こえないの? だって耳を澄ませば澄ますほどに、こんなに、鮮明に――
「ジャスパー。あちらには何があるか分かりますか?」
クオンが指したのは、あたしがじっと見据える方向だった。あたし自身はまるでその歌声に憑りつかれたみたいに動けない。
クオンの言葉にジャスパーがあたしの視線の先を追う。この港町に土地勘のあるジャスパーはすぐにその答えが分かったらしく、少しだけ表情を歪める。それからクオンに答えた。
「…港町の東海岸の方ですね。あそこは主に不法売買人たちが多く
「…最高の商品…?」
クオンの問いにジャスパーはどこか俯き声を落とす。
気付けば周りの足並みが皆そちらに向いている。お目当てはその“最高の商品”だろう。
「彼らが主に扱うのは人間です。愛玩用か、奴隷用か…希少価値の高い人間が売られる所です」
―――――――…
買い出しから戻るなり、船員の招集がかかった。全船員が、アクアマリー号前に集合している。こうして見るとアクアマリー号の船員が一番多かったらしい。以前ジャスパーが言っていた通り、ちらほらと女のひとの姿も見える。あたしよりは確実に年上で、やはり露出した肌には青い刺青。やけに美人揃いなのは気のせいだろうか。
船員配置には大いに興味があったので、その発表だろうとあたしも人だかりの後方で様子を見ていたら――
「お前とクオンは暫く席を外せ。後で呼ぶ」
とレイズにあっさり追い出されたのだ。
なのであたしとクオンは暫く手持無沙汰になり、結果クオンの本来の使命のひとつである“指南”を全うすることになってしまった。
あたしの力に関することやトリティアに関わる事象は一通りシアに聞いていたらしく、ひとまずできることを見せてみろということになったのだ。
そうしてあたし達は今、イベルグの東海岸に来ている。その場所を指定したのはクオンだった。
あの不思議な歌声はまだ聞こえている。その声は気になったけれど、流石にあのままジャスパーを連れてここに来るわけにはいかなかった。
奴隷として売買された過去のあるジャスパーを、こんなところへは。
「すごい人…まだその競りってのが、やってるのかな」
「競りにかけるような商品は、そうそう簡単に入手できませんから。本来競り自体が行われるのも数か月に一度と聞きます。ある程度商品を確保し、充分に告知して人寄せをしなければ彼らも儲けが得られないのでしょう」
「…じゃあ、“この海で最高の商品”っていうのも…」
「本当に目玉商品でしたら一番最後でしょう。まさに頃合いかもしれませんね」
先ほどまでと違ってあたしの前をすたすたを歩きながらクオンは冷静に答える。この人混みで不思議なくらいに人を避けるのが上手い。あたしはさっきから数歩歩くたびに人にぶつかっては頭を下げるの繰り返しなのに。
「…聞いていい?」
「なんですか」
「…不法売買なんでしょう…? 国が取り締まったり、しないの…?」
「現状できません。国がそう公約を交わしてしまっています。制約はありますし兵士が監視につきます。ですがその中でのことであれば、現状我々は口出しできません」
「国が人身売買を認めてるっていうの?!」
思わず上げた声に、クオンがちらりと振り返りまた前を向く。気に留める様子もなくまた早足で。
「ここでの“売買”はある種の“保護”と同義になります」
「…保護?」
「彼らが値を釣り上げる為に商品だと触れまわる所為でそういうイメージがあるのは認めます。ですがここでの競りの対象となるのは、例えば領土を追われた希少種族、血統、移民等の特異な人種です。そういった人種は一般の人に紛れて生きていくのが困難な為、人の助けを借りなければいけません。ここは住処を失ったある特定下の条件における人間とその身を請け負う人間との仲介所というのが国での認識です」
「…い、意味がよく分からない…」
呟いたあたしに、クオンは今度は振り返らず続ける。
「貴女はこの国の…この世界の人間ではないと聞いています。ある程度の歴史や分化や風習、人種の違いは理解できますか」
「…少しは、理解しているつもりだけど…」
そもそも魔法だとか精霊だとか神さまだとか。そういったものとはかけ離れた世界に居たのだ。
だけどこの世界で過ごしていく中で、そして自分の身を持って体験する日々の中で、それはもうあり得ない話でも無関係なものでもないと理解している。
「例えば魔力を食わねば生きていけない者。精霊と人の間に生まれた者。陸では生きていけない者。この世界にはそういった人種が存在します。殆どの人種は長い歴史の中で特定の住処を追われ数を減らしたり、身勝手な人間によって狩られたり、もしくは歴史上において抹消されたりしてきました。ですが不思議なことにそれらの種族は、絶えることはありません。時折長い歴史の節目にふと息を吹き返すのです。しかしその時彼らには適した住処も環境もありません。ですからそれらを用意でいる人間が、彼らを引き取るのです」
「ならどうしてお金をかけるの? 保護だっていうなら、無償で引き取って守ればいいじゃない」
「まず第一に、彼らを保護する上では莫大な資金が必要になります。なので引き取り手は貴族や富豪に限られてきます。そして第二に、彼らは例外なく特出した能力を持つ者ばかりです。生まれ持つ容姿や力は、それこそ希少価値の高いものでしょう。そして数が限られてくる。だからこそ連中は、欲しがる。結果いつの間にかこういったシステムが生まれ根付いたようです。 不法として名がつこうが、大元で国が許可している以上、我々に口出す権利はありません。国が彼らすべてを引き取り養うことは、現状できないのですから」
なんだかひどく他人事に聞こえた。それに余計に胸がこじれる。
“仕方ない”で済む問題なの?
例えば安全や保障を手に入れたとして。
そこに“自由”は、あるものなの?
「おそらくジャスパーが売買されたのはこういったギルドの商人ではなく国外の略奪船でしょう。女子供は彼らの対象となります。海上における目の届かない出来事に、国は保証できません。少なくともここで奴隷として売られる者は居ません。彼が認識している不法売買とは少し違いますよ」
「バカ言わないで。違うわけないでしょう」
少なくともジャスパーは、違うなんて思ってない。じゃなかったらあんな表情をするわけない。どんなにイイワケめいた理由があったって、それがこの国の国民なら、守るべきじゃないの? 等しく同じ条件で、生きる権利があるはずだ。
クオンの振り返る気配を感じたけれど、あたしはその顔を見たくなくてわざと俯いて歩いた。
しばらく歩くといつの間にか人混みを抜け、目の前には海岸が広がっていた。
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