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―――――――…
「あ、あたし船がどこにあるか、分からない…」
目の前に広がる噴水広場には、まだ多くの人がごった返していた。式典の放映は終わり、人々の顔には様々な表情が浮かんでいる。祭りのような喧噪とは違う、不安を孕んだ重たい空気。その表情を足早に見送りながらクオンの後を追う。
「船の停泊場はいくつかありますが、それを端からあたるより貴女と一緒に居た少年を探す方が早いでしょう」
「ジャスパーを? この人ごみの中から?」
思わず間抜けな声が漏れたあたしを横目に、クオンは歩調を緩めず歩みを進める。それから少し人混みから外れた道を選んで進路を変えた。
「魔法にはいくつか種類がありますが、探索もそのひとつです」
「でも、クオンとジャスパーはほとんど面識ないでしょう? 会ったこと無い人をどうやって探すの? あたしには無理だよ」
「一度会っています。人探しの魔法の精度は対象の情報量によりますが、私は一度言葉を交わした相手なら高精度で探し当てられます」
「ジャスパーと会って話したってこと? どこで…」
そこまで言ってはっと思い当たる。クオンが着ている制服をたくさん見た場所。
「…もしかして、海上船団管理局に居たの?」
「貴女を陛下の元へお連れする為には、貴女の乗ってきた船の情報が必要でしたから。貴女の顔は知っていましたが、それ以外の情報がありませんでしたので。貴女も一緒に居たのは幸いでしたが、船と船長の名は聞いていましたのでもとは船まで迎えに行く予定でした」
そういえばシアは誰か迎えをやると言っていたっけ。それがクオンのことだったんだ。
と突然クオンがぴたりと足を止める。急に止まったものだからその背中に激突したあたしの腕を、クオンは容赦なくとった。
「跳びます」
無造作にそれだけ言い放って、あたしの腕を強く引く。為すがままのあたしはクオンの腕の中に倒れこむと同時に、足元の感覚を失った。
視界が一瞬かき消え、襲う浮遊感。悲鳴を上げる暇もなかった。
「……!」
次の瞬間視界には、大きな船と見慣れた顔ぶれの人だかりが映っていた。少し距離があるけれど、目につくその青い色の文様は、決して見間違えない。まだあたしの心臓の上にあるのと同じもの。仲間の証。
クオンは本当に一瞬で、アクアマリー号の場所を探し当ててしまったのだ。
「…マオ?」
ふと後ろから震える声がして、クオンの腕を出て振り返る。そこには目を赤く腫らしたジャスパーが居た。
「ジャスパー!」
「マオ! 本当にマオですか? レイ! マオが帰ってきました!」
ジャスパーが顔をくしゃくしゃに歪めながら、腕の中に飛び込んでくる。抱き留めたその小さな背中が震えていた。
せいいっぱい力を込めて抱き締めて、ごめんねと何度も呟く。罪悪感しか沸いてこない。知らずあたしの目にも涙が浮かんでは流れていた。
ジャスパーの声に船の前に居た数人がこちらに駆け寄ってくる。深刻な顔をしたレイズと、ルチルにレピドだ。
「無事でしたか、マオ! もうこのまま帰ってこないかと思いました」
レピドがどこか泣きそうに顔を歪めて微笑む。あたしもつられて泣き笑いのような顔でそれに答えた。
「レピド、そんな礼儀知らずなことしないよ。お別れの時はちゃんとさよならを言う」
「わかっている、だから余計に心配した。またアズールのヤツらに襲われて攫われたのかと」
ルチルが眉間に皺を寄せ、ジャスパーを抱いたままのあたしの姿を目線で確認する。それから無傷だと確認してか、漸く表情を崩した。
「違うの、ごめんなさい、ルチル。前言ってたお迎えと少し行き違ったというか、かみ合わなかったというか…とにかく、心配するようなことは何もなかったの」
実際クオンのやり方は半ば拉致に近く強引だった。だけど今はそれを責めてもしょうがない。それにクオンはシアの命令を聞いただけだ。
最後に無言のレイズがあたしをまっすぐ見下ろし、だけど何も言葉はかけず隣りに居たクオンにその視線を向ける。
クオンはその視線を受け、懐から丸められた書状を取り出し紐を解いた。それをレイズの目の前に広げて掲げる。
レイズを始めとする船員達の目がその書状とクオンに注がれた。
「アクアマリー号の船長をお見受けします。私はシェルスフィア王国軍中央騎士団所属のクオン・アーカインです。王国からの通達事項と、海上船団管理局局長より最重要依頼をお持ちしました」
「…国と、局からだと?」
相手が国の騎士であると聞いても、レイズの表情は緩まない。怪訝そうにクオンの顔を睨みつけている。
「国王陛下のご命令により、王国所属の全船へ通達します。船属の魔導師の人数を、最低1名から2名へ変更。これは現状の海域危険状況を鑑みた上での重要措置です。魔導師2名を確保できない船は出航を許可できません」
「ちょっと待て、魔導師の確保がどれほど難しいかはお前らが一番良く知ってんだろ。魔導師は優先的に王国軍船か貴族のやつらにとられるんだ、俺たちにどうしろってんだ」
「これに合わせて、シェルスフィア王国全港よりの出航制限もかかります。出航できる船はこれまでの半数に限られます」
「…待機船から魔導師を借り受けろってことか?」
「それも手段としては有効です。しかしこの船へは特別措置として、王国軍船所属の魔導師を乗船させます」
「…なんだと?」
「こちらが海上船団管理局局長より最重要依頼です。詳細はこちらの書面を確認頂きたい。内容としては、この船に北の海域の深層の祠にて現場確認および調査をして頂きたい」
「北の海? 何故あんな危ない海域へこんな時期に?」
航海士であるレピドが思わず口を挟む。その顔は不安で曇っていた。
「戦争における必要事項としか、私からは申し上げられません。この依頼を受けて頂けるのでしたら、海上船団管理局および王国から魔導師がひとり無償で派遣されます」
「……それを受けなかったらどうなる。自分達で金出して魔導師を確保しろってことか」
「いいえ。その場合この船には出航停止命令が下ります」
クオンの言葉にレイズの眉間の皺が一層深くなる。
船を確保しなるべく秘密裏に深層の祠へ行くシナリオを考えたのはリシュカさんだった。と言っても王国からの通達事項は勿論シアが実際に発令したもので、現状下における被害軽減と船乗りの保護、国民の危険回避の為らしい。
国や戦争に関することは、あたしにはまるで分からないので口出しできない。
現状あたしとクオンは深層の祠に行く必要があり、だけど今国の船を動かすわけには行かない。アズールに悟られないよう船を北の海に向かわせる必要がある。
その為にレイズ達に協力してもらうことが必要だった。
だけどあたし達が直接シアと繋がっているとここで明かすわけにはいかないので、海上船団管理局からの勅命という形をとることになったのだ。
「…随分勝手だな。船を出せない船乗りがどうなるか知ってるのか」
「通常でしたら職を失うのと同義で死ぬのと同じことでしょう。しかし現状においては国が待機船の全員を引き取り戦争に向けた準備要員にあてられます」
クオンの言葉に思わずぎょっとする。そこまではあたしは知らないし、把握してなかった。
つまりここでレイズが断ると、アクアマリー号の船員達は戦争の準備に関わることになる。それってつまり、戦線に立つ可能性も大いにあり得るってことだ。
思わずレイズの顔を見ると、レイズはまっすぐクオンを見つめたまま思案しているようだった。
命令自体勝手だし納得がいかないのも分かる。結局船にもレイズ達にもまた、危険な思いをさせてしまう。
――だけど。
「レイズ、あたしからも、お願い。危険な場所だってことは分かってる、だけどどうしても北の祠に行きたいの」
思わず零れたあたしの言葉に、レイズは僅かに目を丸くする。何かまずいことを言ったのかと少しばかり緊張が走る。
「お前、王国所属になったのか?」
「え、ううん、違うけど…」
「この“命令”とお前の希望は、別なのか? それとも同じなのか?」
まっすぐ問われ、思わず言葉に詰まる。
王国が統治する海上船団管理局からの依頼は、いわば国家命令にも近い。王国騎士であるクオンがその書状を持ってきたことがその証拠だ。
だけどあたしは、便宜上王国に所属する“魔導師”ではない。
クオンとの関係性自体を問われているのだ。
「…結果的には、同じになるかもしれない。クオンはあたしの師になる人だから。だけどあたしの希望は別の所にもある。あたしはこの船じゃないと、海には出れない。レイズ達の助けが必要なの」
レイズがじっとあたしを見据える。いつだってその藍色の瞳はあたしの本心を捕えて逃がさない。嘘や誤魔化しはレイズには通用しない。だけどそれが当然だ。
命を預けて、そして預けてもらうのだから。
レイズがふ、と息を吐いて表情を崩す。少し呆れた、だけどいつもの勝気な笑いだった。
「いいだろう。現状国の命令なんか聞く気になれないが、“そっち”の依頼なら、受けてやる」
レイズの言葉に身体の力がふっと抜ける。安堵の息と共に笑みが漏れた。
「ありがとう、レイズ…!」
「詳細は後で聞く。その乗船する国の魔導師ってのは?」
「私です」
レイズの言葉に目の前に居たクオンが口を開く。それにレイズは再び目を丸めた。
「お前騎士じゃなかったのか」
「魔導師の資格も持っております」
「…マオの師とか言ってたな。北の海がどういう所かはお前も分かってるだろ。当てにはできるのか」
問われたクオンがちらりとあたしの方に視線を向け、すぐにレイズに戻す。それから相変わらずの無表情で答えた。
「マオの百倍は当てにして頂いて構いません。ご協力頂く代わりにこの船と船員は、必ず守ります」
どことなく嫌味にも思えるクオンの物言い。だけどそれ以上に、頼もしく思えたのも事実だった。あたしにはそんなこと、言えない。誰かを自信を持って守れる力も覚悟も、未だ無い。
だけど、これは自分で選んだことだ。
「…あたしも」
もう分からないとか理不尽だとか卑怯だとか。言っていられない。
覚悟を決めなければ。
「あたしも、守る。できる限りみんなのこと」
いつの間にかアクアマリー号の船のマストに、見慣れた白いカラスがいた。
シアと通じている。シアが見ていてくれている。
この国を救えるのがシアだけであるように、シアにとってあたしにしかできないことが、あるかもしれない。
この世界できっと、あたしにしかできないことがあるはずだ。
あの世界では見つけることのできなかった、何かが。
この海のどこかに。誰かの中に。
あたしはそれを見つけにゆく。
そして今度は自分の手で、守ってみせる。
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