第29話 きゅうり夫人 ③
「花蝶姫、これがオレの電話番号」
「毎秒電話しますね♡」
「……勘弁して下さい」
早速電話が来た。玄関に飛び出して靴を履く。あ! と、思い出して部屋に戻るとレンゲを掴んだ。
「おうおうおう! 乗ってくかい?」レンゲがレンゲのくせに喋る。
「どこ行くの?」とチサトが叫ぶが構わず外に出た。
「もしもし。君の力で、いけるかな?」
どこに向かうべきか。
「位置情報の発信を致します」
「OK。反応が来た」
花蝶姫は自分の家を躊躇なく晒してくれた。
「いきますね」
新しい座標が携帯電話に表示された。
「すっごい近いな」
もしかして、これが使えるのだろうか。オレはレンゲに話しかけた。
「お前、に乗ってどこかに行けないか?」
「おいおいおい! 当たり前だるぉ?」
あっと、気付いて、給湯器下の小さな扉を開ける。前に入れておいた棒を取り出す。何か懐かしい気がした。
そうだ。これはオレの昔のキャラの相棒、『びっくり鈍器』。
お前も、こっちに来てくれたんだね。
オレはすっごい巻き舌のレンゲを地面に置き、その上に両膝をついた。地図アプリを起動させ、方角を割り出し、指差した。「こっちに行きたい」
「さあさあさあ! 行くぜぃぃぃぃぃぇ!」
みるみる地面を離れる。西の空は狂おしいぐらいオレンジに焼けている。カラスが夕暮れを演出しに鳴き始めた。
レンゲは。空を飛んだ。
きっと高所恐怖症の人間は、思考がネガティブなのだ。もし……このレンゲがひっくり返ったら? もし、この床が抜けたら? そんなことばかり考えてしまうのだ。だから、そして、こいつだってだいじょうぶ! だいじょうぶに決まってるでしょ!?
ぶわっと手汗がにじむのがわかった。駅前のビルをかすめてさようなら。
駄目だ目を瞑ろう。駄目だ現在地を確認しなければ。
めくるめく景色、気が遠くなる。
「ああでも今、手を離してしまったら……」
「いやいやいや大将! 安心なされぃ! あっしは製品安全協会認定済みでさあ!」
は? 少し、手をレンゲから離してみる。おお、意外と、安定している。不思議な揚力が作用してオレの体を支えてくれる。
そして落ち着くと肝心なことに気がついた。携帯電話を耳にあてがう。
「きゅうり夫人の部屋に行ったんだよな? 危険はない?」
「それが……あの、彼女、ひどく怯えていますわ」
住居侵入罪をナチュラルにぶちかましているわけだから訴えられても文句は言えない。まあ、モニターから突然他人が出てくるのだから、そりゃビビるだろう。
なんだ? おかしい。なんだかDOFをやってる気分だ。最近、こんな錯覚が多い。視界に、装備中のデッキ、負傷、精神状態のグラフ……等が並んでいる。皮下脂肪弁慶を凌駕する能力値。
これ……。
右手を動かすと、ポインターが動いた。試しに装備中のデッキを開いてみる。
「参ったなこりゃ」
深々と嘆息した。見慣れないカードが並んでいる。
つまりどういうことか。オレの中では、皮下脂肪弁慶より
もしかしたら。オレは携帯電話できゅうり夫人の情報を検索する。山のように出てきた。きゅうり夫人の前に斃れた人々は数知れず、恨み言がてんこ盛り。その中にきゅうり夫人対策をまとめてくれる人がいたので読み込んで、アンチきゅうり夫人デッキを編んでいく。
「ここだッ! 止まって!」
「へいへいへい! 合っ点承知のぷう!」
レンゲから降りるとひらひらした声が降ってきた。
「やっほう! こっちですわ~」
花蝶姫がどこぞの家の門口から手を振っている。
「ここ? きゅうり夫人の家って」
「そのようですわ」
「他に誰か……」
「いないようですわね」
躊躇っている暇はない。
「お邪魔します」
ずかずか上がり込む。小綺麗な掃除の行き届いた南欧スタイルの家だ。
「こちらですわ」と自分の家のように花蝶姫は先に立つ。階段を上がる。
二階の暗い一室に入った。パソコンのディスプレイだけ、存在を煌々と誇っていた。
「君が皮下脂肪か」
声が低い。オレを圧迫しようとしている。そして若い。そして
「飛龍……」
「へえ、
声に覇気がない。まさか
見上げるとオレの頭の上に『秋絹人』と青い文字が浮かんでいた。時間がない。
「オレも勲立だからな。君と違ってモブだけど」いや、違うな。落ちこぼれだ。自嘲してしまう。「ところで訊きたいんだけど、飛龍先生の部屋って臭いんだね」
「いや! これは! 仕方ないでしょ? オデンの園にいるんだから」
モニターの隣には羨ましいことに嗅覚ディスプレイが設置されていて、張り切って昆布とかつお節のにおいを調合してはせっせと飛龍先生の部屋にまき散らしている。モニターの中には幼卒DQNの面々が菜箸に怯えながら健気にマスターの言いつけを守って働いていた。が、彼らも異変に気付いたようだ。
「きゅうりちゃん、誰か、来てない?」
「なんか若い男の声が聞こえる……」
「彼氏?」
「マスターさ、男なんて興味ないって言ってたよねえ……」
「裏切り者!」
「そういうんじゃないってば! 今、ちょっと
「はいは~い」
「お幸せに~」
「この後、濃厚な……」
飛龍先生は慌ててスピーカーの電源を切った。
「何度でも言うけど何も話す気はないよ」
キリッ。切り替えが早い。動揺を誘いたいが結構タフかもしれない。飛龍先生が女の子に見えた。女の子だけど。
「秋絹人か。覚えてる。昔、その棒から地蔵が飛び出してきて骨折させられた。療養を強いられたよ」
きゅうり夫人か。覚えてる。君の
「なら力尽くだ。オレが勝ったら、知ってることを話してもらう。そして、今やってる
「何のつもり?」
「正義の味方のつもり」
飛龍は笑い出した。声のトーンが上がる。
「あのさ、お前さ、偉そうなこと言ってっけど皮下脂肪とやらで咎人やってんじゃん」
「オレのやってることなんて可愛いものさ」痛いところを突かれた。
「同じ穴の
軽々しく正義なんて言葉、使うんじゃなかった。
「なら。オレのが力が強いって証明できたら言うことを聞くんだな?」
「ここで戦うつもり?」
飛龍は屈んで、湾曲した長細い物を取り出した。それがちらり、モニターの光を受けて輝く。
「いいや、いい方法がある」
カードスロットから《
飛龍がこれを了承した。
オレと飛龍は、カードに吸い込まれた。
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