第28話 きゅうり夫人 ②

「あれは何かしら?」

「どこをどう見ても大根だろうね」

 紺碧の空。今日も霊魂の奔流は空をうねる。おおきな大根はほくほく煮えて美味しそうだ。

「あれは?」

「しらたきだね。そばにあるのが牛すじ」

 オレは一案を思いついた。スープで体が濡れるのも構わず牛すじ串をオールにしてしらたきに乗る。しらたきは十メートル程の長さがあった。そして花蝶姫の手を取りしらたきに乗るとゆっくりと漕ぎ出した。

 

「食べるものには困らなそうだけど」

 琥珀色のスープには昆布、油揚げの巾着きんちゃくが浮いていた。そして、進む先にようやく島が見えてきた。


 至純の真紅と呼ばれる色がある。悪逆の限りを尽くし日々人々の話題に上る、悪名が最大値カンストの連中はこんな色で名前が表示される。実物を見たのは初めてだ。

「どうして会おうなんて言い出したのか、それが解せないんだけど」

 呼び出されてホイホイやってきてしまった。

「あすこに誰か潜んでいますわ。幼卒DQNの一味かしら」

 それにつきあってくれる花蝶姫が今は頼もしい。花蝶姫はそのハスキーな声で流行歌を歌っている。

「見張りかな。この分だと四方八方に置かれているだろう」

 花蝶姫は皮下脂肪弁慶よりずっと知覚力が高いのだろう。用心していたはずなのにオレにはまったく見えなかった。歌声に気付いた斥候がやってきて、取り次ぎをしてくれた。


 オレの前に幼卒DQN御一行様が勢揃いして儀式を淡々と遂行していた。いくら花蝶姫が伝説級レジェンダリ装備に身を包んでいようと無名だ。脅威ではないので儀式を再開しても差し支えないと判断されたようだ。そしてオレの名前を調べれば大した能力は持ってないことぐらい解るだろう。まだ午後六時でコアタイムではないのに五十人を超える果実グレープが確認できた。学生が中心だという噂は本当なのだろう。


皮下脂肪弁慶:こんばんは。それにしてもあなたの名前はひどいですね

きゅうり夫人:突っ込んだら負けですかね…面倒なので繋ぎましょうか

皮下脂肪弁慶:ええ


 ボイスチャットの要請。了承。

「ご覧の通り現在我々は翡翠葛ヒスイカズラを消そうとしています」

「節操がないですね」

「ゲームのいいところです。人間性を問われない。たかがゲームです」

「その力をどうやって……」

「答える義務はありませんね」

 やがて訪れた沈黙を篳篥ひちりきが破った。しょうがけなげに合わせる。琵琶がリードを取り、鉦鼓がアクセントになり、琴が余韻に艶を入れる。仮面の踊り手が司祭の周りで一斉に跳んだ。 

「皮下脂肪さん、我々はDOFにより一層の刺激をもたらそうとしています。破壊と終焉の神を信仰してみませんか? 咎に有用な神業テオルギアが与えられるでしょう」

「刺激、ですか」

「物語には山が必要です。山を際立たせるために谷があれば大人の物語です。谷とは悲哀ペーソスです。我々がDOFを蹂躙し、麗しい絶望とすがすがしい恐怖を提供しようと思うのです」

「お考えは解りました。でも谷ではなく、海底に沈んでしまうかもしれない」

「それは我々の理想であり、目標ですね。皆さん次第ではないでしょうか」

 さて、オレの態度を表明しなければと考えて、あれ? と思った。オレはどっち側なのか。幼卒DQNに敵対するのか。くみするのか。関わらない、という選択肢もある。

「幼卒DQNの力は強大過ぎる」

 ぴゅうっ。スープの飛沫がちくわの林を抜けた風に舞う。

「このままじゃ、幼卒DQNに怯えてDOFをやめる人々が出る」

「それは一方的な考えですね。我々を倒そうと知恵を絞り、反目していた士房クラスタが合従連衡する。それをいとも容易く我々が打ち砕く。素敵なドラマです」

 そんなDOFに何が起こるのか。正直、見てみたい気持ちもある。でも。

「オレは傍観者でいたいと思います」

「我々の門戸はいつでも開かれています。気が変わりましたらいつでもどうぞ」

 タフな人だな。『夫人』という名前の割に若い声に聞こえる。

 きゅうり夫人との回線を切る。

 晴天の空が陰った。頭を持ち上げる。巨大で長い物が二本、降りてきて。刺さる。スープは荒れた。

「おおい! どうするんだ?」

「ここを選んだのも神の御意志。神が与え給うた七難八苦を忍び、わたしたちの凱歌へと結びましょう」

 やべえ、きゅうり夫人先生ノリノリだな。

「カガミ様、避難しましょう」

「そうだね」

 二人で丘に駆ける。そこに転がっていたはんぺんの上によじ登り、振り返った。巨大な棒がスープをざばざばと掻き分けている。やがて、つみれを見つけると、挟んで、引き上げた。

「どうしてここまでしなきゃいけないんだよ」

「死ぬ、死ぬ」

 高波が幼卒DQNの皆様に襲いかかった。二名ほど、呑まれた。

「あれって菜箸でしょうか?」

「ああ。そういうことなのか」

 箸を持ってるのはどれだけ大きな人なのだろう。そして巨大な菜箸はまたスープの中に身を沈めた。ざぶん、ざぶん。かき回す。陸地を津波が襲った。そして祭祀リチュアルはついに崩壊。菜箸はようやく沈んでいた卵を見つけて引き上げた。きゅうり夫人先生は的確な指示を出して祭祀リチュアルを再開させる。

「やれやれ、大した執着だ。花蝶姫、一刻を争う。落ちよう」

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