第27話 きゅうり夫人 ①

 その日、ルーシーは眠れなかったようだった。下に降りてこない。

 チサトはひよこ鑑定士にでもなるつもりなのか仔卦魂でオスメス判定をしている。

卦魂玉けたまたまかわいいよ卦魂玉けたまたま

 背筋が寒くなる。チサトは仔卦魂のふぐりを人差し指でもてあそんでいた。言うまでもないが男の弱点でダメージを受ければ大変な痛みを伴う。

「いいよねおちんちんは、外目からじゃ大きさ判んなくてさ。チサトも豆乳飲んで頑張ってるんだけどさっぱり大きくならないよ」

 チサトよ。イソフラボンを摂れば勝手に胸が大きくなるわけじゃないぞ。腕立て伏せとかしないとな。と思ってはみるものの意地悪なオレは口に出すことはしない。どうしてそんなに胸を大きくしたいのやら。


 外に出た。日を追うごとに、火属性に弱いオレは紫外線に灼かれメラニン色素は黒ずんで、神経終末は頼んでもいないのに脳に痛みを訴えてくれる。この暑いのにとても歩いて行く気にはならない。バス停に向かった。

 靴音高らかに横断歩道を中年の女性が駆けてくる。

 ああ、既視感デジャヴだ。いつどこで見た景色だっけ。

 女性はゆったりとした総レースのドレスに身を包んで、眩い大粒ダイヤの指輪を嵌め、真珠のネックレスを掛け、目にも鮮やかな羽根付ベールを被り、まあもう全身やたらキラギラしていた。倒したらさぞかし金になるだろう。

 ちょっと待て。倒すって何だよ。

 女性は剣を振り上げた。は? オレはおののいてきびすを返し、逃げ出した。

 なんだってんだよ! え゛!? 何がどうした? 

 さっきの女性に見覚えがある。ああ、やっぱりDOFだ。邪魔モンスターだ。勇敢マダム、って名前だったと思う。まただ。またDOFから輸入して来やがった!

 土地勘はある、小道から小道へと走りに走って、なんとかいた。もう、バスは使えない。呆然と歩いて行く。

「待ちなさい!」

 振り返る。背広にノーネクタイのくたびれた情に厚そうな中年が駆けてくる。反射的に逃げ出した。なんて名前だったっけ。ああ、レア邪魔モンスター、はぐれ刑事だ。

「一度逃げたら、その癖はずっと抜けなくなるんだ」

 忠告ありがたいですが、手遅れです。それにしても貴方の方がすぐ逃げ出しそうなお名前ですよね。経験値もたくさん持ってそう。

其方そちの首、貰い受けん!」

「いらっしゃい……」オレは呆れて頭を抱える。

 具足に草履、粗末な和鎧、手には槍を構えた若い女がオレに向かって突進。まただ。また見覚えがある。足軽女とかいう邪魔だ。 足軽と言うだけあってやたらフットワークがきびきび。一方でそのまっすぐな目から察するに残念ながら身持ちの方は固いだろう。……。何が残念ながら・・・・・、だよ。

 前に拾った武器のようなものを護身用に持ってくれば良かった。あんなもので満足に戦えるとも思わないけど。戦うってどうすんのさ。殺すことになったら何か罪に問われちゃうんじゃないの? オレはひたすら逃げて学校に向かった。


 人間型ヒューマノイドの邪魔が、街に出没するようになった。驚くべきことに、学校や社会はこの状況に順応していた。驚いているオレが変なのだろうか。

 ニュースを見ても誰も邪魔について取り上げることはない。ラーメン屋にラーメンが出るように、受け入れられていた。でもよく考えてみればオレも、そうだった。前から色々なことが起こっていたのだ。オレは気付かなかった。もしくは疑問に思わなかった。

 どこかから、銃声が聞こえる。しかしみんな眉一つ動かさず授業に集中している。

「昔、日本サッカーの発展に寄与した名選手が『権力の継続は腐敗の根源だ』と言った。権力に限らず変化や競争のない組織は腐敗する。公務員である我々教師だってそうだ。官僚、国営企業、国富を権力の維持に用い日本衰退の原因となった過去の与党、世襲議員、独占市場……」

 授業など頭に入らなかった。現社が終わると、そっと学校を抜け出した。タクシーを呼んで、ダッシュで乗り込む。

「こんにちは、花鏡さん。あの、僭越ですが、学校はいいのですか?」

 タクシーには最新の人工知能が使われており、オレの顔を認識している。日本語も流暢。

「ああ、問題ない。家まで頼む」

「畏まりました。世間話はどうしますか?」

「そういう気分じゃない」

「了解です」

 懐は痛むが仕方ない。車は走り出した。

 なんてこった。

 街が、変わっていく。 

 景色にDOFでおなじみのものが平然と紛れ込む。。。。。

「エラー! エラー! エラー! ……」

 ああ、そうだったな。

「信号機のないルートを選べないか?」

「検索……可能です」

「そいつで頼む」

「了解しました」

 十字路はちょっとしたパニック状態になっていた。信号機がまたもあべこべな点滅を繰り返している。今時珍しく、クラクションの輪唱がおごそかに始まっていた。


「ここで降りる」

「ありがとうございました。またのご乗車をお待ちしております」

 駆け出した。ゲートの上に卦魂が十数匹乗っかって会議をしている。そんなものに構うはずもなく自分のアパートに到着。

「ルーシー?」

 慌ただしく靴を脱いで奥へ。いない。はしごを上がる。

 いた。

 止めどなく、涙が流れ落ち、ふとんを濡らしていた。

「どうしたん、だい……」

 違和感は、あれどオレは赤字に悩むボンクラ店主で。何をどうすればいいのか、解らない。

「カガミ! カガミ!」

 ルーシーは勢いよくオレに飛びかかり、抱きついた。オレは無抵抗にルーシーに倒された。ルーシーは泣きじゃくり、けっこうな力で、オレの首に手を回し、締め付ける。オレは唇を噛んで耐えた。

「何かあった?」

「何もないわ」

 そうか。

「また、感情を理解したんだね」

「そうよ。カガミの体温なしでは、眠れなくなってしまったの」

「とりあえず、下に降りようか」

「嫌。このままがいいわ」

 

 微睡まどろみから醒める。気だるさと心地よさにまた眠りが訪れないか目を瞑ったまま粘っていた。

カーテンの隙間から、一筋の光がロフトの上まで届く。

 瞼の裏で何か万華鏡のように光るものが揺らめいていた。これは何だろうと目を凝らすと、レンゲだった。スープもないのにどうしろというのだろう。ついに諦めて目を開ける。 

 身を起こそうとしたが、ルーシーの手がオレを離さなかった。自分の体を引きずるようにしてはしごに向かおうとしても駄目。

 その重みは、嬉しい重みだった。ルーシーがオレを必要としてくれている。

 恋は苦痛を喜びへと昇華させる。それすらもまた、本能の一部かもしれない。

 でも。ルーシーは人間ではない。

 おそらく将来、人間は二次元に熱を上げることに否定的になるだろう。ゲームやアニメに傾倒する人間は結婚しない傾向にある。オレみたいな人間は淘汰される。人間がそういう遺伝子を持つように、変容していく。

「一緒に、下に行こう」

「嫌なの」

 ルーシーはそうしてまた泣きじゃくる。

「どうして?」

「はしごが悲鳴を上げるの聞きたくないわ」

 そうだ。ルーシーは『好ましい』と『さみしい』という感情に近似したものを獲得していた。複数の感情を研究材料にできたことは革命的で、線形的な神経回路網ニューラルネットワークが構築され深層学習ディープラーニングの大きな手がかりとなり爆発的に感情関数の完成度が高まり、おそらく『かわいそう』も理解したのだ。

 ルーシーは赤子のように刺激に対して敏感だった。それなのに知能はきわめていびつに優れていた。はしごに体重を乗せたときに破壊されるセルロース分子の一つ一つに、ルーシーは憐憫れんびんの情を垂れるのだ。オレはルーシーが生物のように時間を経るごとに鈍感にならないことを恐れた。

 何か白い物が、オレの傍らに転がっていた。……巨大な、オレの背丈ほどもある、レンゲだ。

 オレの想像した物までが、具現化してしまった。こんな事例もDOFで聞いたことがある。触ってみると陶器の手触りがありながらとても軽い。

「カガミ。お願いがあるの」

「何?」

 ルーシーは満面の笑みを浮かべた。

「わたくしを殺して」

 ルーシー、間違ってる。楽しいときに笑うんだ。

 メジロがどこかで鳴いている。

「君は強くなる。色々なことに慣れていけるよ」

「そういうことじゃないの。わたくしは、わたくしがいると、機械が機能不全になるの。もしかしたらもっと広い地域に影響が出るかもしれない。わたくしは、生きていてはいけないの。でも、自殺は許可されていない。だから」

 もう六月だというのに要領の悪いメジロは求愛の歌を叫ぶ。

「黙っていてごめんなさい。わたくしはきわめて不安定な存在。イレギュラーな存在。ありうべからざる存在。現実は、この世界は何もかもが想定以上fail-highで。わたくしの体中を這い回るバグと戦っている状態よ。貴方が命より大事と言った、パソコンも守れないかもしれない」

 それはただの誇張だ。でも君はに受けた。

「なんとかする。オレは下に行くけど大丈夫かい?」

 ルーシーは答えなかった。ほんの少し、オレに巻き付く力が強くなる。

玄関が開く音がした。オレはルーシーを抱えたまま起き上がってルーシーの頬にオレの頬を合わせた。そうして唇を当てた。擦るように。ルーシーの力が抜けた。

 感情なんて、ないほうがいいのかもしれない。でも、生物が生物であるために必要だったのだ。

「助けるから」そしてルーシーの手をふりほどく。レンゲを手にした。

「おうおうおう! 乗ってくかい?」

 レンゲが威勢のいい声で喋った。ルーシーの方に振り返る。

「耳をふさいでいて」なるべく静かに、はしごを下りた。恐る恐るパソコンを起動する。大丈夫、異常はない。

 チサトは足早に入ってきて辺りの臭いを嗅ぎ、ロフトに上がるとルーシーがいるのを確かめた。

「絶対チサトのが早いと思ったのに。……早退なんてしてないよね?」

「ああ」

 DOFにログインする。ロフトから、ルーシーの寝息が聞こえる。少し落ち着いたのだろう。

 GMゲームマスターを呼んで 偃月先生を呼ぼうとしたが今日は来社していないらしい。

 何か方法はないか? 

 そうだ。もしかしたら。

「これから花蝶姫に会う」

「は?」

 チサトのこめかみがぴきぴく跳ねた。オレはモニターに向き直った。

「お前は会わない方がいい。お前じゃ、まだ敵わない」

「……手伝ってよ」

「オレは花蝶姫の助力を仰ぐんだ。そんなことはできない」

 そしてメールを書いた。はやい。瞬時に返信が来た。


「まさかカガミ様のほうからデートのお誘いなんて!」

「いやだからデートじゃないよ」

「今は菖蒲が旬ですわ! 参りましょ」

「時間がないんだ。花蝶姫ってさ、前にオレの家に来たよね」

「ええ、参りました」

「その力ってどうやって手に入れたの?」

「知りませんわ。カガミ様のお部屋に行きたいって思ったら行けたんですもの。さもありなん。きっと愛の力ね❤」

 もし。ルーシーがいなかったらあの夜、オレは花蝶姫を抱きしめていた。現実の花蝶姫は鶏そばを思わせる澄んだ肌で極細低加水ストレート麺みたいな手触りで、少し加減を間違えたら壊れてしまうような、繊細な味だった。

 オレは、必然フェケルティについて花蝶姫が何か知っているのではと期待していた。そこから、ルーシーのバグを解決できないか糸口を求めたかったのだ。

「あら? また幼卒DQNですの? 物騒な世の中ですこと」

 なんだろうとログを見てみる。

システム:世界第九位が翡翠葛ヒスイカズラを対象に《消失ディサピアー》の祭祀リチュアルを始めました。

 《消失ディサピアー》! 

 《終幕ジ・エンド》と双璧を成すゲーム史上空前絶後最低最悪の仕様。《流刑エグザイル》は時間が経てば復帰できる。《消失ディサピアー》はキャラクターそのものを消去する。

 おそらく幼卒DQNの目的は、主要な抵抗勢力の打倒。先の合戦で幼卒DQNもそれなりの被害を被ったはずだ。それで抵抗する士房クラスタを潰そうとしている。

祭祀リチュアルを止めなきゃならない」

「さもありなん。でも、幼卒DQNですわ。しかもきゅうり夫人がとんでもない必然フェケルティを手に入れているとか。何百人と集めてなんとかなりますかどうか」

 呼びかけるまでもない。無理だ。あの力を目にした者が立ち上がるわけがない。背後に、気配を感じた。なんだチサトか。オレのパソコンのモニターを伸びきった麺みたいな目で見つめている。

「力で敵わないなら、籠絡ろうらくするしかない」

 チャットを試みる。


皮下脂肪弁慶:こんばんは

きゅうり夫人:こんばんは あの、初めましてですよね?

皮下脂肪弁慶:《質量欠損》という必然をお持ちですね?」

きゅうり夫人:ええ

皮下脂肪弁慶:どうやって手に入れたものですか?

きゅうり夫人:お答えしかねます

皮下脂肪弁慶:自分も欲しいという訳ではないんです。不正チートを疑っているわけでもありません。ただ、何か必然について御存知ではないかと思った次第です


 自分でも思う。細い、あまりにも細い、可能性だ。でもどうにかしてルーシーを救う手がかりを掴まなければならない。


きゅうり夫人:咎人ですか。一度会いませんか? そんなにお時間は取らせませんので


 今、きゅうり夫人先生はオレの名前を検索したに違いない。そうしてオレに殺された誰かの書き込みを読んだのだろう。咎を重ねたことが良い方向に働いた、かもしれない。


皮下脂肪弁慶:ええ

きゅうり夫人:都合のいい時間はいつですか?

皮下脂肪弁慶:今すぐでお願いできますか

きゅうり夫人:せっかちで、強引

皮下脂肪弁慶:すみません

きゅうり夫人:いいですよ。何名でおいでです?


「ぷんすか。まるで恋人」

 チサトがため息をつく。

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