第21話 ルーシーの ①
アジトに戻るとひまわりサロンに潜り込んだ。
『《
『最近なんか変なこと多すぎないか?』
『おかしい。ゲームバランス崩れすぎ』
『質量欠損って陽子と中性子を結合させて質量が減ったときに起こるんだけどさ、きゅうり夫人のは違うんだよ。何らかの方法で原子ごと消滅させてるかもしれない』
『NPCがいなくなってクリアできないクエストあるらしい』
『DOF終わったな』
『あんなん勝てるわけない。ぶっ壊れ性能。チートじゃね?』
『引退不可避』
『何が目的? 新規いじめ?』
『これからの新規は食料をたっぷり背負って狩りに出かけろと』
『バグ大杉』
オレは非常食を膝から下ろして立ち上がった。足がしびれてふらつく。目眩にふらつく。そして案の定オレはよろめいてルーシーの首にかぶりついてコロコロと転がり途中ルーシーの双丘に触れる幸運に遇しながらコロコロと転がり最終的にルーシーの太ももに顔を埋めるに至った。
「ド変態!」
チサトは突沸しこたつを飛び越え両足を揃えるとオレの脇腹を串刺しにするドロップキックを放った。オレの体はルーシーからずり落ちて床にキス。しっぽを振りながら非常食が駆け寄ってきて「何か新しい遊びか?」みたいな顔をする。
「疲れたな。今日はここまでにしよう」
オレは単に、無味乾燥な三年間を無気力無感情にやり過ごし、高等学校卒業程度認定をかすめ取るためだけに、この椅子に腰を下ろしている。異世界から教室に来訪する教師は、授業で何事か口にするのだが理解不能。ただ苦痛な半日を耐え忍ぶ。
学校でも
携帯端末からひまわりサロンを覗いていたが、幼卒DQN討伐の気運が高まっては消え、沸騰したかと思えば髄が溶け出す前に冷めてしまい、スープは煮え切らない。
オレは先生が推奨するとおり走って帰った。帰り道は貴重な運動の機会だ。
残念ながらチサトはもう家にいた。
DOFにログインするといろんな人が叫んでいる。
「間もなく《
「わんわん京にいる連中はゲートに急げ」
「わんわん京でログインしてる連中は色々大変な目に遭うのでご注意。さっさと出ろ」
そしてゆっくりと幕は下りた。幼卒DQNが達成を祝す声明を掲げる。
システム:わんわん京は《
「どれ。遺体を回収に行ってくる」
二人もついてきた。
凄惨な光景だった。至誠の剣痕はこころなしか死体が増えているように見えた。
「今は大丈夫。咎はしない」
木々の陰に人の気配があった。声をかけてみるが反応はない。
「さっさと回収してどっか行くしかないな」
オレは死体を見て回った。
良かった。まだあった。
死体を背負った。どっと疲れが出た。
「あの林に隠れてる人達は死体漁り?」
「わからん。ともかく邪魔にならないようにもう行こう。多分、ここには人がわんさか来る。袋叩きに遭うかもしれん」
そうして至誠の剣痕を出て、野外の共同墓地に死体を埋める。もう咎する気にもなれなくて、ログアウト。久々に美味しい夕食でも作ろうと立ち上がった。
「どこ行くの?」
「買い物」
なぜ食料を買うだけなのに仲良く三人で行かねばならんのだ。外に出ててくてく歩いているとなんだか現実なんだかDOFの中だか混濁してわけがわからない。どうかしてる。
気が触れそうになる。笑い出しそうになる。やめてくれ。頭ん中から伸び伸びの麺が湧きだしては這い出る。それと同時に二人の女の子を連れて回っているのを近所の人々に見られることも気になった。違うんだそういうんじゃない。「はい、こいつはオレの愚妹でしてね、ええ」と一言も話したことがない人達にオレは説明して回った。いや、してない。助けてください。
ログインすると、メールが来ていた。
「私の死体を拾って頂いたようで、感謝します。もしかして、以前どこかでお目にかかっていませんでしょうか」
「そうですね。実は数え切れないほど会っています」メールを返す。すぐにチャットで返信が来た。
翡翠葛:どういうことでしょう?
皮下脂肪弁慶:先日、幼卒DQN討伐の様子を観戦しました。それと……実はオレ、秋です
翡翠葛:絹人君?
皮下脂肪弁慶:はい
フレンド登録が飛んできた。了承。
ボイスチャットの要請。了承。
「絹人君! 久しぶり!」
「ですね」
オレはこっそりマイクのボリュームを下げた。その分、オレの方がマイクに近づく。
「誰この人?」チサトはアルトの声で訊いた。
「昔同じ
「どうしてカガミの周りにはこうも意地汚い女共が寄ってくるかなあ」チサトは小さくぼやく。
「新しいキャラで始めたんだ。もう
「出世しましたね」
「だね」
翡翠葛先生はそしてコロコロと笑った。
「オレの
「そっか。昔のあたしだったらそっちに移ってたんだけどなあ」
「結婚はしました?」
「行き遅れ」翡翠葛はそしてコロコロと笑った。「何? あたしと結婚したい?」
「いや……」そういうんじゃない。と言いかけてオレは迷った。頭ごなしに否定するのは失礼だ。どう言えばいいだろう。
オレの部屋から低い唸り声が轟く。可哀想に非常食が怯えて鼻を鳴らす。
「何? 犬でもいるの?」
「……駄犬がね。気性が荒くて困ってるんです」
チサトはオレの肩に手を掛けると息も荒く、首筋に噛みついた。声にならない声を上げてしまう。
「どうしたの?」
「ぐピょッ」首を這う舌の感触が気持ち悪い。参ったな。いろいろ誤解されそうで、事を荒立てずに……翡翠葛先生に気付かれないようにしたい。チサトはいつに無く強気にオレを責める。オレは振り返るとチサトの首に手を伸ばし、抱き締めた。全力で!
チサトは目をつむり、オレの背中に手を回した。オレの腕が込める力に打ち震える。チサトは何かおかしいことに気付いて両手をばたつかせる。
「何か荒い息みたいなのが聞こえるんだけど何?」
「テレビじゃないですかねえ……」
声が震える。
「そうなの? 女の人の声みたいだけど」
そしてルーシーがヘッドマウントディスプレイを外してオレとチサトを見ていることに気付いた。なんだこれは。
失敗した。面倒でも立ち上がって背後から締めてやればよかった。
「ああ、わかった。……もしかして絹人君、いやらしい動画かなんか観てる?」
「そうなんですよ!」すげえ否定したかった。
「お年頃だもんね」
翡翠葛先生はそしてコロコロと笑った。お年頃とやらはいつまで続くのだろう。多分、死ぬまで。
もう、どうにかなっちまう。チサトが起き上がると追い打ちを掛けるようにオレに組み付き口を開ける。
なんて卑怯な奴だ。チャンスに乗じてオレを責め立てる。そこではっとした。ああ、そうだオレが好きなのはルーシーだ。以前、翡翠葛先生の綺麗な声と優しい人柄に惹かれていたけど。そうだ。そうだ、そうだ。花蝶姫とチサトが喧嘩してたから少々わたくしめもトラウマでね。お陰でこの有様だよ。
「さ、狩りにでも行こうか。妹よ」
チサトは顔を上げた。オレを睨む。
「え? 絹人君の妹さん……そこにいるの? え?」翡翠葛先生はひどく
チサトはオレにもたれかかり、唇を結んで微動だにしない。それが却って恐ろしい。
「じゃ、オレ達は狩りに行きますんで」
「ちょっと待って。あたしも行く。お礼がしたいの」
チサトが顔を歪める。オレはそれを認めてから「いいですね。是非一緒にやりましょう」と答えた。チサトは手を伸べて、オレの首に爪を立てる。
「ぃつっ!」
ルーシーの前でぶん殴る訳にもいかない。チサトの顔をつねる。チサトは口の端を上げた。オレは目をつむる。……手を出したオレの負けだ。
「あ! 絹人君、咎始めたんだ?」
なんですかその「ギター始めたんだ?」みたいなノリは。もっと怒ってくださいよ。ぴしゃりと叱り飛ばして更生させてくださいよ。
残念ながら翡翠葛先生は
この惑星は自転も公転も足早だ。もう春うらら。待ち合わせには人気のない花弁舞う荒野を選んだ。
桜を見ていると不思議な気分になる。こんなに次から次へと花びらは散っていくのに、その数は限りなく、減ることがない。よくもまあこんなに大量の花びらを抱え込んでいるものだ。
「どこ行こっか」
翡翠葛先生がPTに入った。歩くたびにスーパーマーケットのカートがキュルキュル音を立て、チサトの
「じゃあ、遠慮なく寄生させていただきます」
「ルーシー? セボルガの、ルーシー?」
翡翠葛先生が呆然と呟く。オレは怖くなって猛然と駆けだした。
あらこんにちは。地面を埋め尽くした桜の花びらからゾンビが這い出てきた。
翡翠葛先生はカートを十台ほど重ねガチャガチャ言わせながら突進。花びらを吹き飛ばし、ゾンビの肉片が舞い散る。翡翠葛先生が進む先々にゾンビが這い出て、その都度せわしなく轢き殺していく。桜吹雪は何度も舞い上がる。
翡翠葛先生はルーシーを見てセボルガ国出身だと判断した。ルーシーはやはり有名人なのだろう。ルーシーに出会ったとき、彼女はどうしてあんな所にいたのだろう。
ゾンビを一掃すると、翡翠葛先生はそのまま足を止めた。チサトが非常食にちょっかいをかけている。非常食は器用にはしごをぴょんぴょこ跳んで上に逃げ出した。最近すっかり体つきが大人の卦魂になってきている。
翡翠葛先生はこちらに向き直った。
「ルーシー、聞こえる?」
「ええ」
「あなたはどうしてセボルガを出たの?」
ゾンビの肉片が泡になって花びらに溶けていく音、東風が花びらをもてあそぶ音が頭にこびりつく。
「あなたが失踪して困惑……迷惑してる人が沢山いるの」
オレは振り返った。ヘッドマウントディスプレイに隠れて目は見えないが、特に様子は変わらない。変わるわけがない。
「王女様みたいな重要なNPCが雲隠れして二月も帰らないなんて」
N……PC?
氷解と混乱が同時に起こった。
ルーシーは微動だにしない。
ふらつく頭を押さえ、訊きたくない質問をする。
「ルーシー、君は何者なんだい?」
ルーシーは即座に答えた。
「セボルガ国王位継承順位第一位、
納得した。色々と説明がついた。疑問と疑問が符合した。オレは立ち上がり、ルーシーの腕を握る。
「人工知能? 見てくれよこの肌を。角質が一枚一枚まで完全に存在している。ありえない。この体が人じゃなかったら、一体幾らで作れるって言うんだ。そしてこの完璧な美貌!」
そうだ。完璧過ぎるんだ。偶然ではあり得ないぐらい。曇りのない、純白の肌。
「わたくしはDOFから外部に
ルーシーの声は悲しくなるぐらい、抑揚がおかしくて、表情筋は口を動かすのにつれて動くだけでその息を呑むような美しさは少しも乱れない。オレはルーシーに肉薄して……チサトに引き剥がされた。チサトをはね除けルーシーを掴む。参ったな。ルーシーからは何の匂いもしない。
「あの……どういうこと? え? そこに……ルーシーがいるの?」
「ええ、いますよ」
チサトは相好を崩した。小さく息をつく。
「よかった」
チサトは、こたつに戻る。順応している。オレは、丼の縁に爪先立ちしている気分。
落ち着こう。オレは部屋を出るとオレンジピールでハーブティーを淹れる。
「今ね、知り合いのGM《ゲームマスター》と連絡を取ったの。聞こえる? 絹人君」
「はい」オレは慌てて席に戻った。
「それでね、絹人君と話したいって人がいるの。このまま、待っててくれるかな?」
「はい……」
初見のラーメン屋に何の情報もなしに入るようなものだ。カップに口を付けた。ちょっと苦い。
振り返った。
「ルーシー?」
ルーシーがいない。
「チサト、ルーシーは?」
「知らない」
帰った、のか?
DOFに?
モニターに、ぎらぎらと喧しくボイスチャットの要請が点滅していた。
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