第20話 幼卒DQN 後編
至誠の剣痕の奥。深紅の僧衣を着込んだ男女が質量をどこかに置いてきたのか、沸騰するお湯にたゆたう麺の如くゆらゆらと宙に浮いていた。誰も彼も名前は赤い。手には一様に紫の液体にぬめる
少数だが、黒衣の男女も見えた。おそらく、混沌と束縛の神の信徒だ。彼らは重力を操る
中でもオレンジ色のスカートが目を惹く
「今日もお足元の悪い中、大勢のお運び、いい迷惑です。今宵も正義のヒーローごっこ、虚栄のパーティー、偽善のつるぎ。明日の会社や学校でまったくやる気がなくなるぐらい心に傷を負ってお帰りください」
声の方を見る。きゅうり夫人先生だ。これは警告なのだろうか。それとも脅し? つまり撤退して欲しい? もしくはただ願望を自己顕示欲旺盛な悪役宜しくつい、垂れ流しているのだろうか。
戦闘には参加せず、後ろでにやにやしている。カリウムぐらいしか栄養がないくせに偉そうだ。なんだろう。何か心に引っかかる。
『僕に攻撃しないで』という名の男が手を上げると幼卒DQNの皆様が一斉に退いた。
今にも討伐隊が幼卒DQNを呑み込みそうに見えたが、動きが止まる。口々に「動けなくなった」と報告が上がる。大規模な《
しばし、奇妙な沈黙が起こった。飛び道具すら放たれない。幼卒DQNは高台へ上がった。
「上空、迎撃準備!」
翡翠葛の華奢な背中が大きく見える。唐突に辺りが暗くなった。見上げると太陽を長細い雲が隠す。何か光るものが、いくつも空から落ちてくる。ああ。なんてこった!
「オマケもついてきやがった」こんなときにはあれだ。Oh my God!とか|Jesus(ジーザス)!なんて常套句を叫ばにゃならんかも。
《
ぱっと視界に飛び込んだのは空に噴き上がる血液だった。頸動脈から頭から腕から足から止めどなく八方に飛び出て、やがて『明日結婚します』は倒れた。
『傾国のホモ』をダブルクリックすると、《血祭り《ブラッドフラッド》》という
「ふむふむ。こんな強い人達がいるんだ」
うむ。これで少しはチサトも自重してくれると助かるのだが。
きゅうり夫人先生の声はかしましい戦場にあって朗々と響いた。
「E=mc^2を御存知でしょうか。アインシュタインによって見出された質量とエネルギーの等価性を表した式です。質量は莫大なエネルギーを内包していることが御理解頂けるでしょう」
《
「戦友よ。短い間だったけど楽しかった」
幼卒DQNの一員『例のプール』がつぶやいた。それに応えるように、翡翠葛がばたり、倒れた。
お勉強の内容はまるで頭に入らないのに、どうしたことかDOFのこととなるとすぐに憶えてしまう。これは破壊と終焉の神が与える
背後から遊撃隊数名がきゅうり夫人先生を襲おうとしたが、駆けだした途端、突如として発生した黒いものに行く手を阻まれた。《ブラックホール》だ。遊撃隊は慌てたように逃げだそうとするが、重力に引かれほとんど動けず引き摺られまいと足を踏ん張っている。辺りの木々やら小石やらが同心円状になってブラックホールの周りに輪をつくり、やがてそれらも呑み込まれた。周辺の空気まで薄くなっているのか、顔色が悪い。やがて吸い寄せられ、足が呑まれ、異様に足が長く伸びた。ぐにゃぐにゃと体が伸びたり縮んだりする。口を開けても、何もこちらには聞こえない。ブラックホールに全身が収まると、完全に姿が見えなくなった。
システム:童帝は、ブラックホールに呑まれ灰になりました。
ログにそんなメッセージが残された。しかし激しい戦場にあってはあっという間に他のメッセージに流されてしまう。
オレはきゅうり夫人先生をクリックした。何のカードも使っていない。そして戯言をいつまでも吐き出している。敵が、味方が、倒れるにつれて
「これから私の指先についている水滴を壊します」
音もなく、幼卒DQN全員が空中に浮き上がり、退いた。
こわす? 壊す? どうやって? 何のために? オレはマイクを入れて叫んだ。
「逃げろ! 何か来るぞ!」
しかしオレはただ遠巻きに観戦している一介の咎人に過ぎない。そもそも声が届いているのかどうか。諦めて、物陰に飛び込む。きゅうり夫人先生が何か言っているが、聞き取れない。
ノートパソコンのモニターが光った。何かが起きた。誰が。きっと、きゅうり夫人先生。耳が、頬が、四肢が、皮下脂肪弁慶の体中が火照って光る。辺りの雨水が蒸発して
「何これ?」チサトが呆然とつぶやく。
「大丈夫か?」
「うん」
「大丈夫」ルーシーは無感情に……いや、落ち着いていた。そう、そのようにオレは思いたいのだ。
オレも軽いやけどで済んだ。
「さて、どうするか」
物音は……風の音のみ。どうなったのだろう。好奇心に勝てず、立ち上がり、戦場を見に行く。
まだ戦闘は終わっていなかった。逃げ惑う討伐隊を背中から斬り殺すという簡単な作業が行われていた。それもか細い悲鳴と共に間もなく終了した。
「料金分は働いたからね。ボクはこの辺で撤退するよ。またよろでーす」
聞き覚えのある声だと思ったら
死屍累々。見渡す限り討伐隊の死体で埋め尽くされている。その向こうで、幼卒DQNが
「逃げよう。用はない」
馬をつないでいたのはどこだっけ。
バリッ! ブババババババババリ!
どこかで聞いたことのある音だ。
ルーシーはいつの間にか戦場に近づいて、七色に輝くカードを使っていた。
ルーシーが手を振り下ろすと、電光が雨粒を
な……?
「帰りましょう」
ルーシーは悠々と
そうだ、ルーシーは日向では見えないのだ。でも報復するために捜索されないとも限らない。《誅罰の
!?
オレは、今の
でもそれがどこでだったのかは、夢の中の出来事だったみたいに、
「光属性を鍛えたら、切ーり札が手に入ったわ。カガミ、お礼を言わせてもらうわね」
「ああ……」
きゅうり夫人先生は、ゆっくりと目を瞑るとこちらに背を向けた。とにかく逃げ去ることにする。
「《
「わからん。でもこのままだと実行されるな」
「さっきのは何? 何かフランケンシュタイナーがどうとか……」
昔からそうだ。チサトはオレに訊けば何でも答えると思ってる。
「エネルギー=質量×光速の二乗。これがさっききゅうり夫人先生の言ってた式だ。例えば1立方ミリメートルの水の重さは0.01グラム。これをエネルギーに変換すると広島型原子爆弾の威力を優に超える。十倍以上にね」オレはログを丹念に調べた。きゅうり夫人の言葉も音声認識でログに書き込まれ、ご丁寧にDOFのシステムの手でルビまで振ってある。
「《
「意味解んない」
楽奏が始まった。
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