第16話 始動 ②
工芸品をオークションに出し、買い手が付くまで街に
立ち上がり、ミント
「ところでチサトは宿題やったの?」
「そもそもさ、文部科学省の言うがままに勉強するのってどうなの? って思うわけ」
心の底から同意。しておいて。
「かと言って毎日遊んでばかりいるわけにもいかないだろう。頭は鍛えなきゃ使えるようにならない。オレも自分のやるからチサトも終わらせとけ」
なんというか。チサトはしぶしぶ小冊子とノートを引っ張りだしこたつに並べた。横目でちらちら様子を窺っているうちにオレはぐらぐらと沸きかえった。今鶏ガラを投入すればさぞうまいスープができるだろう。
「チサトさあ、お前文型って奴を解ってないだろう」
「文型って何?」
「日本語と同様、基本的に英文は主語から始まる。~はって奴だ」
オレは例によってモニターを黒板モードにして授業を始めた。
「で次に動詞が来る。動詞によってどの文型になるかほとんど決まる。これは丸暗記が必要だ。
例えばbe動詞は
「私は家なの? おかしくない? どうしちゃったの?」
まあ、チサトにかかればそうなるだろう。
「では日本語で。『私は今、家です』って電話で言われたとする。どんな意味になる?」
「ふっへ? 同じじゃないの?」
これはひどい。薄々感じてはいたがチサトは日本語すら危うい。
「私は今、家ですってことは家に居るって意味なんだよ」
「あ~チサト、ネイティブアメリカンだから日本語よくわからないんだよね」
確かに
「現在進行形は主語 be動詞 現在分詞といった並びになっていてもbe動詞は=《イコール》の意味だ。現在分詞は~しているって意味。つまりI am walking.は私
「カガミ」
「なんだい?」
「チサトが寝ているわ」
さすがに居眠りするときはいびきしないんだな。オレは妙に感心した。目と口を開けたまま器用に眠るチサトをぽかりと叩く。
「さあ、
どうやらオレは教師に向いてない。やはりラーメン屋になるしかないのか。
チサトはオレのノートPCを覗いて。「あ! 全部売れてる」と叫んだ。
む。
オレの意志は極細麺で、焚きつけられるとあっさりと茹で上がり、またスープに身を投じてしまう。
うん。なかなか高値で売れたじゃないか。
咎人になる! ということは非常にリスキーな生き方だ。制約も多く、報復される危険もある。将来、何が必要になるか。買い物も容易ではなくなるので不測の事態に備えきっと不要になることを承知で大量の物資を買い求めた。思い切って馬車も買った。一度アジトに戻って荷物を下ろす。まだお金には余裕があったので街に戻るとベッドを買って積み込むとアジトに運んだ。
「武器も新調しておこう」
ルーシー用に
「あ、この服可愛い! 買ってぇ! ぶんぶん!」
「って……。またこんなのかよ」
チサトが見ていたのはまたも巫女服だった。前のより袴の丈が短い。
「どうしてこういうのがいいんだか」
「え? だってカガミこういうの好きじゃない」
……。前に、そんな時期もあったかもしれない。
結局、押し切られる形でそいつを買い、アジトに戻った。
秘密基地の入り口を目立たないよう偽装して、罠をこれでもかとしつらえて侵入者を熱烈歓迎。そしてセレブな寝具と空調を買いそろえ、チサトがベッドのスプリングで跳ね回るのを冷めた目で眺め、布団に入った。悪事を働くには良質な睡眠が欠かせない。
「ねえ、これさ。チサトはどこで寝ればいいの」
「お前はその辺で雑魚寝でもすればいい」
「ひっどーい!」
チサトはオレの寝ているベッドに潜り込んできた。
「やったー。ベッドで寝れる!」
なんと二人もいけるのか。
「ルーシー。このベッドで寝れるかな」
ルーシーもベッドに寝ることができた。てか、いつもの体勢だな。
「おやすみなさい」とメッセージが出て、画面が暗転する。すると画面にピンクのハートマークが現れてふわっと上昇し、小さくなって消えていった。
「なんだこりゃ……」
オレがDOFを休止している間に、妙な仕様が加わっているなあ。
「え? なんかあった?」
……。ああ、なるほど。チサトはU-15だからチサトのパソコンには変な演出(ハート)が出なかったんだな。
「いや、なんでもないよ。さて、リアルのオレ達もちょいと休憩にしよう」
一睡を取ると皮下脂肪弁慶の身体に活力が漲っていた。
オレは首をひねってチサトの方を向いて。
「本当に
「うん」
チサトはラーメン屋に行く時みたいに無邪気に目をキラキラさせている。
宵闇を待つと鈴の反響をお供に外に出た。
瑠璃色の空から、空腹を抱えた狼の咆吼が落ちてくる。満月のはずだが雲に隠れ非常に視界は悪い。だが
「人から、恨まれる存在になるんだぞ」
チサトの瞳は揺るがない。何かを捉えて動かない。
狂気染みた意志。オレの胸がわずかに
オレはいつまでもぶつくさ呟きながら、岩陰に隠れた。以前、下見しておいた場所だ。ここからなら眼下を横切る街道が見渡せる。
仕方ない。
「ターゲットが来たらルーシーはターゲットの正面から強襲。オレは背後から行く。チサトはしゃんしゃんうるさいから不意打ちには向かない。オレが交戦したら来てくれ」
そしてあとは待機モードになった。チサトが「TV。9チャンネル」と言ってTVを点ける。
「いつ来るか判らないんだぞ」
「ひま」
「お前が言い出した癖に」
チサトはしぶしぶ「TV消して」とつぶやく。
物音がする。金属がこすれる音。きっと鎧の音だ。やがて4……いや5人の一行が歩いてくるのが見えた。歩き方から見て、
「どうするの?」ルーシーが訊く。
「数が多い。スルーだ」
「まだ待つの……?」
小躍りしていたチサトが水気を絞られしおしおしなびたメンマになる。
「また来たわ。三人よ」
見てみるとリンゴの輪切り状の顔をした生き物が悠然と歩いてきた。その後ろに厚手のコートに身を包んだ長髪の人間らしき姿が見えた。その体躯から、おそらく女だろう。
「殺ろうか」
チサトは途端に水気を取り戻してぷりっぷりのメンマに戻った。熟考している暇はない。オレは数使いの
「いけそうかい?」
「ええ」
「行ってくれ」
ルーシーは岩陰から駆けだした。はて、もう一人がどこかにいるはずだが、と思うも姿が見えない。オレも駆け出し、
「ルーシーは女の方を頼む」
「ええ」
まだ戦闘に入ってないので自由にカードを選べる。ルーシーが刀を振り上げ、オレの八苦が紫色の電光を描く。
なん!?
突然どんぶりをかっさわられたかのような衝撃だった。リンゴ人間がカードを出してきたのだ。
「気付かれた!?」
リンゴが出したカードは《
「
オレと同年齢ぐらいだろうか、男の声がパソコンから聞こえた。
ようやく空いた雲間から月が光を投げかけた。
ああ。
よくよく見るとリンゴの断面だと思っていたのは真っ白で平たい鳥の顔だった。リンゴの種に見えていたのは大きく黒い目だった。リンゴの芯だと思っていたのはフクロウの鼻だった。リンゴ人間ではなく、フクロウ人間だったのだ。そういえばこんな顔のフクロウどっかで見たことある。
「つまりルーシーを見る力を持っていたと」
こちらの、動揺を誘っている。オレが接近していたのもバレバレで、対応されてしまった、ということだろう。
心がダウンすると判断力が落ちる。体勢が悪いにも関わらず焦って攻撃し、手痛い反撃を頂く。一方、ルーシーは冷静に後退し体勢を整えた。その隙にフクロウは翼をはためかせルーシーに向かって飛んでいった。オレのお相手はコートの女だ。
「ルーシー。
「了解」
「姫ーっ! 我が輩がお守りいたしますぞ!」
さっきより年上の男の声がした。威勢はいいが、棒読みだ。
「おのれ凶漢。不意打ちとは卑怯なり! 貴殿にも我が輩の豪槍を受け取っていただこうううウ!」
オレは猫舌なんでこういう熱々ラーメンは苦手なんですよねえ。さて、この声の持ち主は。
風を切る音がする。目を凝らすと何か長細い物がコートの女の周りを飛び回っている。
「死ね死ね死ね死ね……」チサトは《
チサトの武器、
チサトは逃げ回った。
「そいつさっきから《
「そんなカード知らない」
でしょうね。オレは一旦、退がって、息を整える。
チサトは物陰に向かって駆けだした。オレは敗北を覚悟した。
負傷すると身体が動かなくなる。その分、
姫様は何か黒い矢のようなものを投げつけた。姫様の使ったカードは《
「どうやら
「そうだね」
いや参ったね。やっぱり咎なんて柄でもない事するんじゃなかった。
しかしルーシーは気を吐いた。フクロウの剣が迫るのに合わせ、《
総毛立った。大気が震える音がする。
突如として唸りを上げ
ああ、確かに強い。オレは岩陰に駆け込み、再び《
「
「無~理~」
♪男の乳首はよぉ~
何のためにあるのかよぉ~
でゅわっ でゅわっ~
存在理由のない~
哀しい玩具だね
はぁ~やっほいやっほほい
オレが逃げ……体勢を整えている間に姫様が歌い出した。おそらくあらかじめコンピュータに歌詞を示され、姫様の中の人が録っておいたものだろう。フクロウの身体が火照る。
オレはマイクを入れた。
「あのさ。恥ずかしくないわけ? その歌」
「恥ずかしくないわけないでしょ!?」と女の子の声がスピーカーから飛んできた。
「その割にノリノリで歌ってるよね? けっこう上手いけど!」
「ありがとう。ぜったい殺す!」
と、姫様大層御立腹。
なんかごめんなさい。
引いたばかりの補助カード《
「やっぱり
DOFで遊ぶ時は戦闘に入る前にデッキを組んでおくのが普通だ。カードバトルの駆け引きに興味のない人は一枚のカードだけを入れたデッキを組むことも可能だ。デッキのカードを使い終わるとまた同じデッキが配布されるので常に同じカードで戦うことができる。また、相手の手札を操作するカードにも強い。同じ行動ばかりなので特定の技術だけを成長させられるので柔軟性はないが一芸に秀でそれなりに戦える。操作しようにも手札がないのだ。プレイが楽になることから半自動プログラムに任せ他のことをしながらDOFを遊ぶ人もいる。
ターン17。オレが知る限り姫様がここまで出してきたカードは《
姫様の杖が伸びてくる。オレの体は光を帯びた。《
「チサト?」
チサトは
「やっと
ターン18。オレは体勢が崩れた姫様に容赦なく《
ルーシーのカードが裏返る。カードが赤い光を放った。
ルーシーは
「降伏、する」
悔しそうな声がスピーカーから聞こえた。姫様が手を上げている。動けなくなった
ルーシーの刀が
「姫様ー」
スピーカーが
その間抜けな響きに力が抜ける。
人工知能には感情がない。感情を理解できない。だから感情を伴った台詞を合成音声で発するときによくこんな状態になる。
「どうして、攻撃したんだい?」
「この人は、『ぜったい殺す』と言っていたわ。いつ牙を剥くか判らない。生かしておいても特に利はあるとは思えない」
そうか。オレが甘いのかもしれないな。
そしてオレは「
「是非もなし」
「姫様は
「待ってくれ。今度はオレが貴殿の主君になろう」
「男子に仕える気はありませぬ」
ぐぬぬ。
「ならチサトがしゅくんになる」
「マイクをいれなきゃ認識されないぞ」
「チサトの家来にな、なりなさい!」
しばし、
「承知致し申す。我が輩には
チサトは豆乳を盛大に噴き出した。ごほごほとむせる。
緊張の糸をほどくと、のどが渇いているのに気付いた。紅茶を口に含む。
「君の名前は?」
「
オレは紅茶を盛大に噴き出した。気管に紅茶がなだれ込み、胸の痛みに咳き込む。
フリーランスか。なんかすぐにオレの元を出奔しそうな名前だ。
まあ、確かにフリーにもほどがある。落ち着きなく空を飛び回っている。フリーランスからPT加入申請が来たので許諾。
「いいアイテムはみんな保護されてるなあ。残念」
DOFは基本無料で遊べるゲームだ。DOF開発会社『realize』の収入源ももちろん課金アイテム。普通、人に倒されると保持していたいくつかのアイテムを落とすが、主に課金で手に入る貴重なアイテムを使うことによって対象のアイテムが保護状態になり、落とさなくなる。
「そうか、フリーランスはアイテム扱いじゃなくてNPC《人工知能》扱いだから保護できなかったんだな」
これが、咎か。
想像していたものとは、違った。オレが提供したドブみたいな香り漂うラーメンのお代をテーブルに叩きつけながら矢継ぎ早の
それが、こう、意外にもあっさり塩らーめんだった。いや、それどころかじわじわと昆布の旨味が感じられて、恍惚として気分がじわーっと高揚する。勝利の味が邪魔を倒したときのそれとはまるで違う。奪った金品やら食料やらも美味しかった。
なんだ、案外たいしたことないじゃないか。
「ひとまず、戻ろう」
「なあ、せめて俺達を街まで届けてくれないか?」
つい今し方こしらえたばかりの亡骸が喋った。
「悪いけど、そんな甲斐性、僕たちにはない」
「そうか。せいぜいいい気になっておくんだな」
オレ達は傷だらけの体を引き摺って帰途についた。唐突にチサトが切り出す。
「どうして今の人たちは助けないの?」
「オレ達が殺したのにオレ達が助けるってのもなんか変だろ? 蘇生して速攻寝首をかかれるかもしれん」
なんだチサト。今更罪悪感かよ? チサトの横顔には何も書いてない。
月は駆け足で落ちてきた。紫紺の空がオレの胸を痛いくらい締め付ける。畜生、こんな色のラーメンはたぶん、ない。ああ、今のオレはちょいとおかしい。心の中で駆けだしたオレは昨日完成したばかりの我が家に逃げ込んだ。
何か重苦しいものを吐き出すように深く息をする。アジトの効果でダメージの回復が早まっている。
チサトのパソコンを見せてもらい、フリーランスのデータを眺める。等級は……
「もう回復したよね? 出撃と行こうじゃないの」
「ずいぶん熱心だな。でも咎にはやっぱり夜が適してるよ」
まあ確かに実入りは大きかったけど。夜になると三人と一本はアジトを発つ。
「姫様、こんな夜更けに
チサトは駆けだした。
「たったかたあ。どこでもいいからぁ、誰かをぉ、
フリーランスはチサトと併走するようにして。
「なんと! 咎とは第三者を殺める行為と聞いておりますぞ。何故
「強くなりたいの! 今すぐに! ぶんぶん」
強くなって。そして。
「承知致しましたぞ。
ふぁっ。ふぁっ……プィ。
野生の
「誰かぁ、いるわ」
立ち止まり、ルーシーの向いている方に目を遣る。いた。
「二人かな?」
「ルーシー、先に行って見てきてくれないか?」
「ええ」
「では我が輩も偵察がてら先陣を切って参ろう」
「ちょっと……!」
止める間もなくフリーランスは飛び出していった。無鉄砲にもほどがある。慌てて後を追う。
「
追いつけるわけがない。一瞬のうちにフリーランスは飛び去る。
「飛び降りられなくもないが、戦闘の前に怪我してらんないしな」
オレ達は飛べないので崖を迂回して降りる道を探す。そちこちで小動物がざわめく。オレは足の速いルーシーとチサトにぐいぐい引き離される。剣戟の交わす音が響いた。
フリーランスが二人を強襲。そして間もなく野太い悲鳴が轟いた。フリーランスはもう、一人を転倒させている。続いてチサトとルーシーが追撃。
「切り捨て☆ゴメン」
チサトは一撃で相手を殴り倒す。
「ちょっと待ってくれ。オレ、何もしてない」
苦笑せざるを得ない。オレが到着すると、二人とも既に地に伏していた。
「しかし
二人が持っていた物は価値のないものばかりだった。お金も持ってない。
「またお前らか……」
死体が喋る。
「なんだ、中身はさっきの二人か」オレは納得した。
つまり、オレ達に斃された二人が新しいキャラを作って死体を回収しにやってきたのだろう。作ったばかりのキャラだから弱く、装備も整っていなかった。
「しかもあたしのフリーランスまで奪った」
「ああ、もうオレ達の仲間だ」
「粘着するつもり?」
「さあね」
マイクを切る。
オレはどす黒く染まっていく。ルーシーがそんな俺を見て失望しないかどうか、ひたすらに気になった。そしてそんな自分にもちょっと自己嫌悪して。
「どうしてあの人達ここに来たの?」
「遺体回収だろう」
「粘着、するの?」チサトの声音は弾んでいる。
「次があるとすれば連中が相当な準備をするだろ。リスクが高すぎる。遺体回収くらいさせてやろう。腐り果てて
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