第14話 流刑 後編
《
三人は神さびる精霊廟遺構というエリアに足を踏み入れた。つい最近アップデートで追加された地域だ。DOFはプレイ人口の増加に伴い、世界を膨張、拡大させている。こういったコンテンツのほとんどはコンピュータが創造し、実装している。ゲームとして楽しいものか、ゲームバランスは適当か、DOFの世界法則に則したものか、ありきたりでなく斬新か……etc。様々な要素を数値化してコンピュータは判断し、ゲームを成立させている。
「ああもう方向が判る。あっち」
チサトが指差す。
DOFは時間の経過が早い。
雪の季節は終わり、動植物が目覚め始めていた。
「こういう空気の澄んだ所だと、よく見えるね」
「何あれ」
蒼穹に、絶えず流れる白い川がある。目を凝らすと、水面には動物の顔が浮かんでは消えた。その中には人間のものや
「『霊魂の奔流』って言うんだ。生物が
神さびる精霊廟遺構ではお岩さんとかいう岩の精霊が大変ご立腹のご様子で「うらめしや、うらめしや伊右衛門殿ぉぉぉ」と絶叫しながら襲いかかってくるのでなるべく避けながら進んだ。お岩さんが暴れているせいなのだろう。視界は赤茶けた土と岩場で覆われ、音が反響するので慎重にゆっくりと歩くしかない。身を潜められそうな窪地を見つけてそこに入って一休み。夕暮れを待った。
「念のため聞いておくがマイクは切ってあるな? ……じゃあ、今のうちにトイレに行っといてくれ。その後、腹ごしらえして奥へと進もう」
DOFは経験値を貯めてレベルアップなんてシステムを採ってはいない。美味しいパンを焼くためには実際にパンを焼かなければならない。
花散里もある程度の場数を踏んで、ギリ食べられるぐらいのパンを作れるようにはなった。
どう見てもゴーヤにしか見えないパンを腹に収めると、ほんの少しの活力を得て三人は奥へと進んだ。
「妙だわ」
ルーシーが呟く。
「ここだけ、植物……カヤツリグサが生えてんいるの」
確かに、お岩さんにいびられ枯れ果てたのだろう、他には草木の一片も見えない。のに、岩を突き破って根を下ろす植物は、変だ。
「そうだね。おかしいね」と、スピーカーから聞いたことのない女の声が飛び出す。
「花蝶姫?」
いや、違うか。声が低い。
「カヤツリグサから、声が聞こえるわ」と、ヘッドマウントディスプレイで音の定位が判るルーシーが報告してくれた。
「まあつまりは、この子は斥候ってこと」と、草が言葉を継ぐ。
オレは自分のマイクを『全公開』にして。
「しかしどういうことだ。どうしてオレ達の声が聞こえてるんだ」
「知らない。大方マイクの設定を『全公開』にでもしてるんでしょ」
オレは即チサトを見た。チサトはしばしパソコンを操作し胸を張って「なってた」と仰せになる。チュートリアルも
「お前のパソコンが下手にハイスペックだから遅延もエコーもノイズも皆無で、気付かなかったよ。お前はあれだ。今まで自分の言ったことをこっちの世界の皆さんに垂れ流してたというわけだ」
チサトは体を硬直させ、地球の質量に導かれ、倒れた。まあ大したことは言ってないとは思うが。
「まあ新人さんにありがちなミスだわね。落ち込みなさんな」
敵? に慰められてら。いい人だな。
「花蝶姫って人知ってるか?」
「知ってるも何もボクの
「今、
「ボクじゃないけどね。他のよく知らない人。ボクは護衛。……おっと、これ以上はあんまり詳しく教えらんないや。怒られちった」
よくしゃべる草だ。
「そうか。後で戦うことになったら、よろしく」
「ほいほい」
「さて。……ここからはより慎重にだ」
チサトは口元を歪めて起き上がる。そしてパソコンに向かった。「こっちにいる。近い」と指差す。
「あれか」
昔はさぞ壮麗な建物だったに違いない。しかし今は天井は崩落し壁は崩れ、
何やらやたら楽しげに踊っているのが一人。そして、その隣に人影が二つ。三人とも赤く、名前が表示されている。目を凝らす。踊っている女の名は『アルジャーノンに生卵』。
『
こたつに拳を振り下ろす。コップが跳ねた。臆病な非常食が物陰から目をキラキラさせてオレを見つめている。
「こんなん勝てるわけない。撤収しよう」
ババババババババババガッ!
突如、岩を突き破りがさがさと音を立てうねうねと身を捩らせながら巨大なツタがお出ましになった。
頭がうまく働かない。……混乱している。ともかく、オレは甘かった。偵察に見つかった時点で撤退すべきだった。でも! 仕方なかったんだ! 一刻の猶予も許されない事態だったから!
ああ、今選択しているデッキ、雑魚用だ。今死んだら大丈夫かな。どこかに光明は……。
モニターがカウントダウンを始め、オレにカードの選択を迫る。ちょっと待ってくれ。そもそも戦うべき相手がここにいない。いやいるけど届かない。
今、戦うつもりなんてなかったんだ!
ターン1。ツタが補助カード《
さてツタを操る双子葉はオレがどんなカードを出すと読むだろうか?
オレは岩壁を背にしていた。《
オープンフェイズ。
ツタは《滅多打ち《パライジ》》。
そうか。《
オレは跳躍し、岩壁を蹴った。そうしてトリッキーな動きでツタを避けようとした。しかしツタは待ってましたとばかりに的確にオレの体を打ちのめす。
裏をかかれた。このレベルの相手に後手を踏んだらもう勝ち目はない。
「逃げろ!」
「え!?」チサトが素っ
ターン2。
いいのを引いてきた。
オレは《
「やだ」
チサトはついて来ない。オレの足をツタがかすめた。
ターン3。あっという間に単子葉琉生はやってきた。そして曇った声で。
「墾田」
「永年」
そうして高く跳んだ。
「私財法」
鍬をひからびた大地に振り下ろした。と、一瞬のうちにそこが正方形の泥地と化した。遅れて双子葉瑠衣もやってくる。チサトはよろめいた。もう、逃げることもままならない。
ターン4。泥から急に苗が生えてきて、チサトに絡みついた。おそらく稲だろう。単子葉琉生がオレを追いかけるが、《
「死んだ」ポツリつぶやく。「逃げようとしたけどダメだった」
「最後の手段だ」オレは大きく伸びをして深呼吸した。筋肉が凝り固まっている。「掲示板に書き込んで助力を請え。時間がない」
チサトは眉尻を下げてしばし考えていたが「やってみる」と、キーボードを叩き始めた。
さて、オレにできることは。
尋常じゃない強さであることは判った。これじゃあ昔の仲間に連絡しても来てくれそうにない。
掲示板を覗く。
頭が重い。舌打ちを、した。
挙げ句、椅子に座っているルーシーに向かって倒れ込んだ。
「ド変態」
と、チサトに言われても仕方がない。どうかしてる。……オレはどんだけルーシーに魅せられちまってるんだ。
「チサト……」
チサトはそっぽを向き、無地の壁を眺めている。
花散里という無名のパン職人が《
ひまわりサロンは
結果、想定していなかった事態が起こった。思わぬ副産物が生じた。
記名掲示板として脚光を浴びたのだ。
それまでにも記名掲示板は存在したが偽名が可能で不完全なものだった。ひまわりサロンは本名を突き合わせて意見が交わされる
ひまわりサロンでは花散里という新参に対する
「よくあるんだよ。DOFでは」オレはまた伸びをする。「でもまあ、考えてみろ。こんなん悪ふざけがほとんどだ。
非常食がふぃふぃ鳴いた。ああ、そういえば今日ご飯あげてない。立ち上がる。
「あいつだ。あいつの……。いっそ殺しておけば良かった」
それから呪文のようなものをいつまでもつぶやいている。
「今日は新月だから夜陰に紛れれてチサトの死体を回収するわ」
チサトは何も反応しなかった。
なんだろう、ルーシーも気が抜けたのか言葉遣いが変だな。日本語は難しいね。
陰鬱に沈んだオレの家で、えさをせがんで足をよじ登ろうとする非常食だけが慰めになっていた。ついでにマグカップに三つ、ココアを注いで部屋に戻る。
「ありがとう」
ルーシーはヘッドセットをわざわざ外して微笑みをくれた。眩しすぎてオレは顔を背ける。
ルーシーは太陽だ。
その報酬に応える術を持たないというか知らないというか無気力なオレは無愛想にそのまま自分の席に着く。これはあれだ。空気が重くなってるからルーシーが気を遣ってくれたんだ。そう考えてみると、どうしてか得体のしれない怖さを感じた。
「あの、今さっきの現場に来ているんのだけれど、チサトの死体に『花散里』と名前が表示されているわ」
「は? どういうこと?」チサトは豆乳入りココアを飲むのを中断した。
「お前は今、時の人なんだよ」
オレはひまわりサロンを
「花散里という名前が掲示板で頻出して知名度が上がったんだ。そして名前が他人からも見れる状態になった」
「ルーシー?」
「何かしら」
チサトがルーシーを名前で呼ぶのを初めて聞いた。
「その辺にまた植物生えてない?」
「あるわね」
「チサトの死体はほっといて。どうせ奴がその辺で待ち伏せしてるんでしょ」
無駄な抵抗だとでも思ったのか。借りを作りたくなかったのか。
かける言葉は見つからない。
「DOFで最大の敵は、どんな
立ち上がり、流し台へ。
「チサト。このゲームの正式名称知ってるか」
「なんだっけ。でぃふぇんすおんほーす?」
「Depend On Force――訳すなら『力次第で』」
スライサーでじゃがいもを切っていく。
「現実もそうだがDOFはなおさら力がものを言う。高い
切ったじゃがいもを水に漬け、油を鍋に注いで火を点けた。並行してコンソメスープを作る。
「
水を切ったじゃがいもを油に投入。薄く焦げ目がついたら上げる。
「さて、とりあえず休憩しよう」
揚げたてのポテチに塩と青海苔を振って。スープを入れたカップを部屋に持って行く。
動物は、糖と脂肪をおいしいと感じる。
何はなくともエネルギーに直結する栄養素が第一、第二なのだ。エネルギーがなくなったら死んでしまうから。生きることが何よりも大事だから。
おそらく、
このウエットな空気を除湿してやるために、何か明るい話題が欲しい。
オレは「お手!」と言いながら非常食の手を握った。そうしておいて非常食にポテチを食べさせる。
まったく、このポテチというお菓子は糖と脂肪の権化みたいなもので、恐るべき魔力を秘めている。
非常食はその名に期待された職責を
二十回ほど繰り返したところ、非常食は「お手!」と言うだけでその短くて太い前足を差し出すようになった。
「お前はえらいねー」
「チサトの方ができるし」
チサトはガツガツとポテチを食らった。そして、叫ぶ。
「ねえ、単子葉なんとかの討伐隊ができるって!」
興奮のあまりチサトは甲高い屁を放つ。
「ふむ。……単子葉双子葉護衛部隊も編成されるみたいだぞ」
事態はよい方向に向かっていない。どうやら護衛の数の方が優勢。聞いたことのある、有名な猛者まで散見された。それに尻込みして討伐隊を抜ける者も現れた。
「正直、これは厳しいな」
実はまだ、本当の意味で最後の手段があるにはあった。おそらく、教えてしまえば躊躇なくチサトは行動に移すだろう。
でも、それを使うのはあまりに多大な犠牲を伴う。
これはゲームだ。たかがゲームなんだ。
ゲームのために自分を晒すとか。馬鹿げてる。
「どうして単子葉だか双子葉だかを護衛する奴がいるの?」
「お祭り騒ぎが好きな奴というか、極刑賛成論者というか……。まあ他の可能性も多々あるがな」
チサトのパソコンを覗いてみる。
いつまでもいつまでも、無造作に転がるチサトの死体が荒野に吹き荒ぶ風になびいていた。全身に沢山の蜘蛛が刻まれ、真っ黒。その隣に掲示板が開かれており、大勢の人々が《
そして掲示板は静かに
ランチタイムは終わった。そして談笑もそこそこにめいめいが自分の仕事に戻る。
オレは窓際に座り込んでずっとチサトのパソコンを眺めていた。
システム:花散里は《
DOFの住人全員のログに、こんなシステムメッセージが残された。しかしすぐに流される。そんなものに関心を抱く者など関係者を除けば誰もいないだろう。
キャラクター選択画面には死屍累々、チサトが過去に作ったキャラクターが居並び光のない目で虚空を見つめていた。
なんてことはない。
DOFの、日常だ。今日もDOFは無数の憎しみと狂気と狂喜を生む。
オレの体は、花蝶姫の体温を生々しく思い返していた。
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