第13話 流刑 前編


「さて、年も改まったことだし初詣に行こうか」

「いや。面倒だからいい。外寒いし。それより続きやりたい」

 チサトはそれでいいかもしれない。いや、オレもそれでいいんだけど、オレはルーシーに日本の行事について知ってもらいたかった。しかしルーシーはどこも見ていない。

「ルーシーはどうだい?」

「お任せするわ」

 チサトはこたつに入って勝手にDOFを始めてしまった。仕方なく、オレも対面に座ってログインする。これでいいのか?

「お、今日は正月につき終日無料か」

「何が?」

「ゲートだ。しかるべきお金があれば行き先を決定しゲートをくぐるだけで彼の地のゲートに飛べるんだが。今日はタダみたいだ」

「どっか行くの?」

「そうだな。パンだけじゃ栄養が偏る。筋肉の素になるタンパク質を取りに行こう」

 まだまだ新米冒険者。食料にお金は使っていられない。帰る家もない、流浪の身だ。拠点を移すのもいいだろう。

 新年に浮かれる街の中央に、大きな門がある。DOFの世界各地にゲートと呼ばれるこの施設が設置してある。

「せっかくだから北半球に行って正月気分にひたろう。フィオーレに飛んでくれ」

 ゲートをくぐる。新しい街に到着する度に心に染みついた思い出が蘇る。

 フィオーレは隊商貿易の中継地で、大きな都市ではないものの独立している所謂都市国家だ。寒いのだろう。自動的にオレのアバターが冬服を着込んだ。民宿に泊まって体を休める。

「親しき仲にも礼儀あり、とは言うけど親しい仲だったら挨拶なんてどうでもいいと思わないかい?」

「そうかもしれないわ」

「朝の挨拶は間違っているんだ。『早いですね』なんてそんなの見りゃわかる。ナンセンスだ」

 チサトは非常食を撫でようとする。しかし非常食はチサトに警戒心を抱いている。なんてスローリィによたよた箱の中に隠れた。

「今、日本では朝の挨拶として『愛してるわ』っていうのが常用されている」

「わかったわ」

 ルーシーは眉一つ動かさなかった。


 雪のそぼ降る中、川に沿って歩いて行くと湖のほとりにぶつかった。そこでしみじみしじみとかいう陰気な貝を惨殺しては貝の肉を採った。DOF内の季節も冬でたっぷりとうまみ成分コハク酸を湛えた寒蜆かんしじみがアンニュイに「こういった枯淡な景色もなかなかいいものだと思いやせんか?」とか「どうして皆さんあっしを食べようとするんですかねえ」なんてつぶやいている。特に目的もなく無数のわだちが刻まれた街道に乗ってとにかく街を離れるように歩いて行く。オレは新雪を無心に踏みつけ、ふんわりした雪は不機嫌な音をたてて圧縮され、点々と続いていく。しばらくすると真っ白な作業着を着込んだ狐がこっそり現れてもこもこのしっぽを振り回し、せっせと三人の足跡を消していった。


 やがて、道に沿って深い森が見えた。この辺は土地勘がない。森の中は真っ暗でどこまで続いているのか判らない。

「この季節に現れる邪魔モンスターの毛皮は金になるかもしれない。行ってみようか」

 と森に分け入ろうとすると突然、オレの目の前に?マークが飛び出した。

「止まって」鋭く言い放つ。「何か変だ」

 石ころを拾って投げるが、特に反応はなかった。


「ああ、森に何か潜んでいるかもしれないわ」

「よし、ちょっと待ってて」

 F9キーを押す。オレの周りに謎の数式が次々と現れ、やがて消えると一次関数がふっと浮かび上がった。目の前から森に向かって太い直線が伸び、三度直角に曲がって巨大な正方形を描いた。続いてサッカーボール大の黒い玉が出現。黒い玉はしっぽを立てて歩く猫の速さで頂点Aを出発し、頂点Bに向かった。


「何あれ」

「毎秒10センチの速さで進む点Pだ」

「何それ、なんか嫌な響き」チサトが頭を抱える。

 ……なんてこった。チサトが数学の授業を断片的にでも聞いていて、なおかつそれが頭の片隅に残っていたなんて。


 木々の蔭から武器を構えた人影が現れた。見慣れないものに戸惑ったのだろう。オレはtabキーを押しっぱなしにして一時的にマイクの設定を『全公開』にする。


「同業者だ」オレのアバターの真上で拡声器のアイコンが点滅する。


 少し、間があった。やがて、チャット欄に反応があった。

???「了解。行くがいい」

 オレはずかずかと森に入っていった。二人もついてくる。毎秒1Mの速さで進む点Pはやがて頂点Bに達し、折れた。

「あの人何やってるの?」

 一応、後ろを確かめる。異常なし。

「おそらく一人じゃない。何人かでさん……いや、森賊とでも言うべきかな、ともかく商隊を襲ったり人を攫ったりして稼ごうとする連中だよ」

「同業者なの?」

オレのアバターから白い息が漏れる。

「そう言っておけば、はったりになるんじゃないかと思ってね。賊の誼(よし)みみたいなもので見逃してくれるんじゃないかと。まあ、対人戦PVPに慣れてると思われた方がいいだろし」

「あの人の名前が???になってたのはなんで?」

PTパーティーを組んでない他人ひとの名前は表示されない。街にいるときは別だけどね。が、掲示板やチャットに名前がたくさん書き込まれたりすると知名度が上がり、PTを組まなくても名前が見えるようになる。逆にたくさんのとがを重ねた者は悪名が増え、赤文字で名前が表示されてしまう」

「あの人達名前赤くなかったけど」

「まだ賊になって大した仕事できてないんじゃないか」

「あ、キノコ発見! ぱたぱた」

「まあ確かにコツコツ邪魔を倒すより人の金を奪った方が儲かるけど、咎は色々とリスキーだからなあ」

 木々の密度は濃く、奥に進むと樫や椎の木ばかりになった。オレとルーシーも手伝ってキノコを採る。時折、野兎や狐、野鼠が視界をかすめては見えなくなった。


「ねえ、《流刑エグザイル》って何?」

「唐突になんだ。キャラを凍結する神業テオルギアだよ」

 ……これは。

「まさか、お前のキャラが《流刑エグザイル》の対象になってるんじゃないよな?」

「……なってる」

 まあお前が突然流刑《エグザイル》なんて口にするから訊くまでもなかったけど。オレは立ち上がってトイレへ。帰ってきてよろめいた。

 ああ。ひどすぎて笑ってしまう。ルーシーには磁力でもあるんじゃないだろうか。オレは再度ルーシーに抱きついていた。

「ド変態」しかし、チサトの言葉には力がない。

「お前さ、誰かに恨まれるようなこと、身に覚えあるか?」

「ない……ある」

 やはり彼女か。

 オレは花蝶姫にメールを送った。

「受信拒否……かあ」

 やはり彼女が首謀者。どうやら本気だ。

「凍結って、どうなるの?」

「お前が使えなくなる。現実時間で半年ほどな。刑期ってわけだ」

「止める方法は?」

「《流刑エグザイル》はかなり面倒な部類の神業テオルギアでな。まず虚偽と狂気の神っていうぶっとんだ神様を好き好き大好きにならなきゃ使えない。次にお前がログインしているときに祭祀リチュアルっていう儀式みたいなものを始めなければならない。そして現実時間で大体三日以上かけて、のべ何十時間か祭祀リチュアルを行わなければならない。最後に祭祀リチュアルを行った者がその間、殺されたらこの神業テオルギアは力をあらわさない。だからPKされたとか、余程のことがないとこんな神業テオルギア使われることなんてないんだがな」

祭祀リチュアルが行われている座標が判る。これってどこ?」

 チサトはいつになく神妙な顔をして。さすがにキャラが消えるとあっては。

「とりあえず昔使ってたキャラに変えるわ。このキャラまだ弱いしな」

 一旦ログアウトし、別のアカウントで入り直そう。

 ??

「マジかよ……」

「どうしたの?」

「アカウントハックされてら。御丁寧にキャラクターも消されてる」

「どうにかなんないの?」

「運営に頼めば復旧するかもしれんがいつになるやら……」

 へこんでる場合じゃない。また皮下脂肪弁慶になってDOFの世界に降りる。


「チサト、お前の首に蜘蛛? ……のタトゥーみたいなのがあるぞ」

 オレはルーシーを見遣った。ルーシーの目はヘッドマウントディスプレイに隠れて見えない。ルーシーは蜘蛛に気づいていたかもしれない。

 まあ、これはオレの役割でいいけどね。

「《流刑エグザイル》が進行しているしるしなんだろう。ボケっとしてたらいつ凍結されてもおかしくない」

 オレは次に昔つるんでいた連中の名前を思い出してはメールを送り助力を仰いだ。

何通か即座に返事が来た。しかし快く手伝おうとする者は誰もいなかった。

「まあ仕方ない」

 長い時が、旧友とオレをへだてた。

 簡単に命を投げ棄てることのできないDOFじゃ仕方がない。長くDOFをプレイしている人ほど、慎重には慎重を期す。どのメールにも『相手次第だ』と、あった。

「偵察に行くしかないかな」

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