第11話 大晦日には激闘を 中編

 部屋の隅で根を張っていたチサトがすっくと立ち上がった。

「お腹すいたー」と今日もワガママ姫は騒ぐ。もう紅白も中盤にさしかかる時間になっていた。オレは鍋で湯を沸かし、十割蕎麦を茹で始めた。

「何? あー年越し蕎麦かー。安直ゥー」

 と、どれだけ英雄気取りか知らないがともかく気分が高揚しているらしいチサトはユニットバスに入るついでにありがたいお言葉を置いていった。

 まあ、少なからずカチンと来ます。

 チサトがユニットバスを出て行くとルーシーもユニットバスに入っていった。

 オレは鍋をもう一つ取り出すとゴマ油を投入。そいつを加熱して茹でたばかりの蕎麦を投入。カリッとしたところでよく油を切って皿に上げ、どろどろに融かしたグラニュー糖をかけ、白ごまを振って皿も割れんばかりチサトの前に突き出す。コップも非常食もすくみ上がって跳ねた。

「何これ?」

「蕎麦だよッ」

 まったくオレも子供じみている。 

 チサトは蕎麦かりんとうを摘まんで口に入れる。パソコンが奏でる鉦鼓しょうこ篳篥ひちりき琵琶びわに混じって小気味いい音がする。

「ポリポリ。!? これめっちゃお菓子! いとをかし!」 

 古式ゆかしき雅楽の日本的ジャパネスクな響きに当てられたのか今日もチサトはテンションがおかしい。余勢を駆ってオレは玄米茶を淹れる。まあそんなことをしながらグラニュー糖より蜂蜜の方が良かったかなあと思案しているオレもきっとどうかしてる。練乳もいけるか?

 オレはチサトの隙を窺ってはルーシーの横顔をそっと盗み見ていた。

 なんとかして近づきたかった。

 悪戯心が湧く。

「ルーシー。日本の作法を教えよう」

「大いに興味があるわ」

「うん。日本ではホストと客人の親好を深めるためにこうやって、食べるんだ」

 オレは真っ直ぐな蕎麦かりんとうを選んで咥えた。そのまま、ルーシーの口にし入れる。

「ごのまま、食べて」

 はいここで皆さんにお尋ねしたい。年頃の異性と、こんな至近距離でじっと見つめ合う。なんて経験はおありだろうか。ちなみにオレは今初めてです。ああ、恋人なる伝説の存在がいる可能性があるのか。死ね!

 これはあれだ。おそらく好意がなくても、意識してない異性とやってもやばい。ましてや、ルーシーだ。おかしくなっちまう。

 オレは食べ進めるのをやめた。ルーシーが近づいてくる。うわ。オレはルーシーがどこかで止まって質問してくれると思っていた。だって、このままだと。

 止まらない。いや、少しは疑問に感じてくれよ! おかしいだろ? そんな、オレは別にそこまで強制したつもりはないんだ! オレの言うことなら何でも聞くってのか? いや、オレはそんなつもりじゃ。冗談のつもりでッ!

「よし……ここまでにしよう」

 ルーシーは事務的に、自分の仕事は果たしたと言わんばかりに、座り直した。その軽蔑の眼差しから、オレは目を背けた。

「じゃ、次チサトね」

「なんでお前とまでやるんだよ」

「チサトもお客だし」

「お前はお客である前に妹だ」

「妹である前にお客だよ」

 反撃を思案しているオレにチサトはすかさず蕎麦かりんとうを突っ込んだ。カリカリ言いながらにじり寄る。武士の情けだ。少しばかりチサトの無聊(ぶりよう)を慰めてやろうとオレはじっとしていた。飽きるほど見ていると思っていたチサトの顔だが、こんな距離で見合わせるなんてことはさすがにない。むしろ、ああ、こんな、顔だったっけ? と思わされた。

鼓動が高鳴る。

 は?

 意識が遠くなる。どうしてオレは。

 チサトの顔がふっ、と近づいた。オレは慌ててのけぞり、逃げた。チサトはオレの肩を掴んで体ごとダイブ。

 ……やられた。

「へへへ……」

 チサトはそして放心状態のオレに乗っかったままおならをした。

 

「よぉーし。続きやろう」

 とチサトはまたノートパソコンを抱えた。オレもパソコンの前に座る。

 三人は街に戻った。

街はいつにもまして人で溢れかえっていた。どこへ行っても喧噪が止まず絶叫している者も多いのでスピーカーのボリュームを下げる。

 そして遺体を共同墓地に埋めた。

 鐘の音が鳴る。おそらく、今までいたわんわん京の方から響いているのだろう。

 そんなものにはまったく興味が無かった。季節の行事には何一つ関心が無い。ついに一般的な感受性までどこかに置き忘れてしまったらしい。

「あけおめwwwwww」

「ことよろwwwwww」

 でも、ルーシーには日本の風物詩を沢山見て欲しかった。そういう意味ではここに屯するのも悪くはないだろう。

 何がおかしいのか人々が街中を飛び跳ね、躍る。大草原でクラリネットが宴の始まりを告げ、フルートがはやし、ホルンが奏で、ティンパニが煽り、ボロディンの『♪韃靼人だったんじんの踊り』の演奏が始まった。オレの頭の中で。

 まったく、単なる年の区切りがどうしたというのか。お前らなんでもいいから騒ぎたいだけだろう。

 チサトが駆けていき、連中に混じって踊り出した。

「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。と云ってな……」

「ねえ日本語で話してよ。ぷんすか」

 はいはい。チサトにマトモにお説教するオレが馬鹿だった。

 気を取り直してオレとルーシーは街の道場に向かい、剣術の型を習った。講義は一瞬で終わり、これで刀を活かせるようになった。便利な世の中だ。

 不意に画面にメッセージが現れた。『花蝶姫からボイスチャットの要請が来ています』

 画面の右下隅に受信と拒否のアイコンが点滅している。もちろん何も考えずに受信をクリック。してからさて、アテクシ、誰とも交流しておりませぬがどなたかしらと考えた。

「あのう、初めまして……」

 鼻にかかった、ハスキーな、可愛らしく甘い声だった。

「初めまして」オレは努めて平坦な声を捻り出した。

「誰この女」

 何というか……。率直に言うとチサトは、女に厳しい。

「あの、あたし、このゲームで死んでしまいまして、なのに生き返らなくて、困ってやめてしまいました。で、さっき皮下脂肪さんがあたしの遺体を運んでくださったとメールが参りました。心から御礼申し上げます」

 ……もっとかっちょいい名前にしとくんだった。それにしても女の子を選んだのは、男の性だな。いいことはするもんだ。

「はいはいわかったからもう終わりね」チサトが勝手にボイスチャットを切ろうとして、オレともみ合いになる。

「あの、女性の声が聞こえるんですがその方とはどんなご関係ですか?」

「こいび……くぁっ!」

 チサトは悶絶した。オレがチサトの脇腹をもみしだいたせいだ。

「オレの妹だよ」

「そうですか」声音が弾んでいる、ように聞こえた。「今どこですか?」

「ええっと」オレは周りを見回す。「『前後不覚』って酒場の前だね」

「承知しました。今から参ります」

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