第6話 Depend On Force

「……それよりもね、チサトが最近ひどいのよ。寝てもバイト冷めてもバイトで……。まあ、そっちに行くって事は知っていたから。じゃあチサトをしっかり頼むわね」

 いくら労働人口が激減しているからといって労働基準法改正で中学生のアルバイトを認めてしまうのはどうなんだ。みたいな議論が国会で交わされていたのが二年前だ。オレもどうかとは思う。でも、たった今その恩恵を間接的に享受することになったのでもう文句は言えない。

 困ったことにオレは依然、親の信頼揺るがないようだった。学業も含め。

 チサトはその辺が疑わしいことを勘づいていて、オレは弱みを握られている格好だ。オレはチサトに対して強く出られない。

 そば粉をボールに投入、続いて塩ひとつまみに全卵、水、混ぜる。フライパンに溶いたのを薄く流して軽く焼く。輪状にチーズを並べ、真ん中に全卵を落とし、チーズを隠すようにハムを並べ、蓋をして卵が半熟になるのを待つ。最後に正方形になるよう外側を折り返し、卵に胡椒を振って、ガレット・コンプレットの完成。

 ルーシーの舌にはおそらく、洋風のが合うだろう。

 焦げ目のついたそば粉がパキパキ口の中を踊る。

「そういえばだ。そろそろこの仔に、名前を付けてあげたいと思う」

「チサトが決めたい。てゆうか決めるわ。命名『非常食』!」

 ああ、かわいそうな非常食。ごめんよ。あの極悪非道の看守には逆らえないんだ。この家に食料がなくなったとき、君の運命は定まるだろう。せいぜいオレは美味しいものをせっせと看守に提供するとしよう。

 朝食が済み、洗い物が済むとオレはパソコンに向かった。  

 日本には、まだまだ楽しいものがたくさんあるんだ。それをみんな見せてあげたい。

 ただでさえ冬休みはイベントが多い。気がつけばあっという間に七草粥を啜り明日からの生活を憂う羽目になる。無駄に出来る日なんて一日もない!

「さ、今日はDOFをやってみよう。昨今、蔓延はびこっているような札束で頬を殴り合うようなゲームよりは面白いと思う」

「何それ? そんなゲーム面白いの?」

「ルーシーはどう思う?」

「そんなゲームが本当にあるのかしら」

 はて。チサトの反応は予想通りだが。ルーシーまで比喩が理解できないとは。


 アカウント作成しよう。「ルーシーのスペルはLucyでいい?」

「いえ、漢字よ」

「漢字?」

「こう」

 ルーシーはペンを走らせ、達筆に汁と書いた。

 これは何かのネタとして見たことがある。確か発祥は結構昔だったはずだ。

 ルーシーは海外生まれじゃないのか? では何だこの容貌は? 混血ハーフ? 日系三世クオーター? それとも親が日本かぶれウィーアブーな外国人だったとか?

 次は……住所? 今日本にいるんだからオレの住所でいいだろ。

「カガミさ。豆乳買ってきて。ストックがもうないの」

 わざとだ。

 オレとルーシーがゲームしようとするのを邪魔しようとしてる。オレはチサトに頭が上がらないことを自覚させようと、自分の優位性を誇示しようと、する意図もあるだろう。……仕方ない。

 オレは家を飛び出して、スーパーで豆乳を箱買い。まったく、こんなに豆乳ばっか飲んでるからあんなえげつないおならをする羽目になるんだ。込み入った物は買ってないので買い物処理は無人レジで瞬時に終わった。

「年の瀬に孫が来るからね、散弾銃を注文しようと思うのよ」

「それは楽でいいわね」

 お孫さん、国際指名手配でもされてるんだろうか。大変だなあ。それともこのおばあちゃんがお孫さんと犬猿の仲で衝突を免れないとか? ぎょっとしておばあさんを見ると、おばあさんはおせちのカタログを眺めている。我ながら国語力の低さに涙が出てくるな。

 家に戻り、得意気なチサトにぜいぜい言いながら豆乳10キロを献上すると、オレはゲームを再開した。

 あれ?

 オレが外出している間にルーシーはアカウント作成を終了させていた。パソコンは、扱えるんだ。まさかチサトが教えていたってことはないだろうしな。まあ、パスポートかなんかを見せて認証は済ませちまったんだろう。

「さ、これをつけて」

 と、ヘッドマウントディスプレイを手渡した。

 早速ログイン。そしてルーシーと席を替わる。

 このゲームのタイトルはDepend On Force だ。通称DOF。

「んじゃ、キャラクターの設定をしてね。終わったらどんどん進めちゃっていいから」

 ルーシーは日本語の読み書きは完璧だった。なので特に問題なく進めるだろう。オレはノートパソコンを取り出して起動。DOFを立ち上げる。そうだ。どうせならオレもキャラを作り直して最初からやろう。ログインしてキャラを作る。前に撮ってあった個人番号カードの画像を運営に送ると、間もなく認証された。ルーシーを待たせる訳にはいかない。ほとんどの項目をランダムで済ませてキャラクターメイキングを終える。

「うは……」

 アップデートを重ね、キャラの造形モデリングはオレが遊んでいた頃とは比べものにならないほど質が上がっていた。忌憚なく言ってしまえば、もう現実の人間と見分けがつかない。

 やはりDOFはレベルが違う。

「チュートリアル終わったらパーティー組もう」

「ええ」

「なんか楽しそうね」

 チサトが冷めた目でこっちを見遣る。

 できあがったキャラはぽっちゃり体型の数使い。素の戦闘能力は皆無だが数々の必然フェケルティを駆使して戦うアタッカー兼、援護能力者バッファー

 オレは先達の杵柄きねづかという奴で速攻でチュートリアルダンジョンを駆け抜け、デッキを組みながらルーシーが出てくるのを待っていた。

「お待たせしたかしら」

「うん。キャラの名前は?」

 DOFは歴史の長いゲームだ。大抵のゲームが一年とたずにサービス終了になる中、十年もの間、アップデートを繰り返し第一線に立ち続けている。冬休みともなればご新規さんが絶え間なくこのゲームをインストールし、また新規プレーヤーを我が士房クラスタに勧誘して自勢力の拡大を図ろうとする古参プレイヤーの大声が、チャット欄を競うように埋め尽くし塗り替え、雑踏を雲霞うんかのように人々が行き交っていた。

「? ええと、ルーシーだけれど」

「オレのキャラは皮下脂肪弁慶っていうんだけど」

「ええ、今、目の前にいるわ」

 さて――と見渡せどルーシーの名が見当たらない。

「どこかな?」

「あ、わたくし、日陰者シェイディという種族レイスになったわ……」

 聞いたことのない種族だな。DOFペディアを参照して日陰者の解説を探す。

『日陰者――日陰者は生まれながらにして太陽の光が苦手です。直射日光を浴びる地域での行動にペナルティーを受けます。また、日向においては常動能力パッシブアビリティ光の失踪ミッシングインザサン》が発現し、人目につきにくく、静止している状態では完全に透明になります』

 どうしよう。キャラを作り直してもらうべきだろうか。でも折角レアな種族になったんだし、このままでいってみよう。

「オレにPTパーティー要請飛ばせるかな?」

 ルーシーがキーボードを叩くとPTパーティー要請が来た。了承。オレがパーティーに入ると、ルーシーの姿が見えるようになった。……よくもまあここまで似せたと思うぐらい、現実リアルのルーシーにそっくりだ。ただし、体は半透明に見えた。いやはや、キャラクターメイキングで選べる項目、精巧さも格段に進化している。名前は汁。何というか、少しは違う自分アバターをゲームで操ってみたいとは思わないのだろうか。まあ、そもそもゲームという感覚がないから、自分の生き写しをDOFに投影してしまったのだろう。

 よくよく見るとルーシーには影がない。

「ルーシー、こっちに来て」

 木陰にルーシーを誘った。ルーシーが陰に入ると、姿が明瞭に見えるようになった。

 それにしても。いやなんていうか。これって……デートみたいだ。心がスーパーボールみたいに弾んでどっか消えて無くなりそう。

 初心者が拠点とする街は人々でごった返していた。ふと目に留まった雑貨屋に入る。

「いらっしゃいませ~」

 オレはマイクのスイッチを入れた。

「これから狩りなんだけど元気が出る飲み物が欲しい」

「でしたら紅茶がいいですね」

 ああ、オレが新米なのを察して安価な飲み物を勧めてくれる。泣ける。

 本当は、このままもう少し彼女とお話したいところだった。だけど今はルーシーがいた。

 DOFはオンラインゲームに革命を起こした。DOFのNPC(ゲーム内のコンピュータが操る登場人物)は自律的に判断し、生活する。DOF以前のNPCはその辺を回遊して人間の言葉に対応することすらできなかったから長足の進歩なんてもんじゃない。

 いやゲームだけの世界じゃない。今日世界中で用いられている人工知能の半分はDOFのNPCに組み込まれたものを流用して使われている。DOFはオンラインゲーム界を席巻した。

 それにしてもだいぶ人間らしい声で話せるようになったんだなあ。昔オレがDOFやってた頃は機械音声が抜けきれなかったのに。

 会計を済ませると二人で街を出てなだらかな丘を上っていった。フランドル犬が色鮮やかな花々の描かれたスカートを履き、熱帯の花で編んだ首飾りを付け、フラダンスを踊っている。 

「よし、あの辺の犬を射撃してみて」

「やってみるわ」

 大したダメージは与えられなかったが、指示された通りの行動を取れる順応性は大したものだ。そしてルーシーのにおいを嗅ぎつけ襲いかかってきたフラダンスの犬を《振り回しスイング》カードで撃退した。

「次はあれかな」

 ベーグル犬は大きな垂れ耳を持ち、こんがり焼けた茶色で小型の邪魔だ。今作では初めに乱獲される邪魔として存在している。小型ゆえに攻撃が命中しにくいものの特殊能力がないので容易に倒せる。

 オレはキーボードのF1キーを押す。すると画面上のオレが漢数字の一の形を模した武器を生み出した。《一本槍》という数使いの必然フェケルティだ。

 ルーシーが弓を放ち、オレが槍を突き刺し難なく仕留める。ベーグル犬は煙になって消えた。

「何か落としたわ」

「ここでゲームに慣れて食糧を集めるのがセオリーなんだ」

 ルーシーはコツを掴んでしまうと習熟速度が恐ろしく早かった。一を教えると十まで学んだ。流れ作業で次々とベーグルの山を築く。

「よし、もう少し強い奴を狩ろう」

 今いる地域は様々な犬が出現するエリア。じきに日が沈み、桜が咲き乱れる野原を歩いて行くと築地ついじに囲まれた和風の建物が見えた。家々を横目に道を奥へ奥へと進む。昔と変わらない、通い慣れた道だ。狩衣かりぎぬ直垂ひたたれを着た二足歩行の犬の皆さんとすれ違ったがオレ達には特に関心を示さなかった。水の流れる音が聞こえ、道を折れる。東四足門をくぐり東中門を通って中庭に出る。寝殿造りって奴だ。日本産のDOFだけあってこの辺のディテールは非常に細かい。左手に満々と水を湛えた池に望月が遊び、黒い水面に飛び石が点々と、そちこちの松が幽玄を描き、藤や躑躅ツツジなどの植栽がわずかに彩る。どこからともなくしようの音が響いて庭を満たす。

 中島で、十二単を身にまとった柴犬が敷物に座して、月を眺めていた。柴式部先生だ。

「風流ね」

「だね」 

 ああ、これって、ひょっとして、いいムードって奴なのか? ……なんだか狩りって雰囲気でもなくなってきたな。

「さっき集めたパンでも食べようか」

「そうね」

 遣水やりみずを渡って寝殿へと至るきざはしに腰掛け、バックパックインベントリを漁る。

 チサトがオレの脇腹をつついた。

「ねえ、チサトお腹すいたんだけど」

 なんだよこれからって時に……と思ったけど確かにもう夜だ。

「一旦、休憩にしよう」

「このアパートせまい。どうにかして広くなんないの?」

 今日のチサトはなんか変だ。部屋の隅っこでさっきからずっとノートパソコンを抱えている。何にそんなにご執心なのやら。


 その日はなかなか寝付けなかった。

 ルーシーの横顔は胸をたかぶらせた。そしてここが本当に現実なのか疑問に思った。もしかしたらまだ長い夢なのかもしれない。何事もなかったかのように目を覚ましてある日のある朝に戻るのかもしれない。

 寝返りを打つ。

 チサトを眺めるとああやはりここは現実なのかもしれないと、少なからず安堵した。 そうしてオレはようやく眠りの神ヒユプノス先生のお招きに預かった。

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