第4話 罪過
オレの隣で、お姫様が寝息を立てていた。
「また趣味変わったのかな。それとも前から……」
下からチサトのつぶやきが聞こえた。しかし今はそれどころではない。
チャンスだ。
っていやいや。何をするって訳でもない。
そう、その純白の肌を、ほんの少し、触ってみたい。
ゆっくり、少しずつ重心をずらして、音を立てないように、オレはルーシーのごく近くに寝そべった。
ため息を吐きそうになって、慌てて唇を結び、息を呑む。
今なら、なんでもできる。
本当に、染み一つない、完璧な肌に、しばらくの間、見とれていた。起きたらどうしようとか不安にはなるもののオレの意志はとてもルーシーの魔力に抗えそうもなく、しばらくの間そうして彼女の体を眺めていた。正直、れつ……let's、劣情を催した。
いやいや、オレはそんな低俗な人間じゃない。
心に鍵を掛けて、起き上がった。
ロフトの上からチサトの様子を窺うと、奴の手がせわしなくタッチパッドの上を這いずり回り、血眼になってPCモニターを追っている。目を凝らしてチサトの肩越しにモニターを見てみる。見覚えのある画像がそこに映っていた。チサトが指先を動かすと、モニターに見覚えのある肌も露わな女の子のイラストが次から次へと現れた。こっちにも鍵を掛けておくべきだった。
悲惨な下界の状況に意識が遠くなる。息を潜めていたので酸欠になる。体から力が抜ける。しかし物音を立てるわけにもいかず、すんでの所で左手をつき、ゆっくり体を沈ませ、音を立てないように軟着陸。肘と手のひらだけで体を支える非常に奇妙なポーズで落ち着いた。
チサトが何をやってるかというと、ブラウザの履歴を追跡しているわけだ。オレがどんなサイトを見ていたかをつぶさに検証されている、のだ。この状況でどんな顔をして降りて行けというのか。
髪は死んだ細胞だ。つまり触覚はない。少しだけだ。少しだけ。
目の前に横たわりたゆたう黄金色のスープの川に指を沈める。何の抵抗もなく、はらはらと手の上に零れ、滴る。ため息を押し殺してもう一回。
下で物音がした。ドアを開ける音。部屋を出て行く足音が続き、またドアが閉まる。
オレの体は崩れ落ちた。ルーシーの目と鼻の先に着丼。
ルーシーが目を開けた。
「おはよう」
「おはよう」
これは近すぎる。変な誤解を生むかもしれない。オレは後ろに重心を傾けた。
「かはッ……」
感覚の無い左手が床に触れ、電流に触れたような感覚とぞわぞわする感覚に襲われ、体をくの字に曲げて悶絶する。
あっ。
ルーシーの頬とオレの頬が触れた。
ち、違うんだ。さっき変な体勢でいたから左腕の血流が滞(とどこお)って痺れて、それでこうなってしまっただけで……。
ルーシーは目を瞑った。
? 寝直し、た?
オレはわずかにルーシーから離れ、考えを巡らせた。
客観的に見ると、オレがルーシーに迫った、形だな。つまり、これは、キスOKってことじゃないか?
待て待てそんな都合のいい考え方があるものか。
唇を噛む。
これは、オレを待っているんじゃないか? だって余りにも不自然じゃないか。生唾を呑み込む。だとしたら。いや。うん。それに。このまま引き下がるのもどうなんだ。オレは、女の子に恥をかかせる気か? そうだ、これは明らかに……。
そんな、自己正当化。
口づけた。
暖かい。熱がオレに伝わって、その柔らかさがオレを満たす。背徳感と幸福感が入り交じってもう何も考えられない。
唇が潤う。
「あ、れ?」
目を開けた。
ルーシーの目から何か透明な物が溢れ出て、伝っている。
……どうして。
あ、あ。
嫌だったんだ。嫌で嫌で仕方がなかったんだ。
でもルーシーには行く当てもなくて、仕方なくて、オレにキスを強要されて、我慢して、受け入れて。
「ゴメン……」
天使を、泣かせてしまった、気持ちが解るかい?
居たたまれなくてはしごを下りる。
ドアが開く音がして、チサトがオレを認めるとチサトは慌てて小走りに駆け寄りパソコンの画面を切り替えた。
「ちょっと出てくる」
後ろでチサトが何か言っていたが構わず家を出た。
な……?
なんだオレ疲れてるのかな。自転車を停め、目を両手で指圧する。
道路に唐突に、赤黒い棒のようなものが落ちていた。両手持ち用の
少し、興奮した。自転車を降り、周囲の気配を探る。元々人通りの少ない裏路地、加えてアパートの周辺はなぜか人気がなく、セールスマンすら寄りつかない、絶海の孤島。おまけにお隣は空き部屋で二階の住人は先月お金を稼ぐため、民兵として北アフリカに行ってしまった。今までオレの家を訪れた者など誰一人としていない。ああ、チサトとルーシーは別ね。
しげしげと眺める。長さは40センチほど。誰かの落とし物だろうか。握ってみた。想像していたのより、軽い。
不思議なことに、どこかでこいつを見た気がした。
いや、違うな。結局、オレはこの棒を拾う口実を探しているんだ。ならばもう結論は決している。
童心が蘇る。一度アパートに戻った。給湯機の下の配管所を開けると棒を納め、閉じた。とりあえずはここに置いておこう。
オレはとって返すと自転車を引っ掴んで懸命に漕ぎ出した。
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