第2話 君を拾った日 中編

 街はカップルで溢れていた。いつもなら颯爽さっそうと遊歩道を駆け巡り次々と奴らを朱に染める妄想を楽しむのだが今宵はそれどころではない。


 街路樹に光の花が咲く。あちらの樹、こちらの樹、ドミノ倒しのように街全体を仄かに色づける。街灯が消され、木々が殊更ことさら輝いた。


「あーあ、せっかくのクリスマスイヴなのにカガミと一緒なんて……」

 こんなことを言うものだから小説の登場人物はおろか女の気持ちなんて永遠に理解できない。


「仕方ない! 今日はカガミで我慢してあげる」

 チサトはオレの腕にしがみついた。一体何なんだよ。


 妹に好かれる、なんてのはあれだ。自分の足や腕に好かれるのに近い。

 物心ついたときからずっと、すぐそばにいたから。同じ血が流れているのだから。冗談か遊びか知らないが、いや、お前に好かれても。て感じだ。


「あ……れ?」

 不意に周りが暗くなった。


 ざわつく。不平の声が上がる。点灯したばかりのイルミネーションが突然消えたのだ。

「どうしたんだろ」チサトが不安げにつぶやく。


 街灯の明かりもなく、暗がりに人々が取り残された。

「下手すると犯罪が起こるかも。行こう」


 振り返ると、二、三歩離れた位置にルーシーがいた。チサトは頑として自分の服を貸さなかったので仕方なくオレのGパンとトレーナー、Pコートを着せている。おずおずと、オレは右手を差し出す。ルーシーは顔を上げた。

 まだ、慣れない。おそらく、慣れることはない。でも、秘かに繰り出す渾身の勇気でその手を握った。


 さあ、行こう。


 右にチサト、左にルーシー。

 まだオレの腕にぶら下がっているチサトが振り返って、ルーシーのほうを見ている。どんな表情かおをしているかは想像に難くない。ったく。


「ルーシーの生まれた国はどこ?」

「セボルガよ」

 やはり日本じゃなかった。


 ルーシーは……端的に言ってしまえば何にも知らなかった。

 トイレ、灯り、ジッパーの開け閉め、冷蔵庫……目にするものみんな、知識としてはあったみたいだけど使い方、具体的なことは何にも。きっと未開の地で育ったのだろう。


 なぜあんなところにいたのか聞きたかったが、触れてはいけない部分のように思えた。

 ルーシーがどこかに行ってしまう気がして。


 さて……と。のどが渇く。

「チサト、女物の下着を買いたいんだ」

「えっ!?」

 チサトの手から、どれにしようかオーディション中のマグカップがこぼれ落ちる。


「ど、どんなのがいいの?」

「う、まあ、そりゃ、可愛いのがいいな……」やばい。顔が火照る。ああ、これは過剰な暖房のせいだ。まったく、サービス業はエコを軽視しがちで困る。

「仕方ないなあ……」

 チサトはまたもオレの腕にしがみつくと「こっち。すたすた」と、引っ張っていく。


「そんなにくっつくなよ」

 何を思ったかチサトはべったりとオレに顔を寄せている。

「にやにや。何。照れてるの?」

「てかお前な、人前でプープー屁こくのやめろよ」

「夫婦ってのはそういうの気にしないものなの」

 何をいってるんだこいつは。なぜかチサトはご機嫌な様子でぐいぐいオレをエスカレーターに連れて行く。


 オレは諦めの境地に辿り着いた。よおし、今すぐにでも新興宗教の開祖になってやろう。

 フロア全体がピンクに染まる。華やかなフリルと刺繍の大海原が広がっていた。

「きょろ、きょろ。こっちがいいな」

 チサトはオレを引いて行こうとする。

「ちょっと待ってくれ」


 オレは深く息を吸い込んだ。大丈夫。今日は妹が隣にいる。まったくもって不本意ではあるが、傍目から見ればきっと、カップルに見えるだろう。通りがかっただけで変質者扱いされることはないはずだ。意を決して足を踏み入れる。

「どきどき。ねえ、どういうのが好き?」

 今日のチサトはやけに協力的だな。

「どういうのって言ってもなあ……」

「ぴらっ。チサト、こんなのが好きだな」

「……う~ん」

 女の下着ってのはお菓子みたいだ。ふわふわでつやつやで、すげえ小さい。

「これ、いいと思うよ」

「うん! ……着てみるね?」

 チサトが試着室に下着を抱えて入っていく。こんなにうれしそうなチサトを見るのは久しぶりのような気がする。まるで自分(チサト)の下着を選んでるみたいに楽しそう。

 

 振り返った。さて、本編だ。

「ルーシーは、どんなのがいい?」

「……そうね」

 なんだろう。こうやって、彼女と話しているだけで、心が跳ね回る。

 いけないとは思いながら、ルーシーが手にする下着を着ている想像をしてしまう。

「これは何?」

「え……ブラ……ブラジャーじゃないの?」

「ブラジャー……」

 なんてこった。ってことは今、ルーシーはノーブラ……。

「カガミぃ。今、その辺に男の人いないよね?」

 チサトが試着室から顔だけ出している。

「あ? ああ、いないよ」

「じゃっじゃーん!」

 ブラを付けたチサトが試着室から飛び出た。オレに抱きつく。

「どう? どう?」

「ああ。可愛い可愛い」

 するとチサトは長いおならをした。聞くに堪えない。

 どう言えばいいのだろう。よくできた動くマネキンみたいな感じなんだ。

 おそらく、チサトは本当に可愛いんだと思う。『学校の男子に告られた~』みたいな話も聞くし、客観的に見てそれなりに魅力的だ。

 でも、それまでなんだ。あくまでどちらかと言えば性別は女に分類されるってだけで。

「これも買おう」と、ルーシーが見ていたブツを差し出す。

「へー、カガミにしてはいい趣味」

 と、チサトは一番小さいサイズを選んで喜色満面で試着室に戻っていった。一歩踏み出す度におならが出る。さて、こっそり値札を確認。

 立ちくらみ。足がもつれる。

 

 あ。


「どうしたの?」

「いや……だいじょうぶ」

 まただ。またもオレはルーシーを押し倒していた。

 いや。下着ってこんなに高いのか。一気に生活が困窮するな。

 ルーシーにオレの服は少々大きかったようで、手はほぼ袖の中に埋もれている。

「ド変態!」

 戻ってきたチサトに罵倒され、レジに向かった。どういうわけかチサトはそれでもご機嫌だ。

「カガミはお金出すことないよ。チサトが払ったげる」

「え? マジ? やった!」

 チサトはぶっちゃけ金持ちだ。オレが家を出てってから、ひたすらバイトをしているらしい。兄としての威厳とかくだらないものに想いを遣りながら下着が包装紙に収まる様子を眺めていた。

 オレ達は生活に必要な物を見繕っていき、山盛りになったカートを見てため息をついた。当分新しいパソコンは買えそうにない。

「オ買イ上ゲアリガトウゴザイマシタ」

 旧世代の接客ロボット先生がカート内の品物に反応してマシンボイス丸出しの応答をしながら頭を下げる。

「今何時?」

「八時三十六分デス」

「ぐぅぅぅぅ。早く帰ろう。お腹すいた」チサトが我が儘を言う。

「悪いけど荷物を持ってくれないか」

かしこマリマシタ」

 混雑する店内でルーシーの容姿は衆目を集めていた。

「どっかで見たことある気がするんだよなあ」

「芸能人かなんかじゃないの?」

 やっぱり、そうなのか。

「御客様、私ハ店外ニ出ルコトヲ許サレテオリマセン」

「ありがとう。助かったよ」

「ソンナ事ヲ仰タノハ、御客様が初メテデス。嬉シイデス」

 嬉しい……ね。

 さて。ここからが問題だ。

「ぐ……」

 日頃の運動不足が祟り、オレはぜいぜい言いながらホームセンターの玄関を出た。こういうときに限ってチサトはぐんぐん先に進んでいる。

「あなた平気?」

 見かねてルーシーが手を差し伸べた。

「いや、だい……」

 握力のなくなったオレの手から荷物が転げ落ちた。

 女の子に荷物持たせるなんて情けないなんて言ってられないな。あ、そうだ。

「はい。これ、ルーシーにプレゼント」

 噴水が一際高く水を打ち上げる。蒼いカクテル光線が乱反射し、辺りを照らし出した。飛沫の一つ一つが精緻にカットされた宝石のように輝いては池に合流する。

「え?」

 嫌な気配が迫るのがはっきり解った。

「ちょっと! それチサトのでしょ?」

 地獄耳め。オレはやれやれといった顔をして。

「いや。ルーシーに買った物だよ。お前のは無駄にたくさんあるだろ」

 チサトは泣きそうな顔をして。

 突然、大粒の雨が降ってきた。風もないのに横殴りに俺に打ちつける。

「冷た……」

 違う。

 噴水の勢いが異様に激しい。

「ガチャン!」

 振り返る。

 さっきの接客ロボットが閉まる自動扉に激突していた。自動扉は接客ロボットを店外に出すまいとして閉じたままだ。ロボット先生は扉から離れたかと思うと、勢いをつけてもう一度ぶつかる。ガラス繊維強化プラスチックにひびが入り、ロボットが手をつきそこから這い出た。

「御客様、笑ッテクダサイ……」

 ロボットの頭部にout of control!と表示が出ている。これは危険だ。プログラムに異常をきたしている。

 ロボットは脚部を変形させるとキャスターを回し猛然と駆け出した。チサトが悲鳴を上げる。オレは荷物を放り出した。

 オレはヒーローになれるのだろうか。力一杯地面を蹴り、跳ぶ。

 小学校の頃。

 まだみんなの輪に入れた頃。こんな感じで。

 笑っちゃうよね。

 空中で右足を突き出す。跳び蹴り。ロボットは腕を振るう。薙ぎ払う。右足が弾かれた。意図しないままに視界が急転する。姿勢が崩れ、右足に痛みと熱を感じた。地面が揺れながら近づいてくる。両手両足をついて不格好に着地。右足の痛みに喘ぐ。

 ロボットはオレに顔を向けた。

「わたくしに、任せて」

 ジジジジジジジ……。学校で実験したとき、コロナ放電がこんな音だった。

 ルーシーが白い光を放つ棒状の何かを捧げ持つ。

 そういえばルーシーという名前はラテン語のluxから来ている。 

 ルーシーは左手を振るった。稲光がバリバリいう高音と共にロボットに吸い込まれた。

 ロボットは、停止した。


「献金、迂回献金の完全禁止を!」

「イタリアやスペインにできたことがどうして日本でできないのか!」

「美人描画制限法案を撤回せよ!」

「表現の自由の侵害・弾圧は許してならない!」

 大通りにぶつかると老若男女が様々なメッセージを掲げ行進していた。

「何これ?」チサトだけ、荷物から解放されている。

「今日、全国各地で一斉デモがあるって聞いた。ご苦労様なことだよ」

 クリスマスイヴに決行するから意義があるのだ! みたいなことを言って募集をかけてたことを思い出した。

「最近、こういう人達増えたねえ」

「政治家は結局、自分達の都合を一番に考える。是正するにはこうやって直接行動するしかないのさ」ルーシーの前だし、少しかっこつけておこう。「昔、日本は豊かな国だったんだよ。GDPも中国、インド、ブラジルよりも高くて、金持ちだったから政治家がやりたい放題やっても金をばらまいて不正も容赦された。でも借金だらけになって金をばらまけなくなった。もう、にっちもさっちもいかなくなって緊縮財政したらようやく日本人も目を覚まして、こんな感じ」

「どうして借金したの? 豊かなのに」

「選挙で与党がまた勝てるように、豊かな生活を更に豊かにして我が世の春を謳歌しようと借金したんだよ」

「頭おかしい」

「国の借金ってなんか実感がなかったらしい。自分には無関係のものだって感じで。日本人は日本にはもっと輝かしい未来が待ってるから借金なんて余裕で返せると考えてた。日本人がようやく目をましたのは年金が払えなくなったときだった。受給者は満額の支給を求めた。足りない分は国債で賄うしかない。でももう国の借金も限界に近づいていた。そして日本は少しずつ国のサービスを減らしていった」

 以上、すべて真剣に世を憂う級友の弁明を聞きかじった受け売りでした。オレはまっったく政治に興味がないのでそんなの全然解らない。「お前の投票権は一万人分だ」と言われても投票に行かないだろう。政治なんてオレとは別世界の出来事だ。

「献金って何?」

「よくわかんないけど政治家に便宜(べんぎ)を図ってくれって金を渡すんだよ」

「ワイロみたいな?」

「そうじゃね?」

「おかしくない?」

「知らないよ」


 昔の日本人は呑気のんきだった。「仕事をAIに奪われる」「AIがみんなやってくれるから人間は働かなくて良くなる」なんて本気で言っていたらしい。

 18世紀後半、イングランドで産業革命が起こった。

 人間の仕事は減ったか。それどころか工場で働く人たちが奔走する羽目になりますます忙しく、労働問題が起きた。工場の機械は文句を言わず働き、人はそれに合わせて働かなければいけなくなったのだ。 


 AIが発展しても依然、人は働き続けている。AIにはどうしてもできないことがあってその穴を埋めるように人は奔走しなければならなかった。そしてむしろ人はどこかで自分にできることを探して差をつけようと努力するものだから依然レースは続いている。


「美人がどうしたとかって何?」

「次の通常国会で審議入りされる法案。二次元の創作物が魅力的過ぎて未婚率が増えてるから扇情的スケベな漫画、イラスト、アニメの制作を禁止するんだと」

「けらけら。カガミの好きな奴だ。そんで結局結婚も増えないんだ」

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