第71話 後始末
「狩野紫明についてですが、どうやら下駄の男と接触をしたと、手の者から連絡が入りました」
その青年の佇まいは、見る者をうならせる美しさがあった。美しさと若さと、そして品格が備わっていた。
「余計な手出しは無用じゃ。それにあの者では、下駄の男にかなうまい」
しわがれた声の主は、大きなデスクにから窓の外を眺めながら、青年の報告を聞いている。外は雨、スカイツリーは霞んでいて、上層部はほとんど見えていない。
「はぁ、ですが江戸川南警察の後藤刑事もその場に居合わせたということですので、少々介入をいたしまして、狩野紫明とあまり接触しないよう手を打ってございます」
青年の声は、見た目に反して低く、声だけを聴いていると年齢はもっと上に思えた。実際、彼の容姿から実際の年齢を推し量ることは容易くない。洗礼された美と怠惰による荒廃は、時間軸のベクトルを相反する方向に引っ張る力があることは自明の理である。
「後藤か、下駄の男も物好きなものだ。使える物は何でも利用する。あやつの真骨頂じゃが、はたしてどれほど駒として使える物か、それはそれで見ものではあるのじゃが……」
しわがれた声の主は、深く腰掛けた黒い革張りの椅子から立ち上がり、窓の方に向かって歩き出した。
「もし、闇の塔に近づくようなことがあれば、それは身の破滅を意味する」
「御意にございます。旦那様」
美しい青年は深く頭を下げる。
「それまでは、紫明も後藤も、放置しておいてよい。だが、監視は着けておけ。今は大事な時期じゃからな」
美しい青年は手に持ったファイルを開き、しわがれた声の主が観やすいように向きを変え、そばに歩み寄る。
「狩野紫明に関しましては、こちらのリストにある人物に対しての"力の行使"が予定されておりますが、こちらの方はいかがなさいますか。万が一に備えて、他に何人か候補も立てておりますが」
ファイルには数名の人物の名前と顔写真が記載されている。タイトルには『優先対象者リスト』とあり、その中に『権藤聡』の名前があり、名前の横に『済』の印が押されている。「あの蟲使いの女はどうしているか?」
「はぁ、あの者はいけません。定期連絡も途絶えがちで、どうも勝手に力を使っている節がございます」
「ほう……、紫明の能力はある程度使えるとわかったことじゃし、しばらく身を隠すように伝えよ。アゲハをここに」
しわがれた声の主はリストを横目で一度見たきりで、下げるように手で合図をした。
「アゲハを……御前にで、ございますか。旦那様」
ファイルをしまいながら、美しい青年はあえて命令を復唱した。
「ワシの命に不服でもあるのか」
「いえ、滅相もございません。ただ、直接お会いすることも、ないかとございまして」
しわがれた声の主は、かすれた声で笑った。
「焼いておるのか」
「いえ、そのようなことは……」
「部屋を用意しておけ、今夜は、あ奴と酒が飲みたい」
美しい青年は頭を下げたまま、唇をかみしめた。
「では、さっそく手配してまいります」
部屋を出た美しい青年の目は、血走っていた。
「あのような下賤の女に、この私が嫉妬だと……、蟲使いが、蟲と戯れていればいいものを」
美しい男は大きく息を吸い、ゆっくりとはきだした。スマフォを取り出し、アプリを使ってメッセージを送る。ほどなくして通信が入った。
「私だ。そちらの状況はどうか?」
「酷い雨ですわ。スナイピングには向かない天候ですな」
「下駄の男と狩野紫明、何か動きはあったか」
「わたしには"あっちの領分"のことはよく、わかりませんが。どうやら決着はついたようで、下駄の男の貫録勝ちというところでしょうな」
「ふむ、それは想定の範囲だ。それで紫明は今、どうしている」
「武井が面倒を見ています。一度、公園の中で見失いましたが、今さっき車で移動すると心を確認しました。部下に負わせていますが、どっかでばらしますか?」
男の声に紛れて車の走行音が聞こえる。どうやら武井と狩野紫明の車を追跡しているようだった。
「いや、その前に後藤との接触はどうだった」
「武井がその場を収めて、ほとんど会話らしい会話はしていないですし、何かを手渡したり、そういうこともありませんでした。まぁ、それだからこそ、奴はまだ目の前を走る車の中で生きているんですがね」
もしも後藤と狩野紫明が接触し、身柄を確保されるようなことや、狩野紫明とのつながりができた場合、最悪紫明と後藤の両者を亡き者にするよう電話の相手は指示されていたようだ。そしてその指示をこなすだけの力量がその男にはあるのであろう。美しい青年は電話の相手に絶対的な信頼を置いているようであった。
「方法などどうでもいい。確実に情報の漏えいを防ぐことが肝要だ。闇の力とは、何も紫明や下駄の男の専売特許というわけではないからな」
「こちらも商売でやってますんで、ある意味商売敵でもありますからね。指示があればいつでもバラせますぜ」
美しい青年は満足そうに笑みを浮かべ、そしていくつかの指示を出し、通話を終えた。それと同時に別のメッセージがスマフォに入った。相手の名前の欄に『アゲハ』と出ているのを見て、美しい青年は吐き捨てた。
「蟲使いが……、これ見よがしだな」
「アゲハか。最近定時連絡が……」
「ごめんなさいね。ちょっと邪魔が入って、いろいろと調べていたのよ」
「なんだ。何かトラブルか」
「ねぇ、あんた。下駄の男って何者なの?」
美しい青年の目の奥に、闇がうごめく。
「ほう。ちょうどいい。話がある。すぐに出頭しろ。あの方も、お前に話があるとおっしゃっておられる」
「あらまぁ、それなら、いろいろと支度をしていかないといけないねぇ。あとで車をよこしてちょうだいな。場所は――」
女の要求を聞きながら、美しい青年の目は、獲物を狙う蛇の目になっていた。
「紫明、上からの連絡だ。しばらく笠井町を離れ、身を隠せと言っている」
「お役御免と言うことか。あの方に顔向けができん」
「いや、これはむしろ、お前さんにとってはよかったんじゃねーのか」
菊池は煙草に火をつけながら話し始めた。
「俺にはそっちの世界のことはよくわからねぇが、下駄の男はそうとうな使い手なんだろう。俺にはわかるぜ。なにせあの後藤を顎で使うほどのタマだ。その男とやって、あんたは負けた。しかし、下駄の男もあんたの力を認め、後藤には手を出させなかった。それはすなわち、味方にもあんたの力を認めさせたということになる。お前さん以上の"使い手"が現れて、下駄の男を負かすようなことでもない限り、あんたの力は必要とされる。だから後ろにいた連中も、追いかけてくるのをやめたのだろう」
武井と紫明を載せた車を、一台のワゴン車が追跡していることに気付いたのは、特別なことではなかった。それは尾行と言うよりはけん制の意味が強く、勝手な行動をするのであれば、いつでも事故を装って二人を排除できるぞという脅しであった。
それを聴いて安心をしたのか、それとも気力、体力ともに限界がきたのか。狩野紫明は気を失ったように眠ってしまった。
「ひとまず今日のところはこれで良しとするか。まぁ、後始末は、いろいろと残ってはいるがなぁ」
武井は胸のポケットにしまった油紙に包まれた符を無意識のうちにジャケットの上から撫でていた。
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