第50話 屠る魂1

 街中とは違う涼しげな風が肌に心地いい。それにもまして下駄の男――尾上弥太郎と称する拝み屋と話をするのはどこか清々しさを感じる。後藤は下駄の男の中に何か大きな宇宙のようなものを感じる自分を不思議に思っていた。


「で、実際のところあなたの見立てではどうなんです? 何か遺体から情報を得られたのですか?」

 無粋で遠慮のない単刀直入な言葉に、下駄の男はなんらたじろぎもせず、慌てもせず、心乱れることなく受け止める。


「7年前のことだそうじゃ。あの姉妹が、このような悲惨な結末を迎えるきっかけは……」

 下駄の男は、そこで話を切り、手水舎に向かって歩きだした。後藤と鳴門刑事がそれに続く。竜の口からちょろちょろと水が流れ出す。手水舎には大きな屋根があることもあり、ほかの場所よりも涼しげである。竹製の柄杓が2本置いてあり、その一本を手に取り、左手、右手、そしてもう一度左手を清め、最後に左の手のひらに水を溜めて口に含み、口を清める。後藤も鳴門刑事も下駄の男に習う。


「姉、ヒロコは妹のユキコを大変かわいがっていたそうじゃ」

「はい。なんでも幼い時に両親を事故で亡くして、親戚に引き取られたそうですが、依頼、姉の坂口浩子は、由紀子の世話をずっと見ていたとか」

 鳴門刑事は手帳のメモを確認した。


「それを世間知らずと言ってしまえばそれまでなんじゃが、固い絆で結ばれた姉妹。親戚にも迷惑をかけないようにまじめに生きてきたのじゃろう。しかし、そういう人間は見ればすぐにわかる。悪い男と言うのは、そういう娘をたぶらかすのがうまい」

「権田と言う男は正真正銘の悪です。しかも小悪党だ。強いものにつき従い、その傘の下で好き勝手をやる。人の弱みに付け込むのがうまい。やつは他人の失敗を利用して上に行くタイプだ。だからこそ、ある程度までしか行くことができない。上に行けなければ、下をたくさん作ればいい。そういう思考をする人間だ」

 後藤は厳しい表情で静かに語った。三人は社殿の前に立ち、恭しく参拝を済ませた。


「死者の魂から言葉を得るのはひどく罰当たりなことじゃが、時と場合と言うものがある」

 下駄の男の言葉に二人は息をのんだ。

「そんなことが――」

 鳴門刑事は後藤を気遣いながらも聴かずにはいられなかった。

「死者の魂に耳を傾けるというのであれば、それは語りたい者に耳を貸す行為じゃ。そういうことを生業にするものも少なくない。しかし、語らぬ者、語りたがらない者を無理にこちらの都合で話を聞くというのは、いわば失礼、失敬に値する。いわば死者への冒涜じゃな」


 たいそうなことをあっけらかんと言う 


 後藤の下駄の男に対する印象であり、敬意でもある。

「しかし、時と場合によりけり……ですか」

「そうじゃな。目には目を、歯には歯を、外法には――」

「外法?」

「そうじゃ、外法よ。反魂香という死者の魂を呼び起こし、対話をする、まさに外法よ」


 下駄の男の言葉の重みにその場は静まり返った。が、後藤がそこに踏み込む。

「で、何かわかったことがあるんですか?」

「ふむ。しかし、これは死者の言葉だ。事実よりも思いが優先される。目に見えたもの、耳に聞こえたものよりも、感じたこと、恐れたこと、怒り、悲しみ、憎しみが死者の言葉であり、現世にとどまる魂とは、そういった思いそのものと言ってよい」


 下駄の男の顔には、悲しみとも、憎しみとも、哀れみとも、慈しみともとれない、なんともいえない表情が浮かぶのを後藤は不思議な気持ちで見つめていた。

「由紀子が権田を呪い殺したのは事実じゃ。あれだけの怨念があれば、方法さえ知っていれば怪我をさせることくらいは可能じゃが――」

「殺すところまでは難しいと?」

「悪い気に当てられれば、具合も悪くなる。当てられ続ければ、相手を弱らせることくらいは、何も呪いの方法を知らなんでも人によってはできることじゃ。しかし、即効性、確実性、最大限の効果を得るためには、その術を極め、さらに人の道を外さなければ、できぬことよ」

「その道を極め、人の道を外す」

「すなわち外法よ」


 優しくそよいでいた風は止まり、虫の音が止む。一瞬すべてのものが静止したかのような錯覚に陥る。鳴門刑事はかたずをのみ、後藤はズボンのポケットの中のライターを強く握りしめた。



「あの男だけは絶対に許さない。あの男――ゴンダ! 権田 聡! あの男は私からすべてを奪った。私から……私から! 姉さんも! すべてあいつが!」


 下駄の男は、忌々しい記憶を話し始めた。それは一人の女性が、悪鬼に変貌して行く様、現代においてなお、呪術と言うものが存在し、機能するという、信じられない出来事であった。


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