第49話 夏の神社

 下駄の男の呼び出しを受けた後藤と鳴門刑事は、笠井稲荷神社の駐車場に車を止め、社殿の方へ向かった。風が吹く。木々が揺れる。蝉が鳴く。夏の日差しがキラキラとしている。同じ風、同じ陽射し、同じ蝉の音なのに、街の中で感じるそれとは何かが違う。


 鳥居をいったんくぐったものの、後藤は足を止め、鳥居の外に引き返して頭を下げる。それを見て鳴門刑事も慌てて後藤に倣う。

「どうしたんですか? 急に信心深くなったとか?」

「そんなんじゃねぇよ。またあの男にぐだぐだ言われたくないだけさ」


 鳴門刑事は『あの男』と言った後藤の視線の先に人の気配を感じ、そちらに目をやる。そこには紺色の作務衣を着た下駄を履いた男がにやにやとしながらこちらを見ていた。


「よい心がけじゃ」

 後藤は何かを言いかけて、それをやめた。『何もあんたの機嫌をうかがったわけじゃない。神様に頭を下げただけだ』などと言ったところで、『ふん!』の一言で一蹴されるだけである。そしてそれがわかってしまう自分が腹立たしくもあったが、不思議と下駄の男は憎めなかった。


「あえて言わせてもらいますが、地方公務員を『一般市民』ではないあなたがこんなところに呼びだすっていうのは、それだけで問題だってことは、十分承知していますよね?」

「面白いことを言う。確かにワシは事実上存在しない。つまり国民でもなければ、市民でもない。税金を納めていない男の言うことは聞けぬか?」

「ええ。しがらみのない人間なんて、恐ろしいだけですからね」

「ふん! ぬかしおるわい。ワシも税金くらい納めておるわい!」


 そう言うと、下駄の男は右手でぐい呑みをあおるような格好をしてみせた。鳴門刑事は楽しげに二人の会話を聞いていたが、後藤が本題を切り出す。

「で、なにが出た?」

「鬼も出たし、蛇も出おったわい」

「お、鬼ですか」

 下駄の男の言葉に、鳴門刑事が身を乗り出す。


「つまり、坂口由紀子は鬼になって死んだと?」

「そういうことじゃ。不憫な姉妹じゃ」

「坂口由紀子が鬼ってどういうことです? 後藤さん」

 鳴門刑事は、不本意であった。自分はすべてを知らされていない。後藤刑事と下駄の男の間には、なにやら阿吽の呼吸のようなものがあり、とてもその中に割って入ることはできそうになかった。

「こっちの領分としてはおそらく『自殺』と言うことになるでしょう。事件性を示すような物的証拠も証言もおそらくはどこからも出てこない」

「そうじゃな。まぁ、世間一般にあれは間違いなく自死じゃ。自ら死を選択したには違いない」

「今回も警察が出る幕はないということですか」

「さぁて、それはどうじゃろうなぁ……」


 下駄の男は意地の悪そうな顔をして、後藤の様子をうかがっている。

「鬼を退治するのも蛇を捕まえるのも警察の仕事じゃないなぁ」

 後藤は鳴門刑事の肩を2回ポン、ポンと叩きながら続けた。

「しかし、一般市民に危害を及ぼすようであれば、放置するわけにはいかない。だろう?」

「はっ、はい! もちろんです」


「よかろう。犬も猿も雉も、鬼を退治するのが生業ではなかったが、桃太郎につきそって、見事鬼を打ち取ったという。どれ、きびだんごをくれてやろうか?」

「ふん! 警察を犬呼ばわりするとは、ひどい坊さんだ」

「ぬかせ! いつからワシが坊主になったんじゃ」

 下駄の男は禿げ上がった自分の頭を2度ポンポンと叩きながら大きな声で笑った。


「まぁ、鬼はすでにこの世に非ず。だが、イブをそそのかして禁断の実を取らせた蛇はまだ、このあたりにおる。籔をつついて蛇を出すのはワシの役割じゃが、さて、それからが問題じゃ」

「警察だって、罪状がなければ何もできませんよ」

「ふむ。いまのところ、どこの誰であるのかまでは何も分かっておらん。しかし、まちがいなくあちらからリアクションがある」

「それは確かなんですか?」


 後藤は腕組みをし、右手で顎を触る。そり残した髭が指先にあたる。

「不思議に思ったんですが、あんなところに遺体がずっとあったんですかね」

 鳴門刑事は、ずっとそのことが気になっていた。

「ふむ。それじゃ。あの遺体はできるかぎり人に知られないように隠されておった」

「でも、遺体の発見状況は……」

「ワシがな。結界を解いたんじゃ」

「結界?」

「ふむ。まぁ、隠ぺい工作ということじゃな」

「それって、まさか、遺体発見現場を……」

「ワシは、遺体には触れておらん。ちと、話を聞いただけじゃ」

「えっ? 話って――」

「まぁ、そのあたりはまた別の話じゃ。ともかく結界を張っていたということは、知られたくなかったということになる。それをワシが暴いた。奴にはワシがやったということがわかっている」

「犯人に――見られたってことですか?」


「鳴門!」

 それまで押し黙っていた後藤が口を開く。

「あまり首を突っ込みすぎると、ろくなことにならんぞ」

「ご、後藤さん」

「なぁ、鳴門。結界を張ってはいけないという法律があるか?」

「あっ、ありませんよ。そんなの」

「じゃぁ、人が張った結界を破ってはいけないという法律があるか?」

「も、もちろんありませんよ。そんな――」

「そう、そんな『こっちの世界』では存在しないものに首を突っ込みすぎてどうする?」

「はっ、はい。すいません」


 後藤は頭に手をやり、髪の毛をかきむしった。

「で、その結界を張るには、やっぱり遺体のそばをその男がうろついた。あるいは遺体に手を触れた可能性があるわけですね」

「まぁ、そういうことじゃ。物的証拠があるかどうかは期待できんが、その疑いは十分にある。もし、警察が介入するとすれば、そのあたりが糸口になるじゃろうな。それに――」

「あなたに対するリアクションというのが、法に触れるものである可能性もある……ですか?」

 後藤の目が鋭さを増す。

「そういうことじゃ」


 鳴門刑事はなにか『ぞくっ』とするものを感じた。それは恐怖であるのか、高揚であるのか、あるいはその両方であるのか。

「そこでじゃ。ほれっ、こいつをなぁ……」

 下駄の男は懐から携帯端末のようなものを取り出し、後藤に手渡した。

「ワシとの連絡はこいつを使ってくれ。言っておくがくれてやるわけではないからの。貸すだけじゃ」

「スマートフォン?」

「使い方は、ほれ、こんなふうに……」


 一通り説明を聞くと、後藤は鳴門刑事にその端末を手渡した。

「どうも、俺じゃあ、使いこなせそうにない。お前に任せる」

「そのほうがよかろう」


 そのとき不意に後藤の携帯が鳴りだした。

「うん? 署からだな――、はい後藤です」

 後藤の様子を見て、鳴門刑事はすぐに察した。おそらく署長からの電話である。

「――そうですか。やはり坂口姉妹と権田との間に、なんらかの接点があるようですね」

 権田とは、笠井町海浜公園で遺体が発見された坂口由紀子の姉、坂口浩子を殺害した元暴力団関係者であるが、その因果関係を知る者は少ない。ここにいる3人と当事者だけであり、当事者である権田、坂口姉妹は死亡が確認されている。もしほかにこの事実をしる者がいるとすれば、それこそが蛇の正体である。

「わかりました。もう一度権田の周辺をあらってみます」


 携帯を切り、後藤が頭をかきむしる。

「あんた、まさか、何か仕組んだりはしてないよな」

 後藤は視線をどこにも合わせずに、独り言のようにつぶやいた。

「知らん。ワシはなにも知らん」

「えっ? まさか、権田につながるような遺品でも上がったんですか?」

「権田の写真やらアパートの地図やらでてきたらしい」

「おそらく呪詛に使ったのじゃろう」

「それと現場には何かを燃やした形跡があるらしい。それも、ごく最近だそうだ」

「遺体には触れておらんし、物的な証拠になるようなものは燃やしておらん」

「ったく!」

「ちょっ! それって――」

「心配はいらん。第一あの結界を破らなければ、遺体が発見されるまで、どれほど時間がかかったことか」


 後藤と鳴門刑事は顔を見合わせ、お互いが納得したことを確認した。

「わかりました。俺たちは何も聞いていない。それでいいですね」

「そういうことじゃ」

 下駄の男は不敵な笑みを浮かべ、困惑する二人を眺めていた。




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