第48話 不愉快な夢
「父さん、姉さんを早く病院へ……」
床に臥す姉は、日に日に衰弱していくのがわかった。でも父はいっこうに姉を病院に連れて行こうとはしなかった。
「お前も祈りなさい。京子の病気は、病院では治らないんだよ」
「でも、病院に行かなければ薬が……」
「病院で出す薬なんかで病気が治るものか! それで治るなら母さんは死なずにすんだ」
父はそういうと、もう一言も口を利かず、ただひたすらに祈りをささげ、仕事の時間になると早々に家を出てしまう。帰りはいつも遅く、姉の看病はもっぱらボクの仕事だった。でも、ボクができることは少ない。食事の用意もすることはできなかった。パンを牛乳に浸したり、果物をすりつぶしたりして、食べやすいようにした。最初の内は喜んで食べてくれたが、だんだん口に入れる回数も量も減ってきた。
「姉ちゃん、ちゃんと食べなきゃだめだよ」
「ありがとう。でもわたしはいいから、あんたがきちんとお食べなさいな」
姉は優しく頭を撫でてくれた。しかしその手には力はなく、妙に熱を帯びていた。ボクにはどうすることもできなかった。
「ただいま……」
「父さん、やっぱり医者にみせないと姉さん、死んじゃうよ。お願いだから――」
「うるさい!」
玄関で父に思い切り平手で殴られたボクは、それでもどうすることもできなかった。父に逆らうことも、姉を救うこともどちらもできなかった。
「いま、支部長さんにお願いして、教祖様になんとか足をお運びいただけるよう取り計らってもらっている。お前は余計な心配はしなくていい。ただ祈り続けることだ。信心に曇りがあれば、あの子を助けることはできない」
そういうと父はカバンから包みを出す。そこから小さな小瓶を取り出す。便にはなにやらお札のようなものが貼られている。ボクにはそれを手に取ることも許されないし、読み解くこともできない。ボクには何もできない。
「さぁ、京子、霊水をいただいて来た。これをお飲み。これで少し楽になるから……」
「ありがとう。お父様」
姉は力なく答え、小瓶に入った液体を少しずつ口に含んだ。ときどきせき込みながらもそれを飲み終えると、床からでて、ご神体のある方角、南西の方角に向かって深々とお辞儀をし、せき込み、お辞儀をし、そして床に戻り体を震わせた。
「きっとよくなる。きっとよくなるさ。母さんも守ってくれる。何も心配することはない」
なにも心配はいらない。なぜならボクには何もできないのだから――。
父はまた祈りを始めた。懐から経典をだし、ご神体の方角に向かってひたすら祈りをささげる。ボクにはなにもできなかった。ただ、父のマネをしてお辞儀をしたり、覚えているところだけを口にしたりした。ボクには意味がわからなかった。父が何をしているのか、祈るとはどういうことなのか、経典にはなにが書いてあるのか、それを唱えればどんなことが起きるのか、ご神体とはなんなのか。
ボクはなにも知らなかった。だから、だからボクは――。
「姉さん――、姉さん――」
夏だというのにその部屋は異常に涼しかった。寒いといっていい。狩野紫明が目覚めたのは朝の10時を回っていた。外では夏の太陽がギラギラと照り付け、蝉がけたたましく鳴いている。
「また、夢を見るようになったのか……。不愉快だな。あの男、下駄の男のせいか――。いや、それよりも別の気配の方が気になるな。ずっとこちらを見ているような感覚。眠っている間に、また結界が破られでもしたかな」
昨夜張り直した結界を確認する。これと言って異常はない。
端末を確認する。いくつかのアラートが出ている。
「呼びだしか……おだやかじゃないな。まぁ、いい。こちらも準備はしてある。俺だけを切るなどと、そんなことはさせん」
長い髪を後ろで束ね、狩野紫明は身支度を始めた。
「求めることにためらいなどいらぬ。外道と言われようが邪道と言われようが……」
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