第37話 暗室
「誰かの邪魔が入ったようだけど……いったいどこの物好きだい?」
夏――気温は夜でも30度近くあり、湿度も高い。しかしその部屋は半袖で過ごすには寒すぎる温度で保たれていた。ひどく青白い顔をした男がパソコンの画面に向かってしゃべっている。
「あまり遊びが過ぎると、あの方の不興を買うことになりますよ」
画面に映し出されているのは通信ソフトのようである。ひどく青白い顔をした男は、インターネット越しに誰かと会話をしているらしかった。
「でも、残念だなぁ。あれがあの後どうなるのか。結構楽しみにしてたんだけどなぁ。なかなかああいう素材は手に入らないからね」
長く伸ばした髪の毛は、まるで女性のそれのようにさらさらとしていた。肩幅が広い。首は細くて長い。男であるのか女であるのか後姿だけでは見分けがつかない。室内だというのに白のサマージャケットを着ている。部屋の中は間接照明だけで薄暗い。大きめの水槽の蛍光灯が青白く光っている。中には色鮮やかな熱帯魚が泳いでいる。
「悪趣味な」
通信相手は、あからさまな不快感を表していた。画面に顔は表示されていないが、決して笑ってなどいないことは誰でもわかる。
「クゥッ、クゥッ、クゥッ、クゥッ……そう言うなよ。君だって興味があるのだろう? 闇の力に。この現代に鬼女(きじょ)を蘇らせるほどの力……君も欲しいのだろう?」
ひどく青白い顔をした男は、誰もが嫌悪感を示すような卑屈な笑い方をしながら、画面を見つめていた。ひどく青白い顔をした男のいう『鬼女(きじょ)』とは、東京の郊外――夜中に後ろ向きに走りながら『ほら、新しい顔だよ』といいながら通行人を脅かしてまわり、ついには鬼の姿に変化しようとした怪異のことである。しかし何者かによってこの男が言うように邪魔が入ったのである。
「それに、頼まれたことはしっかりとやったんだし、あまり文句は聞きたくないなぁ」
「その件もいささか派手にやりすぎたのではないか?」
「だって、警察は事故死ってことで片付けるそうじゃないか。何も問題はないさ」
事故死――数日前、笠井町のとあるアパートで元暴力団員の男が奇怪な死を遂げた。蝉の大発生。男は蝉に襲われ逃げ出そうとして誤ってアパートの階段を踏み外し、死に至ったのである。
「いや、それはこちらのお膳立てがあっての話だ。不審に思って捜査を続けている連中もいることを忘れてはいけない」
「例の……後藤刑事のことかい? あんな素人に何ができるね」
「いや、後藤刑事だけならば、こちらでどうとでもなる。問題はあの男の方だ」
「あの男――下駄の男ですか」
「そうだ。最近後藤刑事と接触をしていることがわかった。万が一ということもある」
「万が一ねぇ」
ひどく青白い顔をした男は、下駄の男のことよりも自分が戯れで行った呪詛が破られたことのほうが関心があった。いったい誰がそのような邪魔をしたのか・・・・・・
「あのお方のご不興を被ったものがどういう結末を迎えるのか。知らぬわけではないだろう」
その言葉――特定の人物をさす『あのお方』という画面の向こう側の男の言葉にひどく青白い顔をした男は強く反応した。
「あのお方は! あのお方は、私の能力を高く買っていらっしゃる。お前につべこべ言われる筋合いはない! 少しばかりあのお方のそばにいるのが長いからといって、貴様があのお方の役に立てると思っているのなら大間違えだぞ! 貴様なんぞに……」
「くれぐれもあのお方の期待を裏切らないことだ。お互い、まだ死にたくはなかろう?」
「ああ。あの塔が――闇の塔が動き出すまでは」
「警告はしたぞ。あとはお前次第だ」
「どういう意味だ」
「さぁあな。自分でやったことの始末は自分でつけろと、そういっている。それだけだ」
その言葉を最後に、音声は聞こえなくなった。
「下駄の男か。面白い。あのお方も認める拝み屋の手並み。拝見させてもらおうか。そして邪魔をするようなら……」
男はそのまま目をつむり、深く呼吸をするとそれきり動かなくなった。まるで魂が抜けてしまったかのようにまったく動かない。パソコンの画面は自動的にスクリーンセーバーに変わった。色鮮やかな光の線が画面の中で踊り始める。その光が男の顔を照らす。部屋の中の温度はさらに下がったように思えた。
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