第36話 夜の公園

「気に入らんなぁ……」

 繁華街からは車で15分ほどの場所。休日の昼間はたくさんの人が訪れるが平日の夜ともなれば、人気はあまりない。とはいってもそこは主要道路沿いにあり、車の往来は激しい。東京方面から千葉方面へとつながるその道は、深夜でも車の通りが途絶えることはない。


「この無機質な感じはワシの好むところではないわ」

 夜の8時を回っている。時々ランニングをしている人を見かける。人や車の通りはあるが生活感がない。そこは広い公園の外周にあたり、周りは倉庫や工場がほとんどでレジャー客相手の店はあるがこの時間で営業しているところはほとんどない。頭上を高速道路とJRが走り、騒音が常に鳴り響く。その一方で広い敷地を持つ公園はどす黒い闇と静寂に包まれている。その境界線に男は立っていた。


「このあたりであろうか。それとも違うか。まぁ、とりあえずは入ってみるかよ」

 立ち止まっていた男が歩き出す。


 カラン、コロン、カラン、コロン……


 男は下駄をはいている。小柄ではあるが、その歩き、その身のこなしには強い生命力を感じる。街灯の灯りが頭部を照らす。男の頭部には髪の毛がない。紺色の作務衣を身にまとい、袖からすっと伸びた腕はいい色に日焼けをしている。口元は真一文字というよりは左に少し吊り上っているよな印象がある。何か考え事をするときや、周りを警戒しているときに、そのような表情になるらしい。顔にはそれなりのシワがある。男の放つ雰囲気からはそれなりの年齢を重ねた威光のようなものが感じられる。50年以上の人生経験は踏んでいるだろうと誰もが思う。しかし、肌の色つや、ギラギラと光る眼付きからは20代の男子かと思うほどに活力にあふれている。


「何のことはない、静かな公園じゃ。こんなところで何かをやらかそうなどと、普通は考えないものじゃが……」

 その男は何かを探してここまで来たのである。それは男が生業としている『分野』のことであるが、今回は誰に頼まれたわけでもなく、当然に誰かに指示されてやっていることではない。この男――下駄の男の生業とは『拝み屋』である。


 公園は大きく分けて3つのエリアに分かれている。一つは東京湾に面した人口の砂浜のある部分で、ここは夜には人が入れなくなる。もう一つはこの公園のシンボルでもある観覧者があるエリア。もう一つは水族館と野鳥園のあるエリアである。観覧車は夜まで営業しているが、ほかの施設は夕方で閉館になる。野鳥園は24時間出入りが自由であり、当然のことながら、人目の死角はたくさんある。


「まずは道なりに歩いてみるかよ」

 下駄の男は野鳥園に向かって歩き出した。公園の外で歩くときは下駄で歩く音がカラン、コロンと鳴り響いていたが、公園に入るとその音はスニーカーで歩くがごとく静かになった。この男にとってそのような芸当は当然のことであるようであった。公園の中は街灯も少なく、見通しはあまりよくない。公園の外では車や電車の騒音にかき消されてしまっていたが、虫の音があちこちから聞こえてくる。一歩敷地内に踏み入れただけで、これほどまでに世界が変わるものなのかと普通の人ならば思うところである。しかし、下駄の男は別の気配を感じていた。


「やはり気に入らんなぁ……」

 下駄の男は普通の人間にはわからない『何か』を感じているようだった。

「ふん! 品の悪い結界ぞぉ」

 下駄の男はギラギラと光る眼を細め、見えないものを見ようとしていた。いや、本来見えるもの――何者かによって隠されたものを見つけようとしていた。公園内に入ってから10分を超えたくらいのところで野鳥を観察するための建物――ウォッチングセンターの前まで来た。この施設は夜間は閉鎖されている。

「ここが中心になるのか。どうやらあるはずの道を隠しているようじゃな」

 下駄の男の言うあるはずの道。それは本来誰もが行き来できる場所を法術によって見えない――いや、見えてはいるが、人の関心、注意、警戒を向けられないように細工がしてあるというのである。

「そうまでして、このような人気のある場所でことをなしたというのであれば、おそらくはそのような力を誇示しようとする者の仕業ということじゃな。ガキの相手は疲れるぞい」


 下駄の男は禿げ上がった頭の上に手を載せ、パンパンと二回ほど叩いた。

「しかし、ガキと言ってもあなどれんなぁ。今日のところはこんなものかよ。まぁ、誰に頼まれたわけでもないから急ぐこともないかのぉ」

 下駄の男は空を見上げた。どんよりと曇った夜空の中に一部分だけぼんやりと明るい場所がある。月が隠れているようである。


「明日は雨か……明日また来るかのぉ。その方が面倒がなくていいか」

 そういうと下駄の男は来た道を戻っていった。


 カラン、コロン、カラン、コロン……


 誰もいない公園に下駄の音が鳴り響く。先ほどとは違い、下駄の男は自ら意識をして音を立てていた。その音に注意深く耳を傾けながら歩く。

「このあたりらしいが、夜は目がきかん。雨が降れば昼間でも人通りは少なかろう」

 一度立ち止まり、下駄の男が感じた『音の反響の違和感』のある場所に目を凝らす。そして何か納得がいったという顔をし、そして作務衣の懐からiPhonを取り出し、何やら調べ始めた。

「あやつは今、どこにおったかのぉ」

 暗い公園の中でiPhonの画面の灯りがうすぼんやりと輝き、そこの下駄の男の顔が浮かび上がる。知らない者がこの光景をみたら、間違いなく歩みを止めて引き返すであろう。


「おう。小田原にもどっておったか。ちぃと、手伝ってもらうかのぉ」

 何やら画面を操作し終えると、下駄の男は闇の中に消えて行った。


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